いつも “ ときどき日記 ” をご覧くださりありがとうございます。
今回は我が家の二人娘の “ 雛人形 ”を掲載させて頂きます。
" 雛人形 ”について
皆様もご存じとは思いますが、雛祭りに飾る人形。節供人形。雛人形という名称は
江戸時代になって生まれたもので、平安時代にはその前身ともいうべき 「 ひいな 」 と
いう遊びがあったそうです。
「 ひいな 」 とは、小さくかわいい意味の古語で、貴族社会では男女一対の小さな
紙人形を用いてままごと遊びなどが行われ、それを 「 ひいな遊び 」 といったそうです。
長女の " 雛人形 ”です( かれこれ二十数年 )
人形は立った姿の紙雛風のものと推定されますが、これを中心に、貴族の暮らしをまねた
館や食器などの調度をそろえて遊んでいたそうで『 源氏物語 』( 末摘花(すえつむはな))に
「 もろともひいなあそびし給ふ 」 などとあるように、貴族家庭の少女の人形遊びであり
その頃はまだ3月の節供とは関係はなかったみたいです。
それと別に、平安時代のころから、季節の変わり目には神に供御 ( くご ) ( 飲食物 ) を
供えて身体の安泰を祈る信仰があり、それを節供といったそうで、3月は上巳 ( じょうし )
( 最初の巳(み )の日 )に、紙や植物でつくった人形( ひとがた )( 形代 (かたしろ) )で
身体をなでて汚れを祓 ( はら ) い、それを水に流して神送りする行事があったみたいです。
下の写真は、次女の " 雛人形 ”です
鳥取地方などでは、3月の節供が済むと、雛を川へ流し捨てる 「 流し雛 」 の習俗が
現在も残っていて、この信仰的な人形 ( ひとがた ) も、雛人形を生み出す源流の
一つとなり、こうした人形遊びと 呪術 ( じゅじゅつ )用具としての雛形人形
( ひとがた ) の信仰とが互いに融 ( と ) け合い、しだいに雛人形への骨格を
形成したみたいです。
江戸時代に入り、太平の世相を迎え、3月の節供が盛んになると、雛遊びが一般化して
雛祭に移行し、年中行事として3月3日に定着し、それが広く流行するにつれて人形も
発達し、さまざまな作品が飾られるようになって雛とよばれたそうです。
“ お雛様 ” いつも子供達をお見守りくださり、ありがとうございます
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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