ジャズ喫茶の思い出(2021/2/3) | umedastyleなAV生活

umedastyleなAV生活

竹スピーカーKaguyaの情報、開発裏話など、時には、脱線することも

先日、有田川町のサードカフェのオーナーが私の店に来てくださいました
長い時間、音楽の話で盛り上がりました、最近お店に、ピアノも入れたので、時々ライブもやって、有田地方の音楽ファンが集まれる場所にしたいと言う事でした


私が初めて買ったジャズのレコードは高校2年生の時、マイルスのオムニバス盤、それまで名前も知らなかったマイルスが好きになり、レコードも増えていきました
大学の頃は、ジャズ喫茶が沢山あり、旅行で、初めての町に行くと、先ずジャズ喫茶を探し、そこで何時間もレコードを聴く、ほとんど観光をした想い出がありません
大阪は、阪急東通りのバンビ、港町の845、京都、三条河原町のビッグボーイは友人との待ち合わせに良く使い、週末の夜に一人で座っていると、約束もしていない友人が次から次へと集まってきたこともありました
東京ではお茶の水のナルや新宿のピットイン、金沢の「もっきりや」も金沢に行くと必ず行ったお店です

和歌山で私が初めて行ったジャズ喫茶は、正確な場所は憶えていないけれど城北通りにあった「アゴラ」、いつまであったかわからないけれど、学生の頃、よく行きました

大学を出て、私は大阪の音響メーカーに勤めていました
仕事が終わると、心斎橋のジョンルイスには良く行きました 週末にはハウスバンドがライブをしていました
その近くのスコッチバンクはピアノバーで、時々、私の友人が弾いていました

和歌山では、私の父が電気店をしていましたが、自宅兼店を新築しているとき、体調をくずして、「店が出来ても仕事ができない」と言う事で、私は和歌山に帰ってくることになりました

和歌山に帰ってくるにあたり、一階は家電店、2階をオーディオショップにして欲しいと言う私の希望
新しい店が完成して、その年の暮れ、「大晦日年越しジャズレコードコンサート」とポスターを店の前に貼っていると、それを見た人が来て「今度、ジャズ喫茶を始めるます」と言う
それが、今も、向之芝公園の前にあるセントルイスのマスターです

だから、私はセントルイスが開店当初からよくお邪魔していました
そうして、仕事の後、夜、セントルイスにいると、高校卒業以来の同級生に会いました
彼は、大学ではベースを弾いていて、和歌山に帰ってきて親の仕事を手伝っているがジャズ喫茶を作りたいと思っているんだ、しかし、あまり金はない」
と言う事で、和歌山に帰って、親の木工所を継いでいた友人と、新しいお店のスピーカーを作ることになりました
それが、キャットウォーク
JR和歌山駅(もしかするとその頃は未だ国鉄?)の近く
当然、そこは、私と親しい友人のたまり場になりました
その中には、エバンゲリオンの作詞家で有名な及川 眠子さんもいました

同じころ、キャットウォークの近くに、より駅に近いところにテイクファイブがありました
テイクファイブはその後、今の場所、宮街道の北に移転しました

駅の東側には、駅からは少し離れたところの住宅街の中でしたが、ブルーノートがありました(今も、あるのかな?)
そこは、ビンテージのスピーカーがいくつかあって、JBLのパラゴン、ランサー101(?)、タンノイオートグラフ(?)
スピーカーの音を聴きたくて、何度か行ったことがありました

昔の長崎屋、今のCityの近く、裏通りの角にファンキーと言うお店があって、今も看板は残っています
馬蹄形のカウンターの両端の上にJBL20CmフルレンジスピーカーLE8Tがあって、気持ちよくジャズが流れていたのですが、アルテックのA7かA5に代わって、隣の人と話もできないくらい大音量になってからは行かなくなりました
そう言えば、キャットウォークで友人と話をしていると、マスターから良く叱られました

小松原の桐蔭高校から大通りに出てきたあたりに、ジョンルイスと言うお店があったと思います(?不確か)
私も一度行ったことがあった様な、無かった様な