久しぶりのブログですね。

ついつい忘れがちですが、

まあ思いついた時が吉日ということで。

 

今日のお話は、ちょっと前に僕のYouTubeの中で

お話したことでもありますが、

けっこう反響が大きかったので

あらためて、ここにも載せておこうと思いました。

 

今から10年くらい前に、

うつ病のような、本当に苦しい時期があって、

それは僕にとって、とてもインパクトの強い絶望体験だったんですね。

 

僕だけじゃなくて、まわりの家族にとっても、

つらい時期だったと思います。

 

まあ僕なんかよりも、もっとつらい経験している人は

世の中にたくさんいると思いますので、

そんなの絶望じゃないよって怒られちゃうかもしれませんが、

僕にとっては本当につらい時期でしたね。

 

比較的若いうちに開業して、バリバリ仕事をして、

夜中まで診療して、訪問診療をして、クリニックをどんどん大きくして、

たくさん患者さんを診て、成長と成功を目指して突き進んでいたのが、

突然ぱったりとエネルギー切れを起こして、

寝れない食べれない、頭の中はネガティブな思考で一杯、

そんなつらい時期を経験しました。

 

何をやっても、

薬をのんでも(何を隠そう薬が超苦手)頭から不安は取れないし、

ほとんど眠れないし、人が怖い、診療も怖い、

いつもドキドキしている、

いつも気分は重苦しく憂鬱、

そんな時期が2~3年くらいは続いたと思います。

 

自分は、比較的ポジティブで、

結構ストレスには強い人間かと思っていたんですが、

めちゃくちゃ弱くて、

自信とかプライドのようなものは、ことごとく崩れましたね。

 

はじめのうちは、周りに悟られないように、

自分一人でひっそり悩んでいたんですが、

そのうちに、自分一人では抱えられなくなって、

自分を隠すのを「あきらめた」んですね。

 

まずは奥さんに、すべて正直に自分の状況を話して、

息子にも、今お父さんは苦しいんだって話をして、

クリニックのスタッフにも、

できるだけ僕のストレスになる仕事をお任せして、

診療時間を減らして、仕事を減らして…

そうやって、自分のありのままを外に表現して、

少しずつエネルギーを取り戻していきました。

 

まあ今思い出しても、本当に暗黒のような時代ですが、

あの絶望体験が、

僕に「あきらめる」ってことを

最初に教えてくれた経験だったように思います。

 

その後、少しずつ元気を取り戻して、

YouTubeなんかを始めるようになって、

右脳回帰やノンデュアリティの世界を知って、

思考と距離ができるようになって感覚優位に生きられるようになって、

だいぶ生きるのが楽になったなあって思うんですが、

今あらためて、

この「あきらめる」っていうことが、

とっても大事なことなんだなって思うんですよね。

 

 

あきらめるって、なんか、

不本意に途中でやめてしまう、投げ出す、みたいな、

少しネガティブなイメージがある言葉ですよね。

 

最後まであきらめるな、

夢をあきらめるな、

みたいなことはよく言われます。

 

でも僕が今日お話ししたい「あきらめる」っていうのは、

その意味でのあきらめるではなくて、

「明らかに見極める」っていう意味でのあきらめる、なんです。

 

これ最近読んだ本に書いてあってとても共感したんですが、

あきらめるっていう言葉は、明らかに見極める、

つまり、

事実を事実のままに、一切の期待を排除して、ありのまま見ること、

と書いてあったんですね。

 

事実を事実として、一切の期待を排除して、ありのまま見る。

あきらめるっていうのは、事実を事実のまま、

そのまんま受け入れるってことなんですね。

 

これを読んで、すぐにピンと来たのが、

以前YouTubeで対談したまっすーさんに教えてもらった、

マインドフルネスの定義なんです。

 

マインドフルネスというのは、

目の前のことを、一切の価値判断を排除して、ありのまま見る、

ということです。

だいたいおんなじこと言ってますよね。

 

右脳回帰とかノンデュアリティを学んでいくと、

このマインドフルネスの意識が自然に育っていくように思います。

 

今目の前に起きていることを、価値判断を挟まずに、

ありのまま気づいている観察者の視点、気づきの視点。

その視点でいられるようになってきます。

 

この観察者の視点、気づきの視点が、

あきらめるということでもあるんですね。

 

苦しい時は、全然あきらめられなかったですね。

 

起きている出来事を、いつも自分の都合に合うか合わないかを判断して、

合わないものを何とか無くそう、消そう、コントロールしようとしていました。

 

起きている出来事に、現れていることに、

いつも抵抗や否定ばかりしていました。

 

でもそれでは全然うまくいかなかったですし、

その起きている出来事をコントロールしようという意識が、

余計苦しみを生んでいたんですよね。

 

なので、明らかに見極めるっていう意味での、

あきらめって、楽に生きる上でとっても大事なんですよね。

 

あきらめるっていう言葉と似たような言葉に、

手放しっていう言葉もありますね。

この手放しっていうのも同じですね。

期待とか執着を手放すってことです。

 

起きる出来事に対して、もしくは誰かや何かに対して、

こうあるべき、こうでなくてはならない、こうあってほしい、

そういう期待や執着を手放すということです。

 

こうあるべき、とか、こうなってほしい、というのは、

事実を事実として、あるがまま受け入れられていないってことですよね。

明らかに見極められていないってことです。

 

そういう期待や執着を手放して、

事実を、ありのまま見る、ありのまま受け入れるっていうことが、

大切なんですね。

 

僕は、絶望体験をきっかけに、

ある意味、自分をあきらめたんじゃないかと思います。

 

立派な自分、できる自分、強い自分、特別な自分、確かな自分、

そういった自分を、あきらめた。

というより、あきらめざるを得なかった。

 

自分がいかに小さくて無力な存在か、

ということをとことん思い知らされたんだと思います。

 

だけど、

それは悪いことではなくて、むしろ、

自分を生かしている大きな力の存在に気づけたとき、

でもあったように思います。

 

小さな自分を、あきらめ、手放したときに、

逆に大きな力の方、全体とか根源とか無とか空とか、

そういう人知の及ばない大きな力の方に

気づけたんじゃないかと思います。

 

だからこそ、非二元・ノンデュアリティの世界に導かれたように思いますし、

ノンデュアリティで言っている、

私はいないとかとか、全ては全自動に起きている、という

普通には理解しにくいメッセージが、

比較的違和感なく受け入れられたんだろうと思います。

 

ノンデュアリティの学びが深まるにつれて、

確かな自分、確かな私というものが少しずつあきらめられて、

大きな力の方への信頼感が増しているように思います。

 

自分が何かをしているというより、

大きな全体の流れの一つとして、

ただ起きるべきことが、ただ起きている。

 

僕たちは、その流れに、安心して乗っかっていればいいんだな、

そんな、いわばサレンダーとか明け渡しの感覚が、

育ってきているように思います。

 

自分をあきらめる、なんて怖いことのように思うかもしれませんし、

反発が生まれたり、なんだか虚無的に感じられるかもしれませんが、

でも実は、自分をあきらめて、

今ある現われに身を任せてサレンダーするっていうのが、

実は一番楽だったりするんですよね。

 

そこには虚無感や無力感なんてなくて、

大きな安心や解放感が、逆に感じられてきたりするんですね。

 

そんなことがだんだんわかってきた気がします。

 

なので、あの絶望体験は、その時はとてもつらかったですが、

今思うと、僕にとって、大事なことに気づかせてくれる、

貴重な体験だったんだと思います。

 

とはいえ、

僕のような絶望体験を皆さんにはお勧めできないので、

まずは目の前に起きていることに対して、

いかに評価、判断、期待という自分の解釈をくっつけているか、

ちょっと観察してみてください。

 

そこに気づいたら、そういった解釈を手放して、

事実を事実のまま、ありのまま受け入れてみてください。

 

起きていることに対する抵抗や否定が減るだけで、

大分生きるのが楽になるんじゃないかと思います。

 

僕も日々実践中です。

一緒にサレンダーしちゃいましょうね。

 

今回は、この辺で、ではまた~💕

 

 

あ、気がついたら、今日は開院記念日で、

18周年でした~

皆様のおかげです。

 

家族のおかげです。

スタッフのおかげです。

患者さんのおかげです。

 

 

本当にありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いしま~す💕

だいぶ過ぎましたが(笑)、

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

今年も、現場ではなかなか話せない、

少しでも楽になるような話、

現実生活でいろんなことがあっても、

まあ大丈夫って思えるような、

そんなお話をゆるっと書いていきたいと思っていますので、

よろしくお願いします。

 

といっても、僕もまだまだ学びの途中で、

ぜんぜん悟ったり目覚めたりしているわけではありませんので、

気安く、何でも大丈夫です、とは言えないんですけど、

ただ僕自身、

これまでの右脳回帰とかノンデュアリティの学びを通じて、

そのまんまで大丈夫って感じが大分強くなってきているので、

その辺りのことを、いつもの通り書いてみたいと思っています。

 

ちなみに、僕のお伝えしたい大丈夫っていうのは、

人生が思い通りうまくいくとか(なったらいいけど)、

自分の都合通りに問題がなくなるってことではありません。

上手くいったりいかなかったり、

問題がある時もない時も、

全部そのまんまで大丈夫ってことなんですね。

 

自分の価値判断を越えて、今それが起きているんなら、

それがそのまま完璧な現れであって、

大きな視点から見たら、そこに何も問題がないってことです。

 

そういう根源とか全体性みたいなものに対する

信頼感からくる、

大丈夫。

そんな感じが、最近少しずつ生まれてきているんですよね。

 

それと、ここで伝えたい大丈夫っていうのは、

何か神様のような存在が守ってくれるとか、

高次元の何かが救ってくれるといった

スピリチュアルなお話ではありません。

 

もっと地に足の着いた、

自分で確かめられる確実な事実を通じた

実感から生まれる、大丈夫です。

 

かつての僕は、全然大丈夫ではありませんでしたね。

いつも恐れや不安を抱えていて、

悩んだり苦しんだりするのが当たり前になっていました。

 

恐れや不安といったネガティブな思考や感情を、

良くないもの、受け入れがたいものと考えて、

それを何とか無くそう消そう、コントロールしようとして、

余計そこから離れられなくなって、苦しんでいました。

 

出てきた思考や感情を、いい悪いと判断して、

自分の都合に合わないものをずっと否定してきました。

 

否定からは本当の変容は生まれない、

というのは非二元セラピスト中野真作さんから頂いた

大切なメッセージですが、まさにそんな感じだったと思います。

 

それがいつからか、

恐れや不安、悩みや苦しみというのは、

結局すべて頭の中の思考であって、

その思考は本来の自分ではないこと、

その思考は自分に向かって振りかかるようなものではなく、

勝手にわいて勝手に消えていく自然現象なんだってことが、

徐々にわかってきたんですね。

 

そうすると、どんな思考や感情が現れても、

空に浮かぶ雲を眺めるように、

ただ気づいて放っておけるようになってきて、

そうやって雲を放っておけるようになってくると、

雲の奥にある大きな空の方、青空の方に、

だんだん気づけてきたりするんですね。

 

つまり、思考の奥にある沈黙、静寂の方に

気づけてきたりするんですね。

 

どんな雲が現れていたとしても、

その奥で変わらずに晴れ渡っている青空の方が、

本来の自分なのかもしれないってことが、

じんわり感じられてきたりするんです。

 

そうなると、どんな雲が現れたとしても、

青空は何も傷づかないし、なくなったり消えたりもしない、

どんな雲、どんな現れであっても、

そのまんま許されている、受容されている、

そんな気づきが現れたりするわけです。

 

とにかく、大丈夫じゃないって時は、

思考の世界に入っていますから(雲に集中し過ぎ)、

そんな時は、今思考の世界に入っているなと気づいて、

思考の届かない世界(空)に意識を向けてみるっていうことが、

大丈夫って感じられるために、大切なこと。

 

その思考の届かない世界への入り口が、

これまでも何度も言っているように、

からだの感覚とか五感なんですね(めっちゃ普通)。

 

今この瞬間の体の感じ感覚、五感。

五感はいつでも、今ココを確実にとらえています。

次々と変化し続ける今、をちゃんととらえています。

その、今ここ、今この瞬間を感じているとき、

そこに問題ってあるでしょうか。

 

頭の中で、思考の上でどんな問題が現れていたとしても、

今ココの五感の感じの中に、問題ってないんですよね。

ただ見えている、ただ聞こえている、ただ感じている…

 

その問題のなさを感じてみてほしいと思うんです。

確実な事実だけが教えてくれる

安定の安心感を感じてみてほしいと思います。

 

問題はいつでも思考が運んできます。

今ここに実際に現れている確実な事実ではなく、

過去や未来のことを考えるから、恐れや不安が生まれ、

悩みや苦しみ、あらゆる問題が生まれてきます。

五感とかからだの感覚を通じて、

今ココの問題のなさ、静けさを感じてみてほしいと思います。

 

とにかく僕たちは、思考が習慣になっています。

小さいころから考えろ考えろと言われてきたので、

考えることが当たり前になっています。

思考すれば問題が解決する、

思考をすれば今よりもよくなると、

そう思いこんでもいるんです。

本当に人間は、僕も含めて、思考が好きなんだと思います。

 

でも、思考の世界にいる限り、問題は生まれ続けます。

全体と分離した個の私、

全体と切り離されていつも何かが足りない私、

という個の私感が強まり、

悩みや苦しみは続きます。

 

それも全体の完璧な現れですから、否定しなくていいですし、

本来はそれでも大丈夫の中の話ですが、

なかなか大丈夫と感じられないのであれば、

思考の世界と仲良くするのをやめにして、

思考の届かない世界、

五感とか身体の感覚と仲良くなるのがいいように思います。

 

そうすると、少しずつ思考の奥にある青空の方、全体性の方が、

感じられてくると思いますし、

全体性が感じられてきたら、

僕たちはいつでも大丈夫の中にいるっていうことが、

感じられてくるんじゃないかと思います。

 

今、

空の上にどんな雲が現れていたとしても、

海の表面上でどんな荒波が現れたとしても、

映画のスクリーン上で、どんな激しい映像が流れたとしても、

その奥の大きな場の方、大きな全体性。

そういったものから、僕たちはけして離れることはありませんし、

大きな全体性の方が本来の自分なんですから、

いつでも大丈夫なんだってことを、

思い出していけたらいいんじゃないかなって思います。

 

今年も、

そんな大丈夫な世界を、

思い出しながら

ともに歩んでいきましょう。

 

今回は、こんなところです。

ではまた~💕

 

さて、気が付いたらもう2025年も終わっちゃいますね。

ブログも、書こう書こうと思いながら

ずいぶん間があいちゃいました。

 

もう年末になっちゃいましたが、

ちょっと今思うところを書いてみたいと思います。

 

12月初めころに、YouTube等でお世話になった、

ノンデュアリティ(非二元)や悟り界隈?の発信者の方々をお誘いして、

都内で忘年会を開きました(優しそうな方々だけお誘いしたので

通称やさしい忘年会)。

 

昨年もやったんですが、今年も何人かにお声をかけて、

今回は僕を入れて5人でした。

 

中野真作さん(非二元カウンセラー)、

Yuikaさん(非二元発信者、YouTuber)、

枡田智さん(瞑想、マインドフルネス指導者)、

ウエルカムレインサヤカさん(非二元発信者、YouTuber)と、

忘年会をさせていただきました。

 

忘年会の前に代官山に集まってお散歩したり、

中目黒でお茶をしたりしたんですが、たくさんお話ができて、

楽しかったですね。

とても素敵な時間を過ごすことができました。

あらためて、素晴らしい方々との出会いに感謝ですし、

自分がまさかこんな会を開けるなんて、かつての僕では考えられませんね。

 

今回参加された方々からも、僕がずいぶん変わったといわれて、

中野さんのクライアントさんで僕のYouTubeも見てくれているような方がいて、

暁さんずいぶんかわりましたねって言っていた、なんて話もあって、

やっぱり僕も随分変わったんだなあとあらためて思いました。

 

僕自身では、性格も、人格も、ダメな部分も、

全然変わっていないようにも思いますが、

やっぱり、こういう会を気安く開けるくらい

人に対してオープンになってきたりとか、

何より生きるのが楽になってきたなあっていう実感はありますね。

 

僕が、何らかの変化をしてきているとして、

その大きな要素として思いつくのは、

自分をありのまま受け入れられてきた、

っていうのがあるんじゃないかって思います。

 

ネガティブな面も、ダメな面も、

そのまんまの自分をありのまま受け入れる、

自分にダメ出しをしなくなってきた、

そんな感じがあります。

 

特に、僕は中野真作さんにお会いした時に、

どんな自分も否定しない

否定からは本当の変容は起きない

という言葉をいただいて、

それがずっと心の中に残っていて、

そこからずいぶん変わってきた気がしています。

 

どんな自分を否定しない、ありのまま受け入れる、

そんな言葉は何度も本で読んだりしてきたと思うんですが、

直接お会いしたり、何度もお話を伺ったりしていくうちに、

その事が、本当に腹に落とせてきたんじゃないかって思うんですね。

 

やっぱり真理を見抜いた方々から直接お話を伺うのって、

強い変容につながるなって思いました。

 

僕はずっと、自分のネガティブな面を無くして、

ポジティブな面だけにしようとやってきました。

 

自分のネガティブな面を、無くそう消そうコントロールしようとして、

色んなことをやってきたんですが、

それでは心が休まることはなかったんですね。

 

僕の場合は、恐れとか不安とか緊張とか、

そういったネガティブな思考や感情を、

何とか克服しよう、コントロールしようとして、

そうじゃないポジティブな状態でいつもいたい、

悟りのような特別な境地を目指してきましたが、

それって結局、

ネガティブな思考や感情を悪いもの嫌なものとして、

自分の一部をずっと否定してきた

ってことなんですよね。

それって自分の中の分離です。

 

出てきた現われを、これは違う、これは間違っているとして、

ずっと否定したり、抵抗したりしてきました。

 

でも、そうしている間は決してネガティブなものから離れられませんでしたし、

本当の安心とか平和みたいな感じはわいてこなかったんですね。

やはり否定からは、本当の変容は起きないんだと思います。

 

中野さんの言葉を聞いてから、あらためて、

僕の中に現れるネガティブな思考や感情を、

そのままちゃんと感じたり味わったりしてあげるようになって、

そうすることで僕は少しずつ変わっていったように思います。

 

どんな思考や感情も否定しない、

それが現れたなら現れたままそのまま感じてあげる。

それによって、その思考や感情(のエネルギー)が、流れやすくなって、

むしろ消え去るのも早くなる、深刻さが薄まっていく、そんな感じがあります。

 

否定とか抵抗をしている間は何度も何度も繰り返していた重苦しいパターンが、

受け入れて、感じてあげるようになってから、

軽さや、深刻さのなさにつながっていった気がするんですね。

 

どんな思考や感情も、自然現象と一緒で、そのうち変化していく、

そんな安心感が生まれていったような感じがします。

 

ただ、確かに、自分のネガティブなものを受容することは

大事だとわかっていても、それが受け入れにくい時ってありますよね。

 

強い不安とか、強い恐れとか、強い怒りとか、

そういったものって、口で言うほど受け入れるのって簡単じゃなくて、

とても痛い時ってあると思います。

痛すぎて苦しすぎて感じられないってこともあると思います。

 

そういう時は、もちろん無理をしなくていいんですが、

そんな時でもできることが、

恐れ、とか、不安、とか、

そういった言葉をはずして、

ただその時のからだの感覚を感じてみてほしいんですね。

言葉をはずして、

その瞬間のエネルギーをただ感じるっていうのかな。

 

強い不安とか、強いネガティブな思考や感情がわいたときに、

その時にからだの感覚がどうなっているのかを感じてみてほしいんです。

おしりと椅子の接する感覚、足の裏の感覚、呼吸の動き、

肌にあたる風の感覚、手の温かみジーンとした感じ、

そういった体の感覚に意識を向けて、それをそのまま感じてみてほしいんですね。

 

その体の感覚を、何も思考や言葉を挟まずに、ただ感じてみる。

判断やジャッジを挟まずに、ただ感じてみる。

心臓の鼓動が激しければ、それでどうなっちゃうんだろうとか考えずに、

ただそこに気づいている。

ただ感じている。

 

そうしていくうちに、

思考の中でいろんなネガティブなものが湧いている時でも、

からだの感覚は、いつも静かだってことに気づけてきたりするんですね。

 

頭(思考)の中がいくら問題だらけでも、

からだの感覚には何にも問題ってないんだなって気づけてきたりするんですね。

何も変わらない静寂がそこにあるって気づけたりするんです。

 

そのからだの感覚の静かさに気づけてくると、

どんな思考や感情であっても大丈夫って感じがじんわり湧いてくると思います。

そこに本当の安心感がわいてくると思います。

 

本来、ネガティブな思考とか感情って、悪者じゃないんですよね。

僕たちが蓋をして避けてきたものが何かのタイミングで浮上してきたものなので、

それをちゃんと受け入れて感じ取ってあげないと、

何度も何度も繰り返されちゃうんですよね。

 

出てきた現われをそのまま受け入れてあげる。

それがネガティブなものであっても、そのまんま受容していく。

そうすることで、ゆっくりと変容を起こしていくように思います。

 

自分のネガティブな面も、そのまんま受け入れられてくると、

もうそのまんまで大丈夫だなあ、

何も変わらなくていいなあ

って感じになれてくるように思います。

何か特別な境地や特別な自分を目指して、変わろう変えようとしなくても、

そのまんまで大丈夫だし、そのまんまで満たされている感じが生まれてきます。

 

そもそも、生きているだけですごいことなんですよね。

何かをなしたり、何かの境地に達そうとしなくたって、

生きているってことが、それだけですごいことだなあって、最近思います。

 

どんな自分であっても、そのまんま受け入れて、

そのまんまで生きているだけで素晴らしいことなんです。

 

僕は、以前と比べて何が変わったかと言えば、

ダメな自分を含めてそのまんまの自分が

だいぶ受け入れられるようになった気がします。

 

悩みの今も、

苦しみの今も、

ネガティブに巻き込まれている今も、

 

そのまんまで大丈夫、みたいな、そのまんまで生きる気楽さみたいなものが、

前に比べて生まれてきているような気がしています。

 

皆さんにも、このそのまんまで生きる気楽さを

感じてみてほしいなと思っています。

 

そのためにもまず

どんな自分も否定しない

その言葉を、心のどこかに入れておいていただければと思います。

 

今回は、この辺で、

よいお年をお迎えください。

では、また来年~💕

 

さて、10月になりましたね~(ってだいぶ過ぎましたが)。

僕は10月8日が誕生日で、53歳になりました~。

もう完全なおじさん、もうちょっとでおじいさん?ですね。

ま、ぼちぼち頑張りましょう。

 

この52歳の1年間も、現実生活では本当にいろいろありました。

かつての僕だったら、大分凹んじゃうようなこともありましたが、

なぜかこの1年は、内側の静寂みたいなものが感じられていて、

色んなことが起こったとしても、どこか楽な感じがあったんですよね。

 

そのまんまで生きる気楽さ、

みたいなものが、最近感じられてきています。

 

かつての僕は、そのまんまでなんかぜんぜん生きられなかったですね。

そのまんまを受け入れられなくて、

何とかそれを変えようと、コントロールしようとしてきました。

 

弱い自分を何とかしたい、

怒ったりイライラしない自分になりたい、

いつも明るくポジティブでいたい、

そういう感じで、

そのまんまの自分を何とかよくしようと、

自己啓発や成功哲学、禅、精神世界、スピリチュアル…

色んなことをしてきました。

 

そのころ(30代~40代)は、

本当に目覚めとかアセンションなんて言葉に憧れましたね。

覚者、スピリチュアルリーダーみたいな人たちがみんなキラキラ見えて、

あんなふうに目覚めたら、未来とかも予測できて、

なんでもうまくいって、

自分の悩みとか苦しみもやがて消えてなくなるんだろうと思って、

一生懸命、その方面の本を手当たり次第に読んだり、

お勧めのワークを必死にやったりしてきました。

 

でも僕の場合は、

それらのことでは本当の安心みたいなものは得られなかったんですね。

もちろん、その時々で僕の助けになったと思いますが、

いつまでたっても、過去の後悔や未来の不安ばかり考えていて、

全然やすまらない。

 

やがて、過剰な思考が止まらなくなって、何もかもが怖くなって、

鬱みたいな状態になっていきました。

そこから2~3年くらい、ほとんど恐怖と不安の中で生きていましたが、

少し元気になってきたタイミングでなぜかYouTubeを始めて、

そこで出会った方々から、非二元・ノンデュアリティとか右脳回帰、

いわゆる悟り界隈の話を知って、

そこから徐々に気づきが深まってきた感じなんですね。

 

特に非二元・ノンデュアリティの世界との出会いが、

僕にとっては本当に恵みになっていて、

最初のうちは、多くのノンデュアリティ系の本を読みまくったりして

ノンデュアリティ独特の言葉に慣れるのに少し時間はかかりましたが、

そのうちに、その中で言われているメッセージ、

個としての私はいない、

とか、全ては全自動で起きている、行為者はいない、

みたいなメッセージが、

なんとなく腑に落とせて行けるようになってきました。

 

 

非二元・ノンデュアリティなんて言葉、

皆さんあまり聞いたことないかもしれませんね。

僕もほんの2年前までは知らない領域でした。

 

簡単に言うと非・二元、

二つに分かれないってことです。

良い悪い、好き嫌い、正しい間違い、

私とあなた、私と世界...

そういう二つに分ける世界(二元、分離)が当たり前に生きているけど、

本来は二つに分かれない世界(非二元)なんだってことなんです。

 

なんのこっちゃ~?ですよね。

僕も最初そうでした。

でもこの領域をちゃんと知っていくと、

人生の見方がガラッと変わって、

おもしろいんですよね。

生きていく深刻さみたいなものが減って、楽になっていくんです。

 

ノンデュアリティの学びって、

知識を増やすとか頭の理解を深める

っていうのも確かに大事ではあるんですが、

それよりも、五感とかからだの感覚を通じて、

実際に、感じたり味わったり、

体感することが大事なんですよね。

 

今、肌にあたる風を感じるとか、

耳に入ってくる音に耳を澄ますとか、

そんな単純なことをちゃんと感じていくうちに、

二つでない、とか、在るだけがある、とか、

ふと、色んな気づきが生まれたりするんです。

 

僕の場合はとにかく、過剰な思考が苦しさの主な原因で、

その過剰な思考と完全に一体化していたのが、

このノンデュアリティや右脳回帰の学びを通じて、

思考(左脳)から感じる方(右脳)にシフトすることができて、

少しずつ思考と距離ができてきたのが、

気楽さが生まれてきた一つの要因だと思います。

 

思考との一体化に気づいて、そこから距離ができるだけで、

人間ってずいぶんと楽になるんですよね。

 

思考と距離ができてくると、だんだん、

思考にしても感情にして、僕たちの意志とは無関係に、

勝手に現れる自然現象と一緒なんだってことに気づけてきます。

 

ネガティブな思考にしても感情にしても、

僕たちが考え出そうとして出ているものじゃなくて、

勝手にポコッと現れているだけなんですよね。

 

お天気と一緒なんです。

晴れの日もあれば、曇りの日もあるし、雨や雪もある。

僕たちは、どんな天気であっても、

それで自分を責めたり、

それを無理にコントロールするようなことはないですよね。

無理にコントロールしようとなんかしなくても、

勝手に変化していくことを当たり前にわかっています。

 

思考や感情も、天気の移り変わりと同じで、

勝手にぽこっとわいて、勝手にふわっと消えていく。

 

なのに、その思考や感情の場合、

それをがちっと捕まえて、

頭の中でぐるぐるさせちゃうから苦しくなっていくんですね。

 

どんな思考や感情も、天気と同じ自然現象なんだって腑に落とせてくると、

出てくる思考や感情を掴むことが減ってくるので、

楽になってくると思います。

 

こんな感じで、

思考との一体化に気づいて、思考から距離ができて、

出てきた思考を捕まえないようになってくると、

だんだんその奥にある静寂みたいなものにも気づけてくると思います。

 

思考と思考の隙間、

言葉と言葉の間の沈黙、

しーーーーん

そういった静寂のスペースに、だんだん気づけてくるんですね。

 

どんな天気であっても、曇りであっても雨であっても、

その奥で変わらずに在り続ける無限の空、

みたいなものに気づけてくるんです。

 

よくノンデュアリティの話で、

映像とスクリーンとか、

波と海とかの話で例えられますが、

どんなに激しい映像が映し出されていても、

スクリーン自体は何も傷つかずにあり続ける、

とか、

どんなに表面の波が荒れ狂っていても、

波と海は離れることなく海自体は何も変わらない

とか、

その辺りのことが、じんわり感じられてきます。

 

この何も変わらない静寂の方に気づけてくると、

今あるこれ、今現れている現れを、無理にコントロールしようとか、

何か特別な境地を目指したり、別の何かになろうとしなくても、

もうそのまんまで大丈夫なんだなって感じが、

だんだんつかめてくるんですよね。

 

だって、どうやったって、

変わらない空の方であり、

スクリーンの方であり、

海の方なんですからね。

 

 

僕自体は相変わらず、くよくよしたり、びくびくしたり、

落ち込んだり、怒ったりイライラしたり、

前と変わらずにそのまんまなんですが、

でも今それが現れているんだったら、それはそれで、

そのまんまで大丈夫なんだってことが、じんわり感じられています。

 

ですから今、そのまんまで全然大丈夫じゃないって思っている方々も、

まずは、一旦今抱えている問題を置いておいて、

思考の世界からいったん離れて、

今あるこれ、そのまんまの自分に、

いったんくつろいでみてほしいと思います。

 

今、何が現れていても、空に浮かぶ雲を眺めるように、

そのまんまでくつろいでみてください。

 

喜怒哀楽、どんな感情や思考がわいていたとしても、

それをそのまんま感じてみるってことですね。

 

喜が良くて、怒はダメだとか、そういう判断やダメ出しをせずに、

そのまんまでくつろいでみるんです。

 

どうしてもくつろげないときは、

今あるからだの感覚、

五感とか呼吸とかにちょっとだけ意識を向けてみてください。

 

五感とか体の活動は、確実に今この瞬間をとらえています。

そこには思考も、言葉もはさまっていません。

思考や言葉がはさまらない所には、問題もないはずです。

 

その五感とかからだの感覚と仲良くなってくると、徐々に、

今あるこれ、にくつろげるようになってくると思います。

そのまんまでいる気楽さとか深刻さのなさが、

じんわり生まれてくると思います。

 

僕もまだまだ学びの段階。

いまだに気楽になれない時も、深刻になることもあります。

でも、そんなときも、今それが現れているなら、

それが全体の完璧な現れなんだと思えて、

あまり無理にコントロールしなくなりました。

自分にダメだしすることが大分減りましたね。

 

いずれにしろ、

どんな時でも、揺るがない静寂、全体性といった大きな何かが、

いつも変わらずに今ここにあって、

そこから落ちこぼれることは絶対にないんだということが、

じんわり感じられてくるんじゃないかと思います。

 

そのまんまで生きる気楽さが、

じんわり生まれてくると思います。

 

どうかこんな長い文章を読んでくださった方々にも、

この感じが伝わればいいなと思っています。

 

今回は、この辺で

ではまた~💕