LOVE&PEACE(町医者のつぶやき)

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横浜で呼吸器科の開業医をしている打越暁です。2008年に開業し、現在楽しく診療中です。今までにない癒しのクリニックを作る、という夢に向かって邁進中です。世界が安心平和調和で満たされますように。

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呼吸を変えれば元気で長生き (新書y)/洋泉社

今回は、「思考」をテーマに、

書いてみたいと思っています。

僕にとって、思考って大きなテーマなんですよね。

 

なぜなら、僕自身、本当に思考に振り回されて、

思考に苦しんできたからなんです。

ネガティブ思考のループにはまり、

自動思考が止まらなくなって、

実際完全に心を病んでしまった時期がありました。 

それは苦しかったですね。

 

そんな時期に、僕を闇から救ってくれた言葉の一つが、

思考は本来の自分ではない、

という言葉だったんです。

 

この言葉は、エックハルト・トールさんという、

悟り・ノンデュアリティ系の

勉強をされている方にはおなじみの方ですが、

その方の「悟りを開くと人生はシンプルで楽になる」

という本の中の言葉です。

文庫本でよりエッセンスだけを凝縮した本も出ていて、

「超シンプルな悟り方」というタイトルで、

こっちもおすすめです。

 

とにかく、その当時、思考のぐるぐるが止まらなくなって、

完全に、思考と自分が一体化してしまっていたので、

この言葉に出会って、思考と距離ができるようになって、

だいぶ楽になったんですね。

 

それまで思考って、大事なものって思って生きてきました。

自分でよく考えなさい

将来のことを考えなさい

問題は何か考えなさい...

そんな感じで、僕たちはたくさん思考するように

親や周りの大人から言われ続けてきました。

 

確かに、この世界を生きていくうえで思考は大切ですし、

実際この文章も、思考で考えて作っていますから、

思考がなくては始まらないわけなんですが、

僕のように、ネガティブ思考のループにはまりやすく、

自動思考(頭の中をぐるぐるする気分を重くする思考)

が止まらなくなるような方は、

出来るだけ、この思考を上手に取り扱う必要があると思います。

 

思考って、本当に勝手にわいてくるんです。

よく僕は野生のイルカって表現したりしますが、

思考って自分の意志とは関係なく、勝手に頭の中にわいてきます。

野生のイルカのように、いつの間にか勝手に現れて、

いつの間にか去っていきます。

 

野生ですから自分の意志ではコントロールできないんです。

ポジティブな思考もネガティブな思考も

勝手にどんどんわいてきます。

本来は、出てくる思考をジャッジしたり執着せずに、

ただ放っておいて、受け流してあげればいいんですが、

僕のように思考のループにはまりやすい人は、

いつまでも、出てきた思考を捕まえて、

ああでもないこうでもないと、

思考の中身にどんどん入っていき、

どんどん気分を重くしていきます。

思考でなんとか解決しようとして、

そこから離れられなくなっていきます。

 

いわゆる自動思考が止まらない状態ですね。 

そうするとあらゆることが深刻になっていきます。

 

(左脳的)思考にはいくつかの特徴があります。

その特徴を抑えておくと、思考に気づきやすくなるので、

主な特徴を3つ確認しておきます。

 

まず思考は、

とかく過去や未来の事ばかりに意識が向きます。

過去をひきずり、未来の予測ばかりしています。

安心・平和なはずの、今ここに居られません。

 

思考は、物事を分離、分けて考えます。

自分と他者、自分と世界にしっかり境界を作ります。

私という個の意識が強くなり、

その結果、不安や恐怖、孤独感が強くなります。

 

さらに言えば、思考はいつも現状に不満です。

まだ足りない、何かが満たされないと、

将来の何かをずっと求め続けます。

 

思考にはこんな特徴があるので、

とかくネガティブな方に偏りやすいんですね。

そのことにいち早く気づいて、

自動思考のループにはまらないようにしたいわけです。

 

思考はけして悪者ではありません。

勝手にわいてくる野生のイルカです。

ポジティブであろうがネガティブであろうが、

思考がわいてくるのは単なる自然現象です。

 

ですから、無くそう消そうと躍起になる必要はありませんし、

躍起になればなるほど逆に思考は大きくなってしまいますが、

ただ、

今現状で苦しんでいる方は、

まずは自動思考にサヨナラするぞ、

と覚悟を決めたほうが良いと思います。

というより、覚悟を決めない限り、

なかなか自動思考は止まらないんです。

それぐらい自動思考の習慣が、脳に組み込まれてしまっています。

 

僕が、なかなか自動思考から離れられない理由は、

一番は、その苦しさを何とか思考で解決しようという意識が

強すぎるんだと思います。

思考で解決する癖が、脳の中に出来上がってしまっているんですね。

 

それと、やっぱりどこかで、

思考ゲームを楽しんじゃっているところがあるんだと思います。

友人に、思考が好きだよね~っていわれるのはまさに真実で、

僕は、表面的には苦しさから脱したいと言いながら、

潜在意識の中で、結構苦しむゲームが好きだったりするんだと思います。

 

ですが、もうそろそろ、

自動思考とサヨナラしてもいいですね。

 

でこの自動思考の止め方については、

昨年出会ったネドじゅんさんが

「右脳さん左脳さん」という本などを通してたくさん発信をされていて、

僕も有難いご縁でお話を伺う機会があって

おかげさまで少しずつ自動思考を止められるようになってきました。

 

自動思考の止め方は、ポイントは3つで、

思考に気づく、距離をとる、今ここに意識を向ける、

この3つです。

 

この3つのステップはとてもシンプルなんですが、

自動思考って本当にしつこいですから

何度も何度もこのステップを繰り返す必要があります。

最初のうちは、とにかく、自動思考を止めたそばから、

次から次へと自動思考がわいてきて、

気が付いたらまた思考のループにはまっていて、

本当に自動思考って巧妙です。

これはもう、覚悟をもって、繰り返すしかありません。

 

で、この3つのステップの中で、何より大事なのは、

まず思考に気づくってことなんです。

 

これって当たり前に思うかもしれませんが、

自動思考にはまっているときって、

思考が頭の中をループしていて、

思考と自分が完全に一体化しているんですね。

映画の映像にのめりこんでいるように、

思考の世界に前のめりになってはまり込んでいるので、

自分が思考にはまっているなんてことに気づけないんです。

 

その思考を、「あれ、こんな思考が出ているな」って気づくことが、

ファーストステップです。

前のめりにスクリーンの映像に突っ込んでいたのを、

ちょっと引いてみる感じです。

 

今、頭の中にどんな思考が出ているのかに、気づいている、というのは、

思考にはまっている自分を、

客観的に別の視点から観察できている状態です。

これはある意味、悟りの視点でもあると思います。

その気づきの視点に立つだけで、

自動思考を止めることの7割成功っていうくらい、

大事なステップです。

 

本来なら、気づいて、ただ放っておくことができたら、

それでもう自動思考の処理は完了でもいいくらいです。

そのくらい思考に気づくってことがとても大事なステップになります。

 

あとは、その思考と距離をとる、

つまり思考している自分からいったん意識をそらします。

具体的には、ネドじゅんさんは、

口角を上げたり、ガッツポーズとか親指を立てたり、

何かのジェスチャーをするのを勧めています。

要は思考から意識をそらせる分岐点を作るってことです。

 

そして最後が、

今ここ、今この瞬間に意識を向けるってことになります。

 

今この瞬間というのは、

エックハルト・トールさんも本の中でしきりに述べていますが、

最も安心安全な、全体意識とつながる瞬間でもあります。

 

思考の介在しない今というのは、

大いなる全体性とつながる安全な場所です。

本来、今この瞬間には何も問題はないはずなんです。

今につながることで、心の平安につながるんですね。

 

今ココが大切だっていうのは、

もう皆さんはよくご存じだと思いますが、

あとは具体的な方法だと思います。

 

今ここに意識を向ける方法として、誰でも簡単にできるのが呼吸法です。

僕はどんな呼吸法でもいいと思いますが、

すかさず呼吸に意識を向けるってことが大切だと思います。

ネドじゅんさんはエレベーター呼吸法を提唱していますが、

これも簡単でいいですね。

 

エレベーターの床をイメージして、呼吸とともに動かす呼吸法で、

呼吸や体に、すぐに意識を向けることができます。

要は、呼吸に意識を向けることで、

今ここに立ち戻るということが大切です。

 

それとからだの感覚に意識を向けるというのも、

今ここに意識を向けることにつながります。

今ココの、

見るもの、

聞くもの、

香るもの、

味わうもの、

肌で感じるもの、

触れるもの。

そういった今の体の感覚に意識を向けて、

その感覚を、思考を挟まずにただ味わいます。

 

ぼーっと空を眺めたり、

遠くの音に耳を澄ます、

なんていうのは、その場ですぐにできていいですね。

からだの五感は、いつも今この瞬間に意識を戻してくれます。

 

いわゆるマインドフルネスのような、

日常の動作をゆっくり丁寧に行うのも、今ここになれます。

ゆっくり歩いたり、

ゆっくりものをつかんだりすると、

自分がいかに一つ一つの動作を無造作に適当にやっているかに、

気づけるかと思います。

つまり、今に全然いられてないことに、

気づけるんじゃないかと思います。

 

このように、呼吸や五感に意識を向けること、

マインドフルに動作をしてみることで、

今ここに、すぐに意識を戻していくことが大切です。

 

とにかくこの3つのステップは、

慣れないうちは、やっぱり訓練が必要だと思います。

訓練とか努力って、僕はあまり好きな言葉ではありませんが、

自動思考を止めるためには、

やっぱり3つのステップを定着させたいですね。

 

僕のように思考優位で生きてきた人は、

思考がしょっちゅう出まくって、時間はかかるかもしれませんが、

それくらい脳の回路が出来上がってしまっていますので、

しつこくしつこく続けていくしかありません。

 

僕もネドじゅんさんと出会って1年くらいたちますが、

今だに自動思考のループにはまってしまいます。

 

先ほども述べましたが、僕が自動思考が止まらない理由は、

思考による問題解決が長年の習慣になっていることもあると思いますが、

苦しんだり悩んだりするのを嫌がっているようで、

潜在意識の深いところでは、

そのスリルをどこかで楽しんじゃっているようなところもあると思います。

でも、もういいですね。

自動思考にはまる生活は、もうサヨナラしようと思います。

 

人よりも時間はかかるかもしれませんが、

あまり人と比べてもしょうがありませんし、

人と比べるっていうのも、自動思考が大好きなテーマですから、

やめましょう。

 

人によって時間がかかったりするのも、

その人にとって大事な過程だと思いますので、

焦らず自分の体験を丁寧に味わいながら、

道のりを楽しんでいけたらと思っています。

 

どんな体験も、どんな道のりも、

完ぺきな全体性の表れ、無償の愛の表れだと、

最近は思っています。

 

今苦しんでおられる方もいるかと思いますが、どうか焦らず、

自分のペースで、自動思考とサヨナラしていきましょう。     

今回は、この辺で、ではまた

 

少し遅ればせながらのご報告です。

4月28日に、

おかげさまでクリニック開業16周年を迎えました。

 

これまで何事も持続することがなかなかできなかった人間なので、

よく16年もクリニックやってこれたなあって思うんですが、

僕自身の力というよりも、

クリニックにご縁があってこられた患者さんや

スタッフ、家族のおかげだなあと、本当に思います。

僕の力ではないなあと、本当にそう思います。

 

ありがたいことですね。

 

で16年間の区切りで、

地域の医師会をやめることにしました。

医者をやめるんじゃないですよ、

医師会をやめるって話です。

 

皆さん医師会ってなんだかわからないかもしれませんが、

開業した内科系のクリニックは、

ほとんどがこの医師会に所属していて、

年会費を払って、地域の区の医師会にまず入って、

自動的に県の医師会にも所属する…形になるわけです。

そうやってクリニック同士で連携して、

地域医療に貢献するような仕事をしたりするわけです。

 

具体的には、休日診療所の当直を、持ち回りで数か月に一度入ったり、

いろんな部会があって、広報活動や講演会なんかもやったりしています。

 

診療報酬の改正の時とか、医療行政に関する情報を

いち早くメールで送ってもらったり、

クリニックにとっては、助かるシステムでもあるんですね。

 

ただ、僕は、どうも、

そういう組織のようなものに所属するのが苦手で、

そもそも病院をやめて開業したのも、

そういう組織の中で生きることに

強い違和感や息苦しさを感じてやめた人間なので、

この医師会の中でも、なんとなく違和感や息苦しさを感じるようになったので、

今回16周年を機に、やめることにしました。

 

別に特別、医師会の何かが嫌だったとか喧嘩した(笑)

というわけではありませんが、

やらなきゃいけない義務みたいなものが意外に多かったり

意外にお付き合いが必要だったりして

ちょっと僕にはそれが息苦しくなっちゃったんですね。

 

ただ医師会の仕事って、

地域医療にとってはとても大切なものでもあると思っているので、

たんに、僕自身が合わなかった、というだけの話です。

 

医師会をやめると

最新の行政の情報が得られにくくなったり、

公費で行なう健康診断や

インフルエンザワクチンなんかができなくなってしまい、

公費の健診やワクチンを期待する患者さんに

ちょっとご迷惑がかかるかもしれないんですが、

その分、僕のやれることを膨らませたいと思っていますし、

僕の決定を、家族も、スタッフも、受け入れてくれたので、

ちょっと僕自身いろいろ不安もありますが、

自分の魂の声に従って、

今回やめることにしました。

 

僕はどうも最近、自分の直感とか魂の声に従わないと、

ものすごく元気がなくなってくるのがわかるので、

魂の声に従わざるを得ないというか、

そんな体質になってしまっています。困ったものです。

 

これからクリニックをどうするか、というのは、

いつも考えていることですが、

僕はこれからの時代、医療もどんどん変わっていいと思うし

クリニックもどんどん個性を出していっていいんじゃないかって思います。

多様な医療、多様なクリニックがあっていいように思います。

 

僕は人が真に健康につながるならば、

いろんな方法を視野に入れていいと思っています。

 

僕自身、西洋医学以外のことで、

さまざまなワークやスピリチュアルなアプローチで

こころや魂を癒していったという過程がありますので、

あらゆるアプローチにもオープンでありたいと思っています。

 

僕は人には本来治る力があると思っています。

 

医者がやれることなんて、たかが知れていると思っています。

ただ、できるだけ、

その人の治る力をサポートできたらいいなと思っています。

そんなクリニックを、これからも模索していきたいと思っています。

 

クリニックという場で、

もっといろんな事やりたいなって思います。

今の図書コーナーをもっと充実させたい(本屋化?)ですし、

大好きな多肉植物を扱ったり、

音楽ライブみたいなものができたりしたら

楽しいなって思ったりもしています。

 

自由に、楽しんで

新しいクリニック像を思い描いていきたいと思っています。

 

これからも、よろしくお願いします。

では、また~

僕の仕事は町医者なので、

たくさんの方の症状を聞く仕事です。

 

聞いたうえで、検査し、診断し、治療する、

そんな流れになります。

 

僕の場合外来で一番多く聞く症状は、

圧倒的に咳なんです。

呼吸器科ですので。

 

咳にもいろんな種類はありますが、

いずれにしろ、咳ってつらいんです。

 

咳によって、眠れなくなったり、息苦しくなったりします。

自分がつらいだけならまだしも、

咳って強い音が出ますので、周りの人にも影響します。

 

ましてや、コロナ以降、咳のしている人にはあまり近づきたくない、

そんなイメージがあって、

 

咳はつらいし嫌われる、わけです。

 

何を隠そう僕も、咳の出やすい人間なんです。

咳喘息の気があるので、

風邪をひくと必ず咳が長引きます。

ですから咳のつらさとか苦しさを知っているんです。

 

咳をしている呼吸器科の町医者って、

いかにも説得力がないですよね。

 

だけど、僕は、その咳が感染症とかで人にうつるとか

咳で数日眠れないとかでなければ、基本、薬は飲みません。

ですから長い時だと2~3か月、こんこんと咳が止まらないこともあります。

 

咳をする患者さんを、咳をする医者が見る、

ま、かなりシュールな現場ですよね。

 

患者さんから、お大事になさってください、

と心配されることもあります。

 

もちろん昔は、薬をすぐ飲んだりした時代もありましたが、

とにかく僕は薬を飲むと

自分が自分じゃなくなるような妙な感じになるので、

基本的にクスリが嫌いなんです。

 

クスリが嫌いな町医者って、これもまた怪しいですよね。

 

もちろん薬の大切さや有難さは十分知っているつもりです。

患者さんには、必要があれば、当然、

できるだけ効果のある薬を出そうと思っていますし、

クスリも、効く人には良く効きます。

 

ただ、僕自身は、クスリは出来るだけ飲みたくないですし、

薬を飲まないことで症状とまっすぐ向き合えるような気もしていて、

めったに薬は飲まないわけです。

 

世の中には、クスリが大好きな人もいます。

それで意外に元気に生きている人もいます。

 

薬の考え方や効き方、副作用の出方は、本当に人それぞれで、

僕は基本的に、薬に対してどんな考えをもっていても、

それはそれでいいと思っています。

 

自然に直す派、積極的に医療に頼る派、

どっちがあってもいいと思っています。

自然派で頑張ったけど、こじれちゃったのでやむを得ず頼る派、

もあっていいと思います。

医療に頼りたくなくても頼らざるをえない事態だって人間ありますしね。

 

医療との距離感なんて、人それぞれだし、状況や症状の程度によって、

時と場合によって色々あっていいんだと思います。

 

僕は自然に治す派ですが、

医療に頼りたくてわざわざクリニックに来ている患者さんに、

咳は自然な反応だから、なにもせずただ様子を見ましょう、

とは基本言いません。

まずは心を沈めて~、瞑想しましょう~、

なんてもちろん言いません。

 

出来るだけ早く、つらいと感じている症状を取ってあげよう

という気持ちしか起きません。

だから、特別薬が好きじゃないという感じでなければ、

積極的にクスリを出したりもします。

 

何だか自分自身と患者さんへの対応が矛盾しているかもしれませんが、

そこで自分の考えを押し付けようとは、あまり思いません。

 

ただ、基本的なスタンスとして、

からだの反応は決して間違うことがなくて、

病気や症状には、何らかの意味がある。

そんな風に僕は考えています。

 

症状は、そこに目を向けて下さいという、何らかのメッセージ、

体からのお知らせ、だったりするんですね。

ですから、あまり簡単に忌み嫌ったり、

消し去ればいいもの、とは思わないんです。

 

確かに、痛い、苦しい、だるい、そんな症状は誰でも嫌でしょう。

実際それによって、いろんなことが制限されてしまいます。

本当につらい時は、ぜひ医療の助けを受けてほしいと思います。

ですが、頭の隅っこでも、

これらの症状を何らかのメッセージということを思い出して、

からだの声に耳を傾けてあげることが、とても大切な気がしています。

 

自分を愛する、って健康に生きる上での大前提だと思いますが、

まずこういった体の声にちゃんと耳を傾けて、まず受け入れること。

そしてその声に従って、大事にいたわってあげることが、

大切な気がしています。

 

すべてに通じる僕の考えですが、

ネガティブに思われるものも、出てきてしまったものは、

消そう無くそうとするのではなく、

まず受け入れて、寄り添う、ありのまま認める、

そんなスタンスがいいと思っています。

 

コロナ以来、僕たちは、体の症状に対して、

すこし恐れを持ちすぎている気がします。

熱や咳が、恐怖になりすぎている。

 

確かに熱が上がったり咳が出たら、

コロナに感染していないか心配になりますし、

かかっていたら人にうつすかもしれないし、

仕事も休まなきゃいけない。

 

自分のつらさだけじゃなく、他人や世間の目も気になってきます。

実際の症状以上に、頭の思考や妄想で、

症状をどんどん重くしてしまうんですね。

 

そうなると、症状を眺める余裕なんて

どこにもなくなっちゃうのかもしれません。

 

それよりも早く薬で治したい、症状をできるだけ早く取りたい、

そう思う気持ちも、よくわかります。

 

熱があったらすぐ解熱剤、咳が出たらすぐ咳止め、

しかも、できるだけ早く効く強い薬を・・・。

 

僕の仕事のほとんどは、そういった対症療法なので、

えらそうなことは言えませんし、

ある程度やむを得ないと思うんですが、

そもそも熱にしても咳にしても、

ウイルスやばい菌などを排除するための大事な体の反応ですし、

症状を悪者にするのでなく、

優しいまなざし、

体への愛のようなものが欲しい気がするんです。

 

ちょっと立ち止まって、

症状と向き合う時間が欲しい気がするんですね。

 

熱や咳に対して、嫌なもの、悪者っていう概念がなくなると、

案外楽に軽快したりするものです。

自分の内側にある自然治癒力の完璧さに、

あらためて驚かされるかもしれません。

 

僕は、どんな症状や病気に対しても、

最終的には自分を愛する、

ということにつながったらいいなと思います。

 

病気や症状のスピリチュアル的な意味や原因に関する本、

有名なルイーズ・ヘイさんやリズ・ブルボーさんの本なんかは

僕も大好きでお勧めですが

だいたいおっしゃっていることは結局、

どんな症状や病気も、本来の自分に戻るため、

自分を愛するための大切なメッセージなんだ、

ということです。

 

愛する、というのは、ありのまま受け入れる、

あるものに抵抗せず、寄り添うってことです。

 

症状や病気を、簡単に悪いものと切り捨てるのではなく、

ありのまま受け入れて、寄り添ってあげる。

体からの反応をちゃんと受け止めてあげる。

そうした時、病気や症状が、

安心して穏やかになったりするんじゃないかって思ったりもします。

 

症状や病気を、臭いものには蓋をするように無理やり消そうとすると、

何か別の問題が、いつかどこかで現れるような気が、

僕にはするんですよね。

 

もちろん、

つらい時、症状が重い時、

いつもと何か違うなって時は、

ぜひ医療に頼っていただきたいと思います。

 

重症かどうかの見極めって、やっぱり自分だけでは、

なかなか難しいですからね。

僕は医療を否定しているわけでは当然ありませんので、

上手に利用していただきたいと思います。

 

ただ、

僕はこれからも

 

からだの反応は、けして間違わないこと。

 

症状や病気は、何らかの体のメッセージであること。

 

病気や症状をあまり悪者とせず、自分を愛するきっかけにすること。

 

からだは、私たちの想像以上に、驚くべき自然治癒力を持っていること。

 

そんな考えを持ちながら、

これからも町医者の仕事と向き合いたいと思っています。

では、また~

呼吸器科医だし、

呼吸の本を大昔書いているので

よくどんな呼吸法が健康にいいんですか?

とか

呼吸法って何からやったらいいんですか?

みたいなことを

聞かれることがあるんですが、

僕自身は今は、呼吸に意識が向くだけで

どんな呼吸法でもいいと思っていて

ヨガが好きな方はヨガの特殊な呼吸法でもいいですし、

数を数えるような呼吸法でもいいですし、

おなかを使った息を長く吐くような呼吸法なんかでも

いいと思います。

 

自動思考が止まらないような

思考や感情に振り回されて苦しい人には

ネドじゅんさんのエレベーター呼吸法

(呼吸とともにエレベータの床が上下するイメージ呼吸)

とか

今ココ呼吸(呼吸に合わせ今ここと唱える呼吸)のようなものが、

簡単でとても効果があると思っているので

おすすめではあります。

 

僕自身は、気分が重くなる思考が止まらないなあ、

また過去や未来へ思考が飛んでいるなあと思った時は、

エレベーター呼吸法か今ここ呼吸をすることが多いですが、

最近はもっとシンプルに、

ただゆったり自然な呼吸を見つめる、

といった

呼吸法って言っていいかもわからないような、

超シンプルな呼吸法を、日々実践しています。

 

これは、もうただ単純に、

今この瞬間の呼吸を、ゆったりとした気分で、

 

見つめる、観察する、眺める、愛でる。

 

そんな呼吸法です。

 

ちょっと文章で簡単に誘導してみますね。

 

ゆっくりと目を閉じます。

ゆったりと

しずかに

自分の呼吸を見つめます。

 

どんな呼吸でもだいじょうぶです。

深くても、浅くても、長くても、短くても、

上手くいっているとかうまくいってないとかも関係ありません。

 

いつも通り、普段通り、今あるがままの呼吸で

 

その呼吸を、深くしようとか、長くしようとか、

そんなことは考えません。

何のコントロールもしようとしません。

 

ただゆったりとした気分で、

今あるがままの吸う、吐くを見つめます。

 

途中で思考が出てくることもあります。

思考は、野生のイルカのように

私たちの意志とは無関係に浮かんできます。

そんな野生の動物はほっておきます。

思考が出てきても、ただ出てきたままにしておきます。

 

あの人のあの言葉が、とか

明日のあれが心配だなあ、とか

そういった思考が現れても

ジャッジも

掘り下げもせず

ただ放っておきます。

 

あぁこんな思考が出ているなあと

あぁこんな思考が今あるなあ

そんな感じで

そのままにしておいて、

今一度呼吸だけに意識を向けます。

 

ゆったり自然な呼吸です。あるがままの自然な呼吸です。

 

不愉快な思考が出ても、

都合の悪い思考が出ても

不安や恐れとか避けたい思考が出ても

 

とにかく何も変えようとしない、

何もコントロールしようとしない、

あぁあるなあと感じてみる。

ゆったり呼吸をする。

 

こんなことして意味があるんだろうか

よくわからないなあ

 

そんな思考が出ても、放っておきます

何も変えようとしない

何もコントロールしようとしない

 

ただひたすら

今ある呼吸に意識を戻し、ゆったりと見つめる感じ。

ただただ、自然な呼吸を繰り返す。味わう。

 

どうですか。

 

この何も変えない、ってところがポイントです。

呼吸のリズムも、

頭の中に出てくる思考も、

何も変えない。コントロールしようとしない。

 

今あるものを全く抵抗せずに受け入れた時

心の中が平安になります。

 

何らかの思考や感情が手出来ても

出てきたら出てきたまま

消したり、なくそうとしたり、しない。

コントロールしない。

全て起こるがままにしておく。

 

そして

ゆったりとした呼吸を自分自身にプレゼントしてあげる。

そんな感じです。

 

出てきたものに

心地よい呼吸を届けるような

そんなイメージ。

 

ゆったりとした呼吸で、出てきたものを包み込んであげる

そんなイメージ。

 

今あるものを否定しようとすると

人は苦しくなります。

もうすでにあるものを

蓋をして ないものにしようとすると苦しくなります。

今起きていることに抵抗しようとすると

人は苦しくなります。

 

出てくる思考自体が苦しいんじゃないんです。

その出てくる思考を

否定したり、無くそうとしたり、抵抗しようとするから

苦しいんですね。

だって、もうあるんですから、

あるがまま、受け入れる、認める、

 

たくさん苦しんできた自分に対して

何が出てもいいんだよ 

そのまま、あるがまま

何にも変えようとしなくていいんだよ

そう声をかけるように

ゆったりとした呼吸をプレゼントしてみてください。

 

たった1分でも2分でも、

自分に呼吸のプレゼント。

この現実界で苦しみ続けてきた自分に

ゆったり呼吸のプレゼントをしてみてほしいんです。

 

悩んだり、苦しんだり、考えたりするんじゃなくて

出てくるものを出てくるままに

何も変えずに

ありのままの自分を受け入れ

自分をちゃんと愛してあげる。

 

僕たちはずいぶん、

今の自分を変えようと、

悩み苦しんできましたよね。

そろそろ、自分まるごとを

受け入れてもいい気がします。

ゆったり自然呼吸

何も変えない

何もコントロールしない

 

ゆったり自然呼吸が習慣になると、

思考に気づきやすくなり

悩みや苦しみよりも、

今この瞬間を感じる時間が増えて

安心感が増えていく気がします。

 

ぜひ一日の中で少しの時間でもいいので、

ゆったり自然呼吸をプレゼントしてみてくださいね。

今年も早いもので

2月に入っちゃいましたね。

年々時の過ぎるのが早くなっている感じです。

 

先日、品川の映画館で

ヴィムベンダース監督の「PERFECT DAYS」という映画を見てきました。

ヴィムベンダース監督は、ベルリン天使の詩、

などの名画をたくさん出している巨匠でドイツ人の監督、

そして主役は役所広司さんです。

 

いやぁ~感動しました。

とてもいい映画でした。

この映画は、ある意味、悟りの映画といっていいように思います。

地球に降り立った天使の映画といってもいいように思います。

いずれにしろ、僕が今一番大事にしたいことが、

ぎっしり詰まった映画でした。

 

この映画は、ネタバレになるので詳しくは言えませんが、

東京の公衆トイレを清掃する清掃員さんの話です。

役所広司さん演じる平山という男の、

ほぼ変わらないルーチンの生活を淡々と描いた作品で、

基本的には劇的なことは何も起こりませんし、

この平山もほとんどしゃべりません。

 

平山は、古いアパートに、一人で暮らしています。

朝、近所の人がほうきではく音で目を覚まし、

布団をきれいにたたんで、小さな植木に水をやって、

歯を磨いて、ひげを整えて、仕事用のつなぎに着替えて、

玄関前できれいに並べられたカギと小銭をポケットに入れて、

家を出ます。

家を出たら必ず空を見上げて、気持ちよく微笑むんですね。

そして缶コーヒーを買って、車にのって、

古いカセットテープで音楽をながします。

そして都内の公衆トイレを回るわけです。

 

公衆トイレの清掃はとにかく徹底的に、

小さな鏡を使って便器の奥の方まできっちり磨いて、

それはもう修行僧のように黙々とトイレ掃除をします。

 

公衆トイレの掃除は、人によっては見下すような態度をとったり、

ほとんど無視してトイレを利用しようとする人もいる中で、

それでも、そういった人が用を足すのを外でじっと待ちながら

空を見上げたり、木漏れ日を見上げたり、

公園で遊ぶ子供たちを眺めて、優しく微笑みます。

 

お昼ご飯はいつもの神社のベンチで、

木漏れ日の写真を撮ったり、鳥のさえずりの声を聞きながら、

また幸せそうにニコっと微笑むわけです。

 

仕事が終わったら、

近所の銭湯に決まった時間に行ってお風呂に幸せそうにつかり、

近所の居酒屋でいつものメニューで食事をとって、

家に帰って布団の中で読みかけの本を読みながら、

眠りにつく。

 

そんなルーチンの生活シーンが

淡々と繰り返されていきます。

映画の大半はもうほとんど無言のまま、

このルーチンの映像が繰り返されます。

 

これだけ聞くと、さぞかし退屈な映画に思われるかもしれませんが、

これがめちゃくちゃ面白い。

この平山が、嬉しそうに空を見上げたり、木漏れ日を写真で撮ったり

行きかう人々を優しそうに見ている姿、表情が、とってもいいんです。

平山が何気ない日常の中で時々見せるニコっと微笑む姿が、

本当に人生を静かに楽しんでいる感じが伝わってきて、

無茶苦茶いいんです。

 

時々平山のルーチンを崩すような人が出てきて、

平山とのやり取りが何だかユーモアがあって面白いんですね。

平山は終始寡黙ですが、誰に対しても本当にやさしいんです。

 

で、

これだけで終わらないのがこの映画のすごいところで、

平山の過去が、なんとなく におわされていきます。

はっきりと語られることはないんですが、

何か若いころに心に深い傷を負っているということが、

徐々にわかってきます。

 

どうも平山という人物は、相当のインテリだし

相当裕福な家庭で育っているようなんですが、

何か理由があって、清掃員の仕事を選んでいる、

ということがだんだんわかってきます。

 

誰にも言えないようなつらい経験を

過去に経験しているからこそ、

日々の小さな幸せをとても大事にし、

人や自然に対して、

あんなにやさしいまなざしを送ることができているんだ

ということがだんだんわかってくるわけです。

 

深い傷を負い、それを抱えながらも、

静かに日々の幸せを愛している平山の姿に、

じんわり感動するんですね。

 

木漏れ日、窓からさす光、好きな本...

そういった日々の小さな幸せで

平山は救われたんだと思います。

人はそういう一瞬の小さな何かに、

救われるってことがあるように思います。

 

この映画ではとても重要なテーマがある気がして、

それは光と影だと思います。光と闇といってもいいです。

朝日や木漏れ日のまぶしい光のシーンと対比するように、

モノクロの映像や影のシーンがたくさん出てきます。

それと同じように、平山の静かで穏やかな生活シーンの中に

モノクロの不安を感じさせるような

闇の映像が暗示的に映し出されます。

 

この世界、この人生というのは、陰陽太極図のように

光と闇が両方織り交ざったもので、それによって、

この世界や人生がものすごく意義深いものになると感じています。

 

光りだけでは光に気づけないし、

闇だけでも闇に気づけません。

光と闇はセットなんですね。

両方あって完璧なんじゃないかなと思います。

 

この世界やこの人生にたしかに闇があるからこそ、

この世界、この人生の小さな光にも

気づけるんじゃないかと思えるんです。

 

平山は、まさにそんな心の傷を負った人間で、

だからこそ日々の小さな光をちゃんと感じることのできる

愛深い人間なんだと思います。

 

平山の平凡だけど静かな喜びにあふれた生活を見ていると

人生って時に生きるのがなかなか大変ではあるけれど、

なんとも愛おしい素晴らしい世界なのかなって思えてきます。

 

喜びも悲しみも、光も影も、すべてあって完璧なんだ、

生きていることそのものが素晴らしいんだ、

まさに人生はPERFECT DAYSということを、

この映画は静かに教えてくれます。

 

この映画を見終わって、

しばらく僕は静かな感動に包まれました。

人生って時にとっても苦しいけれど、

なんて愛と奇跡にあふれているんだろうって。

そして、日々のルーチン化した当たり前の小さなことを、

ちゃんと味わおうと思いました。

 

ルーチンというのは、ちゃんと味わったら

全く一つとして同じ瞬間ってないんじゃないかなと思います。

全てが新しい瞬間なんですね。

僕はすぐにそのことを忘れてしまいます。

 

毎朝ちゃんと空を見上げようと思いました。

鳥の声や木々のざわめきに耳を澄まそうと思いました。

木漏れ日の中で、その瞬間しか味わえない光と風と木のハーモニーを、

もっと味わおうと思いました。

日々のルーチン化している生活を、

毎日新鮮な気持ちで味わおうと思いました。

今しかないこの瞬間をちゃんと味わおうと思いました。

 

この映画、本当におすすめです。

単にほっこりする映画ではないと思いますし、

劇的な物語を期待している人には退屈かもしれませんが、

愛とか、人の優しさとか、瞬間瞬間のこぼれそうな幸せとか、

大事なことがたくさん詰まった映画です。

 

できれば、おひとりでじっくり味わいながら

見られるといいと思います。

み終わった後に、

平山のように隣の人と目を合わせて微笑んでほしいと思います。

不思議とそんな気分になれる映画です。

 

ちなみに映画館で、僕の隣には、

内緒ですがピースの又吉さんがいました。

目は合いませんでしたが、

静かに感動している様子が伝わってきました。

いい映画を見ると、なんだか言葉のないところで、

人は繋がっていると思えるんですよね。

 

ではまた~