さて、気が付いたらもう2025年も終わっちゃいますね。

ブログも、書こう書こうと思いながら

ずいぶん間があいちゃいました。

 

もう年末になっちゃいましたが、

ちょっと今思うところを書いてみたいと思います。

 

12月初めころに、YouTube等でお世話になった、

ノンデュアリティ(非二元)や悟り界隈?の発信者の方々をお誘いして、

都内で忘年会を開きました(優しそうな方々だけお誘いしたので

通称やさしい忘年会)。

 

昨年もやったんですが、今年も何人かにお声をかけて、

今回は僕を入れて5人でした。

 

中野真作さん(非二元カウンセラー)、

Yuikaさん(非二元発信者、YouTuber)、

枡田智さん(瞑想、マインドフルネス指導者)、

ウエルカムレインサヤカさん(非二元発信者、YouTuber)と、

忘年会をさせていただきました。

 

忘年会の前に代官山に集まってお散歩したり、

中目黒でお茶をしたりしたんですが、たくさんお話ができて、

楽しかったですね。

とても素敵な時間を過ごすことができました。

あらためて、素晴らしい方々との出会いに感謝ですし、

自分がまさかこんな会を開けるなんて、かつての僕では考えられませんね。

 

今回参加された方々からも、僕がずいぶん変わったといわれて、

中野さんのクライアントさんで僕のYouTubeも見てくれているような方がいて、

暁さんずいぶんかわりましたねって言っていた、なんて話もあって、

やっぱり僕も随分変わったんだなあとあらためて思いました。

 

僕自身では、性格も、人格も、ダメな部分も、

全然変わっていないようにも思いますが、

やっぱり、こういう会を気安く開けるくらい

人に対してオープンになってきたりとか、

何より生きるのが楽になってきたなあっていう実感はありますね。

 

僕が、何らかの変化をしてきているとして、

その大きな要素として思いつくのは、

自分をありのまま受け入れられてきた、

っていうのがあるんじゃないかって思います。

 

ネガティブな面も、ダメな面も、

そのまんまの自分をありのまま受け入れる、

自分にダメ出しをしなくなってきた、

そんな感じがあります。

 

特に、僕は中野真作さんにお会いした時に、

どんな自分も否定しない

否定からは本当の変容は起きない

という言葉をいただいて、

それがずっと心の中に残っていて、

そこからずいぶん変わってきた気がしています。

 

どんな自分を否定しない、ありのまま受け入れる、

そんな言葉は何度も本で読んだりしてきたと思うんですが、

直接お会いしたり、何度もお話を伺ったりしていくうちに、

その事が、本当に腹に落とせてきたんじゃないかって思うんですね。

 

やっぱり真理を見抜いた方々から直接お話を伺うのって、

強い変容につながるなって思いました。

 

僕はずっと、自分のネガティブな面を無くして、

ポジティブな面だけにしようとやってきました。

 

自分のネガティブな面を、無くそう消そうコントロールしようとして、

色んなことをやってきたんですが、

それでは心が休まることはなかったんですね。

 

僕の場合は、恐れとか不安とか緊張とか、

そういったネガティブな思考や感情を、

何とか克服しよう、コントロールしようとして、

そうじゃないポジティブな状態でいつもいたい、

悟りのような特別な境地を目指してきましたが、

それって結局、

ネガティブな思考や感情を悪いもの嫌なものとして、

自分の一部をずっと否定してきた

ってことなんですよね。

それって自分の中の分離です。

 

出てきた現われを、これは違う、これは間違っているとして、

ずっと否定したり、抵抗したりしてきました。

 

でも、そうしている間は決してネガティブなものから離れられませんでしたし、

本当の安心とか平和みたいな感じはわいてこなかったんですね。

やはり否定からは、本当の変容は起きないんだと思います。

 

中野さんの言葉を聞いてから、あらためて、

僕の中に現れるネガティブな思考や感情を、

そのままちゃんと感じたり味わったりしてあげるようになって、

そうすることで僕は少しずつ変わっていったように思います。

 

どんな思考や感情も否定しない、

それが現れたなら現れたままそのまま感じてあげる。

それによって、その思考や感情(のエネルギー)が、流れやすくなって、

むしろ消え去るのも早くなる、深刻さが薄まっていく、そんな感じがあります。

 

否定とか抵抗をしている間は何度も何度も繰り返していた重苦しいパターンが、

受け入れて、感じてあげるようになってから、

軽さや、深刻さのなさにつながっていった気がするんですね。

 

どんな思考や感情も、自然現象と一緒で、そのうち変化していく、

そんな安心感が生まれていったような感じがします。

 

ただ、確かに、自分のネガティブなものを受容することは

大事だとわかっていても、それが受け入れにくい時ってありますよね。

 

強い不安とか、強い恐れとか、強い怒りとか、

そういったものって、口で言うほど受け入れるのって簡単じゃなくて、

とても痛い時ってあると思います。

痛すぎて苦しすぎて感じられないってこともあると思います。

 

そういう時は、もちろん無理をしなくていいんですが、

そんな時でもできることが、

恐れ、とか、不安、とか、

そういった言葉をはずして、

ただその時のからだの感覚を感じてみてほしいんですね。

言葉をはずして、

その瞬間のエネルギーをただ感じるっていうのかな。

 

強い不安とか、強いネガティブな思考や感情がわいたときに、

その時にからだの感覚がどうなっているのかを感じてみてほしいんです。

おしりと椅子の接する感覚、足の裏の感覚、呼吸の動き、

肌にあたる風の感覚、手の温かみジーンとした感じ、

そういった体の感覚に意識を向けて、それをそのまま感じてみてほしいんですね。

 

その体の感覚を、何も思考や言葉を挟まずに、ただ感じてみる。

判断やジャッジを挟まずに、ただ感じてみる。

心臓の鼓動が激しければ、それでどうなっちゃうんだろうとか考えずに、

ただそこに気づいている。

ただ感じている。

 

そうしていくうちに、

思考の中でいろんなネガティブなものが湧いている時でも、

からだの感覚は、いつも静かだってことに気づけてきたりするんですね。

 

頭(思考)の中がいくら問題だらけでも、

からだの感覚には何にも問題ってないんだなって気づけてきたりするんですね。

何も変わらない静寂がそこにあるって気づけたりするんです。

 

そのからだの感覚の静かさに気づけてくると、

どんな思考や感情であっても大丈夫って感じがじんわり湧いてくると思います。

そこに本当の安心感がわいてくると思います。

 

本来、ネガティブな思考とか感情って、悪者じゃないんですよね。

僕たちが蓋をして避けてきたものが何かのタイミングで浮上してきたものなので、

それをちゃんと受け入れて感じ取ってあげないと、

何度も何度も繰り返されちゃうんですよね。

 

出てきた現われをそのまま受け入れてあげる。

それがネガティブなものであっても、そのまんま受容していく。

そうすることで、ゆっくりと変容を起こしていくように思います。

 

自分のネガティブな面も、そのまんま受け入れられてくると、

もうそのまんまで大丈夫だなあ、

何も変わらなくていいなあ

って感じになれてくるように思います。

何か特別な境地や特別な自分を目指して、変わろう変えようとしなくても、

そのまんまで大丈夫だし、そのまんまで満たされている感じが生まれてきます。

 

そもそも、生きているだけですごいことなんですよね。

何かをなしたり、何かの境地に達そうとしなくたって、

生きているってことが、それだけですごいことだなあって、最近思います。

 

どんな自分であっても、そのまんま受け入れて、

そのまんまで生きているだけで素晴らしいことなんです。

 

僕は、以前と比べて何が変わったかと言えば、

ダメな自分を含めてそのまんまの自分が

だいぶ受け入れられるようになった気がします。

 

悩みの今も、

苦しみの今も、

ネガティブに巻き込まれている今も、

 

そのまんまで大丈夫、みたいな、そのまんまで生きる気楽さみたいなものが、

前に比べて生まれてきているような気がしています。

 

皆さんにも、このそのまんまで生きる気楽さを

感じてみてほしいなと思っています。

 

そのためにもまず

どんな自分も否定しない

その言葉を、心のどこかに入れておいていただければと思います。

 

今回は、この辺で、

よいお年をお迎えください。

では、また来年~💕

 

さて、10月になりましたね~(ってだいぶ過ぎましたが)。

僕は10月8日が誕生日で、53歳になりました~。

もう完全なおじさん、もうちょっとでおじいさん?ですね。

ま、ぼちぼち頑張りましょう。

 

この52歳の1年間も、現実生活では本当にいろいろありました。

かつての僕だったら、大分凹んじゃうようなこともありましたが、

なぜかこの1年は、内側の静寂みたいなものが感じられていて、

色んなことが起こったとしても、どこか楽な感じがあったんですよね。

 

そのまんまで生きる気楽さ、

みたいなものが、最近感じられてきています。

 

かつての僕は、そのまんまでなんかぜんぜん生きられなかったですね。

そのまんまを受け入れられなくて、

何とかそれを変えようと、コントロールしようとしてきました。

 

弱い自分を何とかしたい、

怒ったりイライラしない自分になりたい、

いつも明るくポジティブでいたい、

そういう感じで、

そのまんまの自分を何とかよくしようと、

自己啓発や成功哲学、禅、精神世界、スピリチュアル…

色んなことをしてきました。

 

そのころ(30代~40代)は、

本当に目覚めとかアセンションなんて言葉に憧れましたね。

覚者、スピリチュアルリーダーみたいな人たちがみんなキラキラ見えて、

あんなふうに目覚めたら、未来とかも予測できて、

なんでもうまくいって、

自分の悩みとか苦しみもやがて消えてなくなるんだろうと思って、

一生懸命、その方面の本を手当たり次第に読んだり、

お勧めのワークを必死にやったりしてきました。

 

でも僕の場合は、

それらのことでは本当の安心みたいなものは得られなかったんですね。

もちろん、その時々で僕の助けになったと思いますが、

いつまでたっても、過去の後悔や未来の不安ばかり考えていて、

全然やすまらない。

 

やがて、過剰な思考が止まらなくなって、何もかもが怖くなって、

鬱みたいな状態になっていきました。

そこから2~3年くらい、ほとんど恐怖と不安の中で生きていましたが、

少し元気になってきたタイミングでなぜかYouTubeを始めて、

そこで出会った方々から、非二元・ノンデュアリティとか右脳回帰、

いわゆる悟り界隈の話を知って、

そこから徐々に気づきが深まってきた感じなんですね。

 

特に非二元・ノンデュアリティの世界との出会いが、

僕にとっては本当に恵みになっていて、

最初のうちは、多くのノンデュアリティ系の本を読みまくったりして

ノンデュアリティ独特の言葉に慣れるのに少し時間はかかりましたが、

そのうちに、その中で言われているメッセージ、

個としての私はいない、

とか、全ては全自動で起きている、行為者はいない、

みたいなメッセージが、

なんとなく腑に落とせて行けるようになってきました。

 

 

非二元・ノンデュアリティなんて言葉、

皆さんあまり聞いたことないかもしれませんね。

僕もほんの2年前までは知らない領域でした。

 

簡単に言うと非・二元、

二つに分かれないってことです。

良い悪い、好き嫌い、正しい間違い、

私とあなた、私と世界...

そういう二つに分ける世界(二元、分離)が当たり前に生きているけど、

本来は二つに分かれない世界(非二元)なんだってことなんです。

 

なんのこっちゃ~?ですよね。

僕も最初そうでした。

でもこの領域をちゃんと知っていくと、

人生の見方がガラッと変わって、

おもしろいんですよね。

生きていく深刻さみたいなものが減って、楽になっていくんです。

 

ノンデュアリティの学びって、

知識を増やすとか頭の理解を深める

っていうのも確かに大事ではあるんですが、

それよりも、五感とかからだの感覚を通じて、

実際に、感じたり味わったり、

体感することが大事なんですよね。

 

今、肌にあたる風を感じるとか、

耳に入ってくる音に耳を澄ますとか、

そんな単純なことをちゃんと感じていくうちに、

二つでない、とか、在るだけがある、とか、

ふと、色んな気づきが生まれたりするんです。

 

僕の場合はとにかく、過剰な思考が苦しさの主な原因で、

その過剰な思考と完全に一体化していたのが、

このノンデュアリティや右脳回帰の学びを通じて、

思考(左脳)から感じる方(右脳)にシフトすることができて、

少しずつ思考と距離ができてきたのが、

気楽さが生まれてきた一つの要因だと思います。

 

思考との一体化に気づいて、そこから距離ができるだけで、

人間ってずいぶんと楽になるんですよね。

 

思考と距離ができてくると、だんだん、

思考にしても感情にして、僕たちの意志とは無関係に、

勝手に現れる自然現象と一緒なんだってことに気づけてきます。

 

ネガティブな思考にしても感情にしても、

僕たちが考え出そうとして出ているものじゃなくて、

勝手にポコッと現れているだけなんですよね。

 

お天気と一緒なんです。

晴れの日もあれば、曇りの日もあるし、雨や雪もある。

僕たちは、どんな天気であっても、

それで自分を責めたり、

それを無理にコントロールするようなことはないですよね。

無理にコントロールしようとなんかしなくても、

勝手に変化していくことを当たり前にわかっています。

 

思考や感情も、天気の移り変わりと同じで、

勝手にぽこっとわいて、勝手にふわっと消えていく。

 

なのに、その思考や感情の場合、

それをがちっと捕まえて、

頭の中でぐるぐるさせちゃうから苦しくなっていくんですね。

 

どんな思考や感情も、天気と同じ自然現象なんだって腑に落とせてくると、

出てくる思考や感情を掴むことが減ってくるので、

楽になってくると思います。

 

こんな感じで、

思考との一体化に気づいて、思考から距離ができて、

出てきた思考を捕まえないようになってくると、

だんだんその奥にある静寂みたいなものにも気づけてくると思います。

 

思考と思考の隙間、

言葉と言葉の間の沈黙、

しーーーーん

そういった静寂のスペースに、だんだん気づけてくるんですね。

 

どんな天気であっても、曇りであっても雨であっても、

その奥で変わらずに在り続ける無限の空、

みたいなものに気づけてくるんです。

 

よくノンデュアリティの話で、

映像とスクリーンとか、

波と海とかの話で例えられますが、

どんなに激しい映像が映し出されていても、

スクリーン自体は何も傷つかずにあり続ける、

とか、

どんなに表面の波が荒れ狂っていても、

波と海は離れることなく海自体は何も変わらない

とか、

その辺りのことが、じんわり感じられてきます。

 

この何も変わらない静寂の方に気づけてくると、

今あるこれ、今現れている現れを、無理にコントロールしようとか、

何か特別な境地を目指したり、別の何かになろうとしなくても、

もうそのまんまで大丈夫なんだなって感じが、

だんだんつかめてくるんですよね。

 

だって、どうやったって、

変わらない空の方であり、

スクリーンの方であり、

海の方なんですからね。

 

 

僕自体は相変わらず、くよくよしたり、びくびくしたり、

落ち込んだり、怒ったりイライラしたり、

前と変わらずにそのまんまなんですが、

でも今それが現れているんだったら、それはそれで、

そのまんまで大丈夫なんだってことが、じんわり感じられています。

 

ですから今、そのまんまで全然大丈夫じゃないって思っている方々も、

まずは、一旦今抱えている問題を置いておいて、

思考の世界からいったん離れて、

今あるこれ、そのまんまの自分に、

いったんくつろいでみてほしいと思います。

 

今、何が現れていても、空に浮かぶ雲を眺めるように、

そのまんまでくつろいでみてください。

 

喜怒哀楽、どんな感情や思考がわいていたとしても、

それをそのまんま感じてみるってことですね。

 

喜が良くて、怒はダメだとか、そういう判断やダメ出しをせずに、

そのまんまでくつろいでみるんです。

 

どうしてもくつろげないときは、

今あるからだの感覚、

五感とか呼吸とかにちょっとだけ意識を向けてみてください。

 

五感とか体の活動は、確実に今この瞬間をとらえています。

そこには思考も、言葉もはさまっていません。

思考や言葉がはさまらない所には、問題もないはずです。

 

その五感とかからだの感覚と仲良くなってくると、徐々に、

今あるこれ、にくつろげるようになってくると思います。

そのまんまでいる気楽さとか深刻さのなさが、

じんわり生まれてくると思います。

 

僕もまだまだ学びの段階。

いまだに気楽になれない時も、深刻になることもあります。

でも、そんなときも、今それが現れているなら、

それが全体の完璧な現れなんだと思えて、

あまり無理にコントロールしなくなりました。

自分にダメだしすることが大分減りましたね。

 

いずれにしろ、

どんな時でも、揺るがない静寂、全体性といった大きな何かが、

いつも変わらずに今ここにあって、

そこから落ちこぼれることは絶対にないんだということが、

じんわり感じられてくるんじゃないかと思います。

 

そのまんまで生きる気楽さが、

じんわり生まれてくると思います。

 

どうかこんな長い文章を読んでくださった方々にも、

この感じが伝わればいいなと思っています。

 

今回は、この辺で

ではまた~💕

いや~このブログも随分あいちゃいましたね。

なんだかんだで、3か月も。

春だったのが、今やもうすっかり夏。

またぼちぼち、僕の拙い気づきを書いていこうと思います。

 

今日は、どんな思考や感情が現れたとしても、

それを否定したり抵抗したりせずに、

流れゆく雲を眺めるように、ただ見守っていけばいい

そんなことを綴ってみたいと思います。

 

ここ1~2年の間に、幸いにもYouTubeを通じて、

(なぜかいつの間にか登録者8000人超という異常事態びっくり

いわゆる悟っているような方、

この世界の大きなカラクリに目覚めたような方々と、

親しくお話する機会が増えました。

 

それまでは、悟っているなんて言うと、

どこか遠くの、すごい聖者みたいなイメージだったんですが

(長い髭を生やして薄い布をまとっているようなお爺ちゃん?)、

僕が実際お会いした方々は全くそういう感じじゃなくて、

言ってみれば、

いたって普通の人たちだったんですね。

 

普通に日常生活をされていますし、

見た目も聖者のような感じでは全然ないわけです。

 

しかも、

悟っているなんてというと、いつも明るくニコニコして穏やかで、

みたいな感じでイメージしちゃいますけど、

決してそういうわけでもなくて、

時にはネガティブな思考や感情、怒ったりイラっとしたりも、

普通にわいてきたりするようなんです。

(ま、でもだいたい皆さんニコニコしてますが)

 

じゃあ、そういう人は何が違うのかというと、

僕が感じたのは、そこに全く抵抗がない、ということなんです。

いわば、自然体っていってもいいかな。

 

たとえネガティブな思考や感情がわいたとしても、

それに対して否定も抵抗もなくて、

それが在るならあるまま、

ちゃんと気づいて、認めている、受け入れている。

 

そして、やがてそれらの思考や感情が

自然に変化していくことを確信している、

そんな感じなんですね。

 

それは、思考や感情に対してだけじゃなくて、

あらゆる現れ、目の前に起きている現象、出来事に対しても同様で、

そこに否定とか抵抗がないんです。

 

目の前に現れる現れを、あるがまま、受け止めている、受け入れている、

そういう感じ。

そこに否定や抵抗がないので、苦しみがないんですね。

 

僕たちは、現れる思考や感情にしても、何らかの出来事に対しても、

すぐに、良いとか悪いとか、ポジティブとかネガティブとか、

好きとか嫌いとか、正しいとか間違っているとか、

評価判断をしてしまいます。

 

その中から

できるだけ良い気分、ポジティブな思考だけを残して、

嫌な気分、ネガティブな思考を無くそう消そうコントロールしようとします。

 

僕もそういうことをずっとやってきました。

でも結局、自分の都合のいい、ポジティブな方だけを残して、

ネガティブを排除しようとする試みは、

どれもあまりうまくいかなかったように思います。

 

僕の出会ったいわゆる覚者の方々は、

そういう評価・判断が基本的になくて、

出てきた表れに対しても否定や抵抗がないんですね。

 

出てきたものを、ありのまま受け入れている、

それがそうあるなら、そうあるまま、

そんな感じなんです。

 

それはつまり、目の前の現れ、

思考や感情にしても、あらゆる出来事にしても、

全体性(とか空とか無とか宇宙とか)の完璧な現れ、

ということを完全に腑に落とせているんだろうと思います。

 

全体の完璧な現れ、ということを確信している

といってもいいかもしれません。

 

ここでいう完璧、というのは、

僕たちの都合に合う、とか思い通りにうまくいくとかでは全くなくて、

僕たちの都合や意志とは全く無関係に、

どうしようもなく、手のつけようのない完璧さという意味です。

 

そういう絶対的な全体性みたいなものへの、

サレンダー(明け渡し)というか、

揺るがない信頼、みたいなものがあるように思います。

 

それは言ってみれば

自然現象と同じイメージかもしれません。

 

天気とか四季の移り変わりとか、そういった自然現象です。

 

僕たちは、自然現象に対して、完全に受け身です。

雨だったら雨なんだな、晴れだったら晴れなんだな、

そうやって、自然に受け入れていると思います。

 

晴れたらいいのに、とか、雨じゃなかったら…

って思うことはたまにあるかもしれませんが、

基本的にはそこに抵抗や否定ってないですよね。

少なくともそこに葛藤や苦しみってないはずです。

 

雨もやがて止んでいく、雲もやがて変化し消えていく、

そういうことが自然に受け入れられていると思います。

絶対的に、信頼している。

というより、当たり前って感覚かもしれません。

 

思考や感情、あらゆる目の前の現れに対しても、

自然現象と同じように、あるがまま、自然に受け入れている、

そこに抵抗や否定がない、ということなんですね。

 

ま、そうは言っても、

ネガティブな思考や感情とか、

目の前に起きている現象に対して

自然現象だから大丈夫とか、全体の完璧な現れなんだって

なかなか思えないときもあります。

僕もそういう苦しい時が当然あります。

でも、どーせおれはさとってないしーっていじけない。

 

そういう時は、まずは一旦思考の世界から離れて、

今ある身体の活動の方に目を向けていくことが大切だと思います。

 

五感とか呼吸とか今やっている動作とか、

今あるからだの活動です。

今ある確実な事実です。

そこに少し目を向けてみるってことです。

 

今あるからだの活動は、確実に今この瞬間をありのまま捉えています。

そこには、私という意識もなく、ただ体験だけがあります。

見たなら見たまま、聞こえたなら聞こえたままが

迷いなく現れているはずです。

そこに問題のなさ、静けさがあるんですね。

 

今この瞬間の感じ感覚に、問題ってありますか?

しーん、じゃないですか。

 

その問題のなさ、静けさに触れているうちに、

思考や感情との距離がだんだんできてきて、

思考や感情は本来の自分ではない、

ただ自然現象として移り変わっていくだけなんだということが

少しずつ腑に落とせて行けるんじゃないかと思います。

 

覚者の方々が口をそろえて言うように、

僕たちは思考や感情と一体化した小さな自分ではなくて、

そんな思考や感情が現れては消えていく、もっと大きなスペースの方、

無限に広がる空間の方なんだってことが、

少しずつ体感できてくるんじゃないかなって思います。

 

焦らずに、誰かと比較したりせずに、自分のペースで

ゆっくり、この大きなスペースの方、

広大な空間の方を体感していきたいところです。

 

今回はこの辺で、ではまた~

 

(6月末に行った北鎌倉円覚寺、いい雰囲気)

以前森林療法をご指導いただき、

昨年忘年会で仲良くなった

まっすーさん、こと枡田智さんの新刊、

「じぶんでできる左脳過剰の静め方」

という本が、かや書房さんから出版されました。

 

まっすーさんの本はこれで2冊目ですね。

1冊目の「もう左脳に振り回されない」も、

左脳過剰、思考過剰で苦しむ人にとっては、

救いとなる本でしたが、

今回の左脳過剰の静め方は、

その本がさらにパワーアップした感じで、

とってもいいですね。

 

とにかくまっすーさんの解説は分かりやすいですし、

特に今回の本は、誰でもがすぐにできる具体的な方法が

ちゃんと書いてあって、本当にいい本です。

 

日々過剰な思考で苦しんでいる方には、

ぜひおすすめしたい本ですし、

本の処方ができるなら、

外来で処方したいくらいの、薬本だと思います。

 

前著、そして今回の本でも書かれていますが、

まっすーさんは、若いころから

不安や憂鬱感に苦しんでおられたようなんですが、

30代の半ばころに、ジルボルトテイラーさんの

「奇跡の脳」という本に出会って、

そこから3日間で長年の苦しさから解放されて、

あっという間に右脳回帰しちゃったような方なんです。

 

奇跡の脳のことは、読んでおられる方も多いと思いますので、

詳細は省きますが、

作者のジルボルトテイラーさんはハーバード大学の脳科学者で、

突然脳出血を発症して、左脳側の機能が働かなくなる

という体験をします。

その結果、思考が消え、言葉も、時間の感覚もない中で、

深い安らぎや幸福感、いわば悟りのような感覚を味わう

という体験をします。

 

その体験を通じて、

論理的な思考や言葉をつかさどる左脳側でなく

感じ感覚、直感の右脳優位に生きることで、

人は真に安らぎと幸せの中で生きられるということを、

実体験をもとに科学者の視点で書かれた名著です。

 

この本を読んだまっすーさんは、

長年苦しんできた不安や憂鬱、悩みや苦しみの原因が、

過剰な思考、左脳過剰が生み出している

ということに気づくんですね。

 

思考は確かに生きていく上で必要なことだけれど、

それが過剰になってくると、

今ココでない、

過去や後悔や未来の予測不安で頭がいっぱいになり、

どんどん苦しくなってくるわけです。

 

特に、現代社会は、思考が過剰になる要素に溢れています。

感じる方の力がどんどん弱って、

思考ばかりがどんどん過剰になってくる。

今、現代人の多くが、思考過剰、左脳過剰で苦しんでいるんですね。

 

ではどうやって、その左脳過剰、思考過剰を静め、

右脳優位、感覚優位で生きていくかなんですが、

まっすーさんがたどりついた大きな二つのメソッドが、

マインドフルネスと森林療法です。

 

これまでもマインドフルネスの本はたくさん出てますし、

僕自身もたくさん読んできましたが、

今回のまっすーさんのマインドフルネスの解説は、

もう本当にわかりやすいです(太鼓判)!

 

まっすーさんの定義では、マインドフルというのは、

今ここに意識がある、

ということです。

 

五感や呼吸、身体感覚をちゃんと感じていて、

思考にとらわれていない状態です。

今ある五感の感じ感覚や呼吸って、いつでも今ココなんですね。

そこに意識をおく、ということです。

 

逆にマインドレスというのは、

今ここに意識がない

ということです。

 

意識がいつも過去や未来の、

今ここにない想像の世界にあります。

五感や身体感覚に意識が向かず、

いつも思考にとらわれています。

現代人は、いつもこのマンドレスの状態なんですね。

 

日常の中で、このマインドフルネスを実践することで、

今ココの感じ感覚、五感や呼吸に意識を向けていき、

思考に苦しむ世界から脱していくことができるというわけです。

 

具体的なマインドフルネスの方法が、

この本の中にいくつか紹介されていますが、

特にお勧めなのが呼吸瞑想ですね。

 

まずリラックスして座って、そっと自分の呼吸に意識を向けます。

決してコントロールしようとせずに、自然な呼吸をただ見つめます。

途中で思考が現れても、ただ気づいて、放っておきます。

そして、また呼吸に意識を向けていく。

そんな感じのマインドフルネスです。

 

思考に気づく、手放す、感じる、

この3つのステップが

過剰な思考を静めるのに最も大事なステップになります。

 

これはどの方法でも共通していますが、

思考に気づいて、その思考の中身に入らずに放っておいて、

さらにそこから、感じる方、五感や呼吸に意識を向けていく。

この3つが大事なんです。

 

思考がわいてきて気づいて放っておいても、

すぐにまた思考はわいてきます。

ただ手放そうとしても難しいわけです。

そこで、今ここの感じる方に意識を向けるんですね。

感じる方に落としどころがあると、思考に戻りにくくなるんです。

 

呼吸瞑想を始めて、思考が出たら、そこに気づいて放っておいて、

また呼吸に意識を向ける。

その繰り返しなんです。

 

この呼吸瞑想、僕も昔からやっていて、

いろんな瞑想法や呼吸法をやってきましたけど、

一番思考が静まりやすい気がしています。

 

呼吸瞑想以外にも、この本の中には、

身体を感じるボディスキャン、

歩きながら一歩一歩に気づいていく歩行瞑想、

見る、聞くをただ感じる五感瞑想、

などが紹介されています。

 

ぜひこれらの中から、

自分に合ったマインドフルネスの方法を見つけて、

日常の中に取り入れていただくといいと思いますが、

僕が今回この本の中で特に紹介したいと思ったのが、

ポストメディテーション

です。

 

ポストメディテーションってことば、

僕もこの本を読むまであまりなじみがなかったんですが、

要は、先ほど紹介したメソッドのように

一定時間座って行うようなものではなく、

もっと簡単で、気軽にその場でできるような瞑想のことで、

まっすーさんは、

呼吸を3回感じるって方法と

五感に5秒間意識を向けるっていう方法を紹介しています。

これ、意外にいいんですね。

 

ある程度の時間、静かに座って

マインドフルネスを実践するのもいいんですが、

日常の中でふと現れるモヤモヤした感情や思考に対して、

このポストメディテーションをこまめにすることが、

とっても効くんです。

 

よく、こういうワークやメソッドは、

質よりも量、時間よりも頻度

って言ったりしますけれど、

思考ってうっかりするとどんどんはまっていきますから、

日常で気づいたら気軽に呼吸や五感に向ける

っていうのが、とってもいい気がします。

 

それにしてもまっすーさん、いい本を出してくれました。

この本で紹介されている、マインドフルネスと森林療法、

これもう思考過剰に対する処方箋としては

最強の組み合わせです。

 

考えすぎで苦しんでいる方、

左脳過剰、思考過剰で苦しんでいる方は、

この本を読んで、実際に日常の中に組み入れてみてください。

実践していくうちに生きづらさから解放されてくると思います。

 

あと、まっすーさんは

瞑想指導や森林療法の講座もやっていますので、

興味のある方はぜひ参加されてみてくださいね。

 

 

今回は、この辺で、ではまた~

突然ですが

パーフェクトデイズって映画、

ご覧になりましたか?

 

僕の大好きな映画で、

2回映画館で観ましたし、

そのあとも配信で3回くらいは見ました。

 

役所広司さん演じる

公衆トイレを清掃する清掃員さんのお話で、

毎日ルーティンのような生活をしているんだけど、

満たされている、満足して日々を過ごしている、

そんな静かなお話なんです。

 

一緒に行った奥さんは、

フーンという感じだったので、

わかる人には刺さるけど、

そうでもないっていう人も多いかもしれませんが、

僕にとっては、本当に刺さる映画なんですね。

 

 

何がいいかっていうと、

僕が今興味のある

悟りとかノンデュアリティとか右脳回帰とか、

そういった話をまさに体現されているような主人公で、

本当の幸せってこうかもなっていうことが

しみじみ伝わる映画だからなんです。

 

映画の中で特に印象的なシーンがあって、

役所広司さん演じる平山さんが、

毎朝ドアを開けて家の外に出る際に

空を見上げて、少し微笑むんですね。

 

晴れていても曇りでも

空を見上げて、にこっと微笑む。

 

このシーンが、とてもいいんです。

 

ただ、その日の空を

外の空気を

感じている

味わっている

そしてそこに喜びを感じている。

 

こういう感覚って、

忙しく頭の中が思考でいっぱいだと、

なかなか感じにくいですよね。

 

言葉も、思考もはさまずに、

ただ、今の瞬間を感じる、味わう。

そこに、言葉もなく、

喜びで満たされている。

 

その感じが出ていて、とってもいいんです。

 

映画の中では、

主人公の平山さんが、

空だけでなく、

木や

木漏れ日や

こどもや

老人を

やさしく見ているシーンがたくさん現れます。

その目が、実に温かいんです。

 

 

 

現代社会って、

特に都会で生活していると、

どんどん感じる力って弱っていきます。

 

日常で五感に入ってくる刺激は、

音にしても視覚情報にしても、

現代社会はとても強いです。

 

全ての刺激をそのまま受け取ってしまうと、

どんどんしんどくなってくるので、

僕たちは無意識の間に

いわば意識の門をつくっていて、

入力を抑えたりしています。

 

線路や踏切の近くに住む人が、

住んでいくうちに音が気にならなくなってくるのは、

この意識の門を閉じているからなんですね。

 

(この辺の所は、僕のお知り合いの

桝田智さんの御著書「もう左脳に振り回されない」

が超お勧めです)

 

自然から離れ、

人工物に囲まれ、

スマフォ、SNS等から大量の情報を入れて、

僕たちは知らぬ間に

どんどん感じる力が弱ってきてしまいます。

 

 

感じる力が弱ってくるとどうなるか。

 

相対的に、思考の量が増えていくんです。

 

感じる力と、思考はシーソーのようになっていて、

どちらかが減るとどちらかが増えるしくみ。

なので、思考がどんどん過剰になってきます。

 

では思考が過剰になるとどうなるか。

 

思考はいつも、今ココでない、

過去か未来のことを考えます。

過去の後悔や未来の予測不安でいっぱいになってきます。

恐れや不安が増えていきます。

 

思考はいつも、わけること、分類、が得意です。

私と他者、私と対象、私と全体。

どんどん切り分けていって、

私という個の意識がどんどん強くなってきます。

 

私という個の意識が強くなると、

私の問題、私の責任...という感じで、

どんどん私にまつわる問題が深刻化していきます。

 

僕たちの悩みや苦しみの原因は、

いつでも思考過剰、左脳過剰が原因なんです。

 

思考は、確かに大切な働きです。

でもそれが過剰になってくれば、

どんどん苦しくなっていきます。

 

 

 

今現状で、生きづらさや息苦しさを感じているなら

まずは一旦思考の世界から離れて、

感じる方に意識を向けていくことが大切なんですね。

 

 

 

感じるって、別に難しいことじゃないんです。

今ある感じ感覚に、すこし意識を向けるだけでいいんです。

 

見えるもの、聞こえるもの、におい、味、触れるもの。

 

そういった五感に、

ちょっと意識を向けてみるだけでいいんだと思います。

 

平山さんのように、

空を見上げて、言葉や思考を挟まずに

ただ感じる。

 

外の風を、そのまま肌で感じる。

ただ、それだけでいいんですね。

 

家の中や仕事中でもすぐにできます。

おしりと椅子の接する面の感じに、

ちょっと意識を向けてみる。

足の裏と地面の接する感じに、

少し意識を向けてみる。

 

そんな感じで、五感に意識を向けてみるって、

思考の世界から離れる上で、とても大切なんです。

 

呼吸に意識を向けるのもいいですね。

呼吸は、いつも、今ココの呼吸です。

ちょっと前の呼吸も、少し先の呼吸を感じることは出来ません。

五感と同様、いつでも今ここに戻してくれます。

 

今ここ、って、本来何にも問題がないはずなんです。

今この瞬間の五感や呼吸、身体の今の活動に、

問題を見つけることは、けしてできないはずです。

問題はいつもで思考が生み出しています。

今ここにない、過去や未来のことで、

問題を作り上げていきます。

 

ですから、

過剰な思考、左脳過剰で苦しんでいる現代人は、

五感や呼吸に意識を向けることで、

少しずつ思考の世界から距離を取って、

感じる力を育てていくのが大切なんだと思います。

 

 

 

五感や呼吸って、

ある意味退屈です。

当たり前すぎて、どんどん忘れ去られていきます。

でも、ここに、

僕たちの目指す、本当の幸せの扉が

隠れている。

 

本当の幸せって、

思考では絶対に到達できないもの。

思考の届かないところにあるもの。

ただ感じ、味わうもの。

 

いくら何かを獲得しても

いくら難しい勉強をしても、

何かの名誉を得ても、

何かの地位を得ても、

感じる力がなければ、

いつまでたっても満たされない。

 

何よりも

感じる力を、

育てたいものです。

 

しかも、それは、

今この瞬間にできること。

 

いつでも、

五感、呼吸は

僕たちのそばにあります。

思考ではなく、

そちらと仲良くなっていきたいですね。

 

映画の中の平山さんのように、

自然に、とくに意識する事なく、

ただ空を見上げて

ニコっとできるようになれたら

いいですね。

 

今回はこの辺で、ではまた~