おはようございます。

 

 

今日はいつもより短めの記事を書きます。

 

 

 

 

 

今週も一泊二日で実家の片付けに行ってきました。

 

 

少しでも長く作業をしたくて

 

頑張って早起きをして

 

『特急あずさ』の始発に乗りました。

 

 

 

前回私は、焼け残った母の夏服や肌着と共に

 

姉の服をいくつか持ち帰りました。

 

 

繊維に入り込んだ煤(すす)はなかなか取れず

 

洗濯機で洗える物は2回洗濯機を回し

 

手洗いのものは、洗面所のシンクで押し洗いをすると

 

見る見る水が黒くなり

 

水が透明になるまで6~7回手洗いを繰り返しました。

 

image

 

 

「そこまでして着たい服なの?」

 

と娘に言われたけれど

 

 

どうしても全部捨ててしまう気になれなかったし

 

正直、ここまで手がかかると思わなかった(^^;)

 

 

けど、おかげですっかり綺麗になって、

 

煤の匂いの服が、柔軟剤のいい香りに変わりました。

 

 

 

今回の私の服装は

 

UVカットの水色の薄手のパーカーと

 

作業しても汚れが目立たない黒のTシャツ。

 

 

どちらも姉が着ていたものです。

 

 

Tシャツをよく見てみたら

 

サイトウキネンオーケストラのロゴがプリントされてました。

 

image

 

 

 

これからも時々姉の服を着ることが

 

姉を悼むことになるといいな、と思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回もTさんが愛車の軽トラで迎えに来て

 

改札口の向こうで待っててくれました。

 

 

 

 

雨の合間の2日間

 

「さあ、頑張りましょう!」

 

と張り切りました。

 

 

 

 

 

 

 

思い出深いもの まだ十分に使えるをもの処分するのは胸が痛かったけれど

 

母の洋服を処分するのが やはり一番辛かったです。

 

 

母はまだ生きているし

 

この服を着た母の姿を鮮明に思い出せるのに

 

もう二度と この服に袖を通すことはないのだろう…。

 

 

 

 

洋服の繊維に入り込んだ煤が飛び散るので

 

粉塵用マスクをしていたのに

 

鼻の穴や鼻の頭まで黒くなってました。

 

 

粉塵マスクと共に購入した作業用グローブは

 

驚くほど使いやすく、自分がスパイダーマンになったようでした(≧▽≦)

 

 

 

 

 

 

 

「よく頑張るねえ!」

 

と、お向かいの幼なじみのお母さんが

 

お茶や焼き芋を焼いて差し入れしてくれました。

 

 

 

 

 

 

荷物を持って階段を上り下りすることが多く

 

ほとんど家の中にいたというのに

 

母のお古の黄色い割烹着のポケットに入れていたスマホのアプリを夜見てみたら

 

一日に歩いた歩数が1万歩を越えてました。

 

 

…すごすぎません?(^^;)

 

 

 

 

 

 

 

今回も、家のあらゆるところから あらゆるものが見つかります。

 

 

私の卒業証書

 

父の切手コレクション

 

父の古いカメラ

 

 

 

 

何か見つけると

 

「また宝物が出てきました!」

 

と、Tさんと報告し合います(*^.^*)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2日目の午後

 

母に会いに行きました。

 

 

 

庭の淡いピンクの芍薬が綺麗に咲いていたので

 

一輪だけ切って、ガラスの小さな花瓶に入れて持って行きました。

 

image

 

 

 

 

 

 

 

予約していた時間通りに着いたのに

 

母は待ちきれないように

 

玄関のガラス扉の内側の椅子に腰掛けて

 

膝に小さな紙袋を抱えて待ってました。

 

 

 

紙袋には「読み終わったら私にも読ませてね」とこの前私が言った

 

『続・窓際のトットちゃん』が入っていました。

 

 

 

 

 

施設への入居が決まった時

 

私が近所のスーパーで慌てて買った

 

七分袖の綿のベージュのブラウスを今日も着ています。

 

 

この前、私が持ち帰って何度も洗濯をして送った

 

母の着慣れた服がほかにもあるはずなのに

 

母は私が選んだこの地味な色の服を着ている。

 

 

けれど、短く立ち上がった衿のフリルが可愛らしく

 

染めた髪の色がほとんど抜け落ちて、化粧をしなくなった素顔の母によく似合っていました。

 

 

 

火事当時、焦げてチリチリだった前髪も

 

顔や手の火傷も

 

今はすっかり綺麗になってます。

 

 

 

 

 

15分という決められた面会時間

 

アクリル板のパーテーションごしに話をして

 

母の自署が必要な書類に名前を書いてもらい

 

Tさんが見つけた小さなアルバムの写真を

 

「うわあ、懐かしい~」

 

と、顔をほころばせて見入っていました。

 

 

 

 

Tさんの差し入れの夏みかんやお茶

 

本や花など荷物がたくさんあったので

 

それを運び込むために母の部屋に入ったら

 

 

前回Tさんが綺麗に拭いて運んでくれた、母が作った鎌倉彫りの額縁の姿見や

 

チェストの上のくり位牌の横に祖父の小さな遺影

 

 

入居した時に庭から摘んで届けた紫の花は驚くほどまだ元気に咲いていて

 

先週持たせたミニ薔薇は、Tさんが差し入れたお茶のペットボトルを切り取った

 

母の手製の花瓶の中でしおれかけていました。

 

 

 

実家よりもずっとコンパクトになって

 

その分濃くなったような

 

母の世界が この小さな空間にありました。

 

 

 

 

 

 

 

名残惜しそうに駐車場まで出てきて見送ってくれる母に手を振って

 

施設を後にしました。

 

 

水を張って田植えが済んだばかりの田んぼのあぜ道で

 

白いマーガレットが沿道の応援団のように並んで咲いています。

 

先週満開だったアカシアの花は

 

もうすっかり枯れてしまったようで葉っぱと見分けがつきません。

 

 

 

 

 

 

実家に帰って「さあ、もうひと仕事!」

 

と、Tさんと二人で気合いを入れて頑張りました。

 

 

 

 

面倒くさいので後回しにしていた居間の抽斗(ひきだし)を片付けることにしました。

 

 

母が使っていた五段の大きな抽斗の箪笥(たんす)。

 

書類とか、裁縫道具とか、乾電池とか

 

神社のお守りとか、孫の手とか、手紙とか

 

ありとあらゆる細かい物が入っているので

 

何度か手をつけたけれど、途中で嫌になって投げ出していたんです(^^;)

 

 

 

2段目までは、ほぼ空にしてありました。

 

3段目は裁縫道具類。

 

裁縫箱、断ちバサミ、黒と生成りのたくさんのしつけ糸…。

 

 

4段目は絵はがきやレターセット。

 

いわさきちひろや、片岡鶴太郎の絵のもの

 

野草の好きな母らしく、草花の水彩画のもの

 

コスモス、ほおずきのイラスト…

 

 

気に入ったものは東京に送って使わせてもらおうと思って1つ1つ手に取り出していると

 

突然、A4の紙に印刷された文章が現れました。

 

 

 

「 手紙 ~親愛なる子供たちへ~ 」

 

 

母が書いたものではなさそうです。

 

 

 

 

最初の数行を読んで

 

どうしてもTさんにも聞かせたくなりました。

 

 

 

すぐそばの廊下でしゃがんで作業をしていたTさんに

 

「Tさん、今から朗読するので、作業をしながらでいいので聞いて下さい。」

 

と、それを読み上げました。

 

 

 

 

途中涙が出てきて声が震えましたが

 

最後までちゃんと聞いて欲しかったので頑張りました。

 

 

 

読み終わっても何も言わないTさん。

 

 

静かだな…と思ったら

 

鼻水まで出して泣いていました。

 

 

 

 

 

 

出てきたのは、これです。

 

image

 

 

手紙 ~親愛なる子供たちへ~

 

(原作不詳)

 

 

年老いた私が ある日今までの私と違っていたとしても

 

どうかそのままの私のことを理解して欲しい

 

私が服の上に食べ物をこぼしても 

 

靴紐を結び忘れても

 

あなたに色んなことを教えたように見守って欲しい

 

 

あなたと話すとき 同じ話を何度も繰り返しても

 

その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい

 

あなたにせがまれ繰り返し読んだ絵本のあたたかい結末は

 

いつも同じでも私の心を平和にしてくれた

 

 

悲しいことではないんだ

 

消え去ってゆくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい

 

 

楽しいひとときに思わず下着を濡らしてしまったり

 

お風呂に入るのを嫌がるときには思い出して欲しい

 

あなたを追い回し 何度も着替えさせたり

 

様々な理由をつけて いやがるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを

 

 

悲しいことではないんだ

 

旅立ちの前の準備をしている私に

 

祝福の祈りを捧げて欲しい

 

 

いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ出来なくなるかもしれない

 

足も衰えて 立ち上がることさえ出来なくなったなら

 

あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように

 

よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい

 

私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい

 

あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらいことだけど

 

私を理解して支えてくれる心だけを持っていて欲しい

 

きっとそれだけで 私には勇気がわいてくるのです

 

 

あなたの人生の始まりに

 

私がしっかり付き添ったように

 

私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい

 

あなたが生まれたことで 私が受けた多くの喜びと

 

あなたに対する変わらぬ愛を持って笑顔で答えたい

 

 

私の子供達へ

 

愛する子供達へ

 

 

 

 

 

 

 

 

母はいつ どんな思いで、この紙を このひきだしにしまい込んだのでしょう。

 

 

今は亡き祖母の面倒を見ていた時かもしれない。

 

あるいは、いずれ年老いてゆく自分自身に重ねたのかもしれない。

 

 

 

これを こんな宝物を 見つけることが出来て本当によかった。

 

 

 

 

その下にもう一枚

 

同じ物があったのでTさんに差し上げました。

 

Tさんにあげた紙の裏側には「まだ見ぬ介護者へ」という別の詩が印刷されていたので

 

写真だけ撮らせてもらいました。

 

 

(時間の関係で、こちらは写真のみの掲載にさせていただきます)

image

 

 

 

 

 

 

 

 

宝物って、お金や高価な物だけじゃないんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このブログを読んでくださっている方の中にも

 

今、ご両親の世話をして 疲れ切っている人がいるかもしれない。

 

やりきれない思いを抱えている人がいるかもしれない。

 

 

耳が遠くなり、何度も聞き返したり大きな音でテレビを見る父に 

 

さっきした話を忘れて、何度も同じ話を繰り返す母に

 

苛立ちを覚えている人もいるかもしれない。

 

 

思わずキツい言い方をしてしまい

 

そんな自分は優しくなかったと、自分を責めてる人がいるかもしれない。

 

 

近い将来避けて通れないであろう『介護』という未知の領域に

 

怯えている人がいるかもしれない。

 

 

 

 

 

そして、

 

 

自分自身も年を重ね 今まで出来たことが出来なくなっていく不安を

 

誰もが抱えているかもしれない。

 

 

現代社会のスピードについていけない自分は

 

だんだん生きる価値がなくなっていくと思っているかもしれない。

 

 

 

 

 

そんなすべての人に届いて欲しくて

 

この記事を書きました。

 

 

 

 

今日から牛田くんのデュオ・リサイタルが始まるのに

 

空気が読めてなくてごめんなさい。

 

 

 

 

画面の文字を追うのが困難な方もいらっしゃるので

 

歌の動画も載せておきます。

 

 

 

樋口了一/TEGAMI