皆さま、こんにちは。

 

 

 

 

前回の記事に、あたたかなコメントをいただきありがとうございました。

 

 

何度も繰り返し読ませていただきました。

 

 

 

 

記事をアップしてからすぐに、真っ先にコメントして下さった方

 

 

演奏会で予定していた曲を変更して、私の姉のためにピアノを演奏しようと決めて下さった方

 

 

ご自身の体験に重ね、お悔やみのコメントを下さった方

(2年前、父が亡くなった時、お悔やみの言葉をくださるためにアメブロのID取得してくださったのですよね)

 

 

更新がないことを心配し続け、記事を読んで泣いて下さった方

 

 

ご自身のコンディションも万全ではない中、励まし寄り添って下さった方

 

 

 

 

私のブログを、こんなにも優しい方々が読んで下さっていることが

 

皆さまのあたたかなお気持ちが

 

嬉しくて ありがたくて

 

涙が出ました。

 

 

 

 

そして、コメントをいただかなくても

 

おそらく案じて下さっていた方も

 

どう言葉をかけていいか分からなかった方も

 

秘かに心を寄せて下さった方も

 

きっといらっしゃったのだろうと思います。

 

 

本当にありがとうございます。

 

 

 

 

今回私の身に起きたことは

 

確かに不幸なことではあるけれど

 

でも、やっぱり私はとても幸せ者です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、先週1ヶ月半ぶりに職場復帰を果たしました。

 

 

 

それまでの日常とあまりに違う環境に身を置き続けてきたので

 

ちゃんと仕事を覚えているか不安でした。

 

 

元々3月は一年で一番の繁忙期で

 

「なるべく休みを取らないで」と言われていたにもかかわらず

 

一ヶ月半も休んでしまい、その分同僚達に負担をかけてしまったのです。

 

 

それなのに、みんな本当に優しくあたたかく迎えてくれました。

 

 

若い世代の同僚達は

 

「シフトこれからもいつでも替わりますよ。言ってください。」

 

と。

 

同世代の同僚達は

 

「心配してたけど、思ってたより元気そうだね。」

 

と。

 

 

何より私にこの仕事を紹介してくれた友人兼同僚は

 

職場の体制も変わり本当に大変な中、細やかに気にかけてくれて

 

復帰以降も、長野と行き来しやすいように、平日何日かまとまった休みになるように

 

私のわがままをシフトに取り入れてくれました。

 

 

 

(TωT)

 

 

 

 

 

 

こんな大迷惑をかけてしまった私が、仕事でミスったりボンヤリしたりして、さらに迷惑をかけるわけにはいきません。

 

職場復帰前日や当日の朝はちょっと緊張しましたが

 

実際行ってみると、心配していたよりも身体がリズムや順序・セリフを覚えていてホッとしました。

 

割と長いセリフを何度も言うので咳が出たらどうしようと心配だったけれど、ちょうどいい感じにやっと咳も治まってくれました。

(でも、絶対あばらにヒビは入ってたと思います)

 

 

 

しかし、

 

 

この職場、仕事を続けるために毎年何種類かの試験を受けなければならず

 

長期休みを取っていた私は、その期限が迫っていたため、さっそく試験を受けました。

 

しかも、今年からこの試験、満点じゃないと不合格。

 

 

 

ガーン

 

 

 

 

なんとか2回目にPASSすることができましたー!😭ヨカッター

 

 

 

 

 

 

この重くて苦しい一ヶ月半を思うと

 

久しぶりの職場の日常は明るく爽やかで

 

 

少し前の記事で、「おばあちゃんが足りない」的なことを書きましたけど

 

八十代後半の母や叔母達と密に接する日々を送ってきたため

 

もう既に、充分すぎるくらい今の私にはおばあちゃんが足りてます(^^;)

 

 

若い世代とのやり取りは、なんと明快でスムーズなことか。

 

 

なんて贅沢だったんだろう、今までの私…。

 

 

 

 

 

 

けれど、気が張ってたのと、疲れが相当溜まっていたらしく

 

仕事から帰って5分だけ横になろうと思ったら起き上がることが出来ず

 

ご飯も作れずにそのまま夜中まで起きれなかったことが何日も汗

 

 

布団の中から意識朦朧としながら指示を出して

 

娘に作ってもらったこともありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長野にもまた行ってきました。

 

 

何しろ、姉に関する諸々の手続きで

 

母本人の署名や記入が必要なもの

 

母が電話で直接先方と話さないと進まないものがありすぎて…汗

 

 

 

 

母が入院している病棟でコロナ患者が出たため、現在面会禁止なのですが

 

電話で事情を話してお願いしてみたところ

 

病室とは別の部屋で面会させてもらえることに。

 

なので、送ろうと思っていた本やお菓子、生活用品を直接渡せることになりました。

 

 

 

 

今回の目的はもう一つ。

 

母と姉が大切にしていたそれぞれの2台のピアノ

 

どうしても処分する気になれず

 

修理をすれば誰かにまた弾いてもらえるのでは、と諦めきれなくて

 

ピアノ屋さんと連絡を取って見に来てもらいましたが

 

「とても無理です」とのことでした(涙)

 

 

蓋を開けると白鍵は煤(すす)で黒鍵のように真っ黒。

 

でも音はちゃんと出ます。

 

 

けれどどんなに外側を綺麗にクリーニングしても

 

弾いているうちに内側から黒い煤が出てきてしまうそうです。

 

 

そうなるのは、私も悲しい…泣くうさぎ

 

 

家と一緒に潰すしかありません。

 

 

 

 

 

 

あまりに無残な廃墟になった家に土足のまま入って

 

日が高いうちに軍手をはめて頑張って片付けをしました。

 

 

1つ1つを手に取ってしまうと、どうしてもいろいろ思い出してせつないので

 

相変わらず感情は脇に置いて無心で黙々と片付けました。

 

潰してしまうにしても、少しでも綺麗に戻してあげたくて。

 

 

 

 

 

今回も母の妹と従姉夫婦の家に泊めてもらいました。

 

 

アメリカ旅行から帰ってきた従姉とは、夜何時間も2人で話をしました。

 

 

 

年上で 優しくて 子供の頃よく遊んでくれた憧れのお姉さんだった従姉。

 

大人になってじっくり話すのは初めてです。

 

 

もう一人の年下の従妹もそうですが

 

今回こんなことがあったけれど、従姉妹達と再び交流が持てて

 

大人同士としてこんな風に話が出来るようになったのは嬉しかったです。

 

そして、今回この従姉妹達に本当に力になってもらいました。

 

 

 

 

 

 

翌朝、おばと二人で先日姉の納骨をしたお墓にお参りに行きました。

 

 

おばが庭で咲いているチューリップや水仙を採ってきてくれて

 

お墓に行く途中に通る私の実家の庭でも花を採って行こうということになりました。

 

 

 

実家の庭では、チューリップや水仙、ムスカリが満開でした。

 

真っ白な八重の水仙を見たら、姉の姿と重なりました。

 

 

定年後、庭師の資格を取るほど庭いじりが好きだった父。

 

花を育てるのが上手だった母と姉。

 

 

この花を摘んで行ったら、きっと父も姉も喜ぶに違いない。

 

そう思うと嬉しくなって

 

そして、涙が出そうになるのを我慢して

 

おばから借りた花切りバサミで、赤いチューリップや白や黄色の水仙をたくさん摘みました。

 

 

 

お墓に着いたら、墓石に白木の位牌が立てかけてありました。

 

知らないうちに方丈様が姉の戒名を書いて置きに来てくださったようです。

 

墨で書かれた美しい手書きの文字をじっくり眺めながら

 

やっぱり姉は素敵な新しい名前を頂いたなあ、と思いました。

 

 

 

人が、この世に生まれて最初に受け取る贈り物が「名前」だと聞いたことがあります。

 

3回の流産ののち、結婚7年目でやっと産まれたという姉。

 

父も母も、それはそれは嬉しくて、大きな喜びと共に姉の名前を考えたことでしょう。

 

 

今回いただいた戒名の中に、父と母がつけてくれたひらがなの姉の名前を漢字にあてた文字が入っていたのも嬉しかったです。

 

 

 

黒い墓石に、白や黄色や赤い花がとても綺麗に映えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

郵便局や役所の手続きは、今回も想像以上に時間がかかりました。

 

共済の解約の手続きに姉の住民票が要るというので取りに行ったら

 

「妹さんでは出せないので、お母様に『お姉様の住民票を出すための委任状』を書いてもらってまた来て下さい。」

 

とのこと。

 

 

めんどくさ~チーン汗

 

 

 

郵便局の方達も、慣れないケースだったようでバタバタと一生懸命動いてくれて

 

やたらと私のことを気遣ってくださって恐縮しました。

 

 

 

 

 

従姉に送ってもらって病院に着くと、看護師さんに手を引かれて母が自分の足で歩いてやってきました。

 

 

染めていた髪は、もうほとんど真っ白です。

 

でも、この前会った時より元気そうだし話すこともしっかりしています。

 

 

私が持って行ったお菓子や本、娘の手紙のお土産も、とても嬉しそうでした。

 

 

 

母に書いてもらう書類は、実に7枚もありましたあせる

 

間違っては大変なので、一文字ずつ、横で私が監視します。

 

 

あんなに達筆だった母の震える文字を見て

 

文字も老いるんだなあ、と実感しました。

 

 

保険会社にもまず私が電話をかけて、オペレーターに繋げてから母に替わりました。

 

これでまた、私のところに必要書類が送られてきて、謄本や印鑑証明取り寄せて、また母に書いてもらいにここに来るんだ…汗

 

(なんか無限ループ感…)

 

 

 

決まりでは10分間の予定でしたが

 

スタッフの方達、状況を察して下さって、30分以上時間を取らせてくれました。

 

 

迎えに来てくれた従姉とも面会させてもらえて

 

母が前より生き生きしてるのが嬉しかったです。

 

スマホでまた毎日電話してくるようになったし。

 

 

別れ際、

 

「ああ、○○ちゃん(私)と会えなくなっちゃうの寂しいなあ…。」

 

と。

 

 

 

しばらくは、手続き等で来る必要があるし

 

施設も決めないといけないし

 

 

でも、行き先が決まって落ち着いたとしても

 

なるべく会いに来よう。

 

 

 

牛田くんの遠征に行く回数が減ったとしても

 

私をこんなに待ち焦がれてる母に会いに来よう。

 

 

 

 

病院を出た後もまだ市役所・郵便局・銀行に用事があったので

 

郵便局の前で降ろしてもらってあとはキャリーケースをゴロゴロ引いて用事を済ませて駅に向かいました。

 

「歩くの?嘘でしょ?」とビックリする従姉。

 

 

車社会だとあり得ないことなんでしょうね…😅

 

 

でも私、病院勤務の時は片道40分を毎日歩いて通勤してたし

 

コンサートの遠征でも荷物を引いていっぱい歩いてるし

 

思わぬところでよくわからないけど役に立ちました(〃∇〃)

 

(多分地元の人から見たら変人)

 

 

 

 

 

特急あずさの車窓から、満開をちょっと過ぎた山桜や、甲府あたりのピンク色の桃の花を楽しむ余裕がやっと出てきました。

 

シートに腰をおろし、ひと息ついてビールのロング缶をプシュッと開けるのが習慣になってしまった。

 

この瞬間は、なぜか充実感すら感じます。

 

 

 

 

一番辛い時期を 通り抜けた気がします。

 

 

 

けれどもまだまだやることや決めなければいけないことがたくさんあります。

 

 

 

どこがゴールなのかは分からないけれど

 

多分、歩いているうちに分かる気がする。

 

 

そして、そこに辿り着いたとき

 

私の中の価値観や幸せの基準が、少し変わっているような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、すみません。まだ続きがあります(〃∇〃)

 

 

 

 

この前の土日、家族旅行に行ってきました。

 

 

 

 

ずっと前から旅館を予約していた久しぶりの家族三人の旅行。

 

こんなことがあったので、もう行けないかな、と一時はキャンセルするつもりでしたが

 

このところずーーっと実家のことをいろいろやっていて

 

疲れもピークだし、一番大変な時期も過ぎたし

 

気分転換に癒やされに行くことにしました。

 

 

 

 

向かった先は、牛田くんの生まれ故郷、福島県。

 

 

 

福島への家族旅行は10年前にも行きましたが

 

前回も今回も、タイミング悪く娘が風邪を引いたという…😓

 

 

 

 

 

ここ何年も、家族それぞれが好きなことをしていたため行ってなかった家族旅行。

 

最後に行ったのがいつだったのか、どこだったのか、3人でどんなに考えても思い出せない(^^;)

 

 

 

そして、久しぶりに乗ったら、黄砂にやられた(らしい)我が家の車の汚いことあせる

 

去年買い替えたばかりの時は、黒くてピカピカのボディにピアノを重ねて悦に入ってたのに

 

黒って汚れがすっごく目立つのよね汗

 

 

ピカピカだったら東北の新緑を映して素敵になりそうなのに

 

服が触れただけで汚れが付きそうで、他人が見てもドン引きしそうなレベルドクロ

 

洗車してる時間もないので、途中で娘の風邪薬買うために寄ったドラッグストアに停めたとき、自分のとこの窓だけティッシュで拭きました😆

 

 

車窓から見える山々は、新緑や深緑、白やピンクの山桜、ヤマブキの黄色。

 

春らしい彩りが目に眩しい。

 

 

 

 

 

まずは、10年前にも行って楽しかった会津の宿場町大内宿へ。

 

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ほら、桜が満開。

 

 

 

 

 

木蓮も満開。

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茅葺き屋根の民家やお店が並んでいます。

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鯉のぼり。もうそんな季節なのね!

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懐かしい風景。

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赤べこや会津の工芸品を売るお店。

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縁側に商品を並べるようにして、おばあちゃんが店番をしてるところが多く

 

その商売っ気のなさがいい感じです。

 

 

 

 

 

 

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前回も食べた、ご当地名物「ねぎそば」が食べたくて、おそば屋さんに入りました。

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お箸の代わりにネギでお蕎麦をすくって食べるんです。

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娘と私は果敢にチャレンジ。

 

 

ねぎをかじりながら食べると、ちょうど薬味になります。

 

たっぷりのかつおぶしと大根おろしも美味しい♡

 

 

 

 

 

 

前回ねぎを2㎝ほど食べただけで涙目になってたジャックは、今回は白髪ねぎそば。

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でも、これもすごいボリューム。

 

 

水にさらしてあるのか、辛くなかったんだって。

 

 

 

 

娘はネギを5㎝ほど食べ

 

前回ほぼ完食した私も、今回は7㎝ほど残しました(^^;)

 

 

 

 

 

 

呆れるほど牛田くんに溺れている前回の記事

 

 

 

 

 

 

 

 

水仙があちこちでたくさん咲いてました。

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つくし。もう開いちゃってますね。

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これはダイコンの花…?

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しだれ桜はまだ蕾。

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到着しました。今回の宿。大川荘。

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私は見てませんでしたが、『鬼滅の刃』の無限城のモデルになった場所らしいです。

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フロントのすぐ前がこんな吹き抜けになっていて、津軽三味線の生演奏をしてました。

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お部屋の窓から新緑の山が見えます。

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窓の下は渓流。

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癒やされる~照れ

 

 

 

 

 

 

温泉に入ってから、レストランで夕ご飯。

 

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地元の食材を使った美味しい料理がこのあともたくさん出てきました。

 

 

ビールと日本酒も飲んでいい気分♪

 

部屋に戻ったら布団にダイブだあ~!

 

 

 

 

 

 

デザートを食べ始めた頃

 

スタッフの方が歌いながらバースデーケーキを私達のテーブルに運んできて

 

テーブルを取り囲んで「ハッピーバースデー」を歌ってくれました。

 

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きゃー!そうだった!

 

私とジャック、明日誕生日だった!

 

 

 

娘がこっそり電話で予約してくれてたらしいです。

 

 

他のテーブルのお客さん達も一緒に歌ってくれて、拍手の中ろうそくの火を消しました。

 

 

 

 

う…

 

 

ウレスィ~!

 

(T^T)゚。

 

 

 

嬉し過ぎる…。

 

幸せ過ぎる…。

 

 

 

 

 

「お腹いっぱいでしょうから、どうぞお部屋に持って帰って食べて下さい」

 

と、箱に入れて、お皿やナイフのセットを持たせてくれました。

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が、フカフカの布団にダイブしてそのまま爆睡zzz

 

 

 

次の朝おいしくいただきました照れ

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャックを真ん中にして、3人川の字で寝たんですけど

 

 

5時頃ジャックのイビキで起こされました真顔

 

 

 

 

カーテンを開けると、こんな素敵な景色!

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ラブキラキラ

 

 

 

 

 

一人で露天風呂に入ってきました。

 

 

石を敷き詰めた寝転びタイプのサウナを楽しみにしていたけど

 

水風呂がなくてちょっと残念。

 

 

 

 

 

 

朝起きれない娘を部屋に残し、ジャックと二人で朝食会場へ。

 

 

バイキング、充実してました。

 

 

ジャックは洋食。私は和食。

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右下のは薬膳スープです。

 

 

左上のご飯は…

 

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すごいんですよ。ご飯の上に泡立てたメレンゲを乗せて、その上に地鶏の卵の黄身を乗せて、上から職人さんがバーナーで炙ってくれるの。ここの名物料理らしいです。

 

 

 

 

 

これは牛乳じゃないんだよ。甘酒。

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栄養も睡眠もしっかりとって

 

温泉入って自然に触れて

 

 

癒やされた~キラキラ

 

 

:*:・( ̄∀ ̄)・:*:

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りは、何年か前ジャックと2人で行った栃木の「大谷石資料館」に行きました。

 

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来たのは確か4年前の夏。

 

コロナ禍で外出も憚られる頃でしたが、あの頃より新しい施設やお店も出来ていて

 

館内も、当時の4倍くらいの観光客がいました。

 

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前回と同じお店でランチ。

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娘は今回の旅行の中で、このお店が一番気に入ったみたいです。

 

 

 

 

 

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前回来たときの記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、体調も回復し、旅行も楽しんできました(^^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、私の家は、実家から持ってきた書類等の入った段ボールでいっぱいです。

 

 

火事当日、母が仏壇から持ち出した位牌は、今、我が家のリビングの棚に飾ってあります。

 

 

だるまさん達には一段上の最上階に移動してもらって

 

私の祖父母の位牌、父の位牌、扉付きの先祖代々の位牌の3つ。

 

 

姉の本位牌はまだ出来ていません。

 

 

子供の頃から、毎日仏壇のご先祖様に手を合わせていた私は

 

懐かしい位牌を東京のこの場所に迎えることが出来て

 

とても不思議な懐かしい気持ちになります。

 

 

 

私はもうジャックの家の人間なので、母の施設が決まるまでの仮住まいですが

 

ご先祖様も、おじいちゃんもおばあちゃんも父も

 

そしてきっと、姉も今はここにいるような気がします。

 

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家から持ってきた、祖母の手作りの松本手まりと

 

母が作った鎌倉彫りの和皿。

 

母と姉が毎年のように行っていた沖縄旅行のお土産に買ってきてくれた琉球ガラスのミニグラスに毎朝新しいお水を入れています。

 

亡くなる時、姉はきっとすごく水が欲しかったと思うので。

 

 

 

 

 

どうか姉が、安らかに天国に行きますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長い記事にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

(牛田くんコンサート情報記事の更新、もうしばらくお待ち下さいm(_ _)m)

 

 

 

 

 

 

 

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