『生かされて。』 | 耳をすませば

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皆さま こんにちは。

 

 

 

今日はちょっと真面目なことを書きます。

 

 

 

が、

 

 

衝撃的で残酷な描写がありますので、気の進まない方は引き返して下さい。

 

読んでいる途中で、もしも気分が悪くなったら、どうぞ読むのをやめて下さい。

 

 

 

 

 

 

皆さまは、バイブルにしている本、一度読んでずっと忘れられない本はありますか?

 

 

 

私のバイブルは、この本です。

 

 

『生かされて。』

イマキュレー・イリバギザ

スティーヴ・アーウィン

堤 江実(訳)

 

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私がこの本と出会ったのは2006年のこと。

 

朝日新聞に毎週土曜日に掲載されている読書コーナーで見つけ、図書館に予約を入れて読みました。

 

 

 

 

 

1994年、アフリカのルワンダで、100日間で100万人をも超えるツチ族の人達が殺される大虐殺があったのをご存じでしょうか。

 

 

しかも、殺したのは同じ国の同じ街に住む、フツ族の人達。

 

昨日まで、隣人であり、友人であった人達です。

 

 

 

 

この本に書かれていることはすべて実話です。

 

 

 

 

ルワンダは、中央アフリカに位置する小さな美しい国です。

 

 

 

 

 

著者のイマキュレー・イリバギザは当時大学生。

 

教師であり、敬虔なクリスチャンである両親と、3人の兄弟と共に、幸福な毎日を送っていました。

 

 

なぜ突然信じられない大虐殺が起こったのかについて説明すると、長く複雑になってしまうので省きますが、

 

簡単に言うならば、発端は政治的な背景からです。

 

 

 

ルワンダは、3つの部族から成り立っています。

 

多数派のフツ、少数派のツチ、ごく少数派のツワ族。

 

森で暮らす、身長の低いツワ族は別として、ツチとフツは簡単には見分けが付きません。

 

強いて違いをあげるなら、ツチは背が高く、色があまり黒くなく、細い鼻をしている。

 

フツはツチよりも背が低く、色が黒く、平たい鼻をしている。

 

フツとツチは何世紀にも渡って結婚を繰り返し、同じ言語、同じ文化の中で暮らしてきました。

 

 

 

この本を書いたイマキュレーは、ツチ族の女性です。

 

子供の頃から神様に祈ることが大好きで、美しく成績も優秀。

 

家族はとても仲が良く、両親は子供達に最高の教育を受けさせることにお金を惜しまず

 

常に困った人達を助けているため村の人達から慕われていました。

 

 

 

政府の煽動により、フツ族にとって突然昨日までの隣人であるツチ族は、ゴキブリのような存在に変わりました。

 

 

フツによる、ツチの大虐殺が始まり、イマキュレーの家族はバラバラになりました。

 

イマキュレーは、両親に言われ、父親の友人の牧師の家に身を寄せます。

 

若いイマキュレーが、襲撃してきたフツ族に陵辱されることを両親は何よりも恐れていたのです。

 

 

 

フツであるムリンジ牧師は、イマキュレーを含め、6人のツチの女性を自宅のトイレにかくまいました(その後さらに2人をかくまいます)。

 

家族にも内緒で。かくまっていることが見つかったら、自分も殺されてしまうからです。

 

 

トイレに隠れた女性達は、狭い空間の中で横になることも出来ず、不自然な姿勢のまま恐怖に震えて過ごしました。

 

会話はもちろん、音を立てることも出来ず、牧師が差し入れてくれるわずかな食料を分け合って命をつなぎました。

 

家の外からは、殺人鬼と化したフツ族達が、叫び、物を叩き壊し、火を放ち、『ゴキブリどもを皆殺しにしよう!』と、酒を飲み歌っている声が聞こえてきます。

 

それは、かつて一緒に育ち、一緒に学校に行き、食事を共にしたことのある人達でした。

 

信じられないことに、当時のルワンダの国営ラジオで「ツチ族を全員殺せ!」と煽動していたのです。

 

 

 

当時、実際にルワンダで起きたジェノサイド(大虐殺)は、ドイツ、ナチスによるホロコーストをしのぐほど残忍なものでした。

 

 

武装したフツ族達は、手当たり次第にツチの人間の手足を鉈(なた)で切り刻み、女性をレイプしました。

 

幼い子供の体を真っ二つに切り裂き、妊婦の子宮から胎児を引っ張り出しました。

 

 

 

いつ殺されてもおかしくない極限状態の恐怖の中で、イマキュレーはトイレに身を隠しながら、別れ際に父親からもらったロザリオを握りしめて、ただ神に祈りました。

 

狭すぎる空間で身動きも取れず、家族の安否も分からず、彼女は神に祈ることでかろうじて正気を保っていました。

 

 

熱心に神に祈りを捧げていたある時、彼女の頭の中にハッキリとしたイメージが見えました。

 

牧師に頼んで、そのイメージ通りに衣装ダンスを移動してトイレのドアを隠してもらうことで、数日後に牧師の家が突然フツ族の襲撃を受けたとき、彼女たちは見つかることはありませんでした。

 

 

永遠に感じられる拷問のような時間の中で、彼女は牧師に頼んで1冊の聖書を貸してもらい、窓から漏れるかすかな明かりで貪るように聖書を読み、そして祈りました。

 

今、自分を取り巻く環境がどんなに惨いものだとしても、神に祈りを捧げ、心の中で神と対話することで愛と救いを感じました。

 

度々、啓示とも言える神の声を聞くこともありました。

 

 

 

そんな中、夥しい数のツチ族が残酷なやり方で殺され続けました。

 

イマキュレーの愛する父、母、兄弟達も次々と殺されていきました。

 

 

ある日、イマキュレーは偶然窓の外を通りかかった人達が彼女の兄の1人が殺された時の話をしているのを聞いてしまいます。

 

大学の修士号を持っていた兄のダマシーンは、殺人者達に

 

「そんなに頭がいいなら頭の中を見てやろう。」

 

と、頭蓋骨の中を覗くために大鉈で頭をぶち割られたのです。

 

 

また、偶然こんな恐ろしい話し声も耳にしました。

 

1人のツチ族の母親がフツ族の集団に捕まりました。

 

母親は、

 

「どうぞ子供たちを向こうにやってください。」

 

と懇願しましたが、

 

彼らは彼女の夫と3人の子供に大鉈を突きつけて、8~9人がレイプする様子を最後まで見せ、

 

それが終わったあとに全員を殺した、と。

 

子供達は、より苦しむように足を叩き切られ、生きたままその場に放置され、

 

赤ん坊は岩に打ち付けられ、

 

エイズにかかっている兵士は、病気がうつるように十代の少女達をレイプするように命令されたそうです。

 

 

 

怒りと憎しみと空腹でどうにかなりそうな彼女に出来ることは、ただ祈ることだけでした。

 

 

劣悪な環境の中で女性達は痩せ細り、体は衰弱し、発熱や感染症などで何度も体調を崩しました。

 

頭にはしらみが繁殖し、顔の上を行進しました。

 

 

自分は何か目的があって生かされているのだと感じたイマキュレーは、それがどういうことなのか教えて欲しいと毎日神に祈りました。

 

 

ある日突然、彼女は今まで全く勉強したことのない英語を勉強しようと思い立ちます。

 

自分は国連で働くことになる、という予感を何故かはっきりと感じたのです。

 

今度は牧師に頼んで、英語の辞書を借りました。

 

英語の本を持っているルワンダ人がほとんどいない中で、運良く牧師は彼女が求めるものを持っていました。

 

聖書の次に、彼女はそれを読み続け、3週間後には辞書まるまる1冊を完全に読み尽くしました。

 

 

 

ある日、牧師の家が再びフツ族の襲撃を受けました。

 

美人で頭の良いイマキュレーの姿が最後にここで確認されたことを誰かが殺人者達に告げたのです。

 

「イマキュレーを探し出せ!イマキュレーを殺せ!」

 

殺人者達は彼女の名前を叫びながら牧師の部屋をめちゃめちゃにしました。

 

衣装ダンスでドアを隠したトイレの中で、イマキュレーはその声を聞きながら恐怖に震え、いつの間にか意識を失いました。

 

混濁した意識の中で神の声を聞き、ドアいっぱいに白い十字架がかけられている光景を目にします。

 

飛び起きたイマキュレーは、自分たちが助かることを確信し、やがて諦めた殺人者達は牧師の家を去って行きました。

 

もうこの場所が安全ではないと感じた牧師は、この地域にやってきたフランス軍に助けを求めることを思いつき、女性達は牧師の家からくフランス軍のキャンプ地に向かい、運良く保護されます。

 

牧師の家のトイレに実を隠してから、実に3ケ月ぶりのことでした。

 

体重は、半分近くまで減っていました。

 

 

 

フランス軍のキャンプで、イマキュレーは仲間達を励ましながら、自分が生かされたもう一つの意味は、虐殺で残された孤児達のために力を尽くすことだと実感します。

 

 

やがて、フランス軍がルワンダを離れることになった時、

 

居場所のなくなったイマキュレー達は、フランス軍の車の荷台に身を隠し、ツチの兵士達のいる場所に移動します。

 

ところが、その途中でフランス軍は命令を受け、道の途中で彼女たちを放り出してしまいます。

 

そこには殺人鬼と化したフツ族達が十人以上いて、こちらを注目していました。

 

見渡す限り、ツチ族の死体が重なり合い、転がっていました。

 

 

一巻の終わりです。

 

 

殺人鬼達が近付いてきました。

 

 

イマキュレーはまっすぐにその中の一人の目を見すえました。

 

心の中で必死に彼に愛のメッセージを送り、

 

「神様、どうぞ、あなたの愛の力で彼に触れて下さい。」

 

と祈りました。

 

 

一生ほどに感じられる時間、彼女は瞬きもせず彼を見つめました。

 

 

ついに、凝視に耐えられなくなった男は目をそらし、背を向けると大鉈を下ろして去って行きました。

 

 

 

他にも大勢の殺人鬼たちがウヨウヨいる場所を、

 

イマキュレーは30人もの仲間達を引き連れて

 

その堂々たる態度でツチの兵士達がいる場所に辿り着きます。

 

彼女は心の中で神にこう語りかけていました。

 

「もしも彼らが私を殺しても、どうぞ彼らをお許し下さい。」

 

 

 

やっと辿り着いたその場所には、無数の死体が山となって何段にも積み重なり、

 

その上を真っ黒い絨毯のように一面の蝿が覆っていました。

 

 

あまりの光景に吐いてしまったイマキュレーは、

 

その時短い会話を交わした兵士の目を見て、

 

彼も、この国も、自分自身もどうしようもなく傷ついていることを知ります。

 

そして、ルワンダを去らなければいけないと決心します。

 

 

他の人々が癒やされる手伝いをするためには、

 

まず自分自身を癒やさなければならないのです。

 

 


 

 

ツチの兵士達のもとを離れたイマキュレーは、

 

破壊された我が家を再び訪れ、土の中に埋められた母と兄のダマシーンを埋葬し、

 

刑務所を訪ねて母と兄を殺した男と対面します。

 

家族を殺した殺人犯を見たイマキュレーは目を疑いました。

 

それは、かつての知り合いで、背が高くハンサムで礼儀正しい紳士でした。

 

 

すっかりくたびれた年寄りの囚人になったその男は、

 

イマキュレーを見て驚き、後ずさり、泣き出しました。

 

 

イマキュレーは彼の手に軽く触れ、言いました。

 

 

「あなたを許します」

 

 

この言葉を言うために、彼女は刑務所を訪ねたのです。

 

 

 

 

 

その後、イマキュレーは、家族の中で唯一生き残っていた兄のエマーブルとの再会を果たし、

 

国連によってアメリカから来た理想の男性ブライアンと結婚してアメリカに移りました。

(理想の男性像を具体的にイメージして、会わせて下さいと神に祈り続けたのです)

 

 

 

いくつもの「奇跡」としか言いようのないような経験を重ね、

 

彼女は自分が生かされている意味のひとつである「国連で働く」ということをとうとう実現させ、

 

ニューヨークの国連本部で働きます。

 

 

そして、現在でも講演者、著述家として活躍を続け、

 

2007年には、“『生かされて』基金”(Left to Tell Charitable Fund)を設立し、ルワンダの孤児たちを支援し続け

 

同年、和解と平和のためのマハトマ・ガンディー国際賞を受賞しました。

 

ノートルダム大学とセント・ジョーンズ大学から名誉博士号も授与されました。

 

 

 

 

 

私は娘が3歳の時に、この本と出会いました。

 

育児で自分の時間がなかなか取れない時期でしたが

 

娘を寝かしつけたあと、夢中になって読みました。

 

 

1冊の本に、こんなにも衝撃を受けたのは初めてでした。

 

 

 

 

美しい。

 

 

 

目を覆いたくなるような残虐な場面が描かれているにもかかわらず

 

私はこの本をとても美しいと思います。

 

 

それは、イマキュレーの心の美しさと、純粋に神を信じ祈る心。

 

自分の使命を生きる人間の強さと信念。

 

 

数々の残酷なシーンを凌駕して、これらは私の胸に訴えてきます。

 

 

 

 

 

この本を読むまで、私はルワンダの内戦について、ほとんど知識がありませんでした。

 

ナチスの大虐殺より、太平洋戦争よりずっと最近の話。

 

私は既に生まれていて、もう大人であった時のことなのに…。

 

ニュースで見た記憶も、会話にのぼった記憶もありません。

 

 

この本の中でも、イマキュレーはこう書いています。

 

「他の国々、とりわけいわゆる西の進んだ文明国が、どうして私達に背を向けていたのかわかりません。彼らは私たちが皆殺しにあっているのを知っていたのです。それでいながら、何もしなかったのです。」

 

 

 

そして、すごく恐ろしいのは、同じ国、同じ街に住む隣人が、ある日突然殺人者になってしまうということ。

 

国と国との戦争でもないのに、個人的な恨みがあるわけでもないのに、昨日まで一緒にご飯を食べていた友人が、いきなり自分達を虫けらのように扱い良心の呵責もなく殺す、という信じがたい事実。

 

 

人は生まれた時から残忍な性格なわけではありません。

 

洗脳と集団心理が負の方向に動くことによって、虐殺や戦争は起こるのだと思います。

 

「知らない」ということ、「無関心でいる」ということ、「すぐに誰かの言葉に流される」ということは、ときにこんな恐ろしい結果に繋がるのだと知りました。

 


 

けれど、この本が一番伝えたいメッセージはきっと

 

「許すことの大切さ」

 

だと思います。

 

 

同時に

 

「祈ることの意味」。

 

 

 

自分の大切な家族を、とても人間のすることとは思えないやり方で殺されたとしたら

 

私は絶対、殺した相手を許せないと思います。

 

 

許すことは本当に難しいと思う。

 

 

けれどイマキュレーは、言っています。

 

家族を殺した相手に「許します」と言った途端に、自分の心が和んだと。

 

 

なぜ彼女がこんな聖母のような行動を取れたかというと、夢の中に出てきた、殺された兄のダマシーンがこう言ったそうです。

 

「僕の大事な妹。さあ、君の心を癒やすんだ。君は、僕たちの人生を変えてしまった人々を愛し、許さなければならない。」

 

 

確かに、人を憎み続けるのは、憎む方も辛くしんどい。

 

誰かを憎む、という行為は、自分自身を無自覚に傷つける行為だと思います。

 

 

 

そして、祈るということ。

 

まるで次々と起こる奇跡のような実話は、彼女からしたら「神の御心に従っただけです」というところかもしれません。

 

「信じる者は救われる」って、本当にそうなんですね。

 

 


 

 

イマキュレー以外にも、たくさんの素敵な人が登場します。

 

 

 

まずは、違う部族でありなが、イマキュレー達を3ケ月の間かくまってくれた牧師。

 

素晴らしい善行です。

 

が、この本を読んで受けた印象は、ちょっと、引っ込みがつかなくなったのかな?と思うところも正直ありました。

 

でも、間違いなく命の恩人です。

 

 

 

イマキュレーのご両親。

 

子供達に惜しみない愛情を注いでいたのと同じくらい

 

すべての人達に愛情を注いでいました。

 

父親は週末をボランティア活動に費やし、貧しい子供達のために奨学金制度を作りました。

 

母親は、毎月貯めたお金で生地を買い、

 

村の貧しい人の花嫁衣装だけでなく、他の女性達の着るものまで徹夜で縫い上げていました。

 

父親は、避難所で食べる物に困っている人達に食料を送って欲しい、と役所に掛け合いに行き、かつての友人でもあった役人に殺されたのです。

 

 

二人は殺されてしまったけれど、かつて二人に助けてもらったことがある、というたくさんの人達が生き延びたイマキュレーに救いの手を差し伸べてくれました。

 

特に印象的だったのは、フランス軍のキャンプで一緒になった車椅子の女性、アイローズです。

 

9歳で小児麻痺にかかったというアイローズは、障害に負けず努力して優秀な成績を修め、

 

人々から「もしも障害者じゃなかったら首相になっていただろう」と言われる有名人でした。

 

誰にでも良い仕事を紹介し、彼女の周りはいつも花が咲いたように笑い声で溢れていました。

 

彼女がキャンプに到着した日、そこにいた人達は長いこと聞いたことのなかった笑い声がとどろき渡るのを耳にしました。

 

誰もが絶望と不安で俯いている中、アイローズは生きているのが嬉しくて笑っていたのです。

 

 

そのアイローズが、初対面のイマキュレーに会った途端、突然泣き出しました。

 

「ああ、神様!お母さんにそっくりだわ!」

 

生前イマキュレーの両親にお世話になったアイローズは、実際その後イマキュレーに対して家族のように力を貸してくれました。

 

 

 

そして、兄のダマシーン。

 

「頭の中を見たい。」と、頭蓋骨を割られて殺されたダマシーンの最後の姿を見ていた人がいました。

 

彼は裸にされ、殺人者達に「イマキュレーの居場所を教えろ。」と拷問を受けました。

 

口を割らないダマシーンに、殺人者達は彼を散々打ちのめし、あざ笑いました。

 

ダマシーンはよろけながら立ち上がり、彼らに向かって微笑んだのです。

 

命乞いを期待していた殺人者達は混乱しました。

 

「やってくれ!」

 

彼は言いました。

 

「今日が、僕が神様のところに行く日なんだ。僕は君たちが気の毒だ。君たちは神の怒りに触れて、代償を支払わなければならないだろう。だけど、僕は君たちのために祈る(中略)。」

 

裸にされ、なぶられ続けても、ダマシーンは最後まで誇りを持ち続けました。

 

 

のにち、彼をきちんと埋葬し直すために、イマキュレーが彼の亡骸を掘り起こしたとき、

 

出てきたのはあばら骨だけでした。

 

殺人者達は彼の手も頭も切り刻んだのです。

 

 

後になって、イマキュレーは、彼を殺した男の一人が気がおかしくなったと聞きました。

 

子供の頃、ダマシーンと一緒にサッカーをしたり、聖歌隊で歌を歌った仲間だったそうです。

 

その男はダマシーンが他の少年達にどんなに親切だったかを誰彼かまわずに泣きながら話し続けていたそうです。

 

 

 

 

 

この本は私に、数え切れないほどたくさんのことを、

 

人間のあり方として本質的に大切なものは何かと言うことを教えてくれました。

 

 

 

本文の最後の文章の中に、こんな言葉がありました。

 

『一人一人の心に宿る愛こそが、世界を変えられるのだと思います。』

 

 

 

 

 

もう15年以上前に読んで、深く心に焼き付いて離れないこの本をもう一度読みたくなって買いました。

 

 

そしたら、イマキュレー・イリバギザが、その後も本を出していることを知りました。

 

 

 

『ゆるしへの道』

イマキュレー・イリバギザ

スティーヴ・アーウィン

原田葉子(訳)

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この本について、細かくご紹介しているととてつもなく長くなってしまうのでやめますが、

 

あらためて、許すことの難しさと大切さを知りました。

 

 

結婚して家庭を持ち、自分の使命を果たしているように見えるイマキュレーは、その後もしばらく苦しみました。

 

 

ルワンダの大虐殺は、その後もしばしば起こりました。

 

ツチ族によるフツ族への復讐も、国外に逃げていて帰国したツチ族と、国内に留まっていたツチ族との間の争いもありました。

 

 

「こんにちは。」を別にすれば、当時ルワンダでもっとも一般的な挨拶は、

 

「どうして生きているの?」または「どうやって生き延びたの?」という言葉だったそうです。

 

 

家族を失い、心に深い傷を負った人達。

 

望まない妊娠によって生まれた子供達。

 

憎しみの連鎖…。

 

 

 

延々と続く負の連鎖を断ち切ることの出来る唯一の武器は

 

「許すこと」なのですね。

 

 

大虐殺が残した傷跡は深いです。

 

 

 

 

この本の中でも、イマキュレーは祈り続け、微笑み続けました。

 

そしてやはり、神に背中を押されるように、次々と奇跡のようなことが彼女の身に起こります。

 

けれどもうそれは、奇跡なんかではなく、なるべくしてこうなったとしか思えません。

 

彼女の「あり方」が、すべてを引き寄せているのだと思います。

 

 

世界には本当にこんな人がいるんですね。

 

ああ、私なんて、本当にまだまだまだまだです。

 

 

 

 

15年前に出会った『生かされて。』

 

あのときの衝撃が、ずっとどこかで指針になってくれていたような気がします。

 

大切な人に読んで欲しいと思い、当時母に勧め、母も大きな感銘を受けました。

 

 

いつかブログでも紹介したいと思いつつ、なかなか手を付けることが出来ませんでした。

 

あまりにもテーマが大きくて。あまりにも描写が辛すぎて。

 

 

もう一度あの本を読みたい、と思って取り寄せたのが昨年9月。

 

この記事を書き始めたのは今年の1月です。

 

 

5月の今日、やっと書くことが出来ました。

 

 

 

最後までお付き合い下さって、ありがとうございました。

 

 

 

ベッド・・ミドラー 「Fron A Distance」

 

20代の頃、ベッド・ミドラーのアルバムを買ってこの曲を知り、

歌詞に感動して、辞書を引きながら一生懸命訳しました。

毎晩歌っていた思い出深い歌です。

 

 

From a distance the world looks blue and green,
And the snow capped mountains white.
From a distance the ocean meets the stream,
And the eagle takes to flight.

From a distance, there is harmony,
And it echoes through the land.
It's the voice of hope, it's the voice of peace,
It's the voice of every man.

From a distance we all have enough,
And no one is in need.
And there are no guns, no bombs, and no disease,
No hungry mouths to feed.

From a distance we are instruments
Marching in a common band.
Playing songs of hope, playing songs of peace.
They're the songs of every man.
God is watching us. God is watching us.
God is watching us from a distance.

From a distance you look like my friend,
Even though we are at war.
From a distance I just cannot comprehend
What all this fighting is for.

From a distance there is harmony,
And it echoes through the land.
And it's the hope of hopes, it's the love of loves,
It's the heart of every man.

It's the hope of hopes, it's the love of loves.
This is the song of every man.
And God is watching us, God is watching us,
God is watching us from a distance.
Oh, God is watching us, God is watching.
God is watching us from a distance.

 

 

遠くから見れば この世界は青と緑色
雪に覆われた山は白く
遠くから見れば 海と川は出会い
鷲は飛び立とうとしている

 

遠くから耳を傾ければ ハーモニーが聴こえ
それは世界中に響き渡る
それは希望の声 それは平和の声
それはすべての人々の声

 

遠くから見れば 私たちは満ち足りていて
足りない人などいない
そこには銃もなく 爆弾も病気もなく
飢える人いもない

 

遠くから耳を傾ければ 私たちは楽器
一つの楽団で行進している
希望の歌を奏でながら

平和の歌を奏でながら
それはすべての人々の歌

 

神は私たちを見守っている
はるか遠くから

 

遠くから見れば あなたは友達に見える
私達は争いの中にいるのに
私にはどうしても理解できない
この戦争が何のためなのか

 

遠くから耳を傾ければ ハーモニーが聴こえ
それは世界中に響き渡る

それは希望の声 それは平和の声
それはすべての人々の心

 

それは希望への望み

それは愛しいものへの愛
この歌はすべての人々のために

 

神は私たちを見守っている

神は私たちを見守っている
はるか遠くから

 

 

 

 

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