日本人対決 | うまとらたけのページだよん

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日々感じていることを書いています。野球シーズンだと阪神タイガースと高校野球の話題が多くなります。

昨年の大晦日に亡くなり、訃報が松の内に伝えられたストロング小林さん。
アントニオ猪木と最初に対戦した試合が一番の名勝負となっている。
48年前の本日3月19日に対戦し、これまでは大物日本人対決がタブーとされてたところ、殺気だった熱戦となり、これを契機に新日本、全日本とも、春のシングルリーグ戦では団体内にいる日本人同士の対戦が実現。猪木対坂口、馬場対鶴田は、優勝争いのターニングポイントとなる試合となった。

その後は、日本プロレスに最後までいた選手が日本人対決の中心となり、大木金太郎、上田馬之助は悪役の立場で、怨念を晴らすべく、馬場、猪木らと対戦。キム・ドクは、鶴田のライバルとして活躍した。
小林、キム・ドクとも団体に所属してからは、パっとしなくなった。

80年代に入ると、倒産した国際からラッシャー木村が新日本に登場し、猪木と対戦。これが当たって、長州が藤浪、天龍が鶴田のライバルとしてシングル対決を繰り返し。平成に入ると、すっかり日本人対決が主流となって、今に至ります。

48年前の試合。自分もテレビで見て、90分1本勝負という特殊な試合に興奮したことを覚えています。
小林は、木村が新日本に登場した時にセコンドについていた時もありましたが、タッグを組んでの試合はありませんでした。
もし、タッグを組んでいたら現役最後の花舞台でした。
ストロング小林さんのご冥福をお祈りいたします。