マリーンズ | うまとらたけのページだよん

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日々感じていることを書いています。野球シーズンだと阪神タイガースと高校野球の話題が多くなります。

今月のベースボールマガジンは、千葉ロッテマリーンズ初期の時代の特集。
ボビー旋風という副題がついている。

1992年に千葉マリンスタジアムができていたところに川崎から移転。愛称をオリオンズからマリーンズに改称、地域に根ざすことを意識してロッテの前に千葉を付けた。
川崎球場の頃は、観客動員が悪く、テレビの珍プレー好プレー番組で流しそうめんをしたり、カップルがキスをすることを取り上げ、自虐的に「テレビじゃ見れない川崎劇場」と謳ったりしていた。
千葉に移ってからは、他球団とは一線を画す、ヒッティングマーチよりも声を張り上げる応援を展開するようになり、熱狂的なファンが増えた。

ボビー旋風とあるようにボビー・バレンタインが率いた時は好調。日本人が監督の時は連敗記録を作る等総じて悪い成績だった。
ボビー・バレンタインが率いた時期が2度あり、最初は1995年。
西武の黄金時代を築いた広岡達朗氏がGMとして君臨し、二頭体制。この年は2位になったが広岡氏が口出しし過ぎて、バレンタインが辞任。チームは再び低迷し、再任の機運が高まり、2004年に再任した。

再任して2年目の2005年がバレンタイン監督のハイライト。
この年に始まった交流戦を優勝。リーグは2位だったが、プレーオフを制し優勝。日本シリーズは4連勝で日本一。
阪神ファンの自分には思い出したくない屈辱。勝てなかったことに加え、得点もロッテ33点、阪神4点と無惨な結果だった。
この結果を受けて、セでもリーグ終了後のポストシーズンゲームが始まり、リーグ1位は優勝で、このポストシーズンゲームをクライマックスシリーズと名付け、両リーグ共に実施するきっかけとなった。

交流戦で勝ち越すと、この日本シリーズの屈辱の溜飲が少し下がる。
今は、鳥谷が選手で今岡がヘッドコーチでいるから必要以上に嫌うことはない。
彼らがロッテでの経験を阪神で還元する時が必ずあるだろう。

ロッテは不思議なチームで、日本シリーズに出た時は、リーグ1位でなく、金田正一監督で日本一の1974年は、前期後期制で年間成績として見ていなかった。
純粋にリーグ1位で日本シリーズに出たのは1970年まで遡る。

リーグ優勝、クライマックスシリーズも制し、下剋上でない状況での日本シリーズ進出を見たいものです。