はじめに
どうも、鶴です。
題名の通りこのブログは夏川椎菜さんの最新曲であるパレイドについての考察ブログです
しかし、私の中で新たに発見したことがあったり考えが変わったりした場合は随時更新する可能性があるので、そのことだけ頭の片隅にでも置いておいて頂ければ幸いです。
歌い方の変遷
結構な方がもう言っていますが、明らかにパレイドは歌い方が変わっています。
まずはその変遷から振り返ろうと思います。
この曲が初披露されたのは2018年3月31日(土)に千葉県文化会館で行われた「LAWSON presents TrySail Second Live Tour “The Travels of TrySail” calling at Chiba」です。
その時のパレイドは、言うなればとにかく感情的で、歌詞も全然聴き取れず、歌うというよりは叫ぶという表現が適切でした。
でもその一方的にぶつけてくる彼女の歌声と、部分的に聴き取れる歌詞を彼女と照らし合わせたら、知らず識らずのうちに涙が出ていました。この時が僕の思う今現在の中で最高のパレイド…
でもその歌い方は少しずつ変化していきます
北海道公演→417の日→名古屋公演2日目と経てきたあたりで僕はやっとその歌い方の変化に気づくことができました。
キッカケは歌詞の聴き取りやすさです。
北海道公演では、千葉公演ほどではなくとも、まだまだ感情的だと感じた公演でしたが417の日は歌詞が聴き取りやすかったんです。
でもそれはたまたまだと思っていて、それよりも感情的だなって印象の方が大きかったっていうのが当時の感想。
しかし、名古屋公演2日目で明らかに歌詞が聴き取りやすくなっていて1人でも多くの人に伝えようとする歌い方にシフトしていっていると思うようになりました。
もちろん歌詞が聴き取りやすくなったから前述した感想に行き着いたわけではありません
当時のブログで僕は、夏川さんはパレイドを「聴かせたい音楽」「歌いたい詩」にしようという気持ちが増しているといったようなことを書きました。
この「聴かせたい音楽」「歌いたい詩」という言葉は、夏川さんが自身のブログ(https://ameblo.jp/natsukawashiinablog/entry-12366298641.html)で書いていたものですが、ふとこの言葉を思い出したうえで名古屋公演2日目のパレイドの予約特典で貰えるポストカードに目を通してみると「誰しもがもってる不安や劣等感を叫ぶようにつたえる歌です。」と書いてあって、また自身の別の日のブログ(https://ameblo.jp/natsukawashiinablog/entry-12364778555.html)でも「誰しもが持ってる感情の歌だと思う」と書いていて、そこから彼女は、この曲を決して100%自分の歌だとは捉えず、少し客観的に捉えているんだなと思うようになりました。
これが名古屋公演2日目で僕が1人でも多くの人に伝えようとする歌い方にシフトしていっていると感じた理由です。
そして迎えた新潟公演。
終わった当初はどう評価すれば良いのか分からないという状態でしたが、前述した感想を前提に当時の歌い方を振り返ってみると、思いのほかすぐに自分の中で納得ができて、出た結論はこれが夏川さんの理想とする歌い方「聴かせたい音楽」「歌いたい詩」だというものでした。
そう、言うなれば新潟公演でパレイドはある種の終着点…完成形だったのです!!!
この言い方が適切なのかは分からないですが、もしかしたら雨宮天さんという、身近にあの歌をしっかりと伝えようと思える相手がいたからこそ完成できたのかもしれないですね
これが僕の中でもう一つの最高のパレイド…
とはいえ、新潟公演でパレイドが完成してしまったために、幕張2日目に果たしてパレイドは披露されるのか?と疑問に思うようにもなりました。
正直なところ、別にこの公演でパレイドは聴けなくても良いな、むしろナイモノバカリが聴きたいななんて思っていました。
前述した通り、パレイドは新潟公演で完成していたと思っていたからです。
でもパレイドは歌われました。
しかも新潟公演と比べ感情的で…
ライブが終わったあと、僕は連番者の友人に「今回のパレイドをどう捉えればいいのか分からない…」と言っていました。
120%にするために
あれから数日が経ち、自分の中でも少し落ち着いて(落ち着いていない)考えてみたのですが、どうもしっくりと来るものがありませんでした。そこで見方を歌い方という聴覚的な見方から立ち姿という視覚的な見方に変えてみることにしたのです。
実は新潟公演の頃から気になっていたことがありまして、その部分は落ちサビ?っていうのかな??夏川さんが1番腰を曲げて歌う部分なのですが、その時はホントに僕も自信が無く完全にスルーしていまして、幕張公演2日目の時にようやくその時の光景が間違いではなかったと思えるようになったんですよ。
で、肝心の夏川さんが1番腰を曲げて歌う部分に何があったのかと言いますと、簡単に言えば、新潟公演から少しずつ腰が伸びているんです。
なんだ老人か?とツッコまれそうな気もしますが、新潟公演から幕張公演2日目にかけて、だんだん直立に戻りつつあるということをここでは伝えたいです。
僕個人の1番の泣きポイントであり、最も感情的になってしまいそうなあの部分で、なぜ彼女は腰を曲げようとせず直立になろうとしているのか?
それが僕が次に気になったポイントでした。
そこでさらにまた数日を費やしたのですが、最近になってようやく自分の中で納得のいく答えを出すことができました。
思ったのは、夏川さんはパレイドのあの歌詞を胸張って歌えるようになろうとしているのではないか?ということです。
ああうまく笑えてたら
今のボクはこんなじゃない
だから身の丈に合わない綺麗事を繰り返してる
正確な歌詞は不明ですが、僕が聴き取れたそのフレーズの歌詞を文字に起こしてみました
1番のサビもこれとほぼ同じ歌詞ですが、似たような歌詞を二度も出してくるあたり、この歌詞こそがパレイドの中で1番重要な部分になってくるのかなと思います。
そしてこの歌詞を胸張って歌えるようになることで、完全にその歌詞を受け入れ自分のものにしたという自信へと繋がり、真の意味で我々に「聴かせたい音楽」「歌いたい詩」として伝えることができるのかなと思いました
そのように伝えることができるようになったとき、次に続く
ああ誰かのためになら歩けるからその先へと
今は自分しか救えない綺麗な歌 口ずさみながら
という歌詞を、より自信を持って歌いきることができるようになると思いました。
今まであの部分は、腰を深く曲げて我々に顔を向けず、下を向きながら歌っていました。
その体勢から、まだ完全にその歌詞を受け入れているわけではなく、受け入れていないということは、次に繋げようと思っても、その歌詞を自分の中で受け入れていないため、また身の丈に合わない綺麗事を口ずさむことになってしまう…だから彼女はあの部分で腰を曲げようとせず直立になろうとしているのではないでしょうか?
それを踏まえての幕張公演2日目。
その部分を歌う時、とても苦しそうでした…
必死に直立しようとしても、その歌詞をまだ受け入れることができない自分がいて、だからついつい感情的になってしまって、そんな自分に必死に抗っている夏川椎菜さんの姿が見えた気がしました。
おわりに
ここまで長々と回りくどく書いてきましたが、これはあくまで僕個人の考察ですので、まあいないとは思いますが、間違っても影響されないでほしいです!
僕も皆さんのパレイドの考察見たいので!!
正直この曲にもまだまだ考えないといけないことってたくさんあって、幕張公演2日目のBDが出たら、ここまで考察してきたことの検証をしないといけないし、正式にCDが出たらCD音源との比較やMVから考えた考察、歌詞から考えた考察も必要になってきます。
どうせ雑誌にも特集組まれると思うので、そこらへんの資料収集も必要になってきますよね!
あとはパレイドとナイモノバカリとの関係性について!「LAWSON presents TrySail Second Live Tour “The Travels of TrySail”」では、茨城公演を境に、パレイドを歌うようになってナイモノバカリが歌われなくなりました。セットリストをほとんど自分たちで決めたというくらいなので、絶対にこれには意味があると思うんです。
そことの関係性についても後々考えていきたいなと思いました。
これで本当に最後です!
夏川さんはブログでも会場限定のポートレートでもとにかく
「はやくみなさんの心へ届きますように!!」(417の日会場限定ポートレート)
「早くたくさんの人にきいてほしい」(福岡公演限定ポートレート)
「たくさんの人にきいてほしいナ!」(新潟公演限定ポートレート)
「早くみんなに聴いてほしい!!」(幕張公演2日目限定ポートレート)