11/23(金)の勤労感謝の日は、山形にある天台宗の寺院「宝珠山立石寺」まで足をのばしました。
「宝珠山」にある「立石寺」(りっしゃくじ)は通称「山寺」と呼ばれ、
最近テレビやブログでもよく見かける雰囲気のいいところなので一度行ってみたいと思っていたんですよねぇ。
最近テレビやブログでもよく見かける雰囲気のいいところなので一度行ってみたいと思っていたんですよねぇ。

お隣の県なのにこんなに遠かったっけか? 新潟市から4時間かけて到着したのは14時半。
とりあえずは遅めの昼食をとりました。
入ったお店は参道の入り口から歩いてすぐのお蕎麦屋さん「美登屋」(みとや)。
山形はお蕎麦も有名ですし、なんたって今は新蕎麦が食べられる時季ですもんねぇ♪
山形はお蕎麦も有名ですし、なんたって今は新蕎麦が食べられる時季ですもんねぇ♪

そしてこのお店にはさらに山形名物が味わえる「だしそば」(1,100円)というのがあるんです。
この「だし」というのが山形の郷土料理で、様々な野菜を細かく刻んで醤油などであえたもので、
本来はごはんや豆腐にかけて食べるそうですが、今回はお蕎麦の上にのっちゃっています。
「お蕎麦」と「だし」で山形名物を一度に味わえるなんてお得ですね♪
本来はごはんや豆腐にかけて食べるそうですが、今回はお蕎麦の上にのっちゃっています。

各家庭でも刻まれている野菜は違ってきたりするのですが、このお店の「だし」は
胡瓜、茄子、茗荷子、生姜、白胡麻、大葉、黄菊、オクラ、そばの実、納豆昆布が入っていました。
新蕎麦の香りに、このネバネバシャキシャキの食感が最高♪
実はこの「だし」自体、夏野菜を使っている事から、
暑い山形の夏の食欲増進のための季節限定名物だったりするので
このお店でも前情報では夏季限定で、すでに販売を終了しているはずだったんですよ。
暑い山形の夏の食欲増進のための季節限定名物だったりするので
このお店でも前情報では夏季限定で、すでに販売を終了しているはずだったんですよ。
なのに、ラッキー♪ 行ってみたら11月まで期間延長で山形の郷土料理を味わえました。
ごちそうさまでしたぁ~♪
手打そば・つきたての餅「美登屋」(みとや) 山形県山形市山寺4494-5 電話:023-695-2506 営業: 10時~16時(12月~3月は土・日・祝日のみ営業)
さて、お腹も膨れたしさっそく「山寺」へGO!・・・と、実はこのテンションはカラ元気。
残念ながらこの日のお天気は雨が降ったりやんだり、しかもボクは病み上がり。
「山寺」こと「立石寺」の創建は860年に清和天皇の勅命で「慈覚大師」が開山したとされていて、
「宝珠山」の山壁には数々の寺院やお堂が建ち並んでいます。
「宝珠山」の山壁には数々の寺院やお堂が建ち並んでいます。
それらを見てまわるには「山門」から頂上の「如法堂」まで
1015段もある急な階段をのぼって行かねばなりません。
1015段もある急な階段をのぼって行かねばなりません。
さらに体重10kg超の息子を抱っこしてですよ・・・正直言ってボクの体力で大丈夫なのか不安でした。

まず最初の階段をのぼると正面に迎えてくれるのは、本堂となる「根本中堂」。
ブナ材の建築物では日本最古といわれ国指定重要文化財なんだそうです。
入り口でお線香に火をともし、自分の身体のよくない部分をに触れることで良くなるという
「招福布袋尊」の木像の身体をナデナデしました。
「招福布袋尊」の木像の身体をナデナデしました。
またここには、本山である「比叡山延暦寺」から移した『不滅の法灯』というのがあって、
その炎は約1200年間一度も消えることなく照らし続けているんだそうですよ。
その炎は約1200年間一度も消えることなく照らし続けているんだそうですよ。

「根本中堂」から左に進んで行くと「松尾芭蕉」と「奥の細道」における
奥州、北陸の旅に同行した弟子の「河合曾良」の像がありました。
1689年、今の7/13に松尾芭蕉ご一行は「山寺」の参詣を強く勧められたため、
当初の予定を変更してここを訪れ、あの有名な俳句を詠ったという訳。
当初の予定を変更してここを訪れ、あの有名な俳句を詠ったという訳。
そして700年に建てられた立派な「山門」が見えてきました。

「立石寺」は創建以来度々火難にあいましたが、「根本中堂」とこの「山門」だけは
焼けずに当時のままなんだそうですよ。
ここから先は拝観料(大人300円)が必要となります。
「山門」からちょっと登ったところには「姥堂」があり、
中には三途川のいるといわれている「奪衣婆」の石像がいますよ。
中には三途川のいるといわれている「奪衣婆」の石像がいますよ。
ここから下は地獄で、上は極楽を指しているんだそうで、
どうやら横にある岩清水で心身を清めて新しい衣に着替え、古い衣は「奪衣婆」に奉納してたようです。
どうやら横にある岩清水で心身を清めて新しい衣に着替え、古い衣は「奪衣婆」に奉納してたようです。

もともと山の形にそってつくられた修行者の参道なので、階段はあんまり広くなく
下山してる人とすれ違うのも大変なところもあります。
一番狭いところは約14cmしか無いのですが、それを「四寸道」と呼び、
それほど狭いのでここを登る人はもれなくここを踏む。
1000年以上の時を刻んでいるこの階段は、先祖も子孫も同じところを通る事から
「親子道」とも「子孫道」とも呼ばれています。
それほど狭いのでここを登る人はもれなくここを踏む。
1000年以上の時を刻んでいるこの階段は、先祖も子孫も同じところを通る事から
「親子道」とも「子孫道」とも呼ばれています。
「慈覚大師」や「松尾芭蕉」もここを踏んだと思うと、なんだか時のロマンを感じますねぇ。
そんな狭い階段でタイミングをみながら下りてくる人とすれ違い、
早く登って来る人には先に行ってもらいましたが、
息子を抱っこしながら登っているボクの姿を見てみんな
『大変だぁ、お父さんガンバレ!』と声をかけてくれましたよ。
早く登って来る人には先に行ってもらいましたが、
息子を抱っこしながら登っているボクの姿を見てみんな
『大変だぁ、お父さんガンバレ!』と声をかけてくれましたよ。

いやぁ、体力の心配をしましたが、それよりも寒いと思って厚着してきたのがアダとなりましたよ。
体中がビッショリになっているのは、木々から落ちる雨水ではなく、中からの汗です。
どうやら新陳代謝のいいボクの身体からは湯気が立ち上っているみたい。
どうやら新陳代謝のいいボクの身体からは湯気が立ち上っているみたい。
そりゃあ、そんな姿をみたら思わず声をかけたくなちゃいますよねぇ・・・
でもいちいち落葉や石に反応する息子自身に登らすと何時間かかるかわからないし、
パパはガンバリますよぉ!
パパはガンバリますよぉ!
階段を一段一段登るごとに欲望や汚れが浄化され、清い人間になっていくという意味もあるらしいですしね。

『閑さや岩にしみ入る蝉の声』
さらに登っていくと「せみ塚」があります。
そうなんです、あの有名な「松尾芭蕉」の句はここ「山寺」から生まれました。
この句をしたためた短冊を埋めて、石の塚をたてたのがこの「せみ塚」。
でもなぜかここの石碑に刻まれているのは「閑さや」ではなく「静さや」になっているんですよ。
この句をしたためた短冊を埋めて、石の塚をたてたのがこの「せみ塚」。
でもなぜかここの石碑に刻まれているのは「閑さや」ではなく「静さや」になっているんですよ。
それにしても蝉の鳴く真夏の「山寺」はもっと汗ダクになったでしょうね。

その上に登ると直立した巨岩に何やらお教みたいなのが彫ってある「弥陀洞」があります。
これは長い歳月に渡り自然によって風化した岩に「阿弥陀如来」の姿を彷彿させたらしく、
さらに人の手を加えて彫ったそうです。
さらに人の手を加えて彫ったそうです。
ここに「阿弥陀如来」の姿を思い浮かべられた者には幸福が訪れると書いてありましたが、
ボクにはまったく見えませんでしたよ。
ボクにはまったく見えませんでしたよ。
まだまだ修行が足りないのかもしれませんね。

そこから上を見ると、真っ赤な紅葉に彩られた巨大なケヤキづくりの「仁王門」が構えられています。
その名の通り左右には「仁王像」がいて『邪心を持つ者はこれ以上登ってはならない』と
睨みをきかせているんだそうですよ。
睨みをきかせているんだそうですよ。
もしかしたらここから先に行けない人も多いんじゃないでしょうかねぇ?
そんな重々しい謂れとは逆に、まさにここは期待していた絵になる風光明媚な秋の風景。
多くの人がここで写真を撮り合いしていました。
多くの人がここで写真を撮り合いしていました。

さらに先には多くの建造物が並んでいる、まるで天空の村が!
ここは江戸時代頃までは17もの院数があり、多くの僧が修行に励んでいたそうですが、
今では「性相院」「金乗院」「中性院」「華蔵院」の4つだけになってしまったそうです。
今では「性相院」「金乗院」「中性院」「華蔵院」の4つだけになってしまったそうです。
この先、真っ直ぐ行くと「奥之院」、左に行くと「五大堂」との分かれ道。

ボクらは左に進み、百丈岩の絶壁の頂に建つ山内ではもっとも古い建物の「納経堂」、
1000年以上にわたって香煙をゆらし続ける「常香」のある「開山堂」を経由。
そして、細い階段を登るとその上にあるのはこの「山寺」随一の展望台「五大堂」に到着です!
「五大堂」は慈覚大師が五大明王を安置して、天下泰平を祈る道場として使用していたそうです。

ここまで約30分・・・重かったし暑かったぁ~ でも眺めは最高♪
お天気は悪かったですが、ぼんやりと霞んだ秋のオレンジ色の景色が
まるで印象派の絵画の様に広がっていて、これもまた雨ならではの趣のある色彩でした。
まるで印象派の絵画の様に広がっていて、これもまた雨ならではの趣のある色彩でした。
しばらくその景色に酔い、疲れた身体を休め、解放された息子もよろこんでいましたが、
さすがに動いていないと身体が冷えてきちゃいました。
さすがに動いていないと身体が冷えてきちゃいました。

で、次は分岐点まで戻って「奥之院」に行くと言いたいところですが、
雨も降っていたし、病み上がりだし、今回のボクらの目的は「五大堂」までにしていました。
まあこれから先は、晴れた日で息子が自分で登れるようになったらのお楽しみって事で。
今度くる時はボクが息子に背負われていたりして・・・
今度くる時はボクが息子に背負われていたりして・・・
下りはなるべく息子の足でおりることにしましたが、結局ボクと相方とで息子の両腕を持ち、
『いっせ~の、ポ~ン!』という掛け声でブランコの様に何段も飛ばして下りるハメになりました。
『いっせ~の、ポ~ン!』という掛け声でブランコの様に何段も飛ばして下りるハメになりました。
狭い階段だから登ってくる人とすれ違う時は止まって待っていますが、
そのたびに『お!ボクここまで来たなんてエラいねぇ』なんてすれ違う人にホメられていましたよ。
そのたびに『お!ボクここまで来たなんてエラいねぇ』なんてすれ違う人にホメられていましたよ。
まったく、勤労感謝の日に働いているのはパパなのにね。

そう言えば昔、1950年から「五大堂」の西側から入り口の「山門」の上あたりまで
一気に滑り降りれる、全長約300m、高低差約150mの「滑り台」が設置されていたそうなんですよ。
そんなのがあったら息子も大よろこびしたかもなぁ。
でも、角度約30°だったために加速がものすごく、お尻を火傷したり転落したり等の
事故があいついだために1970年代の初めに廃止されたんだそうですけどね。
事故があいついだために1970年代の初めに廃止されたんだそうですけどね。
結局、息子の気まぐれに付き合いながらの下山で行きよりも時間がかかり
「山門」まで下りてきた時には真っ暗でしたよ。
「山門」まで下りてきた時には真っ暗でしたよ。

もう下のお店も閉まり始めていましたが「山寺参拝記念」としてお守りとバッジをゲット!
そして山形名物の「玉こんにゃく」をいただいちゃいましたぁ♪
それにしても驚きだったのが、この暗くなった時間からこの悪天候の中、
懐中電灯を持った団体客などが次から次へと「山門」をくぐって登って行くのです。
懐中電灯を持った団体客などが次から次へと「山門」をくぐって登って行くのです。
さすがこの紅葉がキレイな人気の観光地。
本来なら連休でもっと混雑していたのかもしれませんが、お天気はイマイチだったおかげで
静寂の中でしっとりとした秋の景色が見られて良かったかも。
本来なら連休でもっと混雑していたのかもしれませんが、お天気はイマイチだったおかげで
静寂の中でしっとりとした秋の景色が見られて良かったかも。
なんだか日本人に生まれて良かったぁ、と思った晩秋でした。

ちなみに「宝珠山立石寺」は来年の4/27~5/31には50年に一度の御開帳があるそうです。
その期間は「根本中堂」に安置されている、慈覚大師が自ら彫ったという
国の重要文化財の「本尊薬師如来坐像」の姿を見る事ができるようですよ。
国の重要文化財の「本尊薬師如来坐像」の姿を見る事ができるようですよ。