古代大都市「エフェス」 | 馬の会長日記

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「馬の会」の会長“のみ”の気まぐれ日記。
競馬はもちろん、前に住んでいた新潟のこと、
今住んでいる埼玉のこと、趣味の旅行に、
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その時思ったことを気ままに更新してま~す。

メルハバ~♪(こんにちは)

3/19(月)~24(土)、4泊6日の長期で行ってきた「トルコ」の出張記のつづきです。

今回仕事で3日間滞在したのはトルコの西にある「ベルガマ」という田舎町。
業務も無事に終わり、ついに最終日の朝を迎えました。

この日はひたすら日本に帰る日。
また業務よりキツ26時間の長い長い移動が待っています。

まずトルコ内での移動は「ベルガマ」から100㎞ほど陸路を南下して「イズミール」へ、
そこで国内線に乗り空路を300㎞ほど北上して「イスタンブール」から国際線に乗るという予定でした・・・。


しかし、せっかくトルコまで来たのにこのまま帰ってしまうのはもったいない!

前日にちょっとの自由時間を利用して「ベルガマ」の街を散策はしましたが、
他のところも出来れば観光したいですよねぇ。

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ってことで、予定を急遽変更してホテルの朝食も食べず、日の出と共に出発!

飛行機の時間を変更せずにどこかに行くチャンスは
「イズミール」で国内線に乗るお昼ぐらいまで時間しかありませんでした。

「イズミール」までの道のり、もしくはその周辺で有名な観光地は無いだろうか?

結局、ボクらが朝日に照らされる真っ青なエーゲ海を右手に見ながら最後に目指したのは、
空港のある「イズミール」をさらに通り越して1時間ほど南下した
「セルチェク」の町にある「エフェス遺跡」です。

もちろん業務じゃないので交通費も入場料もガイドも、予定にない行動はすべて自腹。

でも、お金では買えないものがありますもんね。

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「エフェス遺跡」は紀元前8世紀頃、豊穣と多産の神アルテミスを奉るために建てられた
「アルテミス神殿」を中心に発展し、さらにはエーゲ海に沿った港湾都市として繁栄してきた都市なんです。

ここは世界遺産には登録されていませんが、その「アルテミス神殿」は、「ギザの大ピラミッド」
「バビロンの空中庭園」「オリンピアのゼウス像」「ハリカルナッソスのマウソロス霊廟」「ロードス島の巨像」
「アレクサンドリアの大灯台」と並んで、『古代世界の七不思議』とされる神殿だったんだそうですよ。

そりゃ、見に行かなきゃでしょう!

って、実は残念なことにその姿は原形をとどめていないんです・・・

でも「アルテミス神殿」は残っていなくてもその都市は見応え充分でしたよ♪

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「ポーネグラフ」? これはなんて書いてあるんでしょう?

紀元前10世紀頃から古代ギリシャ人によって発展しはじめたこの都市はヘレニズム、コリント、イオニア
各時代のレリーフやギリシャ文字の移りかわりなども見られ、長い間発展したことがわかります。

ただしっかりと建築物の形をしたものの多くは、ローマ時代に建てられたものも多いんですけどね。

でも実はギリシャよりも保存状態が良いいと評判で、
遺跡が好きな方には見逃せない観光スポットとなっているんですよ。

ここは丘の上からと下からの2つの入り口があるそうなのですが、
ボクらは丘の上から下りのコースでスタートしました。

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この連続するアーチのある遺跡は「ヴァリウスの浴場」といって、
2世紀頃に造られたローマ風呂の跡なんです。

ローマ風呂と言えばお湯や水に浸かるお風呂ですから、
1800年以上も前からしっかりとした水道や下水が造られていたってオドロキですよねぇ!

その証拠であるレンガ造りの水道管がたくさんならんでいましたよ。

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またその右隣には「オデオン」という1,400人収容できる音楽堂がありましたよ。

トルコは比較的地震の多いところなので、これらの建築物は一部は山の岩肌を利用して建てられいて、
念のため耐震性を気にしているんだそうです。

実際大きな地震に襲われ崩壊した歴史もあるのですが、これも長年栄えてきた理由なんでしょうね。

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さらに坂道を下っていくと「ヘラクレスの門」というのがあり、
ここまでが外国から来航者も来ていい場所なんだそうです。

ボクらはどちらかというとこの都市の政治的な地区、奥からスタートしたらしく
ここから先が居住区や商店街という感じみたいですよ。

ここからは「クレテス通り」と呼ばれるこの遺跡の主要な道。
左右には様々な建築物や石像が建ち並びます。

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右には三角のファザードが美しい建築物「トラヤヌスの泉」があります。

ローマ皇帝「トラヤヌス」に捧げられた泉で、当初は高さ12mもあったそうなんですが、
修復時に縮小して再現されたらしいです。

ここは日当たりも良く、きっと多くの人が安らげる場所だったんでしょうね。

今ではたくさんのネコの憩いの場所になっている様です。

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左の丘の上には上流階級の民家跡がありました。
ここに入るにはまた別料金が必要らしいので行きませんでした。

また、宅街前にはモザイクの美しい道がありましたよ。
これは一般庶民と区別して上流階級しか歩けなかったといわれています。


さらに「クレテス通り」を下ると、ボクがここで一番見たかった風景が広がっていました。

それは、ここから見たアングルが20YTLお札の絵になっているんです♪

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中央には「セルスス図書館」が見え、右手には138年頃建った「ハドリアヌス神殿」があります。

4本のコリント様式の石柱と、女神ティケのレリーフが美しいアーチ、
そして奥の羽を広げたメドゥーサの彫刻は悪魔の侵入を守ってくれる意味があるんだそうですよ。

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そして、ここは「公衆トイレ跡」。

なんと!下に水が流れる水洗トイレなんですよ。
当時公衆トイレ社交の場でもあったので穴と穴の間に仕切りはなく、並んで用をたしたそうです・・・

って、それにしてもちょっと隣と近すぎませんかねぇ?

これじゃあ落ち着きませんよね。

主に外から病気を持ちこまないための、外国人専用でもあったみたいです。


そして、この遺跡一番のみどころはさっきから見えていた「セルスス図書館」です!

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立派なのはこの外観だけではなく、前日に行った「ベルガマ遺跡」の「アクロポリスの図書館」
世界最大のエジプトの「アレキサンドリア図書館」と並び、『世界三大図書館』と称されたんですよ。

全盛期は12000巻の書物があったそうです。


・・・この迫力のある建築物に心を奪われてしまい、この後この青空よりもブルーになる出来事が!?

っていうか、仕事じゃないので気が抜けていたのかもしれません。

いやしかし、長い歴史にさらされた大理石の階段は角もマルまって
足を滑らせやすいので気をつけたほうがいいですよ。


って、そうなんです! 

ボクはこの「セルスス図書館」の向かって左端の階段の上から足を滑らせて10段ぐらい落ちてしまったのですよ!

それを見ていたガイドさんは、慌ててとんできてボクのケガの心配をしてくれたのですが、
ボクはそれどころじゃありませんでした。

ボクが階段を滑り落ちている時に見ていたのは、右手に持っていたはずのビデオカメラが
宙を舞い、大理石の床にたたきつけられて転がっていく姿・・・

カランカランカラン・・・ヤバイ!!

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ガビ~~~ン!! やっぱり壊れてしまいました。

これって相方のカメラなのにぃ!?

不幸中の幸いでこれまで撮った映像も無事で、なんの問題も無く撮影できるので外傷だけだったし、
ボクにもケガはありませんでしたが、でもショック。

すぐに相方に謝罪のメールを入れましたよ。

まあ、でもそんな時の「海外保険」なので、今現在修理中ですが・・・


気を取り直してその先へ。

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「クレテス通り」と「マーブル通り」が交差する角、図書館の向かい側には2階建ての「娼館」がありました。

当時の男の人は図書館の目の前に「娼館」があるのは都合がよく、
図書館に行ってくるフリをして、この「娼館」に通ったそうですよ。

なんだか笑えますね。

ちなみに、建物の2階には若い女性が中心で、1階より2階の方の料金の方が高かったそうな・・・


ここから「マーブル通り」を進んで行くと、街の入り口方面に向かいます。

そこにあったのは敷石に刻まれた「世界最古の広告」。

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これは「娼館」の案内だそうで、女性の顔、ハートマーク、その下には四角い図形、左足が描いてあって、
「心をこめて女の子が待ってます。お金を持っておいで」という意味だとか、
「この足より小さい人は利用できません」という年齢制限を表しているものだとか言われています。

世界最古の職業は娼婦と言われていますが、世界最古の広告もまたそういうことなんですね。

時代が変わってもから需要と供給が尽きませんね。

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さらに先に進むと「大劇場」がありました。

直径154m、高さ38mもある半円形の巨大劇場は最大24,000人収容できたそうで、
今でもコンサートなどに使用されるんだそうです。

でも、4世紀頃には剣闘士対猛獣の闘いなどが行なわれていたという、血なまぐさい歴史もあったようですよ。


この「大劇場」からは海へと真っ直ぐ向かう「アルカディアン通り」があり、
エジプトから海を渡ってここに来たクレオパトラなども歩いたとも言われていますが、
今では海も遠退いて草の生える荒野へ向かう道になっちゃってます。

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ちょっと長い文章になってしまいましたが、
実はここで紹介したのは「エフェス遺跡」のほんの一部なんですよ。

それは復元されたものもそうですが、
これから復元してみないと何だかわからない遺跡も順番待ちをしているんです。

そう、これまで見てきた物は2000年の時を超えてそのままの形で残っていた物ではないんですよ。

そのほとんどが、崩れて転がっている物をプラモデルの様に
現代人の手で長い時間をかけて組み立てられたもの。

この時も復元作業を行なっていました。

これも、ほとんどの素材が燃えたり腐ったりしない石だったからこそ出来る技ですよねぇ。

なので、また何年か経ったら別の物が建っているかもしれませんね。

ボクは歴史とか建築とかに詳しくはないですが、ただただ昔の人の技術に驚くばかりでした。

さあ、これで出張も終わり! 日本に向けて帰りましょうかねぇ。


「ギュレギュレ」(バイバイ)・・・つづく。