8/14 また、懐かしいものが | Takumaのブログ

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穿ってゆがんだ愛で綴るジャイアンツとサインあれこれ…

先日の記事に書きましたが、私の実家が今秋引っ越しになるということで、現在鋭意引っ越しの為の荷造りを行っています。
 
そんな中、(個人的に)懐かしいものがまた出てきたので、ここに記録として残しておこうと思います。
(あくまで個人的な備忘録なので、たぶん大半の人には興味がない内容かと…)
 
出てきたものというのが、こちら。
 

2003~2004年頃に作成した、応援用ボード。
 
とはいっても簡素なもので、100円ショップで購入したA4サイズの冊子型クリアホルダーに、選手名を書いたイロ紙を入れただけの簡素なもの。
大学生ぐらいになってくると手の込んだゲートフラッグなどを自作し始めるのですが、この頃はまだこれくらいが限界でした。
 
仁志選手に、
 
これはローズ選手。
”ローズ”を当て字したこの漢字を、バッティング手袋やグローブなどに刺繍していましたね。
そして、弘田コーチとの喧嘩が懐かしいです…笑
 
こちらはペタジーニ選手。
ヤクルト時代は「ペタ」とか「ペタジーニ」とか応援時に呼ばれていたこともあってか、巨人に来てからは応援団がしきりに「巨人での呼び名はジーニです」と強調していた記憶があります。
 
オルガ夫人のグッズも、なんだかいろいろと発売されていましたね。
(たぶん、これから荷造りを進めていけばどこからか出てくるハズ…)
 
そのほか、井手竜也選手や
 
アウトカウント間違いでおなじみのレイサム選手、
(サヨナラ弾を放ったり、意外と打撃が勝負強かった印象)
 
ランデル投手や
 
コーリー投手なんてのもありました。
よく打たれては翌日のスポーツ新聞に「コーリーにはこーりーごーりー」なんていうドスベリダジャレが載っていた記憶があります。
 
巨人退団からしばらく経ってから、なぜかロッテが獲得したのはビックリしました。
そういえば話は飛びますが、ワズディンも巨人退団からしばらく経って西武が獲得していましたね。
 
あと、出てきたのがコレ。
小学生だった2000年頃、当時の同級生と自作していたトレーディングカードです。
 
小学生の時分でお小遣いも潤沢ではなかった我々が「もっと野球カードを集めたい」という欲を満たすために作成したのがコレでした。
選手名鑑から切り出した写真を段ボールに貼り付けて裁断しただけの簡素なものですが、同級生たちとお互いに家で作ってきたものを翌日学校で交換したりしていました。
 
そんな中、友達のひとりであるS君は父親が国鉄時代からの筋金入りのヤクルトファンで、自宅に古い選手名鑑が沢山あったことで、一時期S君の作ってくる”野球カード”が大昔の選手ばかりになったことがありました。
他の同級生たちからは「誰だよこれ、しらねー」とおおむね不評でしたが、これが私には大好評。
今思えば、このS君によるカードも、私が昔のプロ野球選手に強く興味をもつきっかけのひとつだったかも知れません。
 
 
また、1冊のアルバムも出てきました。
 
中身は、なんでもない東京ドームのスタンドの風景。

これを見たとき「なんでこんな写真撮ってんだ」と思ったのですが、後になって、当時の自分の記憶がよみがえってきました。

 

この写真を撮影したのは、たぶん2005年頃だったと思います。

2005年は堀内政権2年目であり、いわゆる「暗黒」と呼ばれていた時期でした。

 

たしかに、この年にチームに起きたことを列挙してみると

 

・ミセリが速攻で解雇からの人力車で浅草観光

・キャプラーも途中退団、途中入団のミアディッチも機能せず

・かつての守護神・河原投手を出して獲得した後藤光投手が1年で戦力外に

・清原選手が突然ピアスを付け始め、それに渡邉恒雄球団会長が苦言を呈する

・7月の時点で滝鼻オーナーが堀内監督解任を示唆

・ホームランを打った清原選手が堀内監督とのハイタッチを拒否

・5月終了時点で最下位、一度もAクラスに浮上せずに5位で終幕

 

と、まぁ確かに「暗黒」と呼びたくなる気持ちもよくわかる状況でした。

 

ちなみに、先ほど書いたローズ選手と弘田コーチの喧嘩もこの年です(笑)

 

当時高校生で、チームが勝とうが負けようが連日ドームに通っていた私にとっては、それでも明るい材料がない訳ではなかった(内海投手を根気よく使い続けて飛躍の足掛かりを作ったり、個人的に大好きだったシコースキー投手が奮闘していたり、矢野選手などの若手が力を付けてきたり、など)シーズンでしたが、一般のファンにとっては耐え難いシーズンだったようで、夏場以降ドームから一気にお客さんがいなくなりました。

 

そのころ撮影したのが、これらの写真でした。
 
このブログでも何度か書いていますが、私がいまだに衝撃的な記憶として覚えている、
「ガラガラの3塁側スタンドに飛び込んだファールボールが、争奪戦どころか、誰にも拾われることなく通路を転々と転がって、そして止まった」
という光景も、まさにこの頃に目撃しました。
 
前年にプロ野球の再編問題も起こり、ちょうどこの頃は「野球人気低迷」が一番叫ばれていた頃。
当時の私も、この状況はマズいとまるで当事者のような危機感を覚えて、そして記録のためにこの写真を撮影したことを思い出しました。
 
いま見ても、オープン戦のほうがよっぽど客が入っているんじゃないかと思えるくらい、お客さんが入っていないですね。
 
こちらはライトスタンド最上段からの光景。
ライトスタンドだけは相変わらず満席でしたが、内野の二階席もガラガラなのが分かります。
 
現在Bクラスで低空飛行を続ける、我らがジャイアンツ。
またこんなスタンドが戻ってくることが無いように、奮起を期待したいところです。