Takumaのブログ

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穿ってゆがんだ愛で綴るジャイアンツとサインあれこれ…


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きょうは東京ドームでヤクルトと対戦。
今季、ドームでの対ヤクルト戦 最終戦です。
 
先発はエースの菅野投手。
きょうの菅野投手はいまひとつ本調子ではない様子でしたが、それでも要所を締めてゼロを並べていきます。
 
5回終了後には、来場者から選ばれた赤ちゃんたちがグラウンドに登場し、「ハイハイ競争」を披露。
初めて見るアトラクションだったので少々面喰ってしまいましたが、赤ちゃんたちが殆どハイハイせずにレースになっていませんでした。
このレベルであれば、私の娘(6か月)でも出場できたかも知れません。(笑)
 
試合は6回に追加点を奪って4-0。
 
7回には坂本選手の15号ソロも飛び出し、これで5-0。
しばらく不調が続いていただけに、ファンとしてもほっとする一打でした。
 
その後もゼロ行進を続けた菅野投手は、9回のマウンドへ。
 
ランナー2人を溜めたものの、最後は7番・西浦を討ち取ってゲームセット。
5-0でシャットアウト勝利となりました。
 
ヒーローは先制タイムリーを含む3安打固め打ちの長野選手と、
 
13勝目を挙げた、エース菅野投手。
13勝もさることながら、今シーズンの完投は8試合、さらに完封はこれで6試合となりました。
斎藤雅樹投手(現 投手コーチ)が持つチーム最多記録まで、あと1完封です。

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シーズンもいよいよ最終盤となりました。
9月21日現在のところ、我らが巨人軍は3位。
首位の広島に16ゲーム差と独走を許し、これまでセ・リーグでは巨人しか達成していなかった「リーグ3連覇」の聖域も侵されようとしています。
心には秋風どころか冬の空っ風が吹いている今日この頃です。
 
チームについて言いたいことは沢山ありますが、シーズンはまだ完全に終わった訳ではありません。
きちんと全日程が終わってから、今年のチームについてはきちんと振り返りたいと思っています。(記事にした際には、よろしければお付き合いくだされば幸いです。)
 
今回は、引退を表明した2名の選手、脇谷亮太選手と杉内俊哉投手について書かせてもらいたいと思います。
 

まずは、脇谷亮太選手。
 
脇谷選手は日本文理大からNTT西日本を経て、2005年の大学・社会人ドラフトの5巡目で巨人へ入団。
入団1年目から1軍に定着すると、シーズン終盤には「1番セカンド」の定位置も獲得し、初年度の第二次原政権を支えてくれました。
 
その後も、完全なレギュラーに定着したシーズンはほとんど無かったものの、燻し銀のしぶといバッティングでチームの勝利に貢献。
2度のリーグ3連覇を経験し黄金時代を迎えた第二次原政権にとって、脇谷選手のようなスーパーサブの存在は必要不可欠なものでした。
 
個人的な脇谷選手の思い出は2つ。
 
ひとつは、2007年9月26日に東京ドームで行われた中日戦。
 
同年のシーズンは、9月に入ってからも首位が何度も入れ替わり、9月末の時点でも3チーム(巨人、中日、阪神)に優勝の可能性がある、近年稀にみる大混戦でした。
 
9月23日時点で、首位巨人と2位中日のゲーム差は僅かに1ゲーム。
そんな中で巨人と中日は、9月24日から東京ドームでの首位攻防3連戦を迎えます。
 
初戦は中日が7-5で勝利し、これでゲーム差なしの首位に並ぶとともに、勝率の関係で中日にマジック7が点灯。
翌日は巨人が内海投手の力投で7-3とやり返して単独首位に立ち、中日のマジックを消す白熱した展開。
 
そして迎えた運命の3戦目。
先発の高橋尚成投手が初回から4点を失う苦しい立ち上がりも、徐々に点差を詰めて5回ウラで4-4の同点に。
そして迎えた6回、ランナーを1人置いた場面で打席に立ったのが脇谷選手でした。
 
脇谷選手の振り抜いた鋭い打球は、ライナーでライトスタンドの最前列に飛び込むホームラン。
そのままチームは勝利、脇谷選手の「2007年シーズン第一号」は値千金の決勝弾となりました。
2007年のリーグ優勝は、この脇谷選手の一打があったからこそと今でも私は思っています。
 
この試合、私はライトスタンドの最前列で観戦していました。
そして、脇谷選手の打球は私のすぐ隣の通路に着弾。あの瞬間の興奮は鮮烈に記憶しています。
 
ちなみに、ホームランボールは一緒に観戦していた友人がすんでのところで取り逃した訳ですが、いまでもその友人と会うとこの時の話になります。
 
これが、個人的にもっとも思い出深い脇谷選手の一打です。
 
2つ目の思い出は、ちょうど2年前のこと。
 
私の結婚式の披露宴で流されたメッセージVTRに、縁あって脇谷選手にご出演をいただくことが出来ました。
深いお付き合いがあった訳ではないのですが、心のこもった祝福のメッセージを送っていただいた脇谷選手の温かさには、いまでも感謝しています。
 
そんな脇谷選手が引退会見で語った「唯一の悔い」が、由伸監督を胴上げできなかったことでした。
 
2013年オフにFAで巨人入りした片岡治大選手の「人的補償」で、一度は西武へと移った脇谷選手。
さらに、西武での2年間は平均で100試合程度に出場し、1軍メンバーに定着する「復活」をみせていた脇谷選手。
そのまま西武にいれば、ひょっとしたらその後も数年間1軍メンバーとして活躍できたかもしれません。
にも関わらず、脇谷選手は巨人へと戻ってきてくれました。
理由は「由伸監督を胴上げするため」―。
 
この脇谷選手の熱い想いに、当時の私は胸を打たれました。
 
結局、その後4年間で脇谷選手のこの念願が叶うことはありませんでした。
その悔しさはいくばくか、といったところです。
残る選手には、この脇谷選手の「悔い」を全員で背負って、来シーズン必ずや優勝を勝ち取ってもらいたいです。
 
脇谷選手、13年間お疲れ様でした。
 
続いて、杉内俊哉投手。
ダイエー~ソフトバンクでは2005年に沢村賞、2009年から2年連続で最優秀投手賞を獲得するなど、パ・リーグを代表する投手として活躍し、2012年のオフにFAで巨人へ。
 
巨人では桑田投手の退団後空き番号となっていたエースナンバー「18」を背負いました。
 
移籍当初は「他球団から来た投手にエースナンバーは」という声もありましたが、移籍諸年度から12勝(4敗)を挙げ、リーグ最多完封と最多奪三振、最高勝率を獲得。
その後、移籍2、3年目も10勝以上を記録し、3年連続の二桁勝利。
そういった批判の声を、持ち前の圧倒的な実力で消していってくれました。
 
杉内投手の巨人での活躍といえば、何といっても2012年5月のノーヒットノーラン。
9回2アウトまで完全試合という魂のピッチングには感激しました。
 
また、「ヒットを打たれたらいけないので、あえてフォアボールの可能性もあるコースを狙って投げた」という試合後のインタビューにもシビれました。
 
巨人戦を900試合以上現地観戦していて、この時以上にピッチャーのピッチングに「シビれた」経験はありません。
 
(この時のことは、下記の7月27日の日記でより詳細に記載していますので、もしよろしければ…)
 
その後、杉内投手は2015年7月23日に登録を抹消されたのを最後に、一軍に戻ってくることはありませんでした。
過去にプロ野球選手の前例がないという股関節の手術を受け、必死のリハビリを続けました。
年俸は移籍当初の5億円から、「過去最大の減俸」を受け入れて1/10の5,000万円となり、今年はその半分の2,500万円まで下がりました。
一時は東京ドームで行われたイースタン公式戦で先発マウンドを踏むほどまでに回復したものの、ついに一軍マウンドへの復帰は叶うことがありませんでした。
 
杉内投手は子供の頃から巨人ファンだったそうで、FA宣言をした際も、原辰徳監督(当時)や長嶋茂雄終身名誉監督からの直々のラブコールを受けて巨人入りを決意したことはよく知られています。
 
杉内投手の引退理由は「このままでは自分の我儘で、チームに迷惑がかかる」というものでした。
この発言からも、杉内投手の巨人に対する想いを感じ取ることができるような気がします。
 
「マウンド、そして勝利に対する執念」と「チームへの熱い想い」―。
 
これが、私が思う杉内投手の魅力です。
 
思えば、巨人の18番を背負った選手はみなさんこのような魅力を持っているように思います。
 
V9時代のエースである堀内恒夫さんは、晩年は1年に数勝しか挙げられない状況になっていたものの、粘り強く現役を続けて200勝に到達し、その後現役を引退。
 
その後にエースナンバーを継いだ桑田真澄さんも、巨人での最終年となった2006年には600日ぶりの勝利を記録し、翌年にはメジャーリーグに挑戦するなど、最後までマウンドと勝利を貪欲に追い続けました。
 
また、雑誌や新聞の評論・解説を読めば堀内さんも桑田さんも、熱い「巨人愛」を持った方であることは良く分かります。
 
ホークスから来て「外様」だった杉内投手ですが、そういった意味では、間違いなく「巨人のエースナンバーを背負う資質」をしっかりと持った選手だったと私は思うのです。
 
「巨人のエース」杉内俊哉投手、本当にお疲れ様でした。
 
報道によると、チームとしては功労者としてコーチ等のポストを用意する方針とのこと。
 
是非とも、「巨人のエースナンバーを背負うことのできる」ピッチャーを育てて頂きたいと、切に願います。

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連休最終日はドームへ。
中日との今季最終戦です。

先発はメルセデス投手。
きょうは初回からランナーを溜めながらも、要所を締める粘りのピッチング。
5回までを無失点に抑えます。

ところが、肝心の打線も最近の傾向の通りに湿りっぱなし。
やはり昨日の大量得点はたまたまだったのでしょうか、こちらも試合前半に得点を挙げることができません。

5回終了時のアトラクションには、何故か「ガキの使いやあらへんで!」でお馴染みのおばちゃんが登場。

楽しいアトラクションに終始無表情で参加していました。
シュール過ぎます(笑)

おばちゃんによるインターバルを挟んでの後半戦は、一転して試合が動き出します。
…とは言っても、巨人に悪いほうに。
6回表にビシエドに先制タイムリーを許すと、

福田に一発を浴びて、一気に4点を奪われます。

その後打線は陽選手の通算100号アーチなどで2点を返すも、そのまま2ー4で敗戦。

まぁ、いまの打線には悲しいけれどこれが限界ですね。

ところで、試合中のオーロラビジョンにずっとこんな告知が。

村田修一さんのセレモニーが開催されるということなのでしょうか。
そうだとしたら、あまりに告知が少なすぎる気もします。
まさか開催予定もないのに、セレモニーを期待させることで、売れ行きの悪い追加日程のチケットをファンに買わせようとしているのか。
…チーム状況が悪いだけに、そんな邪推までしてしまいます。。。

【きょうの収穫】
試合前、球場の周りを歩いていたデニー友利さんからサインをいただきました!

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きょうはマリンスタジアムまで、マリーンズ戦を観戦に行ってきました。
すでに退職から4年半が過ぎたにも関わらず、いまだに変わらずこういった機会に声をかけて下さる、前職の同僚の皆さんには感謝感謝です。
 

きょうは福浦和也選手デー(「福浦安打製造所 創業25周年記念祭」)で、来場者にはTシャツとタオルが先着でプレゼントされ、さらにグッズストアでは限定商品が販売されるということで、朝早くからスタジアム周辺は黒山の人だかり。
私もなんとか、Tシャツとタオルをゲットすることができました。
 
本日の主役である福浦選手は、8番指名打者でスタメン出場。
当たり前といえば当たり前ですが、どの選手よりも大きな歓声を浴びていました。
 
チケットは前売り段階ですべて完売、私の座った内野自由席もポール際まで寿司詰め状態。
 
ちなみに、私の前列には元ロッテ・愛甲猛さんが座っていました。
何故にこんな端の席に座っていたのか分かりませんが、試合前からすっかり驚かされてしまいました。
 
福浦選手の第一打席。
 
鋭く振りぬいた打球は、ライトのライン際に落ちるヒット。
 
2,000本まであと3本となりました!
 
5回終了時には、謎の魚が登場。
なんだかよく分からない、謎のダンスを披露していました。(笑)
 
第2、第3打席は良い当たりながら野手の正面をついてしまい凡退。
そして迎えた9回2アウトからの第4打席。
 
一発が出れば同点という場面でしたが、
 
楽天の守護神・松井投手の前に三振に倒れ、ゲームセット。球場は3万人の溜息に包まれました。
 
ですが、球場のマリーンズファンは敗戦の悔しさよりも、「福浦に4打席目が回ってきて良かった」という満足感を口にしている人のほうが多かった気がします。
現役晩年の高橋由伸を見る巨人ファンと同じような心境だなと思いました。
 
 

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本日は、別アドレスでリクエストしていた分が回収できたのでご紹介します。

★ 米田哲也さん(元 阪急)

県立境高より1956年に阪急へ入団。
1年目から一軍ローテーションに入って9勝を挙げると、2年目には21勝を記録しエース格に。
以降、実に19年連続で二桁勝利を挙げ、1960~70年代のパ・リーグを代表する投手として活躍されました。

949試合登板、通算350勝はいずれもプロ野球歴代2位の大記録です。

こちらからリクエストしたメンコの他に、

カードを2枚プレゼントしていただきました。

米田さん、ありがとうございました!

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本日は返信が1通ありました。

★ 長谷川昌幸さん(元 広島)

市銚子高から1997年、ドラフト1位で広島へ入団。
ルーキーイヤーから一軍で「初登板初先発初勝利」を記録。(しかも、その試合で2安打1打点の活躍)
2002年には初の規定投球回入りでチームトップとなる13勝を挙げ、チーム先発陣の柱に。
オリックスに移籍後の2011年シーズンをもって現役を引退。
プロ実働14年間で42勝(61敗)の成績を残されました。

長谷川さん、ありがとうございました!

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きょうは返信が1通ありました。

★ 中利夫さん(元 中日)

前橋高から1955年に中日に入団。
入団2年目からレギュラーに定着すると、1960年には打率3割をマークし、盗塁王のタイトルを獲得。
高木守道さんとの1、2番コンビで、1960年代のドラゴンズを支えました。
1972年に現役を引退後、1978年から3シーズンは中日の監督も務められました。

貴重なTCMAとカバヤリーフのカードに、丁寧にサインを入れていただきました!

中さん、ありがとうございました!

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ヤクルトとの3連戦、第3ラウンド。

先発は田口投手でした。
今季ここまで2勝7敗と、昨年までとは全く別人のような成績に陥っている田口投手。

昨日はヒットこそ打たれるものの、要所を締めるピッチング。
気迫を押し出すピッチングスタイルに、少しだけ去年までの田口投手を思い出すことが出来ました。

結局、田口投手は1対1の同点に追い付かれた7回途中で降板。
今季の絶不調を考えれば、十分に及第点のピッチングでした。

この後、マウンドを引き継いだ畠投手が逆転打を献上すると、9回には中川投手が2ランを食らって勝負あり。

一昨日の失敗バント地獄を教訓に、昨日の試合前には徹底したバント練習をしたようですが、その途端にバントをする場面すら無くなったというのが皮肉です。

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昨日ブログ更新が出来なかったため、2日分をまとめて。
またしても、すっかり更新が空いてしまいました(^_^;)

一昨日からのヤクルトとの3連戦は、個人的に久しぶりの全試合観戦です。
 
初戦の先発はメルセデス投手。
シーズン途中での昇格ながら、ここまで5勝とチームを支える活躍を続けてくれています。
 
一昨日のメルセデス投手も、7回まで1失点の熱投。
8回につかまって降板したものの、8回途中で3失点(自責点1)と先発としての仕事をしっかりと果してくれました。
 
試合序盤にあったチャンスを打線が活かせなかったのが全てですね。
 
ちなみに、まったく個人的な話ですがこの試合は私の巨人戦現地観戦 通算900試合の節目の試合でした。
個人的には、非常に勝って欲しかった試合でした(汗)
 
昨日は久しぶりに内野のシーズンシートでの観戦。
 
先発は吉川光夫投手でした。
 
そして、昨日の注目は何と言っても来日初の1番に座ったゲレーロ選手。
これは久しぶりに良い采配を見た気がします。

吉川投手は立ち上がりから好調で、ペース良くゼロを並べていきます。
 
5回には岡本選手の豪快な一発。
 
その後も吉川投手は好投を続け、7回を投げて1安打無失点。
ひょっとしたら、移籍後で一二を争うピッチングだったかもしれません。
 
8回は復帰したての畠投手が抑え、9回には移籍後はじめてセーブ機会での登板となった山口俊投手がマウンドへ。

そして、この起用がまさかの大誤算。
山口俊投手の3四死球の自滅ピッチングで、吉川投手の白星も水泡に、、、。

そのまま試合は延長に入り、11回には上原投手が登板。
 
負けがなくなった12回には一打サヨナラの場面で、
 
宇佐見選手が倒れてゲームセット。
 
結局引き分けでの幕切れとなりました。

ヤクルトには勝ちに等しい、巨人には負けに等しい引き分けです。

バントを失敗すること実に3回。
ガチガチの野球をしにいって、それでも失敗するのが始末に終えません。 

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本日は返信が1通ありました。
 

★ 鹿取義隆さん(元 巨人)
 
明治大学から1979年にドラフト外で巨人へ入団。
1年目の開幕戦でプロ初登板を果たすと、同年38試合に登板し活躍。
2年目は51試合に登板し、以降毎年コンスタントに60試合前後に登板するなど、80年代のジャイアンツの中継ぎ陣を大黒柱として支えられました。
1990年に西武へ移籍すると、同年は24セーブを挙げてセーブ王のタイトルとファイアマン賞を獲得。
以降、1997年の現役引退までで実に755試合に登板されました。
 
現在は巨人軍のGMとしてご活躍中です。
2002年、原監督が就任一年目のリーグ優勝・日本一は、当時ヘッドコーチを務めていた鹿取さんの活躍によるものと私は確信しています。
 
鹿取さん、ありがとうございました!
その手腕で、巨人を立て直してください!

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