12/14 ユニフォームを入手しました | Takumaのブログ

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穿ってゆがんだ愛で綴るジャイアンツとサインあれこれ…

今年も残すところあと2週間ちょっととなりましたね。
師匠も走ると書いて師走、例に漏れず私もバタバタと過ごしています。
 
そんな中で先日、一着のユニフォームを入手することが出来ました。
 

北海道の社会人野球チーム「伊達聖ヶ丘病院」のユニフォームです。
こちらはとある選手の実使用ユニフォームなのですが、その選手というのがこちら↓
 
そう、「アゴ倉」の愛称で親しまれた、元プロ野球選手の門倉健さんです。
 
中日~近鉄~横浜と渡り歩き、横浜では2005年から2年連続で二桁勝利を記録。
2007年に巨人へ移籍するも、在籍2年間で挙げた勝利はわずかに1勝。
ちなみにその1勝を私はスタンドで見届け、ヒーローインタビューで涙を流す門倉さんにこちらも胸が熱くなりました。
(その光景を生で見たからこそ、2年で1勝のみという世間一般に言う”失敗FA”にも関わらず、私は門倉さんを嫌いじゃないのかも知れません。)
 
巨人を退団した門倉さんはその後韓国球界入り。
帰国後、現役最後の年に袖を通したユニフォームが、この伊達聖ヶ丘病院のものでした。
 
また、この伊達聖ヶ丘病院のユニフォームのほかに、こんな練習着も入手することが出来ました。
 
それがこちらの、JR北海道野球部の練習着。
そして、こちらもまた門倉さんの実使用のものです。
 
先にも書いた通り、現役最終年の2012年に伊達聖ヶ丘病院でプレーした門倉さんは、同年夏の都市対抗にJR北海道の補強選手として選ばれて出場します。
 
背中には、その際に門倉さんが背負った「41」がしっかりとプリントされています。
 
そして、この年の都市対抗でのJR北海道の試合もまた、私は東京ドームで観戦をしていました。
 
(こちらは、その時に配布されていた選手名鑑に後年になってサインを頂いたもの)
 
門倉さんの出番は一回戦(対トヨタ自動車)、2-2で迎えた7回ウラに訪れました。
3番手で登板した門倉さんはマウンドに上がった直後に決勝2ランを浴びて敗戦投手に。
 
その当時、ネットスラングで「や門糞(やっぱり門倉って糞だわ、の略)」という言葉があったのですが、補強選手にも関わらず決勝弾を食らうという光景に、私の周りにいた若い観客が「噂通り、門倉って糞なんだな…笑」と言っていて、なんだかいたたまれない気持ちになったことをよく覚えています。
 
その後門倉さんは韓国でのコーチを経て、2019年に中日のコーチとして日本球界に復帰。
これからコーチとしてのキャリアを着実に積まれていくものと思っていたのですが、そんな中での今夏のまさかの失踪騒動。
 
きょう、気になってネットで調べてみたところ、現在は野球とは全く関係のない場所で働いていらっしゃるようですが、ゆっくりと休んで充電期間を作ってもらって、いずれは球界に復帰して欲しいなぁと個人的には思っています。