アマ時代には名を馳せた南さんでしたが、当時の巨人内野陣は川上哲治さん、千葉茂さん、白石敏男(勝巳)さん…と、戦前からチームを支えたスター選手が勢揃い。
結局、昭和26(1951)年に1試合、昭和28(1953)年に2試合に途中出場したのみで、ついに1軍の打席には1度も立つことはありませんでした。
そして、昭和30(1955)年のシーズン開幕前にトレードで大洋へ移籍。
当時の大洋は毎年のように最下位を争う弱小チームでしたが、その中で南さんは躍動します。
「9番 二塁」で開幕スタメンを勝ち取ると、110試合に出場(うち先発出場が77試合)し二塁手のレギュラーに定着しました。
しかし、シーズン終わっての打率は.172と低迷、南さんは1年で大洋を退団し、プロの世界を去ることになりました。
プロの世界を離れてから、しばらくは社会人野球でプレーを続けられていたようですが、プロ野球OBクラブの活動などに参加されることもなく、長らく「動向不明のOB」となっていた南さん。
そんな南さんの名前が再び表舞台へと上がったのは、2014年のこと。
巨人軍の創設80周年事業の一環として東京ドームで行われた、歴代ユニフォームを紹介する試合前セレモニーに参加されたのです。
写真の左から4人目が、当時84歳の南さんです。
伊藤芳明さん、国松彰さん、城之内邦雄さん、末次利光さんらと並び、60年ぶりの巨人のユニフォームに袖を通されました。
私もこのセレモニーはスタンドから鑑賞しており、南さんのお元気な姿に胸を打たれた記憶があります。
そして、このセレモニーに合わせてTTMを行い、頂いたのがこちらのサインです。
自作カードとミニ色紙のほかに、当時の事を様々に綴ったお手紙も頂戴することができました。
さらには、幸運なことにその後も手紙のやり取りをさせて頂き、当時の貴重なお話をお教えいただきました。
そんな南さんですが残念ながら今夏、88歳でお亡くなりになったことが最近になり判りました。本当に残念です。
1リーグ時代の巨人を知るOBの方を亡くしてしまったこと、そして何よりも私にとっては、お世話になった方を亡くしてしまった喪失感が大きいです。
南さん、本当にお世話になりました。有難うございました。
ちなみに、南さんと田辺中学で同期だった寺本哲治さんは既に2010年にお亡くなりになっていますが、1学年下だった岩本尭さんは、現在もご健在でいらっしゃいます。
是非とも岩本さんには、お二人の分もますますお元気でいらしてほしいです。
【雑記】
また、きょうは朝から、渡邉恒雄元オーナーについての衝撃的なニュースが飛び込んできました。