STAND BY ME の日本語訳詞が公式に許諾を得る事が出来ました | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

STAND BY MEの著作権管理の日本での窓口の出版社ソニー・ミュージック・パブリッシング様から、審査の結果、日本語訳詞そばにいて(STAND BY ME)を許諾するので、許諾書を送るのでサインをした上で印鑑の捺印をして返送してください。と、連絡を頂きました。

2006年から英語歌詞の日本語訳を始めましたが、
一番初めに訳したのが、What a wonderful world こちらは、ウクライナ支援アルバム(ひまわり Loss Of Love」に収録しました。
次に訳したのがStand By Meでした。漸く、17年前の訳詞が公式に世に出ます。

今度の還暦バースデイライブでも、早速披露させて頂きます。





今の自分があるのは、2006年から10年間、父の事業資金の返済を行なっていた時期、
スキルス性胃癌というリンパ腺を通して全身にあっという間に転移してしまう胃癌で、父は他界してしまいました。
その時に母から、お父さんとお母さんの思い出の家と庭を守って、それだけが生き甲斐だから!と、頼まれて、何も親孝行らしい親孝行が出来なかった父への最初で最後、最大の親孝行と思い、負の遺産を引き継いで、父の事業資金の借金を銀行に返し続ける事を選択しました。
その間、遊ぶお金は一切なく、その代わりに唯一の生き甲斐を日本語訳詞に求めたことです。
歌う事が大好きで、よくJAZZやポップスの英語歌詞を歌っていました。
その時に、人類発祥の地アフリカ大陸から連れて来られた黒人の音楽JAZZを日本語に訳して、その歌をライブで歌ったりCDを出したりできれば、その利益をアフリカの子供達に使おうと思ったのでした。
そこに至る背景は、私の母校の成り立ちと校歌にあります。
私の母校拓殖大学の創始者桂太郎元総理大臣は、日英同盟の締結、日露戦争勝利、日韓併合と、明治維新の集大成を一気に成し遂げた総理大臣でもあります。日本とアジアの為に明治維新異民族に敬愛される人材養成の場として創立しました。西洋の様に虐げるのではなく、現地の人達が発展する為に日本人は西洋以外の国々も発展させて行かなければならないと特に戦前は海外雄飛する人材の宝庫となりました。拓殖大学の校歌の結論となる三番の出だしは、「人種の色と地の境、我が立つ前に差別無し」で始まります。今でも、日本人が特に西洋以外の海外で尊敬される根幹になる精神と思っています。
今、拓殖大学の国際学部の出身者は少なからずアフリカに行って、アフリカの発展の為に寄与しているとの事。
それもあって、私は黒人音楽の歌の日本語訳を始めたのでした。そして、2016年からライブを始め、翌年の2017年に母校拓殖大学の10歳上の先輩の運営しているNPOがアフリカでも最貧国の一つベナン共和国の学校支援を始めたとの事から、歌の収益を寄付する事で二人三脚で支援活動を開始致しました。翌年の2018年3月に最初のアルバムを出して、収益全額を寄付する事にして、学校の改築や食堂の建設、太陽光発電、扇風機や奨学金で20名以上の貧困層の家庭の子達が学校に通える様にもなりました。そのアルバムを出す時にベナン共和国を色々調べているうちに奴隷海岸に位置して、アフリカから奴隷を送っていた港がある国と初めて知りました。私が、人類発祥の地アフリカから連れて来られた黒人の作った音楽を日本語訳した歌詞で歌い日本の文化に取り込み、更にその収益をいつかはアフリカの子供達の未来に使いたいと2006年からずっと蝉の幼虫と思ってやって来た事が、母校の先輩がアフリカから奴隷を出した国の子供達の未来へのプレゼントになる話を持って来てくださったというのは巡り巡っての縁を強く感じました。
ただ、その時は、著作権の関係で英語歌詞を日本語訳詞として認めてもらってCDにするのはとても難しいとの事から、オリジナル曲二つ(桜の季節、冬の家路)と著作権切れ曲一つ(Amazing Grace )でミニアルバムを作りました。Amazing Graceの日本語訳詞を入れたのは、作者のジョン・ニュートンが奴隷貿易商人の時に奴隷を乗せた船が難破しそうになった時に、この船に乗っている奴隷も含めて全ての命を救ってくださいと生まれて初めて神様に祈り、その後嵐が止んだ経験から奴隷貿易の仕事を離れ、牧師になり奴隷貿易禁止運動に身を投じ、讃美歌Amazing Graceを18世紀末の30歳頃に作り、50年以上経った彼が死ぬ直前19世紀になった彼が死ぬ直前の81歳の年に英国の国会で奴隷貿易禁止法案が可決された歴史に思いを馳せてアルバムに入れました。
18世紀から21世紀にかけて歌い継がれ、今では奴隷の子孫が住むアメリカを中心に世界中で歌われているAmazing  Grace。
これは、是非、一作目のアルバムに入れたかったのです。私の歌うテーマと根本的なものは同じだからです。
この歌のように、歌は作者を手を離れて一人歩きしてたくさんの人に力を与えるものと思っています。

私の歌も、歌が独り歩きをして、私が死んだ後にゴッホの絵の様に評価されれば、私がアルバム毎に送金を決めた寄付により、多くの人に幸せが訪れたらと思っています。

いずれにしても、2006年から始めて、17年が経過していました。
とても、遠回りではありました。
それでも、長い時間、様々な道のりを歩ませて頂いて来たお陰で今があります。有り難い事です。

人種の色と地の境、我が立つ前に差別無し

これは、私の心に脈々と息づいています。私なりに出来る事を地に足をつけて行なっていきます。

やってやれない事はない。
やらずに出来る事もない。