般若心経 | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

母は、毎日、般若心経の写経は欠かしません。
そして、毎日書いたものを仏壇に備えています。


2005年の暮れに父が癌で入院した時に、母は既に足の膝が曲がらずよく歩けず、病院に通えなかった為、その代わり、般若心経の写経を日課にしていました。

父が他界してからは、私に不幸な事が無いようにと家内安全の祈りも込めて書いてくれています。

そして、私が交通事故に遭ってからは、私が車で出かける時はずっと写経している様です。

この前の常陸太田の墓参りに行った時も、一心不乱に書いていました。


有り難いというか、申し訳ないというか、不憫というか。なんともいえない気持ちです。

般若心経自体は、とても哲学的な内容です。

三蔵法師で有名な唐の時代の玄奘がインドまで取りに行った経典でも知られています。

【般若心経】

観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう

度一切苦厄どいっさいくやく 舎利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう

空即是色くうそくぜしき 受想行識亦復如是じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ 舎利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう

不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん 是故空中ぜこくうちゅう

無色むしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むげんにびぜっしんい 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう

無眼界むげんかい 乃至無意識界ないしむいしきかい 無無明亦むむみょうやく 無無明尽むむみょうじん

乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん 無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく

以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさつた 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ

心無罣礙しんむけいげ 無罣礙故むけいげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう

究竟涅槃くうぎょうねはん 三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ

得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみった

是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうしゅ 是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうどうしゅ

能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみったしゅ

即説呪日そくせつしゅわっ 羯諦ぎゃてい 羯諦ぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい

菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経

※とても、深い内容ですが、私なりに要約すると、
以下のように感じております。

「この世に存在するもの、感じるものの存在
その全ての実体は、あるようで実は無い
その境地に達していけば、苦しむ事も悩む事もない」

ご興味のある方は、色々と調べられてみるのも宜しいかと思います。

般若心経Wikipedia

般若心経現代語訳