スタミナラーメンの父、長井順一さん引退~一つの時代の終わり~ | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

今や茨城名物、レバニラベースのスタミナラーメンを世に広めた、ホルモンラーメン玄海の長井順一さん。


私の母と同じ昭和13年生まれ。今年、75歳。




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数年前の脳内出血から懸命のリハビリを続けてきましたが、店に立

つ事を断念。引退する事となりました。





今の玄海は、しっかりと味をついで任せたお弟子さんがお母さんと切り盛りされているそうです。


昭和53年に大進、54年から62年まで勝田駅前の寅さんラーメ

ンでレバニラベースのスタミナラーメンを提供して勝田高校を中心

とした地元の高校生のハートを掴み、昭和62年に独立して水戸に

松五郎を開店して、茨城県央の郷土料理にまで発展させてきました





その功績は、これから更に語り継がれる話になると思います。




一昨日、後輩のやっている店、我流食堂に訪れた時に、




「長井さん、引退してもう店に出てないそうですね。深川先輩にもよろしくって言ってましたよ。」




と後輩から言われ、




えーっ!だって俺、1月12日にいったぜーっ?




1月中旬から出なくなったそうです。電話してみてください。




それで、土曜日の26日、長井さんの携帯に電話してみました。




「もう店には立てないから、俺は辞めんだ。実は去年の12月には店を譲ってたんだ。」




30年以上住んでいた二階建ての借家から小さくて手頃なアパートに移り、静

かな余生を過ごす事となるそうです。


最後に私に言いたかったけど、12日に来た時はまだ他のお客さんがいて言えなかったので、我流食堂の後輩に電話したとも。




長井さんと最後に御店で会って長く話をさせて頂きました。


一番楽しかったのは、やっぱり勝田駅前だったなあ~


と感慨深く話をされていました。


勝田駅前の今や伝説の寅さんラーメン。


レバニラベースの甘辛餡かけを冷たい太麺にかけた独特のスタミナラーメン。





高校生で真っ黒けだった店の中。





活気あふれる場所でした。




長井さんが寅さんラーメンでスタミナラーメンを作っていたのが、昭和54年から62年頃まで。




あの10年に満たない時間が、その後の茨城県央地区の郷土料理にまで発展してきたスタミナラーメンにとって一番活気にあふれた時代でした。


当時を知る勝田高校生にとっては心の故郷でしょう。




脳内出血で倒れたと聴いてから、足を運んで元気づけてきましたが、引退という事を考えると、昭和54年に初めて食べた時から毎日の様に通い続けて色々と話した事、卒業して拓殖大学に進学した後も母校の應援團のコーチで通って練習後に後輩達を連れて食べに行った思い出、就職後になってからは年に盆暮れのみになりましたが、行く度に時には涙を流してくれた事もあったほど喜んでくれたり、色々と思い出が尽きません。







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長井さんが作っていた時のホルモンラーメン。


一時期、餡の透明度にこだわっていた時がありました。





長井順一さんを勝田高校40

周年の記念式典に特別ゲストに呼んで、懐かしい顔ぶれで元気づけられたらいいなとも思っています。

お前が呼んでくれるなら行ってもいいよ。嬉しいなあ~、と言って

くれましたが、実現できればいいのですが。実現したら、当時の勝田高校生にとっても最大のプレゼントになると思うのですが。





いずれにしても、これからも心の故郷長井さんの喜ぶことが出来ればと思っています。


そして、少しでも元気でいてほしいと思っています。





そして、レバニラベースのスタミナラーメンにしても、レバーをモツに代えたホルモンラーメンにしても、どんどん広まって欲しいものです。





栄養価が詰まった、たった一杯のフルコース、スタミナラーメン。





長井さんが、味噌ラーメンみたいにどんどんみんなが作って広まればいいんだ、といわれていた様に新時代が進みつつある中、巨匠が静かに身を引いていきました。




スタミナラーメンの父、長井順一さんの半生


長井さんと奥さんから伺ったお話を基に年表式にまとめました。

http://ameblo.jp/ultrarun/entry-10720955624.html