人生の師と諸先輩方が話す、かつての拓殖大学の名物教授故佐藤慎一郎先生の話。清貧の塊、本当の学者。 | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

5月初め。


GWの時。


拓殖大学応援団OB紅会相談役で農業兼作家の66期の先輩が営む常陸大子の農場に伺った時に、大子で陶芸をしながら陶芸教室をされている68期の先輩ご夫婦とも一緒に会食させて頂きました。


その時に、かつての拓大には東洋史の名物教授がいらっしゃったと伺いました。


先生の名前は、佐藤慎一郎。


先生は人生の師だった。あの人は本当の学者であった。あんな人は他にはいない!

と先輩方は熱く語られていました。


先生は、中国研究の大家で、孫文が起こした辛亥革命を支えた日本人二人の甥。

満州国の高級官僚。

そこで、拓大出身者の方々の、周りの空気に自分の信念を曲げずに潔い生き様を観て戦後拓大で教鞭をとるのを引き受けたのが1963年。私が産まれた年の事。


68期の先輩が熱く語られたのが、当時の東大の中国史の権威の先生との討論。

新聞や雑誌での情報だけで分析していた東大教授に対して実体験を基にして議論で圧倒したとの話で、あれこそが学者なのだと、言われていました。

先生は、時間が出来ると当時まだ英国領であった香港に行って港で夜中から釣りをしたのだそうです。

すると、泳いで香港に渡って来た亡命者が必ず来たそうで、その方々をかくまって色々と話を聴いて、中国で何が起きているのかを聴き出していたのだそうです。


当時の佐藤総理大臣や田中総理大臣と朝食をよく共にして中国情勢の相談役になっていたとか。

多額の内閣官房費を支払われる話を先生は一切拒んできたとか。


そして、毎日の暮らしでは団地に住まれ、家を学生に開放していたのだそうです。


学生は家の様々な部屋で議論を交わしていたのだとか。


大学教授で財を成す人も多いですが、佐藤慎一郎先生はずっと中国の実態を知る為の実体験に使い、学生に食事を分け与え、ずっと清貧でいらっしゃたそうです。


拓大の歌で、


金も名誉も見捨てた俺


とありますが、


佐藤慎一郎先生は正に清貧を地でいった方だったのですね。

1976年に拓大を後にされたそうです。


自分は1982年入学ですので、全く接点はありませんでしたが、1963年から拓大で教鞭をとられたとの事で私の生まれた年ですので、少しは接点を感じます。


お金の有無、損得勘定抜きにした、気持ちの素晴らしさを感じます。


佐藤先生の事を敬愛する卒業生の方々が書かれているブログがありましたので、以下にいくつか紹介させて頂きます。


http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t/e/19f9884971d8e0c40098abfa5557000c


http://racoon183.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-9a91.html


http://racoon183.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/1976-2f8f.html