スタミナラーメンと長井さん | 【水戸っぽBlog】

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水戸っぽとは、水戸の三ぽい、【理屈っぽい、骨っぽい、怒りっぽい】または、【理屈っぽい、怒りっぽい、飽きっぽい】から来ています。その他、水戸生まれの水戸育ちの人間を【水戸っぽ】ともいいます。水戸っぽ深川隆成の日々の気持ちを綴っています。

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水戸名物スタミナラーメンの創始者と評判でカリスマの長井さん。

私の父親と同い年。長嶋茂雄さんと同学年。

もう、今年で75才になります。

背が高くて、元気な時は、強烈なインパクトの持ち主でした。
やはり、この人無しでは水戸のスタミナラーメン、スタミナ冷やしは語れません。

エピソードには事欠かない人で、昔はボクシングもしていたそうで、どこからどこまで本当なのか分からない武勇伝の話を聴くだけで、とても面白かったですね。

その長井さんの件で、後輩と今日は何度もメールでやり取りをしました。

昨年、脳梗塞で倒れて、今は料理が作れずに弟子に作らせているそうです。

もう、オヤジさんの手作りのスタミナが食べれない!

ショック大きいです。

兎に角、今度の日曜日に会いに、長井さんの店、玄海に行ってみようと思います。

昔は、ハーレーを乗り回して、ハーレー仲間でツーリングにあちらこちら行っていた自慢話も伺いました。

昭和56年、長期入院はバイクの事故でした。

復帰後しばらくは小さなバイクに乗っていました。

私が長野県の諏訪に住んでいた頃、寅さんラーメンの勝田駅前店の店長を止めて水戸市の見和に自分で店を出しました。

私も見和で歩いて10分位の所でした。

その時は店の中に、初代チャンピオン8個半深川の名前がありましたが、上水戸に松五郎の本店を移した時に初代チャンピオンの札も無くなりました。

それでも、食べに行くと他のお客さんに、
『この男は凄いんだぞ。昔8個半ペロッと食べて、家に帰ってカレーも食べた男だ。勝田高校の応援団長で生徒会長で拓大に行っても生徒会長だった。』

などと、自分の息子を自慢するように紹介してくれていました。

拓大の時は体育会委員長で、生徒会長は高校だけだし、大学に生徒会なんてないですよ、と何回言っても理解してくれなかったので、説明しなくなりましたが。

あれから、20年以上経つんですよね。

長井さんが独立したのは50才位だったんですね。

勝田駅前の伝説から水戸を代表する味に昇華させました。

見和には八ェ門という家から五分くらいで行ける店が出来て、そちらか松五郎に行くようになり、長井さんの所には年に一度位しか行かなくなりました。

去年、ランニングがてら、予告無しで玄海の暖簾をくぐった時、

『おーっ!深川じゃないか!懐かしいな!』

と言って、絶句して涙を流していた長井さん。

今年の正月に行った時、休みで会えず仕舞いでした。

会いたい時に、居なくなる前に会わなければいけない、そんな気持ちがします。

今度はオヤジさんがいるかどうか、電話してから伺うつもりです。

ウルトラマラソンで完全復活したら報告がてら食べにいくと決めて行かなかったのですが、せめてシェイプアップして走れる体になったところだけでもお見せしますよ。

『おやじさん、俺も頑張るから!おやじさんも頑張って!』

と、伝える為に。

蝋燭の灯は、まだ消えません様に。