エレベーター実験棟がひたちなか市のランドマーク的存在の日立製作所水戸工場。
ここで毎年5月に開催されているさつき祭りにお呼び頂きました。
キッチンカーが沢山並び、関連会社が出す出店も多数出店されていました。
トトロの歌に子供さん達が飛び入りしたり、和気藹々とした地域密着型のステージでした。
楽しく歌わせて頂きました。
お客様、関係者の皆様、みなさん、ありがとうございます!
そして、今回のイベントを企画して、お声がけ頂きました、中山隆一さん、重ね重ねありがとうございました。
高校の応援団から今に至るまで、結婚式、送別会、祝賀会、試合応援など様々な場面で34年間ずっとエールを贈り続けてきました。 1989年、25才の時に交通事故に遭って三日間記憶を失い、死にかけた事がありました。一度死にかけた命。自分は生かされている。
自分を活かして人の役に立てる様に、おまけの人生を生きようと思いました。
しかし、未だに、何が自分のベストなのか答えを出せずに、七転び八起きの半世紀。
それでも、自分の本質は何も変わりません。真っ直ぐに行くだけ。
死ぬまで、人の為に応援する人間でいたいと思います。
人生百年なら今は丁度、お昼時。まだまだ、これから!
【写真は1981年夏。高校野球応援で18才、プロフィール写真は現在】
ザ・ヒロサワシティ会館(茨城県民文化センター)でのコンサート。
今回は、予算的に非常に厳しい状況となり、自分が普段屋外用やレストランLIVEなどで使って来た音響機器を持ち込んでの公演となりました。
4時起きで当日の楽譜や受付で使用するものも含めて色々と準備をして、6時につくば市の自宅マンションを出発。
8時前に会場到着。
それから、搬入
そして、セッティング。
音響のチェック。
そして、本番。
正直、今回は色々とあって営業活動を全然出来ていなかったので、お客様の人数的には今迄でも一番少なかったかもしれません。
それでも、一人一人のお顔全て拝見しながら歌わせて頂く中で、皆さんの真剣な眼差しを感じ、よく聴いてくださっていると感動しながら、心を込めて歌わせて頂きました。
ありがとうございます。
終わってから、心が篭っていました、魂の歌声でした、歌詞の心が伝わって来ました、などなど様々な感想を聞かせて頂きました。
ありがとうございます。
現在、レコーディング中断していますが、今回歌った数々の曲を、なんとかアルバムとして世に送り出すべく、地道に活動し続けて参ります。
ここのところ、色々あり、ブログを書くのを中断しておりました。
母が2月の中旬に台所で倒れて起き上がれなくなり、3日間台所で動けないまま、布団をかけて、そこで寝起きする事態がおきました。
救急車を呼ぼうかと母に話すと、物凄い抵抗を示して、自分で起き上がるからいい!と言って聞き入れませんでした。
しかし、3日目に立ち上がって動ける様になり、安心したのも束の間、今度は寝室で仰向けに転んでいて、介護保険申請の際に主治医になってくださった先生とも話して、救急車を呼ぶ事になりました。
足は、蜂窩織炎(ほうかしきえん)という足からばい菌が入って腫れ上がって歩けなくなる病気と足の変形など複数の要因がありました。
2週間は抗生剤の点滴で膨れ上がった足の回復。
毎週末、弟と一緒に母の見舞いに病院に面会に行っています。
5日ほど前、トイレに行く途中にまた転んで大きなコブを作ってしまい、MRI診察の結果、骨折や脳内出血などの問題はなかった様ですが、歩行器を使って歩く様に病院でも気を遣われた様です。
救急車で運ばれる前は、あれだけ嫌がっていた母ですが、いざ入院してみると、考え方が変わり、私に面倒をかけられないから、このままずっと入院しているなどと、考え方の変化も見受けられました。
入院してから、あっという間に1か月。
この入院を機に、今まで以上に元気になって欲しいものです。