日帰り海外旅行 | 今だから話せるウルトラクイズ裏話

今だから話せるウルトラクイズ裏話

17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

メリカ横断ウルトラ・クイズは挑戦者に過酷な体験を要求していました。
一体、スタッフはどのような意地悪な人間なのか、という非難の声が聞こえてきそうな計画を、次々に考え実行していました。
尤も、その意地悪さが視聴者を喜ばせていたのですから、人間の本質は意地悪なのでしょうかね。
 
は私達も、自分達で仕掛けた罠に敗者が嵌まる度に、心の中では「申し訳ない」という気持ちが多分にあったのです。
中でも、毎年一番気の毒に同情心を呼んだのはグアム、又はサイパンの空港でした。
考えてみれば、あの難関の東京ドームを突破し、成田でのジャンケンをクリアし、いよいよアメリカに向かって旅に出た、挑戦者達の胸の中はルンルン気分の筈です。
ところが、機内で行う400問ペーパー・クイズが待構えています。
これは東京ドームの○×クイズや成田のジャンケンのように、カンや運に頼るものと違って、本当の知力を試されるクイズなのです。
ここで、落ちるという事は、全国的に恥をかく事になってしまいます。

ペーパークイズ


かも、海外までやってきて、そこの地を一歩も踏めずに、飛行機から降りる事も許されず、Uターンして帰国させられてしまうのですから、哀れを通り越して涙を誘うような気の毒な場面になってしまいます。
あのウルトラクイズで通算、何百人の方達がこの悲哀を体験なさった事か、そんな中でも、特に記憶に残る人達がいました。
 
それは第5回のサイパン空港でした。
この年は55名の挑戦者の内、45名が合格という配分でした。
つまり10人の方が涙を呑むことになったのです。
その中になんと1組のご夫婦が含まれていたのです。
ご夫婦揃ってジャンケンに勝った時には拍手喝采でした。

ころが、それからわずか数時間後、このお二人は地獄の経験をさせられてしまったのです。
Tさんご夫婦ですが、この時の屈辱感は永く記憶に残った事でしょう。
しかし、放送翌日には、Tさんご夫婦を慰める手紙が数多く届いた所を見ると、視聴者の皆さんも、本質は優しかったのですね。
このような悲喜こもごもの出来事を残しながら、ウルトラクイズは毎年制作されていました。
でも、考えてみれば日帰り海外旅行という通常滅多に有り得ない体験をご夫婦で出来たのですから、希少価値として良い思い出になっているかも知れませんね。

サイパン