難しい難問をクリアして、折角海外に来たのだから、少しはレジャー気分を味わいたいと言うのが人情でしょう。
ところが、鬼のようなウルトラ・スタッフには、そんな人情は持ち合わせていませんでした。
番組内には、常に緊張感が張り詰める。
そんな番組こそヒットすると硬く信じ込んでいたようなのです。
と、いうと他人事のように聞こえるかもしれませんが、あの時代にはそのような精神論があって、我々は正にそれを実践していたのでした。
例えば、夜襲クイズなどはその典型的な形式でした。
クイズが終って「今夜はゆっくり眠るぞ」という挑戦者を突然襲って、クイズを出題する、このような事を1度体験すると翌日からはオチオチ眠っていられません。
現代なら、人権侵害番組だ!とマスコミの総攻撃を受けそうな事を、平然と実行していたのですから、時代の変化を感じてしまいます。
このような緊張感を持続させるため、第5回のハワイのホノルル空港でも突然の奇襲クイズが実施されました。
この時は、前日の浜辺で行われたクイズで、30人から14人が勝ち抜き、アメリカ本土に向かって、空港にやってきました。
ところが、空港でいきなり○×クイズが行われたのです。
問題は全員に出題され、ただ1人が誤答するまで続けられました。
しかも、意地の悪い事に、正解か不正解かは、その場で発表されませんでした。
つまり、ロスの空港で成績を発表すると言うわけです。
と、なるとロスまでの飛行時間は心臓ドキドキで、旅の楽しさなどは何処かへ飛んでいってしまいます。
この時の生贄になったのは、機内ペーパー・クイズで女性第一位だったN・Tさんでした。
彼女はロスの空港で飛行機を6時間も待たされ、東京まで10時間、ホノルルを出てから22時間もかけて帰り着くという罰ゲームを受けたのでした。
これでは、楽しい海外旅行など夢の夢ですね。
それでも、挑戦者は懲りずに集まって来た、良い時代でした。