プロデューサー第2の試練~警察への謝罪 | 今だから話せるウルトラクイズ裏話

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17年にわたって放送された「アメリカ横断ウルトラクイズ」。構成作家として最初から最後まで関わってきました。放送出来なかったエピソードや裏話を思い出すままに綴っていこうと思います。

上最大敗者復活戦の第一次予選は後楽園球場での○×問題で始まりました。
会場には5万人を超える敗者がスタンド一杯に集まりました。
内野外野のスタンドは立錐の余地がないほどの人数でした。

↓後楽園球場(敗者復活戦の写真ではありません)

後楽園球場


れだけの人数が、1つの問題に答えて、○か×かで選別されるわけですから大変な熱気が辺りを包む事になります。
プロデューサー初体験の私としては、何とか事故も無く無事にイベントが進行して欲しい、と神に祈るばかりです。

×の予選は何とか無事に終わってホッとしたのも束の間、翌日には後楽園球場の地元である、富坂警察所から呼び出しの電話がありました。

↓富坂警察所

富坂警察所


事かと思って駆けつけると、昨日のイベントで、後楽園の階段の途中から、下に向かって、石を投げた不届き者がいた、との事です。

幸い石は人に当たらずに、怪我人は出なかったものの、

「番組としての警備体制に不備は無かったのか?」

というキツイお言葉です。

「我々は警備員を50人ほど配備したのですが、不足でしたでしょうか?」

恐る恐る訊ねると、

「あのイベントで50人は少ないのではないの? 予算をケチっちゃ駄目だよ」

という厳しいご返事。

あ、ともかくプロデューサーなんて肩書きだけで、喜んでいる場合ではありません。
とんでもない事を引き受けてしまった、という後悔が頭の中でぐるぐると回り出し、これをきっかけに私は構成作家から、番組制作の会社を始める事になってしまったのです。

の意味では、史上最大敗者復活戦は、私に新しい道を示してくれた記念するべき企画だったとも言えます。