1972年1月〇日、ライス大学とピーターに別れを告げ、翌朝早くヒューストンを発ちました。ルイジアナ州へ向けてヒッチハイク開始。幸先よく古くてでっかいセダンが停まってくれました。アフリカ系青年の車です。彼の名前はLee、体格の大きな人でした。なぜ彼の名前を鮮明に覚えているのか?
それは彼が今でいうLGBTだったからです。当時はそういう言い方はなく、ゲイピープルあるいはクィア(queer)とか、現在よりも差別的に呼ばれていたようです。しかし僕は現実に存在することを実感したことはありませんでした。古い昔、19歳のこと。
ブログで書くべき内容ではないかも、と思います。しかし恐怖を与えられ、たいしたことはないけれど性被害を受けたことは事実です。意外とタフだった僕はすぐに立ち直り、その後もヒッチハイクを続け、約10台乗り継いでルイジアナ州に入っていました。
しかしこのときは、僕は勇気を出して言いました。『知っています。ですが、僕はNOです』・・と云ったように記憶していますが。すると、その紳士はやや失望感を浮かべていましたが、『ああ、わかったよ』というようなことを云い・・そのまま僕はそのバーを出ました。
そのあとのことはあまり覚えていないのですが、夜なのにまたヒッチハイクを続けたと思います。そのときの寂しさは強く心に残っています。・・ポツンポツンと見える民家のともしびが恋しかったこと。
当時は何かひどく困ったときには、どこからともなく救いの主があらわれることが多かった。ルイジアナ州の片田舎、バトンルージュの手前付近だったと思いますが、そのときも確か一人の若者が僕を拾って乗せてくれました。
彼の家か、彼の寮の部屋だったか、どこかに泊めてもらえました。野宿はせずにすみました。彼にこんなに親切にしてもらったのに、名前もわからない・・大事なノートには書いていたのですが。事情があってそのノートは失くしてしまっています。
この後さらに2か月以上ヒッチハイクを続けましたが、こんな日は最初で最後でした。他のシチュエーションでは何回かアプローチされたことはありましたが、その後のヒッチハイクでは一度もありませんでした。
またLGBTを嫌悪したり差別するつもりは毛頭ありません。あくまでも違います。例えるなら、人があまり好きでない異性から強くアプローチされた時の心と似ているのかな?好き同士ならよいのです。