悪魔と愛と 〜人はなぜ、悪魔を求めるているのか〜 | 魂との約束を果たしていく

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私は今、この世界を観ていると、アセンションに向けて、二つの霊的なテ―マが隠れていると思っています。


 

ひとつは、【愛の問題】。


 

そして二つめは、【自分の力を取り戻す】というものです。


 

それぐらいに個々の魂が不自由な状態にあり、苦しんでいる結果として様々な現象が起きているのだと思うのです。





 

そのため、現在、何かと世界を騒がせ、起きていることというのは、この二つを私たちの中から呼び覚ますために、起きているのだと思っています。


 

そして、私たちを苦しめているように思える外側の存在というのは、私たちの内側に存在し、想念が作り出している現象です。


 

そのため、これらの二つの理解が進み、この問題から自由になることが出来ると、少しずつ環境に合わせて心の準備が整い、世界そのものが変化をしていくのではないかと思っています。


 

そういったことからも、二度に渡り、ちょっと一見重いテ―マである、日常にある悪魔崇拝と呪いについて、今世界で起きていることに合わせて、読み解いていきたいと思っています。


 


 

ここ最近、世の中が大荒れしている中で、どうにも理解しがたい存在がいますよね。


 

それが、悪魔様の人。この人達の存在です。


 

常に、この限界を振り切ったような人たちばかりが、世の中をコントロールし、掻き乱しているように見えるのだけど、「何故、それが出来るのか」「何故、それが起こるのか」日々、不思議に思うことは、ありませんか?


 

それでも、この存在についてまずは理解が深まれば、その解決策から多くの人の気付きや希望に繋がるのではないかと思っています。


 

そのうえで、とても良くまとめられているサイトを見つけたので、こちらを参考にしていただけるとより理解が進みます。


 

「悪魔に成り果てた存在」

 

https://www.kokoro-ashiya.com/spirits/demon/トラウマケア専門こころのえ相談室



 

この内容を簡単にまとめ、補足をすると、以下の通りになります。


 

***


 

まずは、心理学の観点から、


 

人は幼少期のトラウマや耐え難い痛みを通して、痛みや苦しみが日常になり、痛みを好む身体「ペインボディ」になります。


 

この「痛みを好む身体」というのは、常に痛みを求めることにより、どんな形にせよ、さらなる痛み、それは怒り、悲しみ、暴力、病気などに至って、それらをすべて吸収しようとします。


 

そして、自分を痛めつけることを好むと同時に、他人を痛めつけるようにもなります。



 

この人の成長というのは、常に痛みとともにあるため、人生において無意識的にあらゆる痛みを求めるようになります。


 

そのため、誰とも幸せになることは出来ませんし、親しくなればなるほど、相手を傷つけてしまう傾向にあります。


 

そして、好きな人ほど、たくさん傷つけて、離婚や自殺、金銭トラブル、暴力・傷害、ギャンブル、アルコール依存、薬物依存などから裁判を起こし、これらの生き方を生涯に渡って求めるようになるのが特徴です。


 

その過程では、健常者が自己実現のために、守護霊やガイドを求めるように、自分の望みに協力をしてくれることを求め、悪魔(悪霊)に力を借りるようになっていきます。


 

***



 

私はこの内容を読んだ時に、自分の経験と重なるところがあり、とても納得しました。


 

そして、長年の疑問であった「悪魔とはいったい何者なのか。」「何が悪魔を求めるのか。」が解ったように思えたのです。


 

しかし、彼らは、生まれながらにして魔物だったのかというと、やはりそうではないと私は思うのです。


 

彼らの抱えている問題というのは、やはり私たちと同じように、愛の問題なんだと思うのです。


 

それというのも、その生いたちや経験から、自分を傷つけるような人の中にこそ「愛」を見い出すようになり、その人にとって「愛 = 傷つけることと共にある」にすり替わってしまった結果なのだ。というように、誤解や苦しみからどうにも抜けられないでいる人達なのだと思ったのです。


 

そのため、やはり本質は愛であり、愛によって導かれる人であることは、私たちと何ら変わりない存在なのだと思います。



 

そして、これらのことから、私たち一人一人が出来ることは、外側の現象を自分のものとして捉えることで、課題を取り戻し、過去の癒しを通して愛を育てること。(まずは自己愛!)


 

このことに尽きるのではないかと思うのです。



 

また、私が何よりも驚いたのが、私たちを困らせてばかりいる人たちが、本来求めているのは、お金でも、権力でもなく、実は「痛み」そのものだったということです。


 

健常な人が自然と愛を求めるように、常に痛みを求める姿というのは、不思議なように思うかもしれませんが、これまで理解が出来なかった色んな事象に当てはめてみると、納得がいくのではないかと思うのです。


 

それはたとえば、なぜ、世の中にはいまだに悪魔(悪霊)を求め、崇めたりする必要があるのでしょうか。子供への異常な虐待があるのでしょうか。私たちが苦しめば、苦しむほど輝きを取り戻し、活き活きとした不気味な表情をしているのでしょうか。(* 悪魔の力を借りて、悪いことをする。その結果ひどく責められる。深く傷つく。 * 無邪気な子供の痛みや苦しみを通して、自分の中にある子供時代の痛みが鮮明に蘇る。生きている感覚や力を取り戻す。)


 

そう思うと、彼らが求めているのは、やはり悪魔よりもその先にある傷、そして痛みなのかもしれません。

 

(私の経験からすると、悪魔というのは、やはり存在します。それでも、悪魔は決して「悪」だけの存在ではありません。驚くかもしれませんが、悪魔もまた苦しんでおり、道を失っているために、深いところでは愛による導きを求めている存在だったりします。)

 

 

 

そして、最後に残る課題というのは、私たちが外側に日々見ている悪魔の持つ苦しみというのは、実は自分の内側の写し絵であること。今私たちに求められているのは、この先「愛」を育み人間として生きていくのか、それとも、これからもひたすら「傷」を求めて本来は望まない生き物として生きていくのか、その選択なんだとも思うのです。
 

 

それでも、やはりすべての本質は愛であり、どうしようもなく困難な世の中にあっても、この世界には、まだまだ術と救いがあること。

 

この世界が抱える困難には、私たちを自由にする鍵、そして力があることに気付いていただけるのではないかと思うのです。