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【映画】『その街のこども 劇場版』

その街のこども 劇場版 [DVD]その街のこども 劇場版 [DVD]
森山未來,佐藤江梨子,津田寛治,井上剛

トランスフォーマー

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★★★★☆

あらすじ



阪神・淡路大震災15年特別企画として制作されたNHKドラマの劇場版。
子供の頃に震災を体験した勇治と美夏。
追悼の集いの前日に偶然知り合ったふたりが、震災15年目の朝までの時間を過ごしながら過去と向き合っていく。

感想

『その街のこども 劇場版』を見終えた感想を一言で言うと“困惑”というのが一番近い感覚かもしれない。
すごくドキュメンタリーっぽく作られた作品なので「映画を見た」という実感に乏しく、“映画として”の良い・悪いを判断するのが非常に難しい。
ただ、これから先、絶対に忘れられない映画になっていくであろうことは間違いないという確信もあって。
まあ、僕も映画の感想をこうやってブログに書くのが習慣化しつつあるわけで、やろうと思えば無理矢理言葉を紡いでそれっぽい“結論”をまとめることはできるだろう。
でも、そういう適当なことはやりたくないという気持ちにさせる映画だった。

本作を、そういう「忘れられない映画」たらしめているのは、何と言っても森山未來の演技の素晴らしさ。
「果たして、これを演技と言っていいのか?」と思うほどに極めて自然な演技で、勇治という実在する人物にしか見えないのがすごい。
競演のサトエリも同様に素晴らしく、ふたりの絡み、特に“会話の間”が全く演技に見えない。
居酒屋のシーンで「のれん」が映り込んだりしている点で、映像的にもかなりドキュメンタリー風。
扱っているテーマが「実際に起こった震災」である点も大きいんだろうけど、フィクションとノンフィクションの中間に位置するようなタッチで、“実話だけが持つ重み”を強く感じる映画だった。

さらに、“演技”という点では、ゆっち(サトエリ演じる美香の友達)のお父さんの声の実在感がヤバイ。
インターホン越しに“今なお茫然自失の状態が続いていること”を予感させる不安定さ、そして、美香の存在を一瞬で認識して対応できてしまうことがキツい。
美香は15年ぶりに突然神戸に帰ってきたわけで、ゆっちのお父さんからすると“あの日あの時間にやってくることを予想できる人ではない”はず。
それなのに一瞬で美香を思い出しているっていうことは、つまり、お父さんの精神状態が15年前の「あの日」からまったく進んでいないっていうことなわけですよ。
その“キツさ”を、インターホン越しの声だけで表現しているお父さん。
名前もしらない役者だったけど、スゴすぎる!

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ゆっちのお父さんとサトエリの再会のくだりからは、それまで高まっていた映画の緊張感が、“熱”として一気に噴出すかのように、非常に力のあるシーケンスが続く。
それは、森山未來、そしてサトエリの感情の爆発として表現されていて、「ゆっちのお父さんに手を振るふたり」、そして「夜明けの街を走り抜けるふたり」の2つのシーンが象徴的だ。

そもそも、「震災とどう向き合うか?」というテーマはとてつもなく難しい問題。
人それぞれ置かれた状況も違うなかで、絶対的な正解なんてものは存在し得ないわけで。
“震災のせいで直面した辛い思い出”のひとつひとつに対しては「誰々のせいだ!」と言えたとしても、問題の根本は誰のせいにもできないし、感情をぶつける先も無い。

感情をぶつけられず、うまく言葉にもできない。だから、走る。っていうのは、これはもう絶対的に正しい行動なのだ。
15年経ったからって、全てにカタがついたわけじゃないし、語りはじめたら止められないほどにフラストレーション溜めまくっているわけだけど、それでも前に進んで行かなければいけないのが“その街のこども”たち。
それはもう走るしかないでしょう!

そして、走り抜けた先で、ふたりは一度抱き合ってから別れるんだけど、これがまたステキ!
この“抱き合う”は、決して恋愛的な意味ではなく、どちらかと言うと“戦友”的な意識での行動なんだと思う。
ここで安易な恋愛要素を入れないところに作品への想いを感じるし、それでも“確かにふたりの心がつながった”ことを示してくれる、すごく好感の持てる終わり方だ。

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また、この別れのシーンは、「サトエリは被災者の集会に参加し、森山未來は参加しない」ということで別れることになるんだけど、“森山未來は集会に参加しない”っていう点も、この映画のいいところ。
遠くから見ると、同じ“その街のこども”に見えたとしても、震災によるダメージは人それぞれ。
「今はまだ・・・」っていう気持ちの人がいるのは全然正しいし、そこをちゃんと描いているのはすごく優しい
サトエリは、劇中で“過去の自分が向き合わなかったもの”と対峙し、越えなければいけないモノをちゃんと越えてみせた。
一方の森山未來は、それがまだ出来なかった。
だから、森山未來はまだ集会へは参加しない。
それは全然悪いことではないし、森山未來だって、きっといつかは向き合うことができるだろう。

だから、ふたりは決して別々の道を進んだわけではないのだ。

ふたりは、二度と再会することはないかもしれないし、次の日からは出会う前と何ら変わらない毎日が始まるんだろう。
でも、ふたり自身は、この出会いの前後で大きく変わったはずで、これこそが『絆』なわけですよ。

「絆」って、ここ一年くらい安直に使われまくっていて、なんだか“安っぽい言葉”にも聞こえがちだけど、やっぱり「絆」って力強くて優しい言葉。
人は1人じゃ生きられなくて、「絆」があってこそ生きている。
そんな、人生の大前提とも言えるような当たり前のことに気付かされるのが、この「別れ」のシーンだった。

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また、この映画が作られたのは2011年の1月で、東日本大震災の直前の映画なんだけど、この映画で語られているものが昨年の震災にも当てはまってしまっていて、だからこそこの映画が“忘れられない映画”になっているという面もあるのだと思う。

2011年という年は、日本にとって本当に大きな意味のある一年だった。
僕自身は震災によるダメージはほとんど受けなかったし、身近に亡くなった人もいない。
それはすごく“良かったこと”なんだけど、そのせいで“一歩踏み込んで行けない”と思っちゃう部分もある気がする。
もちろん、感情の大部分を占めているのは「被害がなくてよかった」っていう安心感なんだけど、「何の被害も受けていない俺なんかが、何も言えないよな。。。」というような、被害を受けていないことへの負い目を感じる場面もあって。
「俺なんかが。。。俺なんかが。。。」という想いが、邪魔をして、何か一歩踏みとどまっている部分があった気がする。

でも、結局どこまで行っても、“自分と全く同じ環境の人”なんているわけがないんだし、同じ境遇じゃないと共感できないなんてことはあり得ない。
迷ったなら、一歩踏み出して相手の側に近づくってことに負い目を感じる必要はない!
だって、そうじゃないと、「人間」ってつまらなすぎるもん!

そんな、“感想”ともいえない“感情”がフツフツと湧いてくる映画でもあった。


と、ここまで長々と感想を書き綴ってみても、やっぱりこの映画は非常に評価しづらい作品で。
ただ、人が生きていくということは、否が応にも誰かと関わり合っていかなければいけないということ。
それでいて、誰かと心が通じるというのは、限りなく“奇跡的”であるということ。
そんなスゴく当たり前のことを、深く自覚し考えさせられる映画だった。

何といいますか、“生きていく”ということに対して、“許し”をもらったような、追い込まれたような。。。

うーん、ますますモヤモヤしてきたけれど、それでも、間違いなく見て良かったと思えるし、しばらく時間を置いてもう一度観たいと思う映画だった。

なんだか、今日の感想は「個人的な映画の感想」にすら達していないグダグダな内容で、ただ長いだけの文章になってしまったけど、まとまらない感情をまとまらないまま書きだしても、まだ足りないほどに感情がこぼれ出す映画なのでした。

ここまで読んで下さった方がいましたら、「貴重な時間を使ってもらっといて、こんな終わり方でゴメンナサイ。。。」としか言いようがありません。。。ゴメンナサイ。。。べーっだ!
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