8月29日(金)事前合宿2日目

午前の活動

今日は午前中に順天堂大学の下見、午後に羽田空港の下見をする予定です。
朝7時半に朝食を済ませ、8時半にホテルを出発。9時10分ごろに順天堂大学に到着しました。

順天堂大学での下見と調整

順天堂大学では、この事前合宿をご担当されている杉林先生と棒高跳コーチの岩川さんにお出迎えいただき、陸上競技場やウェイト場など、大学の主要施設を見学させていただきました。
私は順天堂大学を訪れたのは初めてでしたが、陸上競技場、ウェイト場、フィジオルーム、クリニックなど、本当に施設が充実しており、「さすが順天堂大学」と感心しました。

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事前合宿の会場である順天堂大学の下見

事前に、オーストラリアのカーティス・マーシャル選手から「助走路の長さが最低でも50m欲しい」という要望がありました。
そこで順天堂大学の棒高跳助走路の長さを実際に測ってみると、45mしかありませんでした。
このため、場合によっては順天堂大学以外の競技場での跳躍練習も検討する必要があることがわかりました。

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普通は棒高跳の助走路は45mあれば十分なんですが…

その後、順天堂大学から車で約20分の岩名運動公園陸上競技場にも足を運び、こちらの施設も確認しました。
岩名陸上競技場では助走路が50m確保できることがわかり、候補の一つとして検討されました。

ただ、砲丸投のピットを確認したところ、長さが20mしかありません。
ニュージーランドのトム・ウォルシュ選手は自己ベスト22m90、練習でも21mは普通に投げるそうで、この競技場で投げるとトラックまで飛んでしまう恐れがあるとわかりました。
そのため、砲丸投については順天堂大学で練習することが決まりました。

ニュージーランドの人はコーヒーが大好き!

いくつかの施設を見学する中で、特に印象に残ったのが杉林先生の研究室を訪れたときの出来事です。
ニュージーランドのスタッフたちは、研究室に置かれていた本格的なコーヒーミルマシンを見つけて大興奮!
「すごい!」「写真を撮ろう!」と皆で盛り上がっていました。

後から知ったのですが、ニュージーランドにはカフェ文化が非常に根付いており、コーヒーは生活の一部なのだそうです。
私は事前合宿の前から棒高跳の選手たちと連絡を取り合っていましたが、頻繁に「ホテルの周りに良いカフェはあるか?」と聞かれました。

合宿中や試合期間中は、選手やコーチたちとWhatsAppのグループチャットで情報共有をしていましたが、その中でも「どこに良いカフェがあるか」という話題がよく出ていました。
大会本番で品川のホテルに滞在していた時も同じで、選手たちは試合当日の行動予定を文書にまとめる際に、スケジュール表の中に「〇〇時〜〇〇時:コーヒータイム」と記載していたほどです(3人全員)。
コーヒーへの情熱に、思わず笑ってしまうほどでした。

午後の活動

施設見学を終えた後、ホテルに戻って昼食を取りました。
ホテル1階の中華料理店でチーム全員と食事をしました。
中華のお弁当のような形式でしたが、ニュージーランドの皆さんはとても喜んでいて、「日本人は毎日こんなにおいしいものを食べているのか!」と驚いていました。白いご飯に醤油をかけて食べていたのが印象的でした。
お弁当を開けた瞬間の「ワオ!」という反応は、今でも忘れられません。

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お弁当を開けたときの「ワオ!」という反応

昼食の後、スコット・ニューマン監督とフィジオのルイーズさんと一緒に、近くのスーパーマーケットへ買い出しに行きました。
スーパーマーケットやホームセンターなどをいくつか回りましたが、二人とも値段の安さ(特にお酒の値段!)にとても驚いていました。
必要なものを無事に揃えることができ、二人ともとても満足そうでした。

その後、少し休憩を挟んで16時ごろにホテルを出発し、羽田空港の下見へ向かいました。

羽田空港の下見が必要だった理由は二つあります。
一つ目は、私自身が羽田空港に車で行くのが初めてだったため、どのくらい時間がかかるか確認したかったこと。二つ目は、最近ニュースで「羽田空港の駐車場が混雑している」という情報を聞き、不安があったためです。
また、31日以降には棒高跳の選手たちが順次羽田空港に到着する予定だったため、どこでポールを車に積むのかも事前に確認しておく必要がありました。
今回は、スタッフのブリアンナさんの希望で、東京湾アクアラインを通るルートで羽田空港に向かいました。

今日も非常に充実した一日でした。
スタッフの皆さんから「本当にありがとう」と何度も感謝され、大きなやりがいを感じた一日でした。
「もっと頑張ろう」と心から思えた日でした。


8月30日(土)事前合宿3日目

今日も朝7時半に朝食をとり、8時半ごろにホテルを出発して、砲丸投のトム・ウォルシュ選手とコーチのハイデンコーチを出迎えるために成田空港へ向かいました。チームリーダーであるスコット・ニューマン監督が一緒でした。

スコット監督は、以前ニュージーランド陸連のCEO(最高経営責任者)や、他のスポーツ競技でもCEOを務めていた方です。
車中では、チームリーダーであるスコット・ニューマン氏が車の助手席に乗り、いろいろな話をしました。
彼の言葉の中で特に印象に残ったのは、
「コーチにお金をかけなければいけない。選手に投資することも大切だが、選手は数年で引退してしまう。しかし、コーチにお金をかければ、そのノウハウは残る。次の世代を強くすることができる。だから良いコーチを育てるためにお金を使うことも大事なんだ。」という言葉でした。
深く共感しましたし、とても勉強になりました。

トム・ウォルシュ選手の到着

成田空港には9時30分ごろ到着し、トム・ウォルシュ選手とハイデンコーチを出迎えました。
トム・ウォルシュ選手は、
・世界陸上:金メダル1回🥇
・世界室内:金メダル3回🥇🥇🥇
・オリンピック:銅メダル2回🥉🥉
・ダイヤモンドリーグ・ファイナル:優勝4回🏆🏆🏆🏆、

という驚異的な実績を持つ、砲丸投界の第一人者です。

初対面のときは、その体格に圧倒されてとても緊張しました。
しかし話をしてみると、とても気さくで明るい人で、すぐに冗談を言い合える仲になりました。
合宿中は彼が私の車の助手席に乗ることが多く、いろいろ話をしました。
ただ、私の英語力がまだ十分ではなく、彼のニュージーランド訛りの速い英語を聞き取れないときもありました。
「もっと英語を勉強しなければ」と痛感しました。

トップ選手の習慣と哲学

印象に残っているのは、彼の朝の過ごし方です。
トム選手はほぼ毎朝、朝食会場の近くのスペースで軽いトレーニング(コンディショニング)をしてから朝食を食べていました。
世界トップレベルの砲丸投選手ということで豪快で細かいことを気にしないのかなと勝手なイメージを持っていましたが、実際は地道にコツコツと取り組むタイプでした。

また、トレーニングの内容や時期ごとの調整方法についても、詳しく教えてくれました。
その中で印象的だった言葉が、

「トップ選手にとって大切なのは、柔軟に対応すること。そして何より重要なのは“Stay healthy”(怪我なく、健康でいること)だ。」
というものでした。
この言葉は多くのトップ選手やコーチが口にしますが、改めてその意味の深さを感じました。

今日の昼食も中華レストランでの食事でした。

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昼食はこの日もホテル1階の中華レストランで、みんなで楽しく食事をしました。
その後少し休憩を取り、トム選手とハイデンコーチ、スタッフの方々を連れて順天堂大学の競技場の下見に行きました。
現地では、順天堂大学の学生の皆さんが、ニュージーランドとオーストラリアの事前合宿のためにテントの設営や清掃などの準備を進めてくださっており、本当にありがたいと感じました。
この日以降も、順天堂大学の皆さんには事前合宿中ずっとお世話になりました。

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順天堂大学からホテルに戻り、少し休憩をしました。

若き才能との出会い

順天堂大学からホテルに戻って休憩した後、夕方には再び成田空港へ向かい、クレイグ・カークウッドコーチとサム・ルーセ選手を出迎えました。

サム・ルーセ選手は、16歳の若き1500mランナーで、世界史上最年少で1マイルを4分未満で走った選手として知られています。
1500mでは3分41秒25という驚異的な記録を持ち、U15の世界記録保持者でもあります。

今回は世界陸上の出場メンバーには選ばれていませんでしたが、後日到着するサム・タナー選手のトレーニングパートナーとして、そして将来を見据えて貴重な経験を積ませるために代表チームとともに派遣されたそうです。

選手1人を国際大会に帯同させるには、多くの費用がかかるはずです。
それでもあえて若手選手を派遣するところに、ニュージーランド陸連の強化方針——「将来への投資を惜しまない姿勢」がはっきりと表れていると感じました。

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左からサム・ルーセ選手、クレイグコーチ

この日の仕事は夕食で終了。
いよいよ明日から、選手たちの本格的なトレーニングが始まります。
緊張と期待が入り混じる中、充実した1日を終えました。

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(その3へ続く)

はじめに

自己紹介とニュージーランドチームの紹介

福島大学棒高跳オンラインコーチングでコーチをしている木次谷(きじや)といいます。

私は2025年9月に開催された東京世界陸上(2025 Tokyo World Athletics Championships)でニュージーランドチームに帯同し、約3週間にわたり事前合宿と大会期間中のサポートを行うという貴重な体験をしました。
今回は、その体験について報告いたします。

2025年東京世界陸上には、ニュージーランドチームはわずか14名の選手団で参加しましたが、

・男子3000 m障害:金メダル🥇
・男子走高跳:金メダル🥇
・女子砲丸投:銅メダル🥉
・男子砲丸投:第4位
・女子やり投:第7位
・女子棒高跳:第8位

という結果を残し、メダル獲得数では世界第5位という素晴らしい成績を収めました。
もちろん、メダルを26個も獲得した陸上王国アメリカには敵いませんが、小規模国であるニュージーランドが14名という少人数でこの結果を出せたのは本当にすごいことだと思います。

このような小規模国がどのようにして世界選手権のために準備しているのか、そしてその強さの秘密はどこにあるのか、その点に強い興味を持ちました。

日本人が日本以外の国の世界陸上代表チームの内部に入り、選手やコーチたちとともに活動するという経験は、普通ではなかなかできることではありません。

今回は、その様子について簡単に報告したいと思います。

※なお私はニュージーランドチームのサポートだけでなく、チェコ共和国チームの事前合宿のサポートもさせていただきました。
チェコチームのコーチたちからも多くのことを教わり、男子走高跳のヤン・ステフェラ選手が銅メダルを獲得するなど、とても貴重な経験になりました。チェコ代表チームのお話しもあります

なぜ私はニュージーランドチームのサポートをすることになったのか

私は福島県で棒高跳のコーチをしています。
これまで、棒高跳のコーチングを学ぶために、アメリカ、ドイツ、チェコ、ポーランド、ニュージーランドなどを訪問し、研修を受けたり、各国のコーチたちと情報交換をしたりしてきました。

今年(2025年)3月にも、ニュージーランドの棒高跳の強さを探るため、現地を訪問しました。
ニュージーランドには、リオデジャネイロオリンピック女子棒高跳で19歳ながら銅メダル🥉に輝いたエライザ・マッカートニー選手や、2025年ロンドンダイヤモンドリーグで優勝したオリビア・マクタガート選手がいます。
さらに、昨年のパリオリンピック(2024年)では、この二人に加えイモジェン・アイリス選手も出場し、3名全員が決勝に進出しました。棒高跳界において、ニュージーランドは今まさに注目の国のひとつです。

2025年3月のニュージーランド訪問では、現地のコーチたちに大変良くしていただき、たくさんの時間を割いて指導していただきました。とても有意義な研修でした(この研修については、別の記事で報告します)。

3月にニュージーランドを訪問した際、私は軽い気持ちで「今年は日本で世界陸上があるので、もし何かあったら連絡してくださいね」と現地のコーチに話していました。

帰国後、私はその事を忘れていたのですが、4月に入ってからニュージーランド陸連から連絡があり、「今年の世界陸上の事前合宿や大会期間中に、ニュージーランドチームを手伝ってもらえないか」という正式な依頼を受けました。

私は「単に世界陸上のお手伝いをするということではなく、ニュージーランド陸上競技の強さの秘密や、ニュージーランド陸連の組織体制、選手やコーチの育成システム、トップアスリートの最重要大会前のコンディショニング方法、サポート体制などを調査したい。そのため、もしニュージーランド陸連が調査への協力を承諾してくれるなら、ぜひお手伝いをさせてほしい」とお伝えしました。
結果としてこの私の要望に対してニュージーランド陸連から正式な同意を得ることができ、今回のサポートが実現することになりました。

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ニュージーランド陸連から支給された
代表チームのウェア・シューズ一式

 

世界陸上が始まるまでの準備や手続きについて

ニュージーランドチームのサポートが決まってから、実際に合宿が始まるまでの準備期間は想像以上に大変でした。
ニュージーランド陸連からは次々と要望や問い合わせがあり、それにひとつずつ対応していきました。

たとえば、

・事前合宿中に使用できるプールの手配
・ポールを積載できるレンタカーの手配
・ポールの運搬方法の検討
・順天堂大学以外の競技場情報の収集
・食事にアレルギーがある人のための食材探し
・世界陸上期間中の予備ウェイト場の確保
・治療機器を貸してくれる施設の探索 などです。

これらの準備の中で、特に印象的だったことがあります。

それはニュージーランド陸連から「世界陸上の際、あなたをチームの正式な一員として登録したい。その手続きの一環として、World Athletics(世界陸連)のSafeguarding研修を受講し、証明書を提出してほしい」と要請されたことです。

Safeguarding(セーフガーディング)とは、陸上競技に関わる選手やスタッフを虐待・ハラスメント・搾取などから守るために世界陸連が設けている制度・研修プログラムです。

Safeguarding | Athletics for a Better World | World AthleticsSafeguardingworldathletics.org

ニュージーランド陸連では、世界陸上などの代表チームのコーチやスタッフにこの研修を義務づけており、合格証の提出が求められます。
また、これは代表クラスに限らず、地域クラブの指導者にも必要な資格で、これがなければ指導者として活動できません。

私は日本陸連の公認コーチ資格も持っていますが、恥ずかしながらこのとき初めて「Safeguarding」という言葉を知りました。
というのも少なくとも私が資格を取得した当時の研修には「Safeguarding」ような内容は含まれていなかったからです。

ニュージーランド陸連の要請に応じ、英語でのオンライン研修を受講し、無事に合格証を提出することができました。

この研修は、私自身にとっても非常に意義深いものでした。
日本でも陸上競技のコーチ資格制度は整いつつありますが、全てのコーチ・指導者がコーチ資格を持っているわけではなく、資格取得は義務にはなっていません。「Safeguarding」についてもまだあまり知られていない現状があります。
また、以前よりはだいぶ減りましたが、いまだにスポーツ指導の現場での体罰や不適切な指導についてのニュースを聞くこともあります。
これらを防ぐためには、各競技の効果的なトレーニングや練習方法などの専門的知識を学ぶ以前に(以上に)、この「Safeguarding」の考え方を学ぶことは非常に重要だと感じました。
 

順天堂大学での事前合宿

8月28日(木)事前合宿1日目

いよいよ今日から、2025年東京世界陸上のニュージーランドチームのサポートが始まります。

お昼頃に福島県いわき市を出発し、千葉県へ向かいました。
千葉に到着し、まずは事前合宿の宿泊先であるウィシュトンホテル・ユーカリ(千葉県佐倉市)を下見し、荷物を置いてきました。
ニュージーランドチームとオーストラリアチームはこのホテルに宿泊し、車で30分ほどの場所にある順天堂大学で練習をすることになっています。

この日は、ニュージーランド代表チームのスタッフが18時15分に成田空港に到着予定でした。
28日に来日するのは監督のスコット氏、フィジオのルイーズさん、ベンさん、そしてマネージメント担当のブリアンナさんの4名です。
初対面の方々でしたので、すぐに私を見つけてもらえるように自作のウェルカムボード(出迎えボード)を用意しました。

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ウェルカムボード(出迎えボード)

入国手続きや荷物の受け取りもあり、4名のスタッフが到着ロビーに現れたのは19時過ぎ。
ウェルカムボードのおかげで、すぐに私を見つけてくれました。

空港での挨拶のあと、これまでの準備対応について「本当によくやってくれた」と早速褒めていただきました。
大きな荷物を車にぎゅうぎゅうに積み込み、4人とともにホテルへ向かいました。

ホテルに到着してチェックインを済ませた後、今日はホテルでは食事は準備していないという事をなので、すぐ近くの居酒屋「庄屋」で彼らにとって初めての日本の夕食を取りました。

初めての日本の居酒屋に、4人のニュージーランドスタッフは興味津々で「これは何?」「これはどんな料理?」とたくさん質問してくれました。
焼き鳥・餃子・枝豆などをとても気に入ってくれ、終始にぎやかで楽しい食事でした。

ニュージーランドチームでは、スタッフが仕事を終えたあと、ほぼ毎日ビールを飲みながらミーティングを行うそうです。日本の「飲みながら作戦会議」と同じようで、親近感を覚えました。

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焼き鳥・餃子・枝豆

皆さん本当にフレンドリーで、すぐに打ち解けることができました。

事前合宿1日目はすべて予定通り進み、初日としてはとても良いスタートを切ることができたと思います。

明後日(30日)からは選手たちが来日するため、明日(29日)は順天堂大学や近くの競技場、羽田空港、ホテル周辺の店舗や施設などの下見など、事前準備がたくさんあります。

ニュージーランドのスタッフの皆さんからも「これから素晴らしい合宿になりそうだ」という期待を感じ、私自身もワクワクしながらホテルに戻りました。

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1日目のマネジメントスタッフの作戦会議

 

ヨーロッパ棒高跳研修報告①

ドイツにおける 棒高跳強化の現状について①(月陸:2014年6月改変)

※過去に月刊陸上競技(2014年6月)で木次谷が執筆したものを、さらに改変したものです

 

はじめに
 木次谷はヨーロッパにおける棒高跳の現状について調査するために各国を訪れ、各国のナショナルコーチや元ナショナルコーチたちと情報交換したり、ドイツ陸連コーチアカデミーや各地域のクラブで研修をしたり、ヨーロッパ棒高跳カンファレンスに出席したりしてきました。  訪問の概要は以下のとおりです。 
【2010年】 
・第4回ヨーロッパ棒高跳・走高跳カンファレンス出席
・TSVバイヤー04レバークーゼン研修 

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【2012年】 
・第5回ヨーロッパ棒高跳・走高跳カンファレンス出席 
・TSVバイヤー04レバークーゼン研修 
・ドイツ陸連コーチアカデミー研修 

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【2014年】 
・第6回ヨーロッパ棒高跳・走高跳カンファレンス出席 
・LAZツバイブリュッケン研修 

・TSVバイヤー04レバークーゼン研修

・ポーランド棒高跳研修

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【2016年】

・第7回ヨーロッパ棒高跳・走高跳カンファレンス出席 

・TSVバイヤー04レバークーゼン研修 

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【2018年】

・第8回ヨーロッパ棒高跳・走高跳カンファレンス出席 (口頭発表)

・チェコ・ピルゼニ・西ボヘミア大学棒高跳研修

・TSVバイヤー04レバークーゼン研修 

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【2021年】
・第8回ヨーロッパ棒高跳・走高跳カンファレンス出席(オンライン)

 

TSVバイヤー04レバークーゼン訪問 

①概要 
 レバークーゼン市は、ケルン大聖堂で有名なケルン市から電車で20分ほどのところにある中規模都市です。

【ケルン大聖堂】

 

 

 

 ここに総合型スポーツクラブ「TSVバイヤー04レバークーゼン」があります。

 TSVバイヤー04レバークーゼン(以下レバークーゼン)は、製薬会社バイヤー社の従業員向けの体操クラブとして発足させたクラブですが、現在は、陸上競技、ハンドボール、サッカー、フェンシングなど十数種目の部門を抱えるドイツでも最大規模の総合型スポーツクラブです。

  

 

②クラブの実績 
 このクラブでトレーニングしている代表的な棒高跳選手と言えば、女子で4m82の自己ベストを持つシルケ・シュピーゲルブルクです。過去には、ダニー・エッカー(6m00)やティム・ロビンガー(6m00)らもこのクラブでトレーニングしており、また東京オリンピック・男子棒高跳で5時間半にわたる激闘の末、銀メダルを獲得したヴォルフガンク・ラインハルト選手もこのクラブ出身です。 
 棒高跳以外にも有名選手が多く、ハイケ・ヘンケル選手(91年東京世界陸上女子走高跳金メダル)やヴィリイ・ホルドルフ選手(東京オリンピック十種競技金メダル)など、世界のトップ選手を数多く輩出しており、これまでオリンピック・世界選手権ではクラブ全体で金メダル12個、銀メダル10個、銅メダル21個を獲得しています。

【シルケ・シュピーゲルブルグ選手と筆者】

 

【一番左がダニー・エッカー選手】

③クラブの設備 
 TSVバイヤー04レバークーゼンには、屋外スタジアム(400mトラック)、室内スタジアムのほか、投擲専用練習場、多目的芝生グラウンド、150m直線レーンなどがあり、クラブ専用の理学療法の診療所も持っているなど、非常に充実していました。
 室内スタジアムには、1周200mのトラックの内側に、棒高跳ピット、走高跳ピット、走幅跳ピットがそれぞれ二つずつ設けられています。

 また、トラックの外側にも150mの直線走路と走幅跳ピットがあり、充実した器具を有するウェイトトレーニング場も併設されています。
 棒高跳のための設備に注目すると、棒高跳ピットの隣に高鉄棒、平行棒、吊り輪、トランポリン、ロープなどが設置されており、棒高跳に必要なトレーニングがすべて一ヶ所でできるような構造になっています。 
 合宿のために海外からレバークーゼンを訪れる選手も多く、2012年には、ラビレニ選手の当時のコーチであったダミアン・イノセンシオ氏とそのチームが合宿のために訪れていました。

【屋内競技場】

 

【トレーニングのためのいろいろな器具】

 

【屋外競技場】

 

【フィジオセラピーのための施設と多くのスタッフ】

④指導体制 
 筆者がレバークーゼンでお世話になったのは、レシェク・クリマ(Leszek Klima)コーチです。

 ポーランド出身のレシェク・コーチは、レバークーゼンで30年間以上棒高跳のコーチとして働き、かつてはドイツのナショナルコーチ(オリンピックコーチ)も務めました。これまで、育てた選手の中には、前述したダニー・エッカー、ティム・ロビンガー、シルク・シュピーゲルブルクのほか、マルト・モア、アンナ・ロゴフスカ(世界陸上ベルリン金メダル・4m83)らがおり、まさに世界でもトップレベルの棒高跳コーチということができます。 

 レシェクコーチのほかに、レバークーゼンに男子ナショナルコーチ(当時)でもあるヨーン・エルバーディンク・コーチと、主にジュニアを担当するクリスティナ・アダムズコーチ(現ナショナルコーチ)がいます。二人ともレシェク・コーチの教え子であり、トップ選手からジュニア選手までを、数グループに分けそれぞれ、協力して指導に当たっていました。

 


【ヨーン・エルバーディンク・コーチと】

 

 

福島大学陸上競技部で棒高跳のコーチをしている木次谷聡といいます。
この度、棒高跳オンラインコーチングを始めました。

オンラインコーチングをご希望の方は下記にご入力をお願いいたします。

 

 

福島大学棒高跳オンラインコーチングの内容

1 無料版
【対象】 
①当面は4m40~4m80程度の高校生の男子選手を優先とします(それ以上の記録の選手や大学生、女子等は個別にご相談ください)

②棒高跳のコーチがいない選手、普段は他のコーチに指導を受けている選手どちらでも可(他のコーチに教わりながら、セカンドオピニオン的に使っていただいても結構です。秘密は守ります

 ※初心者の方がオンラインでコーチングを受けるというのは、安全面も含めて適切な方法ではないと考えていますので、当面は募集いたしません。それを理解した上でどうしてもという場合は個別にご相談ください。

 

【内容】当面は個別に相談して進めます
基本としている進め方は
 ①選手が自分の跳躍を動画撮影する
 ②動画や質問などを木次谷まで送っていただく
 ③zoom等を使ってコーチング(技術的なアドバイスやトレーニング方法など)
※一斉指導(配信)ではなく、個別指導を基本としています。
※跳躍している現場でリアルタイムでのオンライン指導も検討中です

 

2 有料版(準備中)
①選手が自分の跳躍を動画に撮る
②動画を木次谷に送る
③木次谷が海外のトップレベルコーチの動画を送り、アドバイスをもらう
③海外コーチからのコメント等を送ってくれた選手にフィードバックする

 

オンラインコーチングをご希望の方は下記にご入力をお願いいたします。
※希望者が多数の場合はお断りすることがありますのでご了承ください。

 

 

1.棒高跳オンラインコーチングをはじめる理由

棒高跳オンラインコーチングを始める理由。それは私自身の辛い経験からです。
私は棒高跳選手でしたが、私には棒高跳の専門の指導者はいませんでした。
私は棒高跳の専門コーチの指導をうけられなくて困っている選手の気持ちがわかります。
「棒高跳が好き!」なのに、「強くなりたい!」のに教えてくれる人がいない、そんな選手の気持ちがわかります。
私も同じでした。棒高跳の専門の指導者に教わっている他校の選手たちが羨ましかった!!

この度、専門の棒高跳の指導者がいない選手をサポートしたいと思い、「福島大学棒高跳オンラインコーチング」を始めることにしました。

私はこれまで沢山の海外のトップコーチたちから棒高跳の技術やトレーニング方法、そしてそれらの基礎になっている理論・考え方について教わってきました。
それらは本当に多種多彩で、日本では指導されていない技術日本では実施されていないトレーニングも含まれています。
これらの情報は私が持っているだけでは宝の持ち腐れです。
もしかしたらこれらの情報を活用したらもっともっと強くなれる選手もいるのではないかと思い「棒高跳オンラインコーチング」という形で公開しようと考えました。

2.棒高跳の専門コーチからの指導を受けられなかった経験

(ここは読み飛ばしても大丈夫です)
私は中学2年生から棒高跳を始め、14年間選手として棒高跳の競技を行ってきました。

現役時代、私は棒高跳のコーチに指導してもらったことがありません。
現役時代は自分でビデオを見たり、他の選手を真似したり、書籍を読んだりしながらトレーニングをしてきました。
やる気はとてもありました!
棒高跳で強くなりたかったので、高校生、大学生の時は、毎日授業の前には一人で朝練をし、チーム全体での練習が終わっても一人で残って夜遅くまで練習しました。休みの日は一人だけで午前と午後練習したりもしました。
また、たくさん走って、たくさんウェイトをすれば強くなるだろうと思って、短距離ブロックと一緒にひたすら走ったり、ウェイトをしました

※当時の福島大学の短距離ブロックの練習は本当に量が多かったです。
私は「関東大学の棒高跳び選手もこれぐらいは走っているだろう!」と思い、「関東の選手には負けたくない!」という思いでがんばりました(当時は他大学の情報とかを知る手段が無かったのです)。

のちに、他の大学の棒高跳選手に聞いたら「そんなに練習しているの?走ってるの!?僕らはそんなに走らないよ」と驚かれました。

また、毎日のように棒高跳のビデオを見て自分なりに研究しました。(懐かしのVHSテープ、91年東京世界陸上!! 当時は日テレが世界陸上を放映!!!)。
どの場面で誰がどのような解説をするか、どの場面でCMが入るか記憶しているぐらい、本当にテープが擦り切れるまで見ました。
※91年東京世界陸上の棒高跳の解説者は広田哲夫コーチでした。のちにご縁があり今は懇意にさせていただいております。

自分なりにいろいろ試行錯誤してトレーニングしていましたが、なかなか記録は伸びませんでした。大学には棒高跳のコーチいなかったため、棒高跳のコーチがいる選手を見て「羨ましい!!」「自分も棒高跳のコーチさえいてくれたら強くなれるのに!!と思っていました。
やる気はあるのに、専門的な知識がない、教えてくれる人がいない、もどかしい思いでした。

3.最初はインターネットで勉強しました

(ここも読み飛ばして大丈夫です)
大学3年生のころ(1996年ごろ)にはインターネットが普及し始めました。

大学の研究室にはインターネットに接続したパソコンがあったので、「棒高跳で強くなりたい!、なにか参考になるものはないか?」という思いで、まずは「棒高跳」は英語でなんというかを辞書で調べ、棒高跳は英語で「pole vault」というんだということを知りました。

次にインターネットで「pole vault」と検索してみました(当時はYahoo!が主流でgoogleはまだ一般的ではありませんでした)
すると、次から次に「POLE VAULT」に引っ掛かるページが出てくるではありませんか!
私は本当に興奮しました!
「世界にはこんなに棒高跳の情報があふれているなんて!!」、「日本で言われていることと全然違う!」と。
今でも覚えているのはAdvantage AthleticsというページとU.S. Pole Vault Academyというページです。
当時から棒高跳の技術やトレーニングについて詳細に説明されていました。

私は興奮してそれらの棒高跳のページの翻訳を始めました。

その当時は私は英語はそんなに得意なほうではありませんでしたが、「棒高跳で強くなりたい!」「日本人は知らない情報を先に取り入れて、他の大学の選手に勝ちたい!」という気持ちで、辞書を引きながら憑りつかれたように翻訳しました。(今、英語が話せるようになっているのはこの経験が大きいです)

棒高跳のコーチはいませんでしたが「棒高跳が好きだ!」「強くなりたい!」という気持ちと、【海外の棒高跳の情報】のおかげで、最終的には大学時代は日本学生個人2位、日本インカレ4位という結果を出すことができました。

4.コーチになって初めての海外での棒高跳修行

コーチになってからも海外の棒高跳の情報を集め、棒高跳の知識を得るためいろいろなことをしました。
インターネットで文献を集め翻訳をすることは継続していたのですが、「文献を読むだけでなく、実際に海外にいって棒高跳を勉強したい!文章にできないことで重要なことがあるはず。海外で棒高跳の勉強をしたい!」という気持ちが強くなってきました。


ここでまたインターネットの登場です。
「pole vault camp(棒高跳 合宿)」や「pole vault clinic(棒高跳 クリニック」と検索したら、アメリカの棒高跳クラブの合宿やクリニックの情報が沢山出てきました。

実はこの時点では私は海外に行ったことがなかったのですが、「絶対にアメリカの棒高跳合宿に行く!一人でも行く!」と決めていました。
 

主にアメリカの棒高跳チームのページを見ていましたが、その中でMt.SAC(マウント サンアントニオ カレッジ・カリフォルニア州・アメリカ)のページが目に留まりました。
そのホームページを詳しく見ているとコーチ紹介のページがあり、その中にBrian Yokoyamaという文字が目にとまりました。
最初は「日系人の方がコーチをしているんだなあ」という程度でした。

 

引き続きのページを見ているとTetsuo Hirotaという名前を見つけました。
これは先ほど書いた91年東京世界陸上で棒高跳の解説をしていた、広田哲夫氏ことです。


私は最初は、アメリカだったら単身でどこでも乗り込んで合宿に参加してやろうと思っていて準備をすすめていました(この時は英語はほとんど話せません)。ただ、いろいろ見ていく中で。日系人の方がいらしゃるし、日本のコーチも参加しているし、冬休みの時期に合宿をしているようなので初めてのアメリカ合宿はMt.SACにしようと決めました。

なんとかして広田哲夫コーチの連絡先を調べ、ダメ元で「一緒に連れて行ってください」とお願いしました。すると意外にも「いいよ」というお返事でした。
これが私にとって初めての海外での棒高跳の合宿参加でした。

初めての海外での棒高跳研修についてはいつか書こうと思いますが、そのMt.SAC棒高跳合宿での出会いが次々とつながり、棒高跳サミットに参加したり、ドイツに行ったり、ポーランドに行ったり、チェコに行ったりとアメリカやヨーロッパ各地で棒高跳の研修につながり、海外のコーチたちと連絡を取り合う仲になりました。

 

5.棒高跳オンラインコーチングをはじめる理由(再び)

私が棒高跳オンラインコーチングを始めるのは次の理由からです。
 ①棒高跳の専門コーチに教わることのできない棒高跳選手を支援するため。
 ②これまで海外で棒高跳の研修をしてきて多くのコーチと知り合い、多くの情報を蓄えてきたが、それを活用して日本の棒高跳の向上に貢献したいから。
 

 

ドイツ陸連 棒高跳ヘッドコーチ

ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション(概要)

『棒高跳の導入・器械運動トレーニング』について

 

 福島大学で棒高跳コーチをしている木次谷聡といいます。

 今回は、ドイツ陸連フィールド部門ヘッドコーチである、ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション③を掲載します。

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 これまで私(木次谷)は棒高跳の研修のために、アメリカ(リノ・ネバダ州)で開催されているpole vault summitなどに参加してきました(2004~2009年)。

 また、定期的にヨーロッパ各国(主にドイツ)を訪問し、トップクラスの棒高跳選手が所属するクラブで研修を行ったり、ドイツ陸連コーチアカデミーで研修を行ったり、棒高跳k会議に参加するなど多くの棒高跳選手やコーチらと情報交換を続けてきました(2010~現在)。

 

 これらの訪問でわかったことは日本、アメリカ、ヨーロッパでは棒高跳の技術やトレーニング、また育成システムという面で大きく違いがあるということです(もちろん類似点もありますし、日本のほうが優れている点もたくさんあります)。

 

 最近はYouTubeや各種SNSを通して海外の選手の跳躍やトレーニングの様子を見ることができるようになり、日本にいながらもたくさんの情報を得ることができるようになりました。とてもすばらしいことです。

 

 ただ、YouTubeなどを通して棒高跳の技術やトレーニングについて情報を得られるようになったのは良いことなのですが、その選手やコーチがどういう意図でやっているか本来の目的がわからないまま見た目だけを真似することになってしまっているような例も多く見受けられます。

 見よう見まねでやってみることも悪いことではありませんが、基本的な考え方や背景などを理解することも大切なことだと思います。

 

 このブログでは主に棒高跳の海外の情報について発信していきます。

 まだまだ日本国内では一般的に広まっていない棒高跳の情報もたくさんありますので、そういうものを日本の棒高跳選手・コーチの皆さんと共有することで、日本の棒高跳のさらなる発展に貢献できたらと考えています。

 

 もし質問等がありましたら、お気軽にご連絡いただければと思います。

 また、感想等もお聞かせいただけたら大変ありがたいです。

twitter (@Ultimateacjapan)

E-mail (iwakipv@gmail.com)

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1 ハーバート・ツィンゴン氏について

 

(ハーバート・ツィンゴン氏)

 ハーバート・ツィンゴン氏は長くドイツの棒高跳ナショナルコーチ(当時)を務め、棒高跳で数多くのエリート選手を育成したトップコーチです。

 ツィンゴン氏は棒高跳のコーチだけでなく、ドイツ陸連フィールド部門のヘッドコーチ(当時)もつとめ、ドイツ国内をはじめ各国で講師をつとめてきました。

 

 2013年にはドイツ陸連を辞め、スイスで棒高跳のナショナルコーチを務めています。(私は「なぜ辞めたの?」聞いたことがありますが、ツィンゴン氏は「陸連の仕事も大事だけど、俺は実際に選手を指導したいから」と答えました)

(ハーバート・ツィンゴン氏と木次谷)

 

 ツィンゴン氏はドイツだけでなく各国で仕事をしていますので、ヨーロッパだけでなく世界中の棒高跳のことを知り尽くしています(世界一棒高跳に詳しい人物と言っても過言ではありません)

 

 今回は2012年にドイツ陸連コーチアカデミーにおいてハーバート・ツィンゴン氏とディスカッションの概要を数回にわけて掲載していこうと思います。

 

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2 棒高跳の導入について

(木次谷)

 ドイツではだいたい何歳ぐらいから棒高跳を始めるのが一般的なのか?

 

(チンゴン)

 だいたい14~15歳で始める選手が多い。これより早い年齢で始める選手はまれである。

 ドイツでは混成競技が非常に人気があるが、男子の場合、棒高跳を始めるのは混成競技がきっかけになっている。

 混成競技を始めるときに、いろいろな種目に触れる必要がありその後棒高跳の世界に入ってくる選手が多い。

 

 女子の場合は状況は異なる。女子の7種競技には棒高跳がないからである。

 女子の場合多いのは体操競技をやめた選手が棒高跳に来るパターンである。

 例えば体操競技のほうであまりうまくいかなかったり、体操競技の選手としては身長が大きすぎたりそういう理由で棒高跳に競技変更してくることが多い。

 

 先ほど話題にあがったマルティナ・スタルツも体操競技を14歳までやっていて、体操競技としてもとてもよい選手であった。

 

3 器械運動トレーニングについて

(木次谷)

 前回の棒高跳会議に参加したとき、多くの選手たちがとても優れた体操競技の能力を持っていて非常に驚いた。

 

(チンゴン)

 20年前はドイツの選手たちはこのような状況ではなかった。以前の選手たちは器械運動の能力はそんなに高くなかった。我々は努力してこのような状況を作り上げることができた。

ただ、レシェクは早くから器械運動を棒高跳に取り入れており、良い結果を出していた。

 

 良い棒高跳選手は3つの重要な柱で成り立っていると考えている。

 一つは走りの能力、もう一つは跳躍選手の能力、そして最後に体操競技の能力である。これらがうまくつながる必要がある。もしこの3つのうちの一つでも欠けてしまうと、棒高跳でよい結果を出すことは難しい。

 

 我々は器械運動についても1990年代から改善をつづけようやく20年経った。

 

※器械運動トレーニングのプログラムの詳細やピリオダーゼーションなどについては量が多いので、また別の機会に掲載させていただきます。

 

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次の動画はドイツの棒高跳選手が器械運動トレーニングを行っている様子です(2010年訪問時撮影)

 

赤いシャツを着て指導している人はイシンバエワの体操のコーチです(イタリア人)。

若いころのホルツディッペ選手も映ってます。

この動画に映っている選手たちはすべて棒高跳の選手です。

ドイツの棒高跳選手たちの中には器械運動の能力が非常に高い選手もいることがよくわかると思います。

棒高跳の器械運動トレーニング(ドイツ)リンクyoutu.be

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4 子ども向けの陸上競技について

(木次谷)

 この前レバークーゼンに行ったとき、コーチが話していたのだが、ドイツでは子供向けの試合を変えようとしているとのことだった。

なぜ、どのように変えるのか、これについて教えて欲しい。

 

(チンゴン)

 競技会について変えようとしているのは、8~11歳の子供たちむけの試合についてである。

まだ完全には変更はしていない。

 

 これまで伝統的にこの年齢グループの子供たちのために行われてきたのは、例えば50m走とか走幅跳とかボール投とかそういうものであった。

 

 それに対して新しい競技会では、それらの走・跳・投の要素をいれつつも、その年代の子供に特化したようなものにし、より楽しめるようなものにしている。そしてそれらをすべて組み合わせた混成種目のようなものにし、競技会ではその混成種目のみを行うようにしている。つまり、走る種目だけに出場するとか、跳ぶ、投げるだけの出場するということはないようにしている。

 

 出場する選手はすべての種目を実施する必要がある。そして、これをチーム戦で行うようにしている。

 この年代ではチームで行うということはとても重要であると考えている。

 チームで行うことにより単に陸上競技をやるという以上に、新しい発見をしたり、友情をはぐくんだりすることができる。チームで試合に参加すること自体が冒険でもある。

 

 我々としてはこういう変化をさせることにより、選手たちが早い段階で陸上競技に対して興味を失わないようにしている。

 我々は12~14歳の年齢の子どもたちが陸上から離れてしまうことを大きな問題だと思っている。

 彼らは5~6年ぐらい陸上競技を行った後、つまらなくなってしまい興味を失ってしまい、他のスポーツに行ってしまうことが多い。

 

 だから我々は子供たちの陸上の試合を変えようとしている。まさに今この変化を起こそうとしているところである。

 このような競技会は今年から始めることになっている。

 

 これは新しい変化である。ここまでとても長い議論があった。ここまで10年かかった。

 どこでもそうであると思うが、伝統を重視する立場の人と変化を起こそうとする立場の人がいる。

 伝統的な立場の人は変えることに抵抗があるし、変化を起こそうとする人はすべてを新しくしたくなる。

 両極端の人がいるが、時間をかけ何度も話し合いをし、なんとか今回のような状況を作り上げることができた。

 

 

 

ドイツ陸連 棒高跳ヘッドコーチ

ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション(概要)

『棒高跳の技術・トレーニング・バイオメカニクス』について

 

 こんにちは。福島大学で棒高跳コーチをしている木次谷聡といいます。

 

 今回は、ドイツ陸連フィールド部門ヘッドコーチである、ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション②を掲載します。

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 これまで私(木次谷)は棒高跳の研修のために、アメリカ(リノ・ネバダ州)で開催されているpole vault summitなどに参加してきました(2004~2009年)。

 また、定期的にヨーロッパ各国(主にドイツ)を訪問し、トップクラスの棒高跳選手が所属するクラブで研修を行ったり、ドイツ陸連コーチアカデミーで研修を行ったり、棒高跳会議に参加するなど多くの棒高跳選手やコーチらと情報交換を続けてきました(2010~現在)。

 

 これらの訪問でわかったことは日本、アメリカ、ヨーロッパでは棒高跳の技術やトレーニング、また育成システムという面で大きく違いがあるということです(もちろん類似点もありますし、日本のほうが優れている点もたくさんあります)。

 

 最近はYouTubeや各種SNSを通して海外の選手の跳躍やトレーニングの様子を見ることができるようになり、日本にいながらもたくさんの情報を得ることができるようになりました。とてもすばらしいことです。

 

 ただ、YouTubeなどを通して棒高跳の技術やトレーニングについて情報を得られるようになったのは良いことなのですが、その選手やコーチがどういう意図でやっているか本来の目的がわからないまま見た目だけを真似することになってしまっているような例も多く見受けられます。

 見よう見まねでやってみることも悪いことではありませんが、基本的な考え方や背景などを理解することも大切なことだと思います。

 

 このブログでは主に棒高跳の海外の情報について発信していきます。

 まだまだ日本国内では一般的に広まっていない棒高跳の情報もたくさんありますので、そういうものを日本の棒高跳選手・コーチの皆さんと共有することで、日本の棒高跳のさらなる発展に貢献できたらと考えています。

 

 もし質問等がありましたら、お気軽にご連絡いただければと思います。

 また、感想等もお聞かせいただけたら大変ありがたいです。

twitter (@Ultimateacjapan)

E-mail (iwakipv@gmail.com)

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1 ハーバート・ツィンゴン氏について

 

(ハーバート・ツィンゴン氏)

 ハーバート・ツィンゴン氏は長くドイツの棒高跳ナショナルコーチ(当時)を務め、棒高跳で数多くのエリート選手を育成したトップコーチです。

 ツィンゴン氏は棒高跳のコーチだけでなく、ドイツ陸連フィールド部門のヘッドコーチ(当時)もつとめ、ドイツ国内をはじめ各国で講師をつとめてきました。

 

 2013年にはドイツ陸連を辞め、スイスで棒高跳のナショナルコーチを務めています。(私は「なぜ辞めたの?」聞いたことがありますが、ツィンゴン氏は「陸連の仕事も大事だけど、俺は実際に選手を指導したいから」と答えました)

(ハーバート・ツィンゴン氏と木次谷)

 

 ツィンゴン氏はドイツだけでなく各国で仕事をしていますので、ヨーロッパだけでなく世界中の棒高跳のことを知り尽くしています(世界一棒高跳に詳しい人物と言っても過言ではありません)

 

 今回は2012年にドイツ陸連コーチアカデミーにおいてハーバート・ツィンゴン氏とディスカッションの概要を数回にわけて掲載していこうと思います。

 

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2 棒高跳の技術モデルについて

(チンゴン)

 ドイツの話をすると、実際のところ技術の点ではドイツ流という技術モデルは存在しない。我々はたくさんのことをロシア流から学んでいる。 ただ実際のところそのやり方を完璧にやれている選手は少ない。何人かの選手は1980~1990年代のロシアの選手のやり方を導入しているが、まだ出来ていないところも多い。

 ほかにもフランスの選手のやり方をやろうとしている選手もいる。ただ、ラビレニはフランスの主流のやり方とは異なるやり方である。

 我々としてはフランスの選手のようなやり方ではなくロシア流のやり方を導入していこうと思っている。

 

(中略:細かい技術についてかなり話しましたが量が多く、文字で表現するのも難しいので、また別の機会に報告します)

 

 選手やコーチたちは様々なやりかたをミックスしながら棒高跳の技術を作っている。

 特にレバークーゼンのレシェク・クリマコーチについていうと、彼は新しい情報をいろいろなところから取り入れていて、それらをうまく自分のプログラムの中に取り込むことで成功している。

 特にベテランの選手に対してのプログラムがうまい。彼は単に技術に関するコーチングをするというだけでなく、選手が持っている欠点をうまく見つけ、それを修正することが得意である。

 

 そいうわけでドイツには「ドイツ流」といえるように区別できるような技術モデルはないといえる。

 

(以下省略)

(右側:レシェクコーチ)

 

2 棒高跳のピリオダイゼーションについて

(木次谷)

 棒高跳のピリオダイゼーションについて教えてほしい

 ドイツはどのようにしてトレーニングスケジュールを管理しているのか?

 

(チンゴン)

 これはマルティナ・スタルツのトレーニングのスケジュールおよび記録である・

 これが月曜日の練習であり、午前の練習はこのように、午後はこのようになっている。

 スタルツ選手は非常に多くのウェイトトレーニングを行う。

(中略:年間計画や個々のトレーニングセッションの細かい内容についてはまた別の機会に報告します)

(スタルツ選手のトレーニングプログラム:非常に細かく計画され記録もとられている)

 

(...中略)

(木次谷)

 なぜあなたはこの情報を持っているのか?選手たちはあなたにこのような報告をする必要があるのか?

 

(チンゴン)

 必ずしも私にこのような報告をしなければいけないわけではない。

 彼女は自分自身のためにこのように報告をし、アドバイスを求めてきた。

 彼女のコーチは旧東ドイツ出身であり、投擲種目でで非常に成功を収めたコーチである。ただ、ここ2~3年は仕事にはついていない。

 スタルツ選手はそれまで違うコーチに教わっていたが、最近この元投擲のコーチと一緒にトレーニングをするようになった。

 もともとスタルツはこの投擲のコーチに13、4歳のころに教わっていた。。その後別のコーチに移ったが、28歳ごろになって再びこの投擲コーチのもとでトレーニングをするようになった。

 このコーチはトレーニングをしっかり管理するコーチで、トレーニングの負荷を数値化し、厳密にトレーニングさせていくコーチであった。

(右からマルティナ・スタルツ選手、チンゴン氏、スタルツ選手のコーチ)

 

 その他の選手の話をすると、多くの選手はその選手に特化したようなプログラムでトレーニングを行っている。その中でトレーニングの量や強度を数値化して管理している。強度とは走るスピードやウェイトトレーニングでの重量などである。ほかには握りの高さや使っているポールの硬さなどの数値を強度の指標として利用している。

 ただ、選手たちはナショナルコーチにこのようなものを報告することは義務とされているわけではない。

 強度を数値化することについてであるが、走りについてはスピードが数値化され、強度の目安とされる。

 たとえば、遅いスピードで走ればそれは強度が低いという目安になるし、そのほか走るスピードによって中程度の強度、高い強度というようにトレーニングの内容などを分類している。

 

 そのほかに、ジャンプ系のエクササイズの場合は跳躍した距離が強度の指標になる。この場合たとえば、3歩助走の5段跳などがもちいられる。

 

器械運動系のエクササイズについては分類は簡単ではない。この場合、そのエクササイズの複雑さが強度の指標となるだろう。

(以下省略)

 

4 棒高跳とバイオメカニクスについて

(木次谷)

 次に、ドイツにおける棒高跳とスポーツ科学に関して教えて欲しい。ドイツではスポーツ科学は棒高跳の強化にどのように役立てられているのか?

 

(チンゴン)

 我々はその選手がどれぐらいのスピードで助走を走っているかというデータも測定しているが、同時にそのスピードでいかに高く跳べるようになるかということについて科学的にサポートをしてもらっている。

 

 例えば助走スピードが9.5m/sということであればとても速い部類となるが、9m/sでは遅いわけではないがそこまで速いわけではない。

 そのように選手によってスピードの違いはあるが、同時にその選手が今持っているスピードをどれぐらい高さに変換できたかということもとても重要になってくる。これによってその選手のポール上にいる間の動きが効率的か非効率的かということがわかる。

 

 我々はこの点について興味を持っている。(資料の提示)

(ブラッド・ウォーカー選手のデータ)

 これは2008年にシュツットガルトで行われたIAAFファイナルでブラッド・ウォーカーが5.70を越えた跳躍である。

 この時跳躍中の最大重心高は5m90で握りの高さは4m97であった。跳躍を見るとかなりバーの上でかなり余裕がある。

 

 この跳躍でボックスのゼロラインから踏切位置までの距離は4m15である。

 この数値がエネルギー式になるが、これは踏切足が地面から離れる瞬間にその選手が持っているエネルギーと、跳躍中の最大重心高を比較することで計算される数値である。

 この選手の場合、最大重心高を得るにあたり、体重当たり3.93ジュールのエネルギーをプラスすることができている。これはとてもよい値である。

 彼は踏切後にポール上でとてもよい動きを行うことができているということができる。

 

 もちろん、彼はポール上でエネルギーを産み出しているだけではなく、不適切な動きも行っているためある程度失うエネルギーもある。

 ただ、総合すると彼はポール上でかなり良い動きをしているということができる。

 このような分析をすることで、技術の良しあしを数値化しようとしている。

 

 

 ほかの跳躍の資料をみると比較ができると思う。これはウクライナの選手について、先ほどと同じやりかたで分析したものである。この時のバーは5m60であるが、最大重心高は5m72である。

 スピードについてはこの選手はブラッド・ウォーカーよりやや遅い。

 この選手も先ほどのエネルギー式の点ではよい傾向にある。ただ、体重1キロ当たり2.82ジュールであるのでブラッド・ウォーカーよりはやや劣っている。

 このように分析することで、彼の技術はそれほど悪いわけではないもののブラッド・ウォーカーと比較するとやや劣っているという評価をすることができる。

 

(中略:たくさんの資料をいただきましたので細かいデータ等についてはまた別の機会に報告します)

 

 我々はさらに、このような数値がでる原因についても分析をしている。

 これらが我々がドイツでバイオメカニクスを棒高跳に活用している例である。

 

 我々はこの資料を選手やコーチたちに配布して、選手たちの動きについて評価をする機会を提供している。

 選手やコーチたちはこれを参考に、踏切位置を後ろにしてみようとか、手の使い方を改善してみようとか技術的に試行してみる。

この選手の場合、上側の腕の動きと下側の腕の動きの部分に改善が必要なところがあるといえる。

 

ここまでがドイツにおける棒高跳とバイオメカニクスに関する簡単な説明である。

 

 

ドイツ陸連 棒高跳ヘッドコーチハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション(概要)③に続く

 

ドイツ陸連 棒高跳ヘッドコーチ

ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション

 

 こんにちは。福島大学で棒高跳コーチをしている木次谷聡といいます。

 

 今回は、ドイツ陸連フィールド部門ヘッドコーチである、ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション①を掲載します。

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 これまで私(木次谷)は棒高跳の研修のために、アメリカ(リノ・ネバダ州)で開催されているpole vault summitなどに参加してきました(2004~2009年)。

 また、定期的にヨーロッパ各国(主にドイツ)を訪問し、トップクラスの棒高跳選手が所属するクラブで研修を行ったり、ドイツ陸連コーチアカデミーで研修を行ったり、棒高跳会議に参加するなど多くの棒高跳選手やコーチらと情報交換を続けてきました(2010~現在)。

 

 これらの訪問でわかったことは日本、アメリカ、ヨーロッパでは棒高跳の技術やトレーニング、また育成システムという面で大きく違いがあるということです(もちろん類似点もありますし、日本のほうが優れている点もたくさんあります)。

 

 最近はYouTubeや各種SNSを通して海外の選手の跳躍やトレーニングの様子を見ることができるようになり、日本にいながらもたくさんの情報を得ることができるようになりました。とてもすばらしいことです。

 

 ただ、YouTubeなどを通して棒高跳の技術やトレーニングについて情報を得られるようになったのは良いことなのですが、その選手やコーチがどういう意図でやっているか本来の目的がわからないまま見た目だけを真似することになってしまっているような例も多く見受けられます。

 見よう見まねでやってみることも悪いことではありませんが、基本的な考え方や背景などを理解することも大切なことだと思います。

 

 このブログでは主に棒高跳の海外の情報について発信していきます。

 まだまだ日本国内では一般的に広まっていない棒高跳の情報もたくさんありますので、そういうものを日本の棒高跳選手・コーチの皆さんと共有することで、日本の棒高跳のさらなる発展に貢献できたらと考えています。

 

 もし質問等がありましたら、お気軽にご連絡いただければと思います。

 また、感想等もお聞かせいただけたら大変ありがたいです。

twitter (@Ultimateacjapan)

E-mail (iwakipv@gmail.com)

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1 ハーバート・ツィンゴン氏について

 

(ハーバート・ツィンゴン氏)

 ハーバート・ツィンゴン氏は長くドイツの棒高跳ナショナルコーチ(当時)を務め、棒高跳で数多くのエリート選手を育成したトップコーチです。

 ツィンゴン氏は棒高跳のコーチだけでなく、ドイツ陸連フィールド部門のヘッドコーチ(当時)もつとめ、ドイツ国内をはじめ各国で講師をつとめてきました。

 

 2013年にはドイツ陸連を辞め、スイスで棒高跳のナショナルコーチを務めています。(私は「なぜ辞めたの?」聞いたことがありますが、ツィンゴン氏は「陸連の仕事も大事だけど、俺は実際に選手を指導したいから」と答えました)

(ハーバート・ツィンゴン氏と木次谷)

 

 ツィンゴン氏はドイツだけでなく各国で仕事をしていますので、ヨーロッパだけでなく世界中の棒高跳のことを知り尽くしています(世界一棒高跳に詳しいと言っても過言ではありません)

 

 今回は2012年にドイツ陸連コーチアカデミーにおいてハーバート・ツィンゴン氏とディスカッションした内容を数回にわけて掲載していこうと思います。

 

2 ディスカッションの内容

(ツィンゴン氏)

 ドイツ陸連コーチングアカデミーがあるこの大学(ヨハネスグーテンベルグ大学マインツ)について

 ここはドイツで最も古い体育大学であり、設備は古いが、私が16歳のころにトレーニングをしていた場所である。このインタビューが終わったらどこでも見て回ってもいい。

(ドイツ陸連コーチングアカデミー・ヨハネスグーテンベルグ大学マインツ)

 

(木次谷)

 まずはドイツにおける棒高跳の状況について教えてほしい。特に棒高跳会議は今回で第5回(当時)になるが、どういった経緯でこのカンファレンスは始まったのか?

 

(ツィゴン氏)

 このアイディアというのはもともとはケルン体育大学のウルフガンク・リッツドルフから始まったものだ。

 リッツドルフは私の30年来の友人であるが、彼は国際陸連の仕事もしていて、世界中で走高跳のレクチャーをしていた。

 

 リッツドルフは私が棒高跳の世界で非常にたくさんの国際的なつながりを持っていることを知り、今回やっているような会議をやってはどうかともちかけてきた。

 

 リッツドルフの考えとしては、ヨーロッパの各国はもっと協力しあったりするほうが良いという考えがあったからだ。

 

 もちろんこれは簡単なことではなかった。ヨーロッパにはフランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語のように異なる言語がたくさんあるからである。

 

 でもなんとかやってみようということになり、まずは第1回の棒高跳会議を開催することができた。この第1回の棒高跳会議は非常に成功した。

 

 我々はこのカンファレンスを続けることにし、2年に1回開催することにした。その後ヨーロッパ陸上競技連盟から支援を受けることになった。

 その後、フィンランドやスウェーデン、ノルウェーなどの国や、ブルガリアやギリシャ、イタリアなどからも参加者が来るようになった。このことはとても喜ばしいことである。

 

 一方このカンファレンスはまだ改善の余地もある。特に言語の点が問題である。

 沢山の国から参加が来ることになったわけであるが、まだ通訳の点では改善の余地がある。

 

(2012棒高跳カンファレンスの様子)

 

(木次谷)

 日本は島国であり、ヨーロッパのようにこういう交流を図ることはなかなか難しく、こういう情報交換をする場が少ないと思っている。

 

(チンゴン)

 日本は第二次世界大戦の前はオリンピックなどで活躍する選手もいたわけであり、日本は棒高跳という点では伝統のある国であると思う。日本は棒高跳をやるには良い国であると思う。

 

(木次谷)

 その点については今回棒高跳会議に参加していた他のコーチとも話したが、みんな同じようなことを言っていた。

 

(チンゴン)

 私が知るかぎりであるが、日本というのはスポーツに関してはアメリカと似たようなシステムだと聞いている。学校でスポーツをするという仕組みになっていると聞いたことがある。

 私はこの点はとても有利な点であると思っている。

 なぜならこのようなシステムでは、アカデミック・キャリアとスポーツ・キャリアを組み合わせることができるからである。

 

 アメリカの場合、高校を卒業して大学に行こうとした場合、奨学金などの経済的な支援が必要となってくる。

 学生の家庭に経済的な余裕がない場合、大学に行くためのお金を工面するのはとても難しいことである。

 スポーツで良い結果を出して奨学金を得るということは、そういう家庭で育った学生が大学に行く数少ない方法の一つでもある。

 そういう意味でも学校とスポーツの組み合わせはメリットがある。

 ただ、このシステムの欠点として考えられるのは、大学を卒業する22歳前後でスポーツキャリアも終わってしまうということである。

 

 ドイツではアメリカや日本とは異なるシステムになっている。

 ドイツのスポーツのシステムはクラブシステムで成り立っている。

 

 ドイツのクラブシステムというのはとても興味深い歴史を持っていて、メリットも非常に多い。

 ただ、ドイツのクラブシステムでは、アカデミックキャリアとスポーツキャリアは連携していない。

 つまり、学校側は所属する学生がスポーツでよい成績を出すかどうかということについては全く気にかけていない。

 学生がスポーツで高い成績を収めようが、学校側はまったく興味がない。

 

 このような状況ではいくらか問題が出てくる。

 例えば、16~19歳という年齢はスポーツのトレーニングという点で大切な時期であるが、同時に学校においても非常にたくさん勉強をしなければならない時期でもある。

 ドイツでは学校とスポーツが連携していないので、選手が合宿や試合に出場しようとした場合、学校側がそれを許可しないことがある。

 

 このようにアカデミックキャリアとスポーツキャリアを連携できないという点でもクラブシステムにも問題点はある。

 私の想像だが日本ではこの点はうまくいっているのではないだろうか?スポーツでよい成績をおさめていれば、アカデミックな点でもチャンスが生まれるのではないだろうか?

 

(クラブで陸上競技の練習をする子供たち)

 

(木次谷)

 この前、レバークーゼンに行ったときに、そこのコーチから「スポーツ・シューレ(スポーツ学校)」という話を聞いたのだが、これはクラブシステムと学校との連携ということではないのか?

 

(チンゴン)

 これが大きな問題である。

 「スポーツスクール」と呼ばれてはいるが、これはかつて言われていた意味での「スポーツスクール」ではない。

 今の「スポーツスクール」というのは、他の通常の学校に比べたらスポーツ選手に対するサポートはやや多いという程度である。

 ただ、実際のところ「普通の学校」と「スポーツスクール」の間にはそんなに大きな違いはない。スポーツスクールもスポーツ選手が必要としているサポートをそんなにたくさん提供しているわけではない。

 「スポーツスクール」はスポーツにおけるハイパフォーマンスに対して期待はしているが、結局のところスポーツ選手であっても通常の学校の学生と同じような学習プログラムを行わなければならない。

 

 この点については、かつての東ドイツのシステムとは異なる。

 

 知っての通りドイツはかつて共産国であった東ドイツと資本主義陣営の西ドイツに分かれていた。

 そしてスポーツの選手を育てるという点では東ドイツは優れたシステムを持っていた。

 東ドイツでは幼稚園の段階からすでにスポーツ選手としての選考が行われ、どのようなスポーツがその人にあっているかということが見出されていた。

 例えば、背の大きい人だったら投擲競技とかボートなどのローイングスポーツとか、背の小さい人なら卓球とか振り分けられていた。

 この選考は通常の学校のシステムの中で行われるとともに、特定のスポーツ専門校によって大きなサポートを受けていた。

 

 また、例えば17歳の選手がトレーニングキャンプに行く場合、キャンプ地にはスポーツのコーチだけでなくその選手に勉強を教える先生もついく仕組みになっていた。キャンプ先で勉強の面でも個人に授業を行う。そういうことも行われていた。

 

 ただ、こういうことは今は行われていない。これは不可能である。とても費用がかかる。

 

 当時はどれぐらい費用がかかるかということにはそんなに気をかけなかった。スポーツで大きな結果を出すということが重要であったからだ。

 

 もしろん東ドイツはドーピングのようなよくないこともやっていた。だた東ドイツはそのようなことだけでなくいろいろなことを組み合わせて、システムとして成果を出していた。

 

 東ドイツが崩壊してからは、そういうことは不可能になった。

 その後統一されたドイツでも東ドイツのような仕組みをいくらか維持しようとはした。

 いくらか実施可能なものもあったので、ドイツの東部でのスポーツ学校では選手が19歳になるまでは結構いろいろな良いサポートはある。

 ただ、その年齢以降になるとサポートは全然なくなってしまう。

 その結果、19歳以降の年齢でドロップアウトする選手がたくさん出てくる。

 スポーツの分野でよい成績を収めた選手たちは、どういう大学に行けばいいかということについてもサポートを受けることがある。しかし、19歳になって大学に入学した途端、学校からのサポートというのは全くなくなってしまう。

 

(木次谷)

 スポーツキャリアが終わったら多くの選手はどのようなキャリアを歩むことが多いのか?

 

(チンゴン)

 スポーツキャリアが終わった後のキャリアはそれぞれである。 スポーツキャリアが終わった人をカバーするようなシステムはない。

 スポーツのハイパフォーマンスの世界からドロップアウトした後は、学業のほうに進むとか職を見つけるとかである。

 

(左からダニー・エッカー選手、トビアス・シェルバース選手、レシェク・クリマコーチ・木次谷)

 

(木次谷)

 この前、レヴァークーゼンでダニー・エッカー(棒高跳:大阪世界陸上銅メダリスト-自己ベスト6m00)に会った。

 彼は今はケガなどをしていてあまり調子は良くない時期であると思う。

 彼は私と同じ年齢(当時34歳)である。

 そこで私がふと思ったのは「彼は今、トレーニング以外の時間は何をしているのか?」ということである。

 

(チンゴン)

 ダニー・エッカーは多分今は大学に行っているのではないかと思う。詳しくはわからないが、たしか彼はまだ大学を卒業していないはずだ。

 彼は体育大学の学生ではないから、スポーツに関して勉強しているわけではないと思う。多分、経済とかそういう分野を勉強していると思う。正確なことはすべてわからないが、私が覚えている範囲では大学はまだ卒業していないはずだ。

 

 ただ、彼の母親(ハイデ・ローゼンダール)は1972年のミュンヘンオリンピックの金メダリストであるし、当時6m84の世界記録世界記録も出したような選手である。両親ともにもスポーツで成功を収めていて、そして経済的にも余裕あるはずだ。

 ダニー・エッカー自身もスポーツの世界でとても成功を収めているし、生活をしていく上では問題はないようだ。

 

 ただ、こういう状況は必ずしも他の選手にはあてはまらないことも多い。

 選手はスポーツキャリアを終えた後に生活をしていくための仕事を見つけるという点で、問題が出てくることがある。

 

(ドイツ陸連 ヘッドコーチ(フィールド) ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション②に続く)

 

 

 

ヨーロッパでの棒高跳選手とコーチの関係について

 

 

1 コーチの種類

 

 ドイツでは、一つのクラブに複数のコーチがいることが多く、それぞれのコーチが自分の「トレーニンググループ」を持って活動しています。

 

 コーチといってもいくつか種類があり、他の仕事をしながら指導するコーチ(パートタイム・コーチ、ボランティア・コーチ)と陸上競技を指導することそのものを職業として行っているコーチ(プロフェッショナルコーチ)がいます。

 

 プロフェッショナルコーチの場合,その給料の出所は人によってさまざまです。

 たとえば,TSVレバークーゼンで棒高跳を指導している3人のコーチのうち,一番ベテランのレシェク・クリマ氏(元ドイツナショナルコーチ)の給料は,クラブ(レバークーゼン)が支払っていました。

 それに対して,ドイツナショナルコーチ(当時)であったヨーン・エルバーディンク氏にはドイツ陸上競技連盟が給料を支払い,ジュニアを担当するクリスティナ・アダムズ氏(当時:現ドイツナショナルコーチ)には地域の陸上競技連盟が給料を支払っていました。

 

 

 

2 クラブ内に複数の棒高跳コーチとトレーニンググループがある

 

 ドイツでは、一つのクラブ内に同じ種目のコーチが複数いて、それぞれが自分のトレーニンググループをもって活動している場合があります。

 

 レバークーゼンの場合、当時はレシェク・クリマ氏、ヨーン・エルバーディンク氏、クリスティナ・アダムズ氏の3名のコーチがいましたが、3名のコーチがそれぞれ別々の「トレーニンググループ」を持っていて、そこで指導をしていました。

 

 ツバイブリュッケン(LAZ Zweibrücken:棒高跳で有名な陸上クラブ)にも行って研修をしてきましたが、そこでも同様でした。

 

 ツバイブリュッケンでは、アンドレイ・チボンチクコーチ(現ドイツナショナルコーチ)が5,6名程度のトレーニンググループの指導をしていました。ただ、それ以外にも同じクラブ内に別のトレーニンググループが2あり、それぞれ別のコーチが指導をしていました。

(アンドレイコーチと選手たち)

 

 これらの棒高跳のトレーニンググループは、それぞれ年齢や競技レベルによってある程度分けられてはいるのですが、必ずしもそれは厳密なものではありません。

 

 例えば、レバークーゼンではドイツ国内のトップレベルの選手たちが、レシェクコーチのグループに3名、エルバーディンクコーチのグループにも2名それぞれ所属していました。

 

 私は初めてレバークーゼンを訪れた時、一つのクラブに複数の「チーム(トレーニンググループ)」があるこの仕組みがよく理解できませんでした。

 

 そこでエルバーディンク氏に「今,あなたが一緒に練習をしているあの選手たちは,どういう経緯であなたと練習しているのか。何か選抜システムがあるのか」と尋ねたことがあります。

 

 エルバーディンク氏からの答えはとてもシンプルなもので、「彼らが私のところで練習したいと言ってきた。私はOKと言った。それだけだよ」というものでした。

 

 私は、ドイツでは旧ソ連のように選手を選抜し振り分けるシステムがあって、それをもとにトレーニンググループが作られているのかと勝手に考えていましたが、そうではないようでした。

 

 もちろん才能ある選手を探して声をかけることはあるようですが、基本的には選手がコーチを選びコーチがOKと言えばそこから指導が始まるようです。

 

(レシェクコーチとダニー・エッカー選手)

 

3 コーチを変えることについて

 

 ヨーロッパの棒高跳のコーチ達と話をしてたまに出てくる話題は「コーチを変えること」についてです。

 

 2012年にはロンドンオリンピックが行われ、男子棒高跳のではルノー・ラビレニ(フランス)が金メダル、ビョルン・オットー(ドイツ)が銀メダル、ラファエル・ホルツディッペ(ドイツ)が銅メダルを獲得しました。

 

 金メダリストのラビレニと銅メダリストのホルツディッペにはオリンピック後の行動に共通点がありました。

 

 それはオリンピックでメダルを獲得後にそれまでのコーチと別れ、新しいコーチのもとで活動を始めたということです。

 

 オリンピックでメダルを獲得した直後にメダリストにまで育ててくれたコーチのもとを去るというのは、日本人にはなかなか理解できない行動です(少なくとも私には考えが及びません)。

 

 それは、育ててくれた「恩」とかそういう情緒的な側面だけを言っているのではありません(これは日本人的な考えなのかもしれません)。

 

 オリンピックでメダルをとれたということは、それまでのトレーニングや指導がうまくいっていていた(少なくとも間違ってはいなかった)と言えるわけですから、それを変えるというのは結果が出なくなるリスクもあるわけです。

 

 多くの人が「今までこのコーチのもとでやってきてうまくいったのだからこのコーチのもとで続けよう」と考えるのではないかと思います。

 

 それにもかかわらず、彼らはそれまでと同じ事をするのではなく、コーチを変え、環境や指導方法も変える。これは凄いことだと思います。

 

 ラビレニはダミアン・イノセンシオというコーチの下で6mの壁を突破し、オリンピックでも金メダルを獲るところまでになったのにも関わらず、コーチを変えています。

 

 ダミアン・イノセンシオコーチに「ラビレニはなんでコーチを変えたの?」と聞いたことがあります。彼の答えは「うーん、わかんない」というものでした。

 

 私はラビレニの新しいコーチ(フィリップ・ダンコース氏)にも「ラビレニはなんでコーチを変えたの?」と聞いたことがあります。

 フィリップ・ダンコースコーチの答えも「うーん、わかんない」というものでした。

 

 結局、新旧コーチどちらも何故ラビレニがコーチを変えたのかということについてはわからない様子でした。

 

 もう一人のメダリストのラファエル・ホルツディッペ選手もオリンピック後にコーチを変えています。

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手は前述したツバイブリュッケンという都市で育ち、LAZツバイブリュッケンというクラブに所属した選手です。

 

 アンドレイ・チボンチク氏は、選手時代はアトランタオリンピックで銅メダリストを獲得し、ドイツのナショナルコーチも務めるドイツのトップコーチです。

 

 アンドレイコーチはトップコーチであるだけでなく、ホルツディッペ選手を小さいときから指導し、長年の指導もありオリンピックで銅メダルをとるまでに育てたコーチでもあります。

 にもかかわらず、ラファエル・ホルツディッペ選手はロンドンオリンピック後にミュンヘンに転居し、別のコーチ(チョンシー・ジョンソン氏)の下で指導をうけることにしました。

 

 私は、アンドレイコーチに「なぜホルツディッペ選手はコーチを変えたのか?何かトラブルがあったのか」と勇気を出して聞いたことがあります。

 

 アンドレイコーチは、

「特別トラブルとかはない。ツバイブリュッケンは田舎である。若い選手はミュンヘンのような都会に行って生活したいと考えることもある。ラファエルもそうだ」

「選手がコーチを変えることはよくあることだ。選手は新しい技術やトレーニングを試したい,新しいことにチャレンジしたいと考えてコーチを変えることがある。私はそれは良いことだと思うし,何より,そういう気持ちを持ったまま今の場所に居続けるほうがよくないと思う。」

と話してくれました。

 

(ラファエル・ホルツディッペ選手)

 

 ここまで、ラビレニ選手とホルツディッペ選手について書いてきましたが、他にもコーチを変えた話はたくさん聞いています。

 

 ヨーロッパの選手にとっては、自分の意志でコーチを変えていくことは普通のことです。

 

 私が知っているところでは、イシンバエワ選手(女子世界記録保持者)やシルケ・シュピーゲルブルグ選手の話題もあります。

 

 イシンバエワ選手はロシア出身で、15歳の時からエフゲニー・トロフィモフ氏というロシアのコーチが指導していました。

 

 その後、セルゲイ・ブブカらを育てたビタリー・ペトロフ氏の下でトレーニングするためにイタリアに引っ越し、ペトロフ氏とトレーニングを重ねた結果、2009年には5m06の世界記録を出すようにまでなりました。

 

 しかしその後(2012年)には再びロシアに戻り、エフゲニー・トロフィモフ氏のもとで指導を受けています。

 

 イシンバエワがペトロフ氏からトロフィモフ氏に再びコーチを変えたことについて、ツバイブリュッケンのアンドレイコーチに「何か事情知ってる?二人の間に何かトラブルでもあったのかな」と聞いたことがあります。

 

 アンドレイコーチは「必ずしもトラブルがあったわけではない。選手が陸上競技のために自分の生まれ育った国を離れ、他の国で生活をしてくことは大変なことである。自分の国に戻りたいと考えることは自然なことである」と話してくれました。

 

 ちなみにアンドレイ・チボンチクコーチも、旧ソ連(ベラルーシ)出身でソ連の崩壊後にドイツに渡ってきた選手です。(ドイツに渡ってきたばかりの苦労について沢山お話を聞かせてくれました。ドイツに来た当初はドイツ語は全く話せなかったそうです)。

 ですので、他の国に渡り、そこに住み、陸上競技をやっていく苦労についてはよく理解しているのだと思います。

 

 

4 コーチを変えた後の、前のコーチとの関係

 

 コーチを変えた話としては、女子のドイツ記録保持者であるシルケ・シュピーゲルブルグ選手の話もあります。

 

(シルケ・シュピーゲルブルグ選手)

 

 シルケ・シュピーゲルブルグ選手はジュニア時代から長い間,レバークーゼンのレシェク・クリマ氏の指導を受け,4m82のドイツ記録を出すなど、世界でもトップクラスの選手になりました。

 

 2010年に私が初めてレバークーゼンを訪れた際は、父親と娘のような感じで仲が良く、選手とコーチとして本当によい関係に見えました。

 

 しかし、2014年に再びレバークーゼンを訪れたときは、レシェクコーチがシルケ選手の棒高跳の指導をしている姿は見られませんでした。

 

 いろいろ話を聞いてみると、本人の意向により2013年からは,体力面についてはハイケ・ヘンケル(走高跳:世界選手権・オリンピック金メダリスト)らを育てた,同じクラブ(レバークーゼン)のゲルト・オーゼンブルグ氏が指導することになり、棒高跳の技術面についてはツバイブリュッケンのアンドレイ・チボンチク氏が指導することになったそうです。

 

(レシェク・クリマコーチとゲルト・オーゼンブルグのディスカッション)

 

 レバークーゼンとツバイブリュッケンは車で3時間ほどの距離があります。

 

 そのため、チボンチク氏はメールなどで連絡を取りつつ,週3回は技術練習のためにレバークーゼンを訪れシュピーゲルブルグを直接指導しているとのことでした。そして、その日の午後にはツバイブリュッケンに戻り,自分のグループ(ツバイブリュッケン)の指導をするという生活を送っているということでした。

 

 

 このように書くと、「シルケ選手とレシェクコーチの間には何かトラブルがあったのだろうか」とか考えてしまいますし、「二人の間には溝が生まれているのだろう」と考えがちです。

 

 しかし必ずしもそうではないということに驚かされました。

 

 2014年のドイツ訪問では、私はまずはじめにツバイブリュッケンで研修をしこの話を聞きました。

 そしてその後レバークーゼンに移動し研修を受けたのですが、そこにはシルケ選手とレシェクコーチが仲良くしている姿が相変わらずあったのです。

 

 このような状況であれば、シルケ選手とレシェクコーチの関係はちょっと気まずいものになってしまっても不思議ではありません。

 

 でもそうではないのです。

 

 二人は一緒に練習することはないものの、相変わらず談笑し、仲良くやっているのです(私が見る限り、表面的なものとは思えませんでした)。

 

 レシェクコーチにこのことについてお話を聞きました。

 レシェクコーチの答えは「シルケが自分で考えて決めたことだ。それは良いことだと思う」というものでした。

 

 前述したように、ラファエル・ホルツディッペ選手がアンドレイ・チボンチクコーチの下を離れることになった際、アンドレイコーチは、「選手というのは新しい技術やトレーニングを試したい,新しいことにチャレンジしたいと考えてコーチを変えることがある。私はそれは良いことだと思う」と述べていましたが、このコーチの姿勢については二人とも共通するものがありました。

 

 この件について、ドイツ陸連のハーバート・ジンゴンコーチにお話しを聞いたことがあります。

 

 ジンゴンコーチの見解も一緒でした。

 

 むしろ、コーチを変えることを積極的にとらえており、「コーチを変えることは良いことである」とまでおっしゃっていました。

 

 最近、スポーツ界では「アスリート・ファースト」とか「アスリート・センタード」という言葉が聞かれます。

 

 レシェクコーチ、アンドレイコーチ、ジンゴンコーチが、コーチを変えたいという選手の考えや選択を尊重していたことを書きましたが、このコーチ達の考え方や姿勢がまさにアスリート・センタードの姿勢なのだと思います。

(本来はアスリート・センタードという言葉が正しいのだと思います)

 

 

5 そうは言っても

 

 ここまで棒高跳の選手がコーチを変えることについて書いてきました。

 

 私が出会ったドイツのコーチ達は、長年指導してきた自分の下を去ろうとしている選手に対してさえも、選手自身の考えや選択を尊重するという「アスリートセンタード」の考えを持ったすばらしいコーチ達でした。

 

 ただ、このコーチ達のお話を聞いていて共通する点はもう一つあります。

 

 それは、「選手自身の選択」を尊重する姿勢を持ってはいるが、やはり寂しい気持ちがあるということです。

 

 ホルツディッペ選手の事について質問した時、アンドレイコーチは「コーチとしてやはり寂しい気持ちはある」と正直に話してくれました。

 

 また、レシェクコーチにシルケ選手のお話を聞いたときも寂しく見えました。

 

 お二人とも、本当に小さい時から育ててきた選手と別れたわけですからその気持ちは当然ですよね。

 

 

6 「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導するべきだ」

 

 ドイツ陸連コーチアカデミーで研修をした際、ハーバード・ジンゴンコーチから「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導するべきだ」というお話を聞きました。

 

(レバークーゼンで楽しそうに練習する子どもたち)

 

 「8年後を見て指導する」というのはなかな壮大な話です。

 

 日本でも「一貫指導」とか「長期的な視点に立った指導」ということは言われることはありますが、それは主に「指導の仕組み(システム)」を議論する際に取り上げられることが多いのではないでしょうか。

 

 個々のコーチが「8年後の事を考えて指導する」というのは日本ではなかなか難しい話だと思います。

 

 これはドイツと日本のスポーツのシステムの違いもあると思います。

 

 ドイツには部活動というシステムが無く、学校とは別組織の地域の「スポーツクラブ」でスポーツをするこが一般的です(日本で最近言われる総合型地域スポーツクラブの原型です)。

 

 ですので、学校が変わってもスポーツをする場所は変わらず、長期にわたり同じコーチのもとで指導を受けることは珍しいことではありません。

 

 このような環境では「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導する」というのも可能です。

 

 それに対して日本は各学校ごとに「部活動」があり、それぞれの学校段階(中学3年間・高校3年間・大学4年間、ひどいときには小学校6年間)で「結果」を出したくなってしまいます。

 

【ドイツを訪れた際に、日本の小学校の全国大会(日清カップ)の動画を見せて、「日本には小学生の全国大会がある」と説明したところ、「クレージーだ」と多くのコーチから(悪い意味で)驚かれました】

 

 多くの場合、選手も、コーチも、そして保護者もそれを期待しますし、それぞれの学校段階で「結果」を出したコーチが素晴らしいコーチとされることも多いです。

 

 ですので、日本の部活システムでは「その選手が8年後にどうなるかということを考えて指導」というのはなかなか難しいものだと思います。

 

 

 そうは言ってもやはり「今指導している選手が8年後にどうなるかという長期的な視点」という考え方は重要なものです。今回ジンゴンコーチからお聞きした「長期的視点」について、現在のシステムの中でどう工夫していくかというのもとても大切だなと考えさせられました。

 

(なお、クラブシステムの問題点についてもいろいろ聞いてきましたので、別の機会に書きたいと思います)

 

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

問い合わせは      iwakipv@gmail.com     までお願いします。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m91)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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17. コーチを変えたこと(ロンドンオリンピックが終わって)

 

 ロンドンから帰ってきて私は結構忙しくなった。

 いろいろなパーティに招待されたり、人を紹介されたりすることが多くなった。

 また、周りの人たちが私に対して、次はもっとよい成績をだしてほしいと思っていることが良く分かった。

 

 ロンドンオリンピックが終わり、私はコーチをアンドレイ・チボンチクからチョンシー・ジョンソンに変えることにした。

 チョンシー・ジョンソンは、マルト・モアのコーチであり南アフリカ出身のコーチである。

 新しいコーチとトレーニングするためにはミュンヘンに引っ越さなければならず、住む場所を探すなど、結構忙しい時期であった。

 

 2012年の終わりのころから、新しいコーチとトレーニングするようになった。

 最初のうちはお互いを知るために時間が必要であった。

 私がどういう部分を向上させたいと思っているのか、これまでどういうトレーニングをしてきたかなどを知るために時間をかけた。

 したがって、コーチを変えてすぐの2013年の室内試合期で試合に出場することはあまり重要視していなかった。

 重要視していなかったにもかわらず、最初の室内の試合でそれまでの自分の室内の自己記録と同じ5m82を跳ぶことができた。

 私は、その後の試合も良い結果を少し期待したが、ドイツ室内選手権で5m70を跳んだだけで、それ以外の試合では5m50や60という記録ばかりであった。

 

18. モスクワ世界陸上に向けた取り組み

 2013年の室内シーズンが終わり、次の夏のシーズンに向けてのトレーニングが始まった。

 私たちは助走を改善することに集中した。それまでの私の助走というのは腰が低い走りであった。 

 コーチと一緒にもう少し腰が高い助走ができるよう取り組んだ。最初は違和感があったが、助走の改善のために何度も何度も繰り返しトレーニングをした。

 

 その夏のシーズンの最初の試合で、私は5m70を跳ぶことができた。

 ダイヤモンドリーグ・ドーハ大会でも私は5m70を跳んだ。そして次に参加したダイヤモンドリーグ・ユージーン大会では、自己ベストである5m84を跳ぶことができた。

 

 私はユージーンにいたときにはまだ時差ボケがある状態であったが、ユージーンの試合が終わってすぐに、飛行機でローマに移動するような忙しさであった。

 このような状態であったので、私は疲労困憊であったが、ダイヤモンドリーグ・ローマ大会ではにはとても自信をもった状態で臨むことができ、5m91を跳ぶことができた。

 私は2013年のアウトドアシーズンを良い形で始めることができた。

 

 それまでに経験したことのないような試合に参加したり、移動も多かったので、アウトドアシーズンの中ごろには、私は少し疲れてしまっていました。

 また、集中力もなくなってきており、5m50や60の試合が多くなっていた。

 

  ドイツ選手権のころには良い状態に回復し、ドイツ選手権では5m75を跳んで、モスクワ世界選手権の出場権を得ることができた。

 

 ドイツ選手権の後は、すこしトレーニングをする時期を入れた。

 私の全助走は18歩なのだが、トレーニングでは14歩を沢山取り入れて、技術面について重点的にトレーニングを行った。この時期を挟んだことによりモスクワの世界選手権に向かって、調子がだんだん良くなってきた。

 

(続く)