ドイツ陸連 棒高跳ヘッドコーチ

ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション(概要)

『棒高跳の導入・器械運動トレーニング』について

 

 福島大学で棒高跳コーチをしている木次谷聡といいます。

 今回は、ドイツ陸連フィールド部門ヘッドコーチである、ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション③を掲載します。

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 これまで私(木次谷)は棒高跳の研修のために、アメリカ(リノ・ネバダ州)で開催されているpole vault summitなどに参加してきました(2004~2009年)。

 また、定期的にヨーロッパ各国(主にドイツ)を訪問し、トップクラスの棒高跳選手が所属するクラブで研修を行ったり、ドイツ陸連コーチアカデミーで研修を行ったり、棒高跳k会議に参加するなど多くの棒高跳選手やコーチらと情報交換を続けてきました(2010~現在)。

 

 これらの訪問でわかったことは日本、アメリカ、ヨーロッパでは棒高跳の技術やトレーニング、また育成システムという面で大きく違いがあるということです(もちろん類似点もありますし、日本のほうが優れている点もたくさんあります)。

 

 最近はYouTubeや各種SNSを通して海外の選手の跳躍やトレーニングの様子を見ることができるようになり、日本にいながらもたくさんの情報を得ることができるようになりました。とてもすばらしいことです。

 

 ただ、YouTubeなどを通して棒高跳の技術やトレーニングについて情報を得られるようになったのは良いことなのですが、その選手やコーチがどういう意図でやっているか本来の目的がわからないまま見た目だけを真似することになってしまっているような例も多く見受けられます。

 見よう見まねでやってみることも悪いことではありませんが、基本的な考え方や背景などを理解することも大切なことだと思います。

 

 このブログでは主に棒高跳の海外の情報について発信していきます。

 まだまだ日本国内では一般的に広まっていない棒高跳の情報もたくさんありますので、そういうものを日本の棒高跳選手・コーチの皆さんと共有することで、日本の棒高跳のさらなる発展に貢献できたらと考えています。

 

 もし質問等がありましたら、お気軽にご連絡いただければと思います。

 また、感想等もお聞かせいただけたら大変ありがたいです。

twitter (@Ultimateacjapan)

E-mail (iwakipv@gmail.com)

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1 ハーバート・ツィンゴン氏について

 

(ハーバート・ツィンゴン氏)

 ハーバート・ツィンゴン氏は長くドイツの棒高跳ナショナルコーチ(当時)を務め、棒高跳で数多くのエリート選手を育成したトップコーチです。

 ツィンゴン氏は棒高跳のコーチだけでなく、ドイツ陸連フィールド部門のヘッドコーチ(当時)もつとめ、ドイツ国内をはじめ各国で講師をつとめてきました。

 

 2013年にはドイツ陸連を辞め、スイスで棒高跳のナショナルコーチを務めています。(私は「なぜ辞めたの?」聞いたことがありますが、ツィンゴン氏は「陸連の仕事も大事だけど、俺は実際に選手を指導したいから」と答えました)

(ハーバート・ツィンゴン氏と木次谷)

 

 ツィンゴン氏はドイツだけでなく各国で仕事をしていますので、ヨーロッパだけでなく世界中の棒高跳のことを知り尽くしています(世界一棒高跳に詳しい人物と言っても過言ではありません)

 

 今回は2012年にドイツ陸連コーチアカデミーにおいてハーバート・ツィンゴン氏とディスカッションの概要を数回にわけて掲載していこうと思います。

 

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2 棒高跳の導入について

(木次谷)

 ドイツではだいたい何歳ぐらいから棒高跳を始めるのが一般的なのか?

 

(チンゴン)

 だいたい14~15歳で始める選手が多い。これより早い年齢で始める選手はまれである。

 ドイツでは混成競技が非常に人気があるが、男子の場合、棒高跳を始めるのは混成競技がきっかけになっている。

 混成競技を始めるときに、いろいろな種目に触れる必要がありその後棒高跳の世界に入ってくる選手が多い。

 

 女子の場合は状況は異なる。女子の7種競技には棒高跳がないからである。

 女子の場合多いのは体操競技をやめた選手が棒高跳に来るパターンである。

 例えば体操競技のほうであまりうまくいかなかったり、体操競技の選手としては身長が大きすぎたりそういう理由で棒高跳に競技変更してくることが多い。

 

 先ほど話題にあがったマルティナ・スタルツも体操競技を14歳までやっていて、体操競技としてもとてもよい選手であった。

 

3 器械運動トレーニングについて

(木次谷)

 前回の棒高跳会議に参加したとき、多くの選手たちがとても優れた体操競技の能力を持っていて非常に驚いた。

 

(チンゴン)

 20年前はドイツの選手たちはこのような状況ではなかった。以前の選手たちは器械運動の能力はそんなに高くなかった。我々は努力してこのような状況を作り上げることができた。

ただ、レシェクは早くから器械運動を棒高跳に取り入れており、良い結果を出していた。

 

 良い棒高跳選手は3つの重要な柱で成り立っていると考えている。

 一つは走りの能力、もう一つは跳躍選手の能力、そして最後に体操競技の能力である。これらがうまくつながる必要がある。もしこの3つのうちの一つでも欠けてしまうと、棒高跳でよい結果を出すことは難しい。

 

 我々は器械運動についても1990年代から改善をつづけようやく20年経った。

 

※器械運動トレーニングのプログラムの詳細やピリオダーゼーションなどについては量が多いので、また別の機会に掲載させていただきます。

 

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次の動画はドイツの棒高跳選手が器械運動トレーニングを行っている様子です(2010年訪問時撮影)

 

赤いシャツを着て指導している人はイシンバエワの体操のコーチです(イタリア人)。

若いころのホルツディッペ選手も映ってます。

この動画に映っている選手たちはすべて棒高跳の選手です。

ドイツの棒高跳選手たちの中には器械運動の能力が非常に高い選手もいることがよくわかると思います。

棒高跳の器械運動トレーニング(ドイツ)リンクyoutu.be

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4 子ども向けの陸上競技について

(木次谷)

 この前レバークーゼンに行ったとき、コーチが話していたのだが、ドイツでは子供向けの試合を変えようとしているとのことだった。

なぜ、どのように変えるのか、これについて教えて欲しい。

 

(チンゴン)

 競技会について変えようとしているのは、8~11歳の子供たちむけの試合についてである。

まだ完全には変更はしていない。

 

 これまで伝統的にこの年齢グループの子供たちのために行われてきたのは、例えば50m走とか走幅跳とかボール投とかそういうものであった。

 

 それに対して新しい競技会では、それらの走・跳・投の要素をいれつつも、その年代の子供に特化したようなものにし、より楽しめるようなものにしている。そしてそれらをすべて組み合わせた混成種目のようなものにし、競技会ではその混成種目のみを行うようにしている。つまり、走る種目だけに出場するとか、跳ぶ、投げるだけの出場するということはないようにしている。

 

 出場する選手はすべての種目を実施する必要がある。そして、これをチーム戦で行うようにしている。

 この年代ではチームで行うということはとても重要であると考えている。

 チームで行うことにより単に陸上競技をやるという以上に、新しい発見をしたり、友情をはぐくんだりすることができる。チームで試合に参加すること自体が冒険でもある。

 

 我々としてはこういう変化をさせることにより、選手たちが早い段階で陸上競技に対して興味を失わないようにしている。

 我々は12~14歳の年齢の子どもたちが陸上から離れてしまうことを大きな問題だと思っている。

 彼らは5~6年ぐらい陸上競技を行った後、つまらなくなってしまい興味を失ってしまい、他のスポーツに行ってしまうことが多い。

 

 だから我々は子供たちの陸上の試合を変えようとしている。まさに今この変化を起こそうとしているところである。

 このような競技会は今年から始めることになっている。

 

 これは新しい変化である。ここまでとても長い議論があった。ここまで10年かかった。

 どこでもそうであると思うが、伝統を重視する立場の人と変化を起こそうとする立場の人がいる。

 伝統的な立場の人は変えることに抵抗があるし、変化を起こそうとする人はすべてを新しくしたくなる。

 両極端の人がいるが、時間をかけ何度も話し合いをし、なんとか今回のような状況を作り上げることができた。

 

 

 

ドイツ陸連 棒高跳ヘッドコーチ

ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション(概要)

『棒高跳の技術・トレーニング・バイオメカニクス』について

 

 こんにちは。福島大学で棒高跳コーチをしている木次谷聡といいます。

 

 今回は、ドイツ陸連フィールド部門ヘッドコーチである、ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション②を掲載します。

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 これまで私(木次谷)は棒高跳の研修のために、アメリカ(リノ・ネバダ州)で開催されているpole vault summitなどに参加してきました(2004~2009年)。

 また、定期的にヨーロッパ各国(主にドイツ)を訪問し、トップクラスの棒高跳選手が所属するクラブで研修を行ったり、ドイツ陸連コーチアカデミーで研修を行ったり、棒高跳会議に参加するなど多くの棒高跳選手やコーチらと情報交換を続けてきました(2010~現在)。

 

 これらの訪問でわかったことは日本、アメリカ、ヨーロッパでは棒高跳の技術やトレーニング、また育成システムという面で大きく違いがあるということです(もちろん類似点もありますし、日本のほうが優れている点もたくさんあります)。

 

 最近はYouTubeや各種SNSを通して海外の選手の跳躍やトレーニングの様子を見ることができるようになり、日本にいながらもたくさんの情報を得ることができるようになりました。とてもすばらしいことです。

 

 ただ、YouTubeなどを通して棒高跳の技術やトレーニングについて情報を得られるようになったのは良いことなのですが、その選手やコーチがどういう意図でやっているか本来の目的がわからないまま見た目だけを真似することになってしまっているような例も多く見受けられます。

 見よう見まねでやってみることも悪いことではありませんが、基本的な考え方や背景などを理解することも大切なことだと思います。

 

 このブログでは主に棒高跳の海外の情報について発信していきます。

 まだまだ日本国内では一般的に広まっていない棒高跳の情報もたくさんありますので、そういうものを日本の棒高跳選手・コーチの皆さんと共有することで、日本の棒高跳のさらなる発展に貢献できたらと考えています。

 

 もし質問等がありましたら、お気軽にご連絡いただければと思います。

 また、感想等もお聞かせいただけたら大変ありがたいです。

twitter (@Ultimateacjapan)

E-mail (iwakipv@gmail.com)

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1 ハーバート・ツィンゴン氏について

 

(ハーバート・ツィンゴン氏)

 ハーバート・ツィンゴン氏は長くドイツの棒高跳ナショナルコーチ(当時)を務め、棒高跳で数多くのエリート選手を育成したトップコーチです。

 ツィンゴン氏は棒高跳のコーチだけでなく、ドイツ陸連フィールド部門のヘッドコーチ(当時)もつとめ、ドイツ国内をはじめ各国で講師をつとめてきました。

 

 2013年にはドイツ陸連を辞め、スイスで棒高跳のナショナルコーチを務めています。(私は「なぜ辞めたの?」聞いたことがありますが、ツィンゴン氏は「陸連の仕事も大事だけど、俺は実際に選手を指導したいから」と答えました)

(ハーバート・ツィンゴン氏と木次谷)

 

 ツィンゴン氏はドイツだけでなく各国で仕事をしていますので、ヨーロッパだけでなく世界中の棒高跳のことを知り尽くしています(世界一棒高跳に詳しい人物と言っても過言ではありません)

 

 今回は2012年にドイツ陸連コーチアカデミーにおいてハーバート・ツィンゴン氏とディスカッションの概要を数回にわけて掲載していこうと思います。

 

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2 棒高跳の技術モデルについて

(チンゴン)

 ドイツの話をすると、実際のところ技術の点ではドイツ流という技術モデルは存在しない。我々はたくさんのことをロシア流から学んでいる。 ただ実際のところそのやり方を完璧にやれている選手は少ない。何人かの選手は1980~1990年代のロシアの選手のやり方を導入しているが、まだ出来ていないところも多い。

 ほかにもフランスの選手のやり方をやろうとしている選手もいる。ただ、ラビレニはフランスの主流のやり方とは異なるやり方である。

 我々としてはフランスの選手のようなやり方ではなくロシア流のやり方を導入していこうと思っている。

 

(中略:細かい技術についてかなり話しましたが量が多く、文字で表現するのも難しいので、また別の機会に報告します)

 

 選手やコーチたちは様々なやりかたをミックスしながら棒高跳の技術を作っている。

 特にレバークーゼンのレシェク・クリマコーチについていうと、彼は新しい情報をいろいろなところから取り入れていて、それらをうまく自分のプログラムの中に取り込むことで成功している。

 特にベテランの選手に対してのプログラムがうまい。彼は単に技術に関するコーチングをするというだけでなく、選手が持っている欠点をうまく見つけ、それを修正することが得意である。

 

 そいうわけでドイツには「ドイツ流」といえるように区別できるような技術モデルはないといえる。

 

(以下省略)

(右側:レシェクコーチ)

 

2 棒高跳のピリオダイゼーションについて

(木次谷)

 棒高跳のピリオダイゼーションについて教えてほしい

 ドイツはどのようにしてトレーニングスケジュールを管理しているのか?

 

(チンゴン)

 これはマルティナ・スタルツのトレーニングのスケジュールおよび記録である・

 これが月曜日の練習であり、午前の練習はこのように、午後はこのようになっている。

 スタルツ選手は非常に多くのウェイトトレーニングを行う。

(中略:年間計画や個々のトレーニングセッションの細かい内容についてはまた別の機会に報告します)

(スタルツ選手のトレーニングプログラム:非常に細かく計画され記録もとられている)

 

(...中略)

(木次谷)

 なぜあなたはこの情報を持っているのか?選手たちはあなたにこのような報告をする必要があるのか?

 

(チンゴン)

 必ずしも私にこのような報告をしなければいけないわけではない。

 彼女は自分自身のためにこのように報告をし、アドバイスを求めてきた。

 彼女のコーチは旧東ドイツ出身であり、投擲種目でで非常に成功を収めたコーチである。ただ、ここ2~3年は仕事にはついていない。

 スタルツ選手はそれまで違うコーチに教わっていたが、最近この元投擲のコーチと一緒にトレーニングをするようになった。

 もともとスタルツはこの投擲のコーチに13、4歳のころに教わっていた。。その後別のコーチに移ったが、28歳ごろになって再びこの投擲コーチのもとでトレーニングをするようになった。

 このコーチはトレーニングをしっかり管理するコーチで、トレーニングの負荷を数値化し、厳密にトレーニングさせていくコーチであった。

(右からマルティナ・スタルツ選手、チンゴン氏、スタルツ選手のコーチ)

 

 その他の選手の話をすると、多くの選手はその選手に特化したようなプログラムでトレーニングを行っている。その中でトレーニングの量や強度を数値化して管理している。強度とは走るスピードやウェイトトレーニングでの重量などである。ほかには握りの高さや使っているポールの硬さなどの数値を強度の指標として利用している。

 ただ、選手たちはナショナルコーチにこのようなものを報告することは義務とされているわけではない。

 強度を数値化することについてであるが、走りについてはスピードが数値化され、強度の目安とされる。

 たとえば、遅いスピードで走ればそれは強度が低いという目安になるし、そのほか走るスピードによって中程度の強度、高い強度というようにトレーニングの内容などを分類している。

 

 そのほかに、ジャンプ系のエクササイズの場合は跳躍した距離が強度の指標になる。この場合たとえば、3歩助走の5段跳などがもちいられる。

 

器械運動系のエクササイズについては分類は簡単ではない。この場合、そのエクササイズの複雑さが強度の指標となるだろう。

(以下省略)

 

4 棒高跳とバイオメカニクスについて

(木次谷)

 次に、ドイツにおける棒高跳とスポーツ科学に関して教えて欲しい。ドイツではスポーツ科学は棒高跳の強化にどのように役立てられているのか?

 

(チンゴン)

 我々はその選手がどれぐらいのスピードで助走を走っているかというデータも測定しているが、同時にそのスピードでいかに高く跳べるようになるかということについて科学的にサポートをしてもらっている。

 

 例えば助走スピードが9.5m/sということであればとても速い部類となるが、9m/sでは遅いわけではないがそこまで速いわけではない。

 そのように選手によってスピードの違いはあるが、同時にその選手が今持っているスピードをどれぐらい高さに変換できたかということもとても重要になってくる。これによってその選手のポール上にいる間の動きが効率的か非効率的かということがわかる。

 

 我々はこの点について興味を持っている。(資料の提示)

(ブラッド・ウォーカー選手のデータ)

 これは2008年にシュツットガルトで行われたIAAFファイナルでブラッド・ウォーカーが5.70を越えた跳躍である。

 この時跳躍中の最大重心高は5m90で握りの高さは4m97であった。跳躍を見るとかなりバーの上でかなり余裕がある。

 

 この跳躍でボックスのゼロラインから踏切位置までの距離は4m15である。

 この数値がエネルギー式になるが、これは踏切足が地面から離れる瞬間にその選手が持っているエネルギーと、跳躍中の最大重心高を比較することで計算される数値である。

 この選手の場合、最大重心高を得るにあたり、体重当たり3.93ジュールのエネルギーをプラスすることができている。これはとてもよい値である。

 彼は踏切後にポール上でとてもよい動きを行うことができているということができる。

 

 もちろん、彼はポール上でエネルギーを産み出しているだけではなく、不適切な動きも行っているためある程度失うエネルギーもある。

 ただ、総合すると彼はポール上でかなり良い動きをしているということができる。

 このような分析をすることで、技術の良しあしを数値化しようとしている。

 

 

 ほかの跳躍の資料をみると比較ができると思う。これはウクライナの選手について、先ほどと同じやりかたで分析したものである。この時のバーは5m60であるが、最大重心高は5m72である。

 スピードについてはこの選手はブラッド・ウォーカーよりやや遅い。

 この選手も先ほどのエネルギー式の点ではよい傾向にある。ただ、体重1キロ当たり2.82ジュールであるのでブラッド・ウォーカーよりはやや劣っている。

 このように分析することで、彼の技術はそれほど悪いわけではないもののブラッド・ウォーカーと比較するとやや劣っているという評価をすることができる。

 

(中略:たくさんの資料をいただきましたので細かいデータ等についてはまた別の機会に報告します)

 

 我々はさらに、このような数値がでる原因についても分析をしている。

 これらが我々がドイツでバイオメカニクスを棒高跳に活用している例である。

 

 我々はこの資料を選手やコーチたちに配布して、選手たちの動きについて評価をする機会を提供している。

 選手やコーチたちはこれを参考に、踏切位置を後ろにしてみようとか、手の使い方を改善してみようとか技術的に試行してみる。

この選手の場合、上側の腕の動きと下側の腕の動きの部分に改善が必要なところがあるといえる。

 

ここまでがドイツにおける棒高跳とバイオメカニクスに関する簡単な説明である。

 

 

ドイツ陸連 棒高跳ヘッドコーチハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション(概要)③に続く

 

ドイツ陸連 棒高跳ヘッドコーチ

ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション

 

 こんにちは。福島大学で棒高跳コーチをしている木次谷聡といいます。

 

 今回は、ドイツ陸連フィールド部門ヘッドコーチである、ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション①を掲載します。

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 これまで私(木次谷)は棒高跳の研修のために、アメリカ(リノ・ネバダ州)で開催されているpole vault summitなどに参加してきました(2004~2009年)。

 また、定期的にヨーロッパ各国(主にドイツ)を訪問し、トップクラスの棒高跳選手が所属するクラブで研修を行ったり、ドイツ陸連コーチアカデミーで研修を行ったり、棒高跳会議に参加するなど多くの棒高跳選手やコーチらと情報交換を続けてきました(2010~現在)。

 

 これらの訪問でわかったことは日本、アメリカ、ヨーロッパでは棒高跳の技術やトレーニング、また育成システムという面で大きく違いがあるということです(もちろん類似点もありますし、日本のほうが優れている点もたくさんあります)。

 

 最近はYouTubeや各種SNSを通して海外の選手の跳躍やトレーニングの様子を見ることができるようになり、日本にいながらもたくさんの情報を得ることができるようになりました。とてもすばらしいことです。

 

 ただ、YouTubeなどを通して棒高跳の技術やトレーニングについて情報を得られるようになったのは良いことなのですが、その選手やコーチがどういう意図でやっているか本来の目的がわからないまま見た目だけを真似することになってしまっているような例も多く見受けられます。

 見よう見まねでやってみることも悪いことではありませんが、基本的な考え方や背景などを理解することも大切なことだと思います。

 

 このブログでは主に棒高跳の海外の情報について発信していきます。

 まだまだ日本国内では一般的に広まっていない棒高跳の情報もたくさんありますので、そういうものを日本の棒高跳選手・コーチの皆さんと共有することで、日本の棒高跳のさらなる発展に貢献できたらと考えています。

 

 もし質問等がありましたら、お気軽にご連絡いただければと思います。

 また、感想等もお聞かせいただけたら大変ありがたいです。

twitter (@Ultimateacjapan)

E-mail (iwakipv@gmail.com)

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1 ハーバート・ツィンゴン氏について

 

(ハーバート・ツィンゴン氏)

 ハーバート・ツィンゴン氏は長くドイツの棒高跳ナショナルコーチ(当時)を務め、棒高跳で数多くのエリート選手を育成したトップコーチです。

 ツィンゴン氏は棒高跳のコーチだけでなく、ドイツ陸連フィールド部門のヘッドコーチ(当時)もつとめ、ドイツ国内をはじめ各国で講師をつとめてきました。

 

 2013年にはドイツ陸連を辞め、スイスで棒高跳のナショナルコーチを務めています。(私は「なぜ辞めたの?」聞いたことがありますが、ツィンゴン氏は「陸連の仕事も大事だけど、俺は実際に選手を指導したいから」と答えました)

(ハーバート・ツィンゴン氏と木次谷)

 

 ツィンゴン氏はドイツだけでなく各国で仕事をしていますので、ヨーロッパだけでなく世界中の棒高跳のことを知り尽くしています(世界一棒高跳に詳しいと言っても過言ではありません)

 

 今回は2012年にドイツ陸連コーチアカデミーにおいてハーバート・ツィンゴン氏とディスカッションした内容を数回にわけて掲載していこうと思います。

 

2 ディスカッションの内容

(ツィンゴン氏)

 ドイツ陸連コーチングアカデミーがあるこの大学(ヨハネスグーテンベルグ大学マインツ)について

 ここはドイツで最も古い体育大学であり、設備は古いが、私が16歳のころにトレーニングをしていた場所である。このインタビューが終わったらどこでも見て回ってもいい。

(ドイツ陸連コーチングアカデミー・ヨハネスグーテンベルグ大学マインツ)

 

(木次谷)

 まずはドイツにおける棒高跳の状況について教えてほしい。特に棒高跳会議は今回で第5回(当時)になるが、どういった経緯でこのカンファレンスは始まったのか?

 

(ツィゴン氏)

 このアイディアというのはもともとはケルン体育大学のウルフガンク・リッツドルフから始まったものだ。

 リッツドルフは私の30年来の友人であるが、彼は国際陸連の仕事もしていて、世界中で走高跳のレクチャーをしていた。

 

 リッツドルフは私が棒高跳の世界で非常にたくさんの国際的なつながりを持っていることを知り、今回やっているような会議をやってはどうかともちかけてきた。

 

 リッツドルフの考えとしては、ヨーロッパの各国はもっと協力しあったりするほうが良いという考えがあったからだ。

 

 もちろんこれは簡単なことではなかった。ヨーロッパにはフランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語のように異なる言語がたくさんあるからである。

 

 でもなんとかやってみようということになり、まずは第1回の棒高跳会議を開催することができた。この第1回の棒高跳会議は非常に成功した。

 

 我々はこのカンファレンスを続けることにし、2年に1回開催することにした。その後ヨーロッパ陸上競技連盟から支援を受けることになった。

 その後、フィンランドやスウェーデン、ノルウェーなどの国や、ブルガリアやギリシャ、イタリアなどからも参加者が来るようになった。このことはとても喜ばしいことである。

 

 一方このカンファレンスはまだ改善の余地もある。特に言語の点が問題である。

 沢山の国から参加が来ることになったわけであるが、まだ通訳の点では改善の余地がある。

 

(2012棒高跳カンファレンスの様子)

 

(木次谷)

 日本は島国であり、ヨーロッパのようにこういう交流を図ることはなかなか難しく、こういう情報交換をする場が少ないと思っている。

 

(チンゴン)

 日本は第二次世界大戦の前はオリンピックなどで活躍する選手もいたわけであり、日本は棒高跳という点では伝統のある国であると思う。日本は棒高跳をやるには良い国であると思う。

 

(木次谷)

 その点については今回棒高跳会議に参加していた他のコーチとも話したが、みんな同じようなことを言っていた。

 

(チンゴン)

 私が知るかぎりであるが、日本というのはスポーツに関してはアメリカと似たようなシステムだと聞いている。学校でスポーツをするという仕組みになっていると聞いたことがある。

 私はこの点はとても有利な点であると思っている。

 なぜならこのようなシステムでは、アカデミック・キャリアとスポーツ・キャリアを組み合わせることができるからである。

 

 アメリカの場合、高校を卒業して大学に行こうとした場合、奨学金などの経済的な支援が必要となってくる。

 学生の家庭に経済的な余裕がない場合、大学に行くためのお金を工面するのはとても難しいことである。

 スポーツで良い結果を出して奨学金を得るということは、そういう家庭で育った学生が大学に行く数少ない方法の一つでもある。

 そういう意味でも学校とスポーツの組み合わせはメリットがある。

 ただ、このシステムの欠点として考えられるのは、大学を卒業する22歳前後でスポーツキャリアも終わってしまうということである。

 

 ドイツではアメリカや日本とは異なるシステムになっている。

 ドイツのスポーツのシステムはクラブシステムで成り立っている。

 

 ドイツのクラブシステムというのはとても興味深い歴史を持っていて、メリットも非常に多い。

 ただ、ドイツのクラブシステムでは、アカデミックキャリアとスポーツキャリアは連携していない。

 つまり、学校側は所属する学生がスポーツでよい成績を出すかどうかということについては全く気にかけていない。

 学生がスポーツで高い成績を収めようが、学校側はまったく興味がない。

 

 このような状況ではいくらか問題が出てくる。

 例えば、16~19歳という年齢はスポーツのトレーニングという点で大切な時期であるが、同時に学校においても非常にたくさん勉強をしなければならない時期でもある。

 ドイツでは学校とスポーツが連携していないので、選手が合宿や試合に出場しようとした場合、学校側がそれを許可しないことがある。

 

 このようにアカデミックキャリアとスポーツキャリアを連携できないという点でもクラブシステムにも問題点はある。

 私の想像だが日本ではこの点はうまくいっているのではないだろうか?スポーツでよい成績をおさめていれば、アカデミックな点でもチャンスが生まれるのではないだろうか?

 

(クラブで陸上競技の練習をする子供たち)

 

(木次谷)

 この前、レバークーゼンに行ったときに、そこのコーチから「スポーツ・シューレ(スポーツ学校)」という話を聞いたのだが、これはクラブシステムと学校との連携ということではないのか?

 

(チンゴン)

 これが大きな問題である。

 「スポーツスクール」と呼ばれてはいるが、これはかつて言われていた意味での「スポーツスクール」ではない。

 今の「スポーツスクール」というのは、他の通常の学校に比べたらスポーツ選手に対するサポートはやや多いという程度である。

 ただ、実際のところ「普通の学校」と「スポーツスクール」の間にはそんなに大きな違いはない。スポーツスクールもスポーツ選手が必要としているサポートをそんなにたくさん提供しているわけではない。

 「スポーツスクール」はスポーツにおけるハイパフォーマンスに対して期待はしているが、結局のところスポーツ選手であっても通常の学校の学生と同じような学習プログラムを行わなければならない。

 

 この点については、かつての東ドイツのシステムとは異なる。

 

 知っての通りドイツはかつて共産国であった東ドイツと資本主義陣営の西ドイツに分かれていた。

 そしてスポーツの選手を育てるという点では東ドイツは優れたシステムを持っていた。

 東ドイツでは幼稚園の段階からすでにスポーツ選手としての選考が行われ、どのようなスポーツがその人にあっているかということが見出されていた。

 例えば、背の大きい人だったら投擲競技とかボートなどのローイングスポーツとか、背の小さい人なら卓球とか振り分けられていた。

 この選考は通常の学校のシステムの中で行われるとともに、特定のスポーツ専門校によって大きなサポートを受けていた。

 

 また、例えば17歳の選手がトレーニングキャンプに行く場合、キャンプ地にはスポーツのコーチだけでなくその選手に勉強を教える先生もついく仕組みになっていた。キャンプ先で勉強の面でも個人に授業を行う。そういうことも行われていた。

 

 ただ、こういうことは今は行われていない。これは不可能である。とても費用がかかる。

 

 当時はどれぐらい費用がかかるかということにはそんなに気をかけなかった。スポーツで大きな結果を出すということが重要であったからだ。

 

 もしろん東ドイツはドーピングのようなよくないこともやっていた。だた東ドイツはそのようなことだけでなくいろいろなことを組み合わせて、システムとして成果を出していた。

 

 東ドイツが崩壊してからは、そういうことは不可能になった。

 その後統一されたドイツでも東ドイツのような仕組みをいくらか維持しようとはした。

 いくらか実施可能なものもあったので、ドイツの東部でのスポーツ学校では選手が19歳になるまでは結構いろいろな良いサポートはある。

 ただ、その年齢以降になるとサポートは全然なくなってしまう。

 その結果、19歳以降の年齢でドロップアウトする選手がたくさん出てくる。

 スポーツの分野でよい成績を収めた選手たちは、どういう大学に行けばいいかということについてもサポートを受けることがある。しかし、19歳になって大学に入学した途端、学校からのサポートというのは全くなくなってしまう。

 

(木次谷)

 スポーツキャリアが終わったら多くの選手はどのようなキャリアを歩むことが多いのか?

 

(チンゴン)

 スポーツキャリアが終わった後のキャリアはそれぞれである。 スポーツキャリアが終わった人をカバーするようなシステムはない。

 スポーツのハイパフォーマンスの世界からドロップアウトした後は、学業のほうに進むとか職を見つけるとかである。

 

(左からダニー・エッカー選手、トビアス・シェルバース選手、レシェク・クリマコーチ・木次谷)

 

(木次谷)

 この前、レヴァークーゼンでダニー・エッカー(棒高跳:大阪世界陸上銅メダリスト-自己ベスト6m00)に会った。

 彼は今はケガなどをしていてあまり調子は良くない時期であると思う。

 彼は私と同じ年齢(当時34歳)である。

 そこで私がふと思ったのは「彼は今、トレーニング以外の時間は何をしているのか?」ということである。

 

(チンゴン)

 ダニー・エッカーは多分今は大学に行っているのではないかと思う。詳しくはわからないが、たしか彼はまだ大学を卒業していないはずだ。

 彼は体育大学の学生ではないから、スポーツに関して勉強しているわけではないと思う。多分、経済とかそういう分野を勉強していると思う。正確なことはすべてわからないが、私が覚えている範囲では大学はまだ卒業していないはずだ。

 

 ただ、彼の母親(ハイデ・ローゼンダール)は1972年のミュンヘンオリンピックの金メダリストであるし、当時6m84の世界記録世界記録も出したような選手である。両親ともにもスポーツで成功を収めていて、そして経済的にも余裕あるはずだ。

 ダニー・エッカー自身もスポーツの世界でとても成功を収めているし、生活をしていく上では問題はないようだ。

 

 ただ、こういう状況は必ずしも他の選手にはあてはまらないことも多い。

 選手はスポーツキャリアを終えた後に生活をしていくための仕事を見つけるという点で、問題が出てくることがある。

 

(ドイツ陸連 ヘッドコーチ(フィールド) ハーバート・ツィンゴン氏とのディスカッション②に続く)

 

 

 

ヨーロッパでの棒高跳選手とコーチの関係について

 

 

1 コーチの種類

 

 ドイツでは、一つのクラブに複数のコーチがいることが多く、それぞれのコーチが自分の「トレーニンググループ」を持って活動しています。

 

 コーチといってもいくつか種類があり、他の仕事をしながら指導するコーチ(パートタイム・コーチ、ボランティア・コーチ)と陸上競技を指導することそのものを職業として行っているコーチ(プロフェッショナルコーチ)がいます。

 

 プロフェッショナルコーチの場合,その給料の出所は人によってさまざまです。

 たとえば,TSVレバークーゼンで棒高跳を指導している3人のコーチのうち,一番ベテランのレシェク・クリマ氏(元ドイツナショナルコーチ)の給料は,クラブ(レバークーゼン)が支払っていました。

 それに対して,ドイツナショナルコーチ(当時)であったヨーン・エルバーディンク氏にはドイツ陸上競技連盟が給料を支払い,ジュニアを担当するクリスティナ・アダムズ氏(当時:現ドイツナショナルコーチ)には地域の陸上競技連盟が給料を支払っていました。

 

 

 

2 クラブ内に複数の棒高跳コーチとトレーニンググループがある

 

 ドイツでは、一つのクラブ内に同じ種目のコーチが複数いて、それぞれが自分のトレーニンググループをもって活動している場合があります。

 

 レバークーゼンの場合、当時はレシェク・クリマ氏、ヨーン・エルバーディンク氏、クリスティナ・アダムズ氏の3名のコーチがいましたが、3名のコーチがそれぞれ別々の「トレーニンググループ」を持っていて、そこで指導をしていました。

 

 ツバイブリュッケン(LAZ Zweibrücken:棒高跳で有名な陸上クラブ)にも行って研修をしてきましたが、そこでも同様でした。

 

 ツバイブリュッケンでは、アンドレイ・チボンチクコーチ(現ドイツナショナルコーチ)が5,6名程度のトレーニンググループの指導をしていました。ただ、それ以外にも同じクラブ内に別のトレーニンググループが2あり、それぞれ別のコーチが指導をしていました。

(アンドレイコーチと選手たち)

 

 これらの棒高跳のトレーニンググループは、それぞれ年齢や競技レベルによってある程度分けられてはいるのですが、必ずしもそれは厳密なものではありません。

 

 例えば、レバークーゼンではドイツ国内のトップレベルの選手たちが、レシェクコーチのグループに3名、エルバーディンクコーチのグループにも2名それぞれ所属していました。

 

 私は初めてレバークーゼンを訪れた時、一つのクラブに複数の「チーム(トレーニンググループ)」があるこの仕組みがよく理解できませんでした。

 

 そこでエルバーディンク氏に「今,あなたが一緒に練習をしているあの選手たちは,どういう経緯であなたと練習しているのか。何か選抜システムがあるのか」と尋ねたことがあります。

 

 エルバーディンク氏からの答えはとてもシンプルなもので、「彼らが私のところで練習したいと言ってきた。私はOKと言った。それだけだよ」というものでした。

 

 私は、ドイツでは旧ソ連のように選手を選抜し振り分けるシステムがあって、それをもとにトレーニンググループが作られているのかと勝手に考えていましたが、そうではないようでした。

 

 もちろん才能ある選手を探して声をかけることはあるようですが、基本的には選手がコーチを選びコーチがOKと言えばそこから指導が始まるようです。

 

(レシェクコーチとダニー・エッカー選手)

 

3 コーチを変えることについて

 

 ヨーロッパの棒高跳のコーチ達と話をしてたまに出てくる話題は「コーチを変えること」についてです。

 

 2012年にはロンドンオリンピックが行われ、男子棒高跳のではルノー・ラビレニ(フランス)が金メダル、ビョルン・オットー(ドイツ)が銀メダル、ラファエル・ホルツディッペ(ドイツ)が銅メダルを獲得しました。

 

 金メダリストのラビレニと銅メダリストのホルツディッペにはオリンピック後の行動に共通点がありました。

 

 それはオリンピックでメダルを獲得後にそれまでのコーチと別れ、新しいコーチのもとで活動を始めたということです。

 

 オリンピックでメダルを獲得した直後にメダリストにまで育ててくれたコーチのもとを去るというのは、日本人にはなかなか理解できない行動です(少なくとも私には考えが及びません)。

 

 それは、育ててくれた「恩」とかそういう情緒的な側面だけを言っているのではありません(これは日本人的な考えなのかもしれません)。

 

 オリンピックでメダルをとれたということは、それまでのトレーニングや指導がうまくいっていていた(少なくとも間違ってはいなかった)と言えるわけですから、それを変えるというのは結果が出なくなるリスクもあるわけです。

 

 多くの人が「今までこのコーチのもとでやってきてうまくいったのだからこのコーチのもとで続けよう」と考えるのではないかと思います。

 

 それにもかかわらず、彼らはそれまでと同じ事をするのではなく、コーチを変え、環境や指導方法も変える。これは凄いことだと思います。

 

 ラビレニはダミアン・イノセンシオというコーチの下で6mの壁を突破し、オリンピックでも金メダルを獲るところまでになったのにも関わらず、コーチを変えています。

 

 ダミアン・イノセンシオコーチに「ラビレニはなんでコーチを変えたの?」と聞いたことがあります。彼の答えは「うーん、わかんない」というものでした。

 

 私はラビレニの新しいコーチ(フィリップ・ダンコース氏)にも「ラビレニはなんでコーチを変えたの?」と聞いたことがあります。

 フィリップ・ダンコースコーチの答えも「うーん、わかんない」というものでした。

 

 結局、新旧コーチどちらも何故ラビレニがコーチを変えたのかということについてはわからない様子でした。

 

 もう一人のメダリストのラファエル・ホルツディッペ選手もオリンピック後にコーチを変えています。

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手は前述したツバイブリュッケンという都市で育ち、LAZツバイブリュッケンというクラブに所属した選手です。

 

 アンドレイ・チボンチク氏は、選手時代はアトランタオリンピックで銅メダリストを獲得し、ドイツのナショナルコーチも務めるドイツのトップコーチです。

 

 アンドレイコーチはトップコーチであるだけでなく、ホルツディッペ選手を小さいときから指導し、長年の指導もありオリンピックで銅メダルをとるまでに育てたコーチでもあります。

 にもかかわらず、ラファエル・ホルツディッペ選手はロンドンオリンピック後にミュンヘンに転居し、別のコーチ(チョンシー・ジョンソン氏)の下で指導をうけることにしました。

 

 私は、アンドレイコーチに「なぜホルツディッペ選手はコーチを変えたのか?何かトラブルがあったのか」と勇気を出して聞いたことがあります。

 

 アンドレイコーチは、

「特別トラブルとかはない。ツバイブリュッケンは田舎である。若い選手はミュンヘンのような都会に行って生活したいと考えることもある。ラファエルもそうだ」

「選手がコーチを変えることはよくあることだ。選手は新しい技術やトレーニングを試したい,新しいことにチャレンジしたいと考えてコーチを変えることがある。私はそれは良いことだと思うし,何より,そういう気持ちを持ったまま今の場所に居続けるほうがよくないと思う。」

と話してくれました。

 

(ラファエル・ホルツディッペ選手)

 

 ここまで、ラビレニ選手とホルツディッペ選手について書いてきましたが、他にもコーチを変えた話はたくさん聞いています。

 

 ヨーロッパの選手にとっては、自分の意志でコーチを変えていくことは普通のことです。

 

 私が知っているところでは、イシンバエワ選手(女子世界記録保持者)やシルケ・シュピーゲルブルグ選手の話題もあります。

 

 イシンバエワ選手はロシア出身で、15歳の時からエフゲニー・トロフィモフ氏というロシアのコーチが指導していました。

 

 その後、セルゲイ・ブブカらを育てたビタリー・ペトロフ氏の下でトレーニングするためにイタリアに引っ越し、ペトロフ氏とトレーニングを重ねた結果、2009年には5m06の世界記録を出すようにまでなりました。

 

 しかしその後(2012年)には再びロシアに戻り、エフゲニー・トロフィモフ氏のもとで指導を受けています。

 

 イシンバエワがペトロフ氏からトロフィモフ氏に再びコーチを変えたことについて、ツバイブリュッケンのアンドレイコーチに「何か事情知ってる?二人の間に何かトラブルでもあったのかな」と聞いたことがあります。

 

 アンドレイコーチは「必ずしもトラブルがあったわけではない。選手が陸上競技のために自分の生まれ育った国を離れ、他の国で生活をしてくことは大変なことである。自分の国に戻りたいと考えることは自然なことである」と話してくれました。

 

 ちなみにアンドレイ・チボンチクコーチも、旧ソ連(ベラルーシ)出身でソ連の崩壊後にドイツに渡ってきた選手です。(ドイツに渡ってきたばかりの苦労について沢山お話を聞かせてくれました。ドイツに来た当初はドイツ語は全く話せなかったそうです)。

 ですので、他の国に渡り、そこに住み、陸上競技をやっていく苦労についてはよく理解しているのだと思います。

 

 

4 コーチを変えた後の、前のコーチとの関係

 

 コーチを変えた話としては、女子のドイツ記録保持者であるシルケ・シュピーゲルブルグ選手の話もあります。

 

(シルケ・シュピーゲルブルグ選手)

 

 シルケ・シュピーゲルブルグ選手はジュニア時代から長い間,レバークーゼンのレシェク・クリマ氏の指導を受け,4m82のドイツ記録を出すなど、世界でもトップクラスの選手になりました。

 

 2010年に私が初めてレバークーゼンを訪れた際は、父親と娘のような感じで仲が良く、選手とコーチとして本当によい関係に見えました。

 

 しかし、2014年に再びレバークーゼンを訪れたときは、レシェクコーチがシルケ選手の棒高跳の指導をしている姿は見られませんでした。

 

 いろいろ話を聞いてみると、本人の意向により2013年からは,体力面についてはハイケ・ヘンケル(走高跳:世界選手権・オリンピック金メダリスト)らを育てた,同じクラブ(レバークーゼン)のゲルト・オーゼンブルグ氏が指導することになり、棒高跳の技術面についてはツバイブリュッケンのアンドレイ・チボンチク氏が指導することになったそうです。

 

(レシェク・クリマコーチとゲルト・オーゼンブルグのディスカッション)

 

 レバークーゼンとツバイブリュッケンは車で3時間ほどの距離があります。

 

 そのため、チボンチク氏はメールなどで連絡を取りつつ,週3回は技術練習のためにレバークーゼンを訪れシュピーゲルブルグを直接指導しているとのことでした。そして、その日の午後にはツバイブリュッケンに戻り,自分のグループ(ツバイブリュッケン)の指導をするという生活を送っているということでした。

 

 

 このように書くと、「シルケ選手とレシェクコーチの間には何かトラブルがあったのだろうか」とか考えてしまいますし、「二人の間には溝が生まれているのだろう」と考えがちです。

 

 しかし必ずしもそうではないということに驚かされました。

 

 2014年のドイツ訪問では、私はまずはじめにツバイブリュッケンで研修をしこの話を聞きました。

 そしてその後レバークーゼンに移動し研修を受けたのですが、そこにはシルケ選手とレシェクコーチが仲良くしている姿が相変わらずあったのです。

 

 このような状況であれば、シルケ選手とレシェクコーチの関係はちょっと気まずいものになってしまっても不思議ではありません。

 

 でもそうではないのです。

 

 二人は一緒に練習することはないものの、相変わらず談笑し、仲良くやっているのです(私が見る限り、表面的なものとは思えませんでした)。

 

 レシェクコーチにこのことについてお話を聞きました。

 レシェクコーチの答えは「シルケが自分で考えて決めたことだ。それは良いことだと思う」というものでした。

 

 前述したように、ラファエル・ホルツディッペ選手がアンドレイ・チボンチクコーチの下を離れることになった際、アンドレイコーチは、「選手というのは新しい技術やトレーニングを試したい,新しいことにチャレンジしたいと考えてコーチを変えることがある。私はそれは良いことだと思う」と述べていましたが、このコーチの姿勢については二人とも共通するものがありました。

 

 この件について、ドイツ陸連のハーバート・ジンゴンコーチにお話しを聞いたことがあります。

 

 ジンゴンコーチの見解も一緒でした。

 

 むしろ、コーチを変えることを積極的にとらえており、「コーチを変えることは良いことである」とまでおっしゃっていました。

 

 最近、スポーツ界では「アスリート・ファースト」とか「アスリート・センタード」という言葉が聞かれます。

 

 レシェクコーチ、アンドレイコーチ、ジンゴンコーチが、コーチを変えたいという選手の考えや選択を尊重していたことを書きましたが、このコーチ達の考え方や姿勢がまさにアスリート・センタードの姿勢なのだと思います。

(本来はアスリート・センタードという言葉が正しいのだと思います)

 

 

5 そうは言っても

 

 ここまで棒高跳の選手がコーチを変えることについて書いてきました。

 

 私が出会ったドイツのコーチ達は、長年指導してきた自分の下を去ろうとしている選手に対してさえも、選手自身の考えや選択を尊重するという「アスリートセンタード」の考えを持ったすばらしいコーチ達でした。

 

 ただ、このコーチ達のお話を聞いていて共通する点はもう一つあります。

 

 それは、「選手自身の選択」を尊重する姿勢を持ってはいるが、やはり寂しい気持ちがあるということです。

 

 ホルツディッペ選手の事について質問した時、アンドレイコーチは「コーチとしてやはり寂しい気持ちはある」と正直に話してくれました。

 

 また、レシェクコーチにシルケ選手のお話を聞いたときも寂しく見えました。

 

 お二人とも、本当に小さい時から育ててきた選手と別れたわけですからその気持ちは当然ですよね。

 

 

6 「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導するべきだ」

 

 ドイツ陸連コーチアカデミーで研修をした際、ハーバード・ジンゴンコーチから「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導するべきだ」というお話を聞きました。

 

(レバークーゼンで楽しそうに練習する子どもたち)

 

 「8年後を見て指導する」というのはなかな壮大な話です。

 

 日本でも「一貫指導」とか「長期的な視点に立った指導」ということは言われることはありますが、それは主に「指導の仕組み(システム)」を議論する際に取り上げられることが多いのではないでしょうか。

 

 個々のコーチが「8年後の事を考えて指導する」というのは日本ではなかなか難しい話だと思います。

 

 これはドイツと日本のスポーツのシステムの違いもあると思います。

 

 ドイツには部活動というシステムが無く、学校とは別組織の地域の「スポーツクラブ」でスポーツをするこが一般的です(日本で最近言われる総合型地域スポーツクラブの原型です)。

 

 ですので、学校が変わってもスポーツをする場所は変わらず、長期にわたり同じコーチのもとで指導を受けることは珍しいことではありません。

 

 このような環境では「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導する」というのも可能です。

 

 それに対して日本は各学校ごとに「部活動」があり、それぞれの学校段階(中学3年間・高校3年間・大学4年間、ひどいときには小学校6年間)で「結果」を出したくなってしまいます。

 

【ドイツを訪れた際に、日本の小学校の全国大会(日清カップ)の動画を見せて、「日本には小学生の全国大会がある」と説明したところ、「クレージーだ」と多くのコーチから(悪い意味で)驚かれました】

 

 多くの場合、選手も、コーチも、そして保護者もそれを期待しますし、それぞれの学校段階で「結果」を出したコーチが素晴らしいコーチとされることも多いです。

 

 ですので、日本の部活システムでは「その選手が8年後にどうなるかということを考えて指導」というのはなかなか難しいものだと思います。

 

 

 そうは言ってもやはり「今指導している選手が8年後にどうなるかという長期的な視点」という考え方は重要なものです。今回ジンゴンコーチからお聞きした「長期的視点」について、現在のシステムの中でどう工夫していくかというのもとても大切だなと考えさせられました。

 

(なお、クラブシステムの問題点についてもいろいろ聞いてきましたので、別の機会に書きたいと思います)

 

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

問い合わせは      iwakipv@gmail.com     までお願いします。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m91)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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17. コーチを変えたこと(ロンドンオリンピックが終わって)

 

 ロンドンから帰ってきて私は結構忙しくなった。

 いろいろなパーティに招待されたり、人を紹介されたりすることが多くなった。

 また、周りの人たちが私に対して、次はもっとよい成績をだしてほしいと思っていることが良く分かった。

 

 ロンドンオリンピックが終わり、私はコーチをアンドレイ・チボンチクからチョンシー・ジョンソンに変えることにした。

 チョンシー・ジョンソンは、マルト・モアのコーチであり南アフリカ出身のコーチである。

 新しいコーチとトレーニングするためにはミュンヘンに引っ越さなければならず、住む場所を探すなど、結構忙しい時期であった。

 

 2012年の終わりのころから、新しいコーチとトレーニングするようになった。

 最初のうちはお互いを知るために時間が必要であった。

 私がどういう部分を向上させたいと思っているのか、これまでどういうトレーニングをしてきたかなどを知るために時間をかけた。

 したがって、コーチを変えてすぐの2013年の室内試合期で試合に出場することはあまり重要視していなかった。

 重要視していなかったにもかわらず、最初の室内の試合でそれまでの自分の室内の自己記録と同じ5m82を跳ぶことができた。

 私は、その後の試合も良い結果を少し期待したが、ドイツ室内選手権で5m70を跳んだだけで、それ以外の試合では5m50や60という記録ばかりであった。

 

18. モスクワ世界陸上に向けた取り組み

 2013年の室内シーズンが終わり、次の夏のシーズンに向けてのトレーニングが始まった。

 私たちは助走を改善することに集中した。それまでの私の助走というのは腰が低い走りであった。 

 コーチと一緒にもう少し腰が高い助走ができるよう取り組んだ。最初は違和感があったが、助走の改善のために何度も何度も繰り返しトレーニングをした。

 

 その夏のシーズンの最初の試合で、私は5m70を跳ぶことができた。

 ダイヤモンドリーグ・ドーハ大会でも私は5m70を跳んだ。そして次に参加したダイヤモンドリーグ・ユージーン大会では、自己ベストである5m84を跳ぶことができた。

 

 私はユージーンにいたときにはまだ時差ボケがある状態であったが、ユージーンの試合が終わってすぐに、飛行機でローマに移動するような忙しさであった。

 このような状態であったので、私は疲労困憊であったが、ダイヤモンドリーグ・ローマ大会ではにはとても自信をもった状態で臨むことができ、5m91を跳ぶことができた。

 私は2013年のアウトドアシーズンを良い形で始めることができた。

 

 それまでに経験したことのないような試合に参加したり、移動も多かったので、アウトドアシーズンの中ごろには、私は少し疲れてしまっていました。

 また、集中力もなくなってきており、5m50や60の試合が多くなっていた。

 

  ドイツ選手権のころには良い状態に回復し、ドイツ選手権では5m75を跳んで、モスクワ世界選手権の出場権を得ることができた。

 

 ドイツ選手権の後は、すこしトレーニングをする時期を入れた。

 私の全助走は18歩なのだが、トレーニングでは14歩を沢山取り入れて、技術面について重点的にトレーニングを行った。この時期を挟んだことによりモスクワの世界選手権に向かって、調子がだんだん良くなってきた。

 

(続く)

棒高跳のトレーニングの組み立てについて

(アンドレイ・チボンチクコーチらとのディスカッションなどから)


 これまで、ドイツのある陸上競技クラブ「TSV04レバークーゼン」や「LAZツバイブリュッケン」、「ドイツ陸連(DLV)コーチアカデミー」で研修をしてきました。また、ヨーロッパ棒高跳会議に出席し、各国コーチ達と情報交換をしてきました。

 そこで得られたトレーニングに関する内容ついて少し書きたいと思います。

 

1.棒高跳のトレーニングの組み立て方(ヨーロッパの場合)

 ヨーロッパの棒高跳では多くの場合、マトベイエフらが提唱した「伝統的なピリオダイゼーション」のうち、「ダブルピリオダイゼーション(年二重周期)」でトレーニングを組んでいます。

(アンドレイチボンチクコーチの資料)

 

 屋外の試合にむけたマクロサイクルは一般的準備期が3月後半ぐらいからはじまり、その後専門的準備期を経て、6月の国内選手権にピークを合わせていくことが多いです。

 また、室内競技会に向けたマクロサイクルでは、10月から一般的準備期が始まり、その後専門的準備期を経て、2月の後半ぐらいに各国の室内選手権が行われます。

 

 この年二重周期という方法は日本ではあまりなじみがないかもしれませんが、ヨーロッパのほとんどの棒高跳選手が採用している一般的な方法です。


 アンドレイ・チボンチクコーチ(ドイツナショナルコーチ)に、「年1回の周期ではだめなの?」と聞いたことがあるのですが、「んー、ダメだね。室内競技会期というのも棒高跳にとっては大事だからね。年1回の周期だと試合のフィーリングがなくなってしまうからね」という答えでした。

 

 この年二重周期というのはヨーロッパではスタンダードではありますが、日本ではなかなか実現が難しいものだと思います。


 ヨーロッパでは、室内で陸上競技ができる場所が本当にたくさんあります。

 アンドレイ-チボンチクコーチに「ドイツにはどれぐらい室内練習場とか競技場があるの?」と質問したことがあったのですが、「いっぱいありすぎてわからない。数えたこともない」という答えでした。それぐらい当たり前にある設備のようです。

 

 また、冬季には室内の競技会も沢山あります(トップレベルだけでなくいろいろなレベルの選手向けにでもです)。

 「冬は室内で陸上やるのあたりまえじゃん」って感じです。

 また室内競技会に出る機会が多いというのは、ヨーロッパが陸続きであり、車で移動できることも関係していると思います。

 日本の場合海外の試合に出る場合、飛行機に乗って数時間移動しなければなりませ。そして棒高跳について言えばポールの運搬もあるので一苦労です。

 

 

 次に、ミクロサイクルにですが、ドイツでは多くの上位選手は1週間に9~10回の練習を行っています。

(1週間のトレーニングの資料:チボンチクコーチより)

 

 (マルティナ・スタルツ選手の1週間のトレーニング:ウェイトが非常に多い)

 

 例えば月(午前・午後)->火(午前・午後)->水(午前のみ)->木(午前・午後)->金(午前・午後)->土(午前のみ)->日(レスト)という感じです。

 

 この方法も私の知る限り日本ではあまり一般的でないように思います。

 日本で午前・午後の練習をするといえば、「合宿」と考えますが、それとは少し違います。


 ちなみに、ドイツで3月後半あたりに南アフリカにCamp(合宿?)に行くことが多いのです。

私はレシェク・クリマコーチに、「こんなに設備が整った競技場があるのになぜわざわざ南アフリカにいくの?」と質問をしたことがあります。

 レシェクコーチの答え「太陽を浴びに行くんだよ!」という意外なものでした。

 これはふざけた答えではなく、実は重要なことのようです。実は同じようなことはスウェーデンのコーチも話していたのです。ヨーロッパではけっこう一般的な考え方のようです。

(普段薄暗いヨーロッパですので、南アフリカに行って太陽を浴びることで精神的にもリフレッシュし、紫外線の働きがホルモンにも影響を及ぼすそうです)

 

 

2. 提案「鍛錬期」という呼び方はやめませんか?

 

 私がこの時ドイツを訪れたのは3月中旬でした。

 3月中旬というのは室内シーズンが終わり、屋外の試合シーズンに向けて「一般的準備期」が始まる時期です。

 私はピリオダイゼーション(期分け)については一通り勉強したこともありましたので、「一般的準備期」や「一般的運動」という言葉はある程度知っているつもりでした。

 ただ、今回実際にドイツを訪れ「一般的準備期」のトレーニングを見させていただくことで、「一般的運動(エクササイズ)という言葉の意味や一般的運動の実際の使い方についてこれまで以上に理解が深まりました。また日本との違いも感じました。

  

 とくに、ヨーロッパのコーチと話をしていていつも思うのは、ピリオダイゼーションなどの基本的な知識が現場のコーチにも深く浸透しており、使われる用語についてもコーチ間で共通理解があるということです。

 

 たとえば、ヨーロッパのピリオダイゼーションにおける「一般的準備期」という用語を日本では「鍛錬期」とか「基本期」などとよぶ人もいたりします。

ただ、その意味については厳密に定義されておらず、言葉の意味は必ずしも共通の理解を得られいません。


 他方、私がヨーロッパを訪問してみて感じたのは、やっぱり「一般的準備期」は「一般的準備期」であり、この言葉でなければいけないということです。


 日本の書籍などによっては「General」という用語を「一般的」と訳するのではなく「全般的」と訳している場合がありますが、私はこの「全般的」という訳語のほうが本当のニュアンスが伝わりやすいのではないかと思っています。

 

 日本ではこの時期を「鍛錬期」という言葉を使う人もいますが、私は鍛錬期という言葉はピリオダイゼーションの用語としてはふさわしくないのではないかと思っています。


 「鍛錬」という言葉を使ってしまうと、どうしても宮本武蔵の「千日の稽古をもって鍛となし、 万日の稽古をもって錬となす」というような「苦しさに耐える」というニュアンスが前面に出てしまいます。それでは

 Generalという本来の意味が理解されないままになってしまう気がします。


 もちろん、トレーニングに対して向かっていく気持ちが絶対に必要なことですし、特に一般的準備期にはそういう気持ちで望むことが必要なことには完全に同意します。

 ただ、「General」にはそういう意味合いはありませんので、鍛錬という言葉はピリオダイゼーションの専門用語としては使うべきではないと思います。

 やはり「一般的準備」とか「全般的準備」という用語を使うべきだと思います。



(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

ドイツにおける

棒高跳とバイオメカニクス

木次谷聡(福島工業高等専門学校)

 

 ドイツのケルンから列車で40分ぐらいのところにレバークーゼンという総合型のスポーツクラブがあります。

 このクラブは非常に大きいクラブでドイツでも最大規模と言われています(化学メーカーのバイヤーがスポンサーです)。


 下の写真でお分かりのとおり、非常に設備も整っています。200mのトラックの内側に棒高跳ピットや走幅跳ピット、走高跳ピットなどが設置されています。

 

室内競技場全景


トラックの横には150mぐらいの直送路

 

10m間隔で光電管タイミングゲートが設置されています(据え置きで)

 

すぐに走ったタイムがわかる!

 

 

2012年に研修に行った時ですが、2つある棒高跳ピットのうち一つが工事中でした。



ちょうどバイオメカニクスの専門家であるFalk Shade博士(ケルン体育大学::棒高跳のバイオメカニクス研究の世界的権威)が来ていたので、「今、何の工事やってるの?」と質問しました。私は


彼は「棒高跳のボックスと助走路にフォース・プラットフォームを3台埋め込む工事をやっているよ! あと、天井とかにもカメラ20台設置してるんだよ」と教えてくれました。

これは天井に設置されたカメラ

(見にくくてすみません)

 

 

完成するとこのように利用する

(2016年)

 

 Falk Shade博士のお話だと、これによって棒高跳の跳躍をした後に、選手やコーチにすぐに跳躍についての情報をフィードバックすることができるようになるとのことでした。

 

 選手はフィードバックされた情報をもとに、どこを変えたほうがいいかなどを理解し、またすぐに試してみる。そしてその跳躍をまた分析してその効果があったかを検証する、という使い方をするそうです。

 

 このシステムはレバークーゼンの選手は大体4~6週間ごとに測定をするそうです。

 他の地域(ミュンヘンやベルリンなど)の選手も、大体半年に1回程度ここを訪れてこのシステムを利用して測定をすることにしているそうです(ドイツ陸連としての測定キャンプ)。

 

 また、このピットは試合でも使えるものなので、試合の測定もできるそうです。

 このシステムによって、動作だけでなく例えばエネルギーをどれくらいロスしているかとか、身体重心の高さがどうかなど力学的な側面からもフィードバックを与えることができるそうです。

 

 ドイツでこのような設備があるのはここだけで、おそらく世界的に見ても一番大きな設備だろうとおっしゃっていました(オーストラリアにも似たようなものがあるが、モーションキャプチャーのシステムはないようです)

 

 また、ここは大学のような研究機関ではないので、選手が実際にトレーニングにする時に活用するということを目的にしているというのが最大の特徴であるとおっしゃっていました。

 

 このような設備を整備するには莫大な費用がかかると思います。

 私は「この費用はどこが負担するのか」と質問しました。

 Falk博士は「国が50%地方政府が40%そしてクラブが10%だよ」と教えてくれました。

 まじか、さすがスポーツ大国ドイツ!

 

 私は「このレバークーゼンの設備以外に、棒高跳のバイオメカニクス的なサポートとして他にどのようなことをしているの?」と尋ねました。

 

 Falk博士の答えは、「年間大体2~4回ぐらいは試合にもデータを取りに行くね。主にドイツ選手権だけど。」

 「あと、このようなデータをうまく活用してもらうために、私とかバイオメカニクスの専門家が合宿などに出向いて説明したり、技術練習の時などには速度や他のデータを測定して、選手の動作について、コーチとディスカッションしたりするね」 というものでした。

 

フィードバックされるデータの例

 


 私はFalk博士に対して「このようなバイオメカニクスは棒高跳の新しい技術を生み出すことが出来ると思うか?」と質問してみました。 


 彼は、即座に「NO!」と答えました。

 

 「バイオメカニクスには動作の原理についての知識はあるし、測定することはできる。」

「でも技術を作ることはできない。」

「技術を作るのは選手とコーチである。」

「バイオメカニクスができるのは、技術をその選手個人に対して最適化することである」

というのが彼の答えでした。

 

 まさか、バイオメカニクスの権威であるFalk Shade博士からこのようなお話が聞けるとは思いませんでした。

 

 ドイツはバイオメカニクスなどの自然科学的なアプローチによるスポーツ研究が発達しているだけでなく、それ以前からスポーツに関する研究においてとても長い伝統を持っている国です。

 

 マイネルらの「スポーツ運動学」が生まれ、育ったのもこのドイツです(主に東側でしたが)。

 

 私は大学院時代、白石豊先生から「スポーツ運動学」を学び、ドイツのスポーツ事情についてのお話を沢山聞く機会がたくさんありました。

 今回ドイツを訪問し、バイオメカニクスの専門家からこのようなお話が聞けたことということは感慨深いものがありました。

 

 バイオメカニクスの専門家はその立場から、コーチはコーチの立場から、それぞれが自分や相手の役割を理解し、その上でお互いに協力して選手の競技力向上に取り組んでいる様子が見て取れました。

 

コーチはコーチの役割。

まさに職人技(the art of coaching)ですね。

 

(続く)


棒高跳のピリオダイゼーション

(第8回ヨーロッパ棒高跳カンファレンス+その他いろいろ概要)

 

今回はドイツで行われる棒高跳カンファレンスの前に、チェコのピルセンというところにある西ボヘミア大学で研究会があったので参加してきました。

 

大学の入り口(向かって左側筆者)

 

私も発表しました

(チェコ語は出来ないので英語で)

 

西ボヘミア大学の先生とはクラブシステムについてディスカッションしました(筆者中央)

いろいろ話を聞いてみると、クラブシステムにも結構問題もあるようです。 


ポーランドからも大学の先生がいらっしゃっていました。

2014年にポーランドのソポトに行った時に覚えた「ジンドブレ(こんいちは)」というポーランド語であいさつしたら、喜んでくれました。

残りは英語でディスカッション。


 

その後チェコからドイツ・ケルンに移動して第8回ヨーロッパ棒高跳カンファレンス

今回のメインテーマは「ピリオダイゼーション」です。

とても興味深いテーマです。

 

これまでの「伝統的ピリオダイゼーション」でいいのか、ということについて沢山発表がありました。

 

 前ドイツ陸連ヘッドコーチのハーバート・ジンゴンコーチ(現在はスイスのコーチ)からは、マトベイエフらに代表される「伝統的なピリオダイゼーション」についての話題と、イスリンらが提唱している「ブロック・ピリオダイゼーション」を適用することについて話がありました。


 基本的にヨーロッパの棒高跳は「伝統的なピリオダイゼーション」の「ダブル・ピリオダイゼーション(年二重周期)」でトレーニングを組んでいます。

 これまでフランス、ドイツ、イギリス、チェコ、ポーランド、フィンランド、ノルウェーなどのコーチ達とディスカッションしてきましたが、ヨーロッパの棒高跳では年二重周期が一般的です。


 ただ、近年は国際的な競技会の数が増えたこともあり、エリート選手にはマトベイエフの「伝統的なピリオダーゼーション」を利用することは適さないでのはないかとも言われるようになってきています(「ピリオダイゼーションは終わった」と言われることもあります)。



 そこで注目され始めているのが、ベルホシャンスキーやボンダルチュク、イスリンなどが提唱している「ブロック式」のピリオダイゼーションです。

 それぞれの内容の詳細は割愛しますが、ジンゴンコーチはこの「ブロック式」のピリオダイゼーションを棒高跳に取り入れることを検討しています。


 その理由として、先ほど挙げた「国際競技会の過密化」もあるのですが、数年前から世界陸連が取り入れた「世界選手やオリンピックの出場権を獲得ポイントによって作られたランキングによって得る仕組み」(ワールドランキング制度)の導入が関係しています。


 これまでは、標準記録を突破していて各国の選考会で上位になることによって、オリンピックや世界選手権への出場権を得られたのですが、「ワールドランキング制度」では多くの試合(もしくはポイントの高い大会)に出場し、ポイントを稼がないとオリンピックや世界選手権に出場することはできなくなります。

 

 そうなると、主に各国の選考会の試合にだけベストの状態を合わせていればよいわけではなく、多くの試合でベターな状態(調子)で点数を稼ぎつつ国内の代表選考でも勝つ必要がでてきます。


そうなると「伝統的なピリオダイゼーション」でトレーニングを組む方法では対応ができないという問題も出てきます。

 この点については今後も議論や試行錯誤が続くだと思います。この点についてはまた別の機会に書きたいと思います。

 

今回は私も発表してきました。

自己紹介だけはドイツ語で、残りは英語で。

 

 

(続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年第6回ヨーロッパ棒高跳カンファレンス(概要)

 

 

2009年にアメリカで行われた棒高跳サミットで親しくなった、ブラジルのファビアナ選手とコーチと偶然にも同じホテルになりました。

まさかこんなところで再会できるなんて。おどろきでした。

アメリカでの棒高跳サミットでは、時間を割いていただきトレーニングについて大変詳しく教えていただきました。

 グダニスク空港からオスロで乗り継ぎしてフランクフルトへ。

 フランクフルト国際空港では飛行機から鉄道に乗り換える必要がありました。

 ただ、この乗り継ぎ時間がわずかしかありません。これを逃すとその日のうちにザールブリュッケンには到着できません。

 空港では預け荷物がなかなか出てこないことがよくあって、それでかなり時間をロスすると予想してました。

 そこで、往路(日本→フランクフルト→コペンハーゲン→ポーランド)でフランクフルト国際空港に一度寄ったときに、大きなスーツケースはフランクフルト国際空港に預け、3日分の荷物だけを機内持ち込み荷物として持ち込んで、ポーランドに行きました。

 この作戦が正解でした!

 なんとかなりそうな時間に駅に到着したのですが、鉄道のチケット売り場には長蛇の列。「終わったか...」と思いましたが、 ドイツの人は親切で、私が急いでいるのを見て列車のチケットを買う列の順番を譲ってくれました。

 このおかげでぎりぎり列車に乗れ、その日のうちにザールブリュッケンのホテルにチェックインできました。

 ありがとうドイツの人。

 

 

ザールブリュッケンから30分ぐらい電車に乗って、ツバイブリュッケンに。

今回はアンドレイ・チボンチクコーチのところでも研修させていただきました。

 

アンドレイコーチには本当に親切にしていただきました。

技術、トレーニング、コーチングなど細かいところまでご指導いただきとても勉強になりました。またいろいろ連れて行ってもらいありがとうございました。

 

ツバイブリュッケンでの研修も終わり、次はいよいよヨーロッパ棒高跳カンファレンス。

ケルン体育大学で行われます。

前回から棒高跳だけではなく走高跳も同時開催。

正式には「ヨーロッパ棒高跳・走高跳カンファレンス」です。

日本からは、愛知学院大学の渡辺輝也先生もいらっしゃっていました(前回もいらっしゃていました)

カンファレンスが始まる前に、走高跳の分析が行われていました(多分VICONを使って)

今回のメインテーマは「シーズンプランニング」。ピリオダイゼーション・期分けの話題が沢山です。

 

1日目は、全種目共通の内容として、アメリカのオリンピックトレーニングセンターのコーチであるジェレミー・フィッシャーコーチのお話。

棒高跳はラファエル・ホルツデッペ選手のお話から。

 

二日目には、ルノー・ラビレニの今のコーチである、フィリップ・ダンコースコーチ(フランス)のレクチャーと実技講習がありました。

 

ケルン体育大学での棒高跳カンファレンスが終わり、残りの2日間は再びレバークーゼンでの研修。

いつものことながら、レシェク・クリマコーチにはよくしていただきました。

棒高跳のピットは2か所あるのですが、一か所は工事中。

助走路とボックスに「フォースプラットフォーム」を埋め込む工事とのことでした。

 

シルケ・シュピールゲルブルグ選手と

身長はそんなに大きくありませんでした。

 

最後にみんなと

 

勉強した内容についてはまた別の機会にお知らせします。

 

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手がお話されたことについて文章に起こすことができましたので掲載します(長いので数回に分けて掲載していきます)

 ここに掲載している内容は、アルティメットa.c.のコーチである木次谷(福島高専)が、ホルツディッペ選手本人から直接聞いたお話を翻訳したものです。(どこの書籍にも載っていないない内容です)

 私の翻訳能力にも限界がありますので、読みにくい点はご容赦ください。

 

(棒高跳クラブ Ultimate a.c.では参加者を募集しています。

問い合わせは      iwakipv@gmail.com     までお願いします。

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ラファエル・ホルツディッペ選手はドイツの棒高跳選手です(元世界ジュニア記録保持者・自己記録5m91)

  2008年 世界ジュニア選手権 金メダル(5m40)、

  2008年 北京オリンピック 第8位(5m60)

  2012年 ロンドンオリンピック 銅メダル(5m91)

  2013年 モスクワ世界陸上 金メダル(5m89)

    2015年 北京世界陸上 銀メダル(5m90)

  

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16. テグ世界選手権がおわりロンドンオリンピックに向けて

 

 2008年のトレーニングの始まりの時期と、2012年のトレーニングの始まりの時期には共通点があった。

 それは、ケガをせず予定していたトレーニングを行うことができたということである。

 

 2012年の室内競技会シーズンも良い状態で迎えられた。

 その年はトルコで行われる世界室内が行われる年であったが、私は国内選考会となるドイツ室内選手権で5m82の自己ベストを跳んだ。

 私は自己ベストを跳ぶことができたのだが、マルト・モアやビヨーン・オットーがさらに高い5m87を跳んだため私は3位になってしまい、結果的に世界室内には出場することはできなかった。

 私はドイツ室内選手権で3位に終わったことに対して、いくらか残念な気持ちがあった。

 しかし、私は準備期で順調にトレーニングをし、実力も高まり、よい状態でドイツ室内に臨むことができていたので、「この状態で負けたのだから、これが私の今の実力であり、その時二人は私より優れていたたけだ」と思えるようになっていた。

 そして、二人に勝つために、二人よりさらに優れたトレーニングをすればよい、それだけだと素直に思えるようになっていた。

 そういう考え方をするようになって、私はその夏のシーズンに向けて、さらに意欲的にトレーニングに取り組むようになっていた。

 

 この年の試合期の調子の上がり方はいくらかゆっくりしたものであった。

 夏のシーズンに向けたトレーニングで、私はまた少しケガをしてしまい、何試合かキャンセルすることになったからだ。

 私はドイツ選手権にむけて、試合のリズムを取り戻そうとした。通常であれば試合のリズムを取り戻すには4~5週間ぐらいかかるのであるが、この時は比較的容易に調子を取り戻すことができていた。

 その年は、ほかの選手はあまり良い記録を出していなかったので、ドイツ選手権で5m70ぐらい跳べば十分戦えると思っていた。私は自分自身がやるべきことにしっかり集中することができていた。

 その結果、ドイツ選手権で5m77を跳ぶことができ、ロンドンオリンピックの出場権を得ました。

 

 

17. ロンドンオリンピック

 私は、ドイツ選手権の後も数試合出場し5m80も何度か跳んでいたので、自分がよい状態であるということがわかっていた。

 ロンドンオリンピックには自信を持って臨むことができており、予選はとても楽に通過することができた。

 続く決勝では5m75を跳び、5m85に臨む時には4番目のポジションにいた。

 知っての通り、オリンピックで4番目というのは何ももらえない順位である。

 私は5m85を2回失敗したのだが、気迫を持って3回目に臨み、5m85をクリアすることができた。

 次は5m91に挑戦することにした。私は5m91を跳べば、メダルの獲得は確実だと思っていた。

 集中力を維持して臨んだ5m91は1回目でクリアすることができた。

 私はメダルを手に入れたと確信した。

 次の高さは5m97であったが、5m91を跳んだことで、目標であったメダルを取れたことで少しほっとしていたのもあり、私は5m97を3回失敗してしまった。

 最終的に私は銅メダリストとなった。

 銅メダルではあったものの、私にとって本当に素晴らしい試合となった。

 

(続く)