ヨーロッパでの棒高跳選手とコーチの関係について

 

 

1 コーチの種類

 

 ドイツでは、一つのクラブに複数のコーチがいることが多く、それぞれのコーチが自分の「トレーニンググループ」を持って活動しています。

 

 コーチといってもいくつか種類があり、他の仕事をしながら指導するコーチ(パートタイム・コーチ、ボランティア・コーチ)と陸上競技を指導することそのものを職業として行っているコーチ(プロフェッショナルコーチ)がいます。

 

 プロフェッショナルコーチの場合,その給料の出所は人によってさまざまです。

 たとえば,TSVレバークーゼンで棒高跳を指導している3人のコーチのうち,一番ベテランのレシェク・クリマ氏(元ドイツナショナルコーチ)の給料は,クラブ(レバークーゼン)が支払っていました。

 それに対して,ドイツナショナルコーチ(当時)であったヨーン・エルバーディンク氏にはドイツ陸上競技連盟が給料を支払い,ジュニアを担当するクリスティナ・アダムズ氏(当時:現ドイツナショナルコーチ)には地域の陸上競技連盟が給料を支払っていました。

 

 

 

2 クラブ内に複数の棒高跳コーチとトレーニンググループがある

 

 ドイツでは、一つのクラブ内に同じ種目のコーチが複数いて、それぞれが自分のトレーニンググループをもって活動している場合があります。

 

 レバークーゼンの場合、当時はレシェク・クリマ氏、ヨーン・エルバーディンク氏、クリスティナ・アダムズ氏の3名のコーチがいましたが、3名のコーチがそれぞれ別々の「トレーニンググループ」を持っていて、そこで指導をしていました。

 

 ツバイブリュッケン(LAZ Zweibrücken:棒高跳で有名な陸上クラブ)にも行って研修をしてきましたが、そこでも同様でした。

 

 ツバイブリュッケンでは、アンドレイ・チボンチクコーチ(現ドイツナショナルコーチ)が5,6名程度のトレーニンググループの指導をしていました。ただ、それ以外にも同じクラブ内に別のトレーニンググループが2あり、それぞれ別のコーチが指導をしていました。

(アンドレイコーチと選手たち)

 

 これらの棒高跳のトレーニンググループは、それぞれ年齢や競技レベルによってある程度分けられてはいるのですが、必ずしもそれは厳密なものではありません。

 

 例えば、レバークーゼンではドイツ国内のトップレベルの選手たちが、レシェクコーチのグループに3名、エルバーディンクコーチのグループにも2名それぞれ所属していました。

 

 私は初めてレバークーゼンを訪れた時、一つのクラブに複数の「チーム(トレーニンググループ)」があるこの仕組みがよく理解できませんでした。

 

 そこでエルバーディンク氏に「今,あなたが一緒に練習をしているあの選手たちは,どういう経緯であなたと練習しているのか。何か選抜システムがあるのか」と尋ねたことがあります。

 

 エルバーディンク氏からの答えはとてもシンプルなもので、「彼らが私のところで練習したいと言ってきた。私はOKと言った。それだけだよ」というものでした。

 

 私は、ドイツでは旧ソ連のように選手を選抜し振り分けるシステムがあって、それをもとにトレーニンググループが作られているのかと勝手に考えていましたが、そうではないようでした。

 

 もちろん才能ある選手を探して声をかけることはあるようですが、基本的には選手がコーチを選びコーチがOKと言えばそこから指導が始まるようです。

 

(レシェクコーチとダニー・エッカー選手)

 

3 コーチを変えることについて

 

 ヨーロッパの棒高跳のコーチ達と話をしてたまに出てくる話題は「コーチを変えること」についてです。

 

 2012年にはロンドンオリンピックが行われ、男子棒高跳のではルノー・ラビレニ(フランス)が金メダル、ビョルン・オットー(ドイツ)が銀メダル、ラファエル・ホルツディッペ(ドイツ)が銅メダルを獲得しました。

 

 金メダリストのラビレニと銅メダリストのホルツディッペにはオリンピック後の行動に共通点がありました。

 

 それはオリンピックでメダルを獲得後にそれまでのコーチと別れ、新しいコーチのもとで活動を始めたということです。

 

 オリンピックでメダルを獲得した直後にメダリストにまで育ててくれたコーチのもとを去るというのは、日本人にはなかなか理解できない行動です(少なくとも私には考えが及びません)。

 

 それは、育ててくれた「恩」とかそういう情緒的な側面だけを言っているのではありません(これは日本人的な考えなのかもしれません)。

 

 オリンピックでメダルをとれたということは、それまでのトレーニングや指導がうまくいっていていた(少なくとも間違ってはいなかった)と言えるわけですから、それを変えるというのは結果が出なくなるリスクもあるわけです。

 

 多くの人が「今までこのコーチのもとでやってきてうまくいったのだからこのコーチのもとで続けよう」と考えるのではないかと思います。

 

 それにもかかわらず、彼らはそれまでと同じ事をするのではなく、コーチを変え、環境や指導方法も変える。これは凄いことだと思います。

 

 ラビレニはダミアン・イノセンシオというコーチの下で6mの壁を突破し、オリンピックでも金メダルを獲るところまでになったのにも関わらず、コーチを変えています。

 

 ダミアン・イノセンシオコーチに「ラビレニはなんでコーチを変えたの?」と聞いたことがあります。彼の答えは「うーん、わかんない」というものでした。

 

 私はラビレニの新しいコーチ(フィリップ・ダンコース氏)にも「ラビレニはなんでコーチを変えたの?」と聞いたことがあります。

 フィリップ・ダンコースコーチの答えも「うーん、わかんない」というものでした。

 

 結局、新旧コーチどちらも何故ラビレニがコーチを変えたのかということについてはわからない様子でした。

 

 もう一人のメダリストのラファエル・ホルツディッペ選手もオリンピック後にコーチを変えています。

 

 ラファエル・ホルツディッペ選手は前述したツバイブリュッケンという都市で育ち、LAZツバイブリュッケンというクラブに所属した選手です。

 

 アンドレイ・チボンチク氏は、選手時代はアトランタオリンピックで銅メダリストを獲得し、ドイツのナショナルコーチも務めるドイツのトップコーチです。

 

 アンドレイコーチはトップコーチであるだけでなく、ホルツディッペ選手を小さいときから指導し、長年の指導もありオリンピックで銅メダルをとるまでに育てたコーチでもあります。

 にもかかわらず、ラファエル・ホルツディッペ選手はロンドンオリンピック後にミュンヘンに転居し、別のコーチ(チョンシー・ジョンソン氏)の下で指導をうけることにしました。

 

 私は、アンドレイコーチに「なぜホルツディッペ選手はコーチを変えたのか?何かトラブルがあったのか」と勇気を出して聞いたことがあります。

 

 アンドレイコーチは、

「特別トラブルとかはない。ツバイブリュッケンは田舎である。若い選手はミュンヘンのような都会に行って生活したいと考えることもある。ラファエルもそうだ」

「選手がコーチを変えることはよくあることだ。選手は新しい技術やトレーニングを試したい,新しいことにチャレンジしたいと考えてコーチを変えることがある。私はそれは良いことだと思うし,何より,そういう気持ちを持ったまま今の場所に居続けるほうがよくないと思う。」

と話してくれました。

 

(ラファエル・ホルツディッペ選手)

 

 ここまで、ラビレニ選手とホルツディッペ選手について書いてきましたが、他にもコーチを変えた話はたくさん聞いています。

 

 ヨーロッパの選手にとっては、自分の意志でコーチを変えていくことは普通のことです。

 

 私が知っているところでは、イシンバエワ選手(女子世界記録保持者)やシルケ・シュピーゲルブルグ選手の話題もあります。

 

 イシンバエワ選手はロシア出身で、15歳の時からエフゲニー・トロフィモフ氏というロシアのコーチが指導していました。

 

 その後、セルゲイ・ブブカらを育てたビタリー・ペトロフ氏の下でトレーニングするためにイタリアに引っ越し、ペトロフ氏とトレーニングを重ねた結果、2009年には5m06の世界記録を出すようにまでなりました。

 

 しかしその後(2012年)には再びロシアに戻り、エフゲニー・トロフィモフ氏のもとで指導を受けています。

 

 イシンバエワがペトロフ氏からトロフィモフ氏に再びコーチを変えたことについて、ツバイブリュッケンのアンドレイコーチに「何か事情知ってる?二人の間に何かトラブルでもあったのかな」と聞いたことがあります。

 

 アンドレイコーチは「必ずしもトラブルがあったわけではない。選手が陸上競技のために自分の生まれ育った国を離れ、他の国で生活をしてくことは大変なことである。自分の国に戻りたいと考えることは自然なことである」と話してくれました。

 

 ちなみにアンドレイ・チボンチクコーチも、旧ソ連(ベラルーシ)出身でソ連の崩壊後にドイツに渡ってきた選手です。(ドイツに渡ってきたばかりの苦労について沢山お話を聞かせてくれました。ドイツに来た当初はドイツ語は全く話せなかったそうです)。

 ですので、他の国に渡り、そこに住み、陸上競技をやっていく苦労についてはよく理解しているのだと思います。

 

 

4 コーチを変えた後の、前のコーチとの関係

 

 コーチを変えた話としては、女子のドイツ記録保持者であるシルケ・シュピーゲルブルグ選手の話もあります。

 

(シルケ・シュピーゲルブルグ選手)

 

 シルケ・シュピーゲルブルグ選手はジュニア時代から長い間,レバークーゼンのレシェク・クリマ氏の指導を受け,4m82のドイツ記録を出すなど、世界でもトップクラスの選手になりました。

 

 2010年に私が初めてレバークーゼンを訪れた際は、父親と娘のような感じで仲が良く、選手とコーチとして本当によい関係に見えました。

 

 しかし、2014年に再びレバークーゼンを訪れたときは、レシェクコーチがシルケ選手の棒高跳の指導をしている姿は見られませんでした。

 

 いろいろ話を聞いてみると、本人の意向により2013年からは,体力面についてはハイケ・ヘンケル(走高跳:世界選手権・オリンピック金メダリスト)らを育てた,同じクラブ(レバークーゼン)のゲルト・オーゼンブルグ氏が指導することになり、棒高跳の技術面についてはツバイブリュッケンのアンドレイ・チボンチク氏が指導することになったそうです。

 

(レシェク・クリマコーチとゲルト・オーゼンブルグのディスカッション)

 

 レバークーゼンとツバイブリュッケンは車で3時間ほどの距離があります。

 

 そのため、チボンチク氏はメールなどで連絡を取りつつ,週3回は技術練習のためにレバークーゼンを訪れシュピーゲルブルグを直接指導しているとのことでした。そして、その日の午後にはツバイブリュッケンに戻り,自分のグループ(ツバイブリュッケン)の指導をするという生活を送っているということでした。

 

 

 このように書くと、「シルケ選手とレシェクコーチの間には何かトラブルがあったのだろうか」とか考えてしまいますし、「二人の間には溝が生まれているのだろう」と考えがちです。

 

 しかし必ずしもそうではないということに驚かされました。

 

 2014年のドイツ訪問では、私はまずはじめにツバイブリュッケンで研修をしこの話を聞きました。

 そしてその後レバークーゼンに移動し研修を受けたのですが、そこにはシルケ選手とレシェクコーチが仲良くしている姿が相変わらずあったのです。

 

 このような状況であれば、シルケ選手とレシェクコーチの関係はちょっと気まずいものになってしまっても不思議ではありません。

 

 でもそうではないのです。

 

 二人は一緒に練習することはないものの、相変わらず談笑し、仲良くやっているのです(私が見る限り、表面的なものとは思えませんでした)。

 

 レシェクコーチにこのことについてお話を聞きました。

 レシェクコーチの答えは「シルケが自分で考えて決めたことだ。それは良いことだと思う」というものでした。

 

 前述したように、ラファエル・ホルツディッペ選手がアンドレイ・チボンチクコーチの下を離れることになった際、アンドレイコーチは、「選手というのは新しい技術やトレーニングを試したい,新しいことにチャレンジしたいと考えてコーチを変えることがある。私はそれは良いことだと思う」と述べていましたが、このコーチの姿勢については二人とも共通するものがありました。

 

 この件について、ドイツ陸連のハーバート・ジンゴンコーチにお話しを聞いたことがあります。

 

 ジンゴンコーチの見解も一緒でした。

 

 むしろ、コーチを変えることを積極的にとらえており、「コーチを変えることは良いことである」とまでおっしゃっていました。

 

 最近、スポーツ界では「アスリート・ファースト」とか「アスリート・センタード」という言葉が聞かれます。

 

 レシェクコーチ、アンドレイコーチ、ジンゴンコーチが、コーチを変えたいという選手の考えや選択を尊重していたことを書きましたが、このコーチ達の考え方や姿勢がまさにアスリート・センタードの姿勢なのだと思います。

(本来はアスリート・センタードという言葉が正しいのだと思います)

 

 

5 そうは言っても

 

 ここまで棒高跳の選手がコーチを変えることについて書いてきました。

 

 私が出会ったドイツのコーチ達は、長年指導してきた自分の下を去ろうとしている選手に対してさえも、選手自身の考えや選択を尊重するという「アスリートセンタード」の考えを持ったすばらしいコーチ達でした。

 

 ただ、このコーチ達のお話を聞いていて共通する点はもう一つあります。

 

 それは、「選手自身の選択」を尊重する姿勢を持ってはいるが、やはり寂しい気持ちがあるということです。

 

 ホルツディッペ選手の事について質問した時、アンドレイコーチは「コーチとしてやはり寂しい気持ちはある」と正直に話してくれました。

 

 また、レシェクコーチにシルケ選手のお話を聞いたときも寂しく見えました。

 

 お二人とも、本当に小さい時から育ててきた選手と別れたわけですからその気持ちは当然ですよね。

 

 

6 「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導するべきだ」

 

 ドイツ陸連コーチアカデミーで研修をした際、ハーバード・ジンゴンコーチから「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導するべきだ」というお話を聞きました。

 

(レバークーゼンで楽しそうに練習する子どもたち)

 

 「8年後を見て指導する」というのはなかな壮大な話です。

 

 日本でも「一貫指導」とか「長期的な視点に立った指導」ということは言われることはありますが、それは主に「指導の仕組み(システム)」を議論する際に取り上げられることが多いのではないでしょうか。

 

 個々のコーチが「8年後の事を考えて指導する」というのは日本ではなかなか難しい話だと思います。

 

 これはドイツと日本のスポーツのシステムの違いもあると思います。

 

 ドイツには部活動というシステムが無く、学校とは別組織の地域の「スポーツクラブ」でスポーツをするこが一般的です(日本で最近言われる総合型地域スポーツクラブの原型です)。

 

 ですので、学校が変わってもスポーツをする場所は変わらず、長期にわたり同じコーチのもとで指導を受けることは珍しいことではありません。

 

 このような環境では「コーチはその選手が8年後にどうなるかということを考えて指導する」というのも可能です。

 

 それに対して日本は各学校ごとに「部活動」があり、それぞれの学校段階(中学3年間・高校3年間・大学4年間、ひどいときには小学校6年間)で「結果」を出したくなってしまいます。

 

【ドイツを訪れた際に、日本の小学校の全国大会(日清カップ)の動画を見せて、「日本には小学生の全国大会がある」と説明したところ、「クレージーだ」と多くのコーチから(悪い意味で)驚かれました】

 

 多くの場合、選手も、コーチも、そして保護者もそれを期待しますし、それぞれの学校段階で「結果」を出したコーチが素晴らしいコーチとされることも多いです。

 

 ですので、日本の部活システムでは「その選手が8年後にどうなるかということを考えて指導」というのはなかなか難しいものだと思います。

 

 

 そうは言ってもやはり「今指導している選手が8年後にどうなるかという長期的な視点」という考え方は重要なものです。今回ジンゴンコーチからお聞きした「長期的視点」について、現在のシステムの中でどう工夫していくかというのもとても大切だなと考えさせられました。

 

(なお、クラブシステムの問題点についてもいろいろ聞いてきましたので、別の機会に書きたいと思います)