intermission その2~ジング氏、イエスキリストを監禁する | クルミアルク研究室

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沖縄を題材にした自作ラブコメ+メモ書き+映画エッセイをちょろちょろと

2022.06.30.翻訳会社によるチェック済み英文に差し替えました。

「わたまわ」エピソード、設定は12月24日夕刻。今回はリャオのモノローグになります。クリックすると各意味段落へジャンプします。

 

目次
1.リャオ、イエスキリストを発見する
2.あきお君、イエスキリストを届ける

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1.リャオ、イエスキリストを発見する

 

金城です。毎年クリスマスイブは仕事です。年末なので立て込んでいます。加えて、社員諸氏は早めに帰宅したがるので、私だけ西町に残ったりします。
今年もそんな感じ、と思ってたら日曜日なので誰も来ていません。当たり前か。誰もいないならスーツで来なきゃ良かった。
私は年末にしては珍しく19時に上がりました。もっとも牧志へ戻っても取り立てて何かするわけじゃないですが。

運転する車中でふと思い出した。そういえば、トモのジーンズが1着、事務所に残ってるはず。どこにしまったっけ?

牧志に戻ってすぐ衣装部屋へ。タンスの引き出しを開けます。えーっと、たしかこの辺にしまったような。あ、あった。
あれは何年前だったかな。2021年? いや既に1月だったから2022年か。サーコと三人で初詣してその帰りだよ。波之上の屋台で買った焼きもろこしを事務所まで持ち帰ってみんなで食べた。で、夜遅かったからサーコをトモがバイクで送ろうとする直前、彼はコーヒーをジーンズにこぼしてしまった。
「私のジーンズあるから、履いていけば?」
トモは私より5、6cm高いので股下もその分長いんですが、ジーンズのサイズは同じ30インチなんです。丈が短いのは気の毒だったけどサーコを待たせるのもなんだから、彼は私のを履いて帰りました。
私は染み抜きをして他の洗濯物と一緒に洗った。そのあと、なぜか返し損ねたままトモは韓国へ帰ってしまった。

今度トモが沖縄へ戻ってきたら、これ返さなきゃ。そう思ってもう一度しまおうとしたら、あれれ、ポケットに何か入ってる。

 

(image:Photo by Leon Oblak on Unsplash)

……これ、ひょっとして、イエスキリストですか?
ほら、よく教会とかでクリスマスにキリスト降誕場面の人形飾ってますよね。陶器でできていて、クレーシュとかクリッペとかプレセベとか呼ばれるやつ。英語ではNativityって言うんですけど。あれに出てくる赤ちゃんイエス様。
クリスマスシーズンが到来すると、各教会ではイエスの母マリア、その夫のヨセフ、イエス、天使、羊飼い、東方の三博士、牛、ロバなどが家畜小屋の中に置かれる。そのときまだイエスキリストは生まれてないから彼の姿はそこにはない。クリスマスイブ礼拝の時、ようやく 生まれたばかりのイエス様はめでたく飼い葉桶のベッドに寝かされるという手はずになっております。

スマートフォンの電話が鳴った。正確にはライン電話。韓国のトモだ。おお、ようやく携帯買い直した?
「リャオ、久しぶりです。心配かけました」
「元気そうだね。退院したの?」
「はい、ようやく落ち着いたので」
日本と韓国は時差がない。つまり向こうも夜の8時ちょっと前ってこと。そうだ。
「トモ、あんたに見せたいものがあるんだけど。写真送っていい?」

一旦電話を切ってもらい、ラインで人形の写真を送る。すぐ返事が返ってきた。

“Liao, would you please take him to the Ginowan Church? Please!”
(リャオ、宜野湾教会までイエス様を連れてってもらえる? お願い!)

やっぱり、教会の赤ちゃんイエス様だったんだ! おそらく、クリスマス行事を終えて片付ける最中に、何かの拍子でポケットに入れてしまったに違いない。今年は2023年だから、宜野湾教会はほぼ2年間、イエスキリストが行方不明状態だったわけだ。私はラインのトーク画面に英語をつづる。

“Tomo, at this rate, in addition to stealing, and kidnapping, you will be accused of unlawfully imprisoning Jesus Christ for nearly two years when you get to heaven.”
(トモ、このままだと君は天国で窃盗犯いや誘拐犯、加えてイエスキリストを2年近く監禁した罪に問われることになる)

既読になる。すぐ返事がきた。

“It's all my fault. Please forgive me.”
(私の過失です。許して下さい)

 

2.あきお君、イエスキリストを届ける

 

さーて、どうしてやろうかな。そう思ってたらライン電話がまた着信しました。
「リャオ、お願い。イエス様を教会へ届けて下さい」
「えー? 事務所戻ってきたばかりでまだ夕ご飯も済ませてないし」
「お願い! できれば今日中に届けて! 頼むから!」
「うーん、タダじゃ、やだ。そうね。沖縄帰ってきたらあけみとキスしてくれる?」
「ええっ?」
あ、絶句した。こいつ面白い! よし、次いってみよう。
「じゃあさ、あきお君がサーコとキスしてもいい?」
「そ、それは、ちょっと」
トモの奴、本気で狼狽しているぜ。最高! でもかわいそうだからランクを下げてあげる。
「ならばサーコから投げキッスもらうだけで勘弁したげる」
「……わかりました」
やった! まさか駆け引きがうまくいくとは思わなかった!
「今からお茶漬け食べてすぐ届けに行くよ」
「リャオありがとう。恩を着ます」
「それを言うなら‘恩に着る’でしょ?」
「はい、とにかく、お願いします!」

ということで、お茶漬けをさらさら食べ、スーツ姿のままイエスキリストを連れ、いざ宜野湾へ。でもさ、クリスマスイブって渋滞するんだよね。本当なら運転したくない。
あまりに時間がかかりそうなのでストーンズのCDでも掛けましょうか。赤ちゃんにちなんで、この曲を。

 

 


誰か俺のベイビーを見なかったかい? 愛は消えてしまった 俺は君を見つけられない

もちろんこの場合のベイビーは愛する女性を指す。これは失恋の歌。キリスト教とは何の関係もありません。
だけど、イエスキリストは我々を‘子供たち’と表現したりするから、このベイビーに我々を当てはめるとなかなか奥深い詞になる。このオフィシャルプロモーションビデオにはふさわしい解釈なんじゃない?

誰か俺のベイビーを見なかったかい? 愛は消えてしまった 俺は君を見つけられない

全知全能の神に不可能はない。それにもかかわらず、イエスキリストが我々を見つけ出せないことはある。
正確に言うと、神様は我々の心の扉をノックするが、扉を開ける権利は我々にある。それが‘自由意志’。
この概念を語り出したらそれこそ何年間も論争し続けなくちゃならない。ただ、クリスマスにそういった話をすることは決して無駄ではないはずだ。なぜなら、イエスキリストは我々を救うためにこの地上へやって来たから。

宜野湾教会にたどり着く。ちょうどイブ礼拝の真っ最中。
牧師の説教が続く。教会の明かりは消され、祭壇のろうそくの火だけが揺れている。

心の扉を開けたい気持ちはあるよ。だけど、ここに私の席はあるのかな?
たしかに今日はたまたま“あきお君”だから、座ってもいいかもしれない。それでも私は躊躇する。なぜなら、神は全てをお見通しだから。私が何者かをよくご存じだから。

変だよね。私を形づくったのは、ほかならぬあなたでしょう? それなのに。

受付の献金箱に添えられた封筒にお金を入れて献金する。音を立てないように千円札入れちゃった。いいよね。
そして、受付のテーブルに赤ちゃんイエス様を置いて、そのまま踵を返した。

空を見上げる。ああ、今日はきれいな星空だ。クリスマスにふさわしい。
願わくば読者の皆様にとって、良いクリスマスでありますように。そして、来年もよい年でありますように。
メリークリスマス!
(intermission その2~ジング氏、イエスキリストを監禁する FIN) NEXT:第三部 LoveSong(2)(3)

付記:ストーンズの動画リンク一覧についてはこちらcheckしてください。

 

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小説「わたまわ」を書いています。

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「わたまわ」あらすじなどはこちらのリンクから:exblogへ飛びます。もうしばらくしたら非表示かなー?
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