家事分担の共通のルールは今、確かに崩壊していますよね。
昭和の高度成長における政策で、「父が勤めに出て、母が炊事、洗濯、掃除、育児をする。」という分担を、国を挙げて推奨する時代がありました。
現在、夫婦共働きを国が推奨している時代ですが、共働夫婦の夫の9割弱は炊事、洗濯、掃除、育児を行っていません。
国が夫の家事を推奨していく動きもほとんどなく、女性からすらその声は想像よりあがってきません。ただ何となく、夫の育児休暇や遺族年金制度などで推奨しているかのようにポーズをとっていますが、決定的な経済対策に取り入れている動きが世界を見渡してもないのです。
だから極論をいうと、夫は家事をちょっとやれば世間から褒められて、妻はちょっと手を抜くだけで世間から責められる図式の為、夫婦間で話し合っても喧嘩にしかならないのです。どうして、こんなことになったのでしょうか?
これは現代社会の入口事情に影響していると思います。
資本主義で、働けば成果に応じて数字で自分を認められる社会に、家庭の主婦も出てみたいと思いました。「男と同等に金銭で成果の見返りをくださいとは言いません。でも私も外で働きたい。」この心に応じる形で、「働くのはいいけど女の役割である家事は怠るなよ。」「働きに応じた給料は男の半分しか渡せないぞ。」となりました。しかし、それでも楽しく働く主婦に、少数のどうしようもない男の嫉妬が圧力となり、「働きやすさ」を女性は社会に優先して求め続けました。社会も安く楽しそうに働く女性に、「働きやすさ」を提供できればと思いました。そんな図式が進んでいくうちに、家事分担は最重要議題に乗ることなく今日まで来てしまっているのでしょう。離婚裁判で「妻が家事をやらない。」が理由になっても、みんな平気なことが物語っています。
さらに、最重要議論に上がらないのは、男女共に「甘え」もあります。働き方改革や一億総なんやらと、国は女性の仕事環境づくりをしているようですが、どんな最新の業界でも、女性の外社会で働くつらさは男性の低く見積もっても倍以上です。
そんな、世間に年金をもらえるまで出続けるのには、男のそれとは比べ物にならない位、女性には色々と不安がついてきます。だから、家事をやって、夫に自分をアピールします。また、収入面でも男ほど楽に得られませんので、夫に対等に文句を言う材料になります。何より家事をやる妻には夫は尊敬します。
だから、女性は文句こそ恐ろしいくらい言っても、本格的に夫に家事をやらせようと動かないのです。
男性は、その気持ちを利用しています。一度やってもらうと、次からも甘えて続けてしまうのです。
世間がこれでは、一人の女性が本気で立ち上がっても、当のお相手は、ちょっと育児をするくらいでママ友からモテモテになる育メンとなってイイ気になり、より偉そうになるのが関の山です。
今は月並みですが、「私が死んだときのために、一人で何でもできるようにちょっとずつ家事教えるね。」がスマートな対応ではと思います。