京葉線運用の201系・ラストとなる54+K4編成の北長野への廃車回送を撮影に参りました。
●新習志野駅
朝6時半に勤務先を出て、最寄の新木場駅から京葉車輌センターから本線に接続している新習志野駅へ
下りホームは結構な人だかりのため、車輌センターからの入出庫線の見える2/3番ホームへ。
83運用に入っているE233系が出発した後に、201系登場。




※画像の端が切れて見えない場合は、クリックすると全体像をご覧いただけます。
廃車回送のために、前面や側面の方向幕は外されて、中央線の低いトンネル通過対策でシングルアームのパンタグラフに換装されています。側面の車番表示の辺りとか、車体のひび割れも見えて、廃車時期が近かったから補修しなかったのかどうかは判りませんが、なんとなくヒーローの疲れ果てた姿を見たようで、ちょっとだけ物悲しく
●稲毛海岸駅
ここでは、上りホーム東京よりに数人撮影者がいて、駅員さんが1名注視のためにホームに駐在。


回送列車はこの後、隣の千葉みなと駅との間にある新港信号場で待機したのちに、蘇我駅から誉田駅の中線で折り返す形で蘇我駅の外房線ホームに入って、千葉駅から総武線へ入ったと聞きました。
私自身は、稲毛海岸駅で改札を出てから、新木場駅へ戻って、そこから通勤経路の東京メトロ有楽町線で市ヶ谷へ抜けて、総武・中央線の緩行線に乗って、信濃町駅へ
●信濃町駅
ここの四ツ谷よりのカーブで一度撮影してみたかったと言うのがありますが、実はここは、快速線の列車に総武線の各駅停車の千葉方面の列車が被る可能性の高い場所でもあります。
特に今日は緩行線のダイヤが5分ほど乱れていて、201系の走る下り快速線の列車接近表示が点滅するたびに、まるで連動するかのように千葉/津田沼行きの接近放送が入り、細かいダイヤを把握していなかった身としてはひやひやし通しでした。


東中野~中野間の跨線橋や、御茶ノ水での聖橋辺りからの撮影をしておいた方が・・・と云うのは結果論。。。
まあ、これも中央線を走った証拠と思えば。
回送列車は、新宿・中野で少しずつ止まって、一路八王子へ。
11時過ぎに信濃町駅を離れた頃から、曇り空が晴れて、恐るべきとも言えるカンカン照り状態に。
●八王子駅
ホームに掛からない下り1番の側線に停車。(10分位、停車していたらしい。)
ここがこの日の一番の人出だった模様で、ホームの高尾よりには30人以上の撮影者と、警備員・八王子支社の腕章の私服係員・数名が入り乱れて。
望遠を伸ばして、人垣の隙間から1枚撮り、そのまま「かいじ」で大月へ先行

●初狩駅
大月駅で「かいじ」から普通列車への接続が良かったので、つい調子に乗って隣の初狩へ
ホームの先端から撮ろうと、改札でSuicaを精算してからまごまごしているうちに、なんともう列車接近のアナウンスが。。。
中途半端なところにいて、万事休すなれど一応撮影。
この場合、モタモタしていないで、さっさと精算して駅の裏手に周ってしまった方が良かったという事で。
(さもなければ、むしろ大月に残ってホームの先から迎え撃つか、甲府辺りまで進んで、時間を稼いだ方が打つ手はあったかもです。)
後悔はなんとやらでありますが、誠にこれも私らしい幕切れと言うか。
(対象列車のダイヤをしっかり把握していない時は、慎重に無理をしないのがお約束。)
今回、JR世代のスレテンス車輌によって、首都圏では最後となった国鉄型鋼製通勤車・201系が置き換えられ、
鉄道車両の世代交代がまたひとつ進み、見知った顔の車輌がまた身近からいなくなりました。
(関西に行けば、多少形態が異なってはいますが、103系や201系に会えない訳ではない事を承知の上で、)
気分的なものではありますが、青年期には中央線、そして近くは京葉線を、日常的に使っていたものとしては、この201系廃車回送をもって、一つの「時代」の区切りが付いたのかもしれません。(ちょっと大げさ過ぎ?)
ともかくも、明日からはまた新しい気持ちをもって、趣味の方面には邁進して行きたいと思います。