【 茶々 は キリシタン ? 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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● 古代史研究者の 小谷展宏さんから、便りをいただきました。

 了解をいただきましたので、紹介させていただきます。

 

 

      【 茶々はキリシタン? 】

 

 2023年の、NHK大河ドラマの1シーンで、茶々(淀殿)がクルスを下げている。

 大河はドラマだが、しかし、NHKは、もちろん時代考証をしているはず。茶々がキリシタンだったことは、資料に基づいたものにちがいない。

 作家・阿部龍太郎氏は、姫路市での講演で、

 大坂の陣は、徳川軍vsキリシタン軍の戦いだった、と述べた。

 これは、図星かもしれない。

 家康は、豊臣家を潰して天下を取る計画を、かなり前から考えていたことは明らか。

 キリシタン禁止令を、大坂の陣の前の、1613年と1614年の二度、発布していることから、大坂城を攻める前に、キリシタン禁止令を出したと考えられるのだ。

 

 秀頼もキリシタンだったとか、その道の研究者から、以前に聞いたことがある。

 だから、大坂の陣の前に、禁止令を出したのかも?

 

 秀頼の母・淀殿、正室の千姫がキリシタンなら、

 秀頼がそれだったというのは、図星かもしれない。

 千姫がキリシタンだったことは、もう疑う余地はない。

 東京小石川にある徳川家菩提寺・伝通院の、千姫供養塔の戒名にある隠符(かくし十字)が、その証拠である。

 

 姫路城・にノ門櫓の瓦に、十字架が施してあるが、

 そこからは、千姫の休憩所であった、西の丸の化粧櫓とは、目と鼻の先。

 千姫が、そこから、にノ門櫓の 鬼瓦の十字架を遥拝していたことは、充分考えられる。

 

 その、十字紋章鬼瓦については、

 城主・池田輝政(洗礼名シモン、鳥取県の道寧寺由緒の記録にある)もキリシタンだったが、御殿備前丸からは、その、にノ門櫓は死角になるから、遥拝するには、方向違いとなるのだ。

 

 また、キリシタン大名・黒田官兵衛のものとも違う。

 彼は、姫路城を離れてから受洗したので、時代が合わない。

 

 当時は、キリシタンが流行っていた。

 全国かくれキリシタン研究会の大会で、誰かが言っていたが、

 当時、キリシタンになることは、一つのステータスで、信仰は二の次。まあ、西洋文化の傾倒、強い憧れがそうさせたのだろう。

 信長も、南蛮文化が大好きだったことは有名。

 

 茶々の妹の お江も、キリシタンだったかもしれないのだ。

 これは、私が以前から、もしや!と思って、指摘していたことである。

 何故なら、娘に、キリスト教に因んだ名前をつけたからだ。

 千姫。この、千とは、磔刑の十字架の象形文字である。

 十の上のチョンは、罪状書きを表すのだ。

 イェシュア(イエス)の罪状書きには、ラテン語で「INRI」と書かれた。(新約聖書に記述)。

 「ユダヤ人の王・ナザレのイエス」の頭文字である。

 

 INRI は、イナリ と読むのだ。

 その漢字表記が、稲荷・伊奈利で、

 稲荷神社は、イエス神社なのだ。

 

 古代キリスト教徒の秦氏。

 この秦の字の禾は、これも、罪状書きと木で、木は十字架のことである。

 

 「人々は、イエスを、木に架けて殺した」(新約聖書・使徒行伝)。イェシュア(イエス)は、木の十字架に架けられたからである。

 

 戦国時代には、キリシタンが多くいたことが、最近の研究で、多く発覚してきたが、

 これからもそれが、より明るみになってくるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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