● 京都の市街地は、碁盤の目のように形成されていることから、
南下することを 「 下ル 」 ( さがる )、北上することを 「 上ル 」 ( あがる ) といい、
南北に走る道路が 東西を貫く道路と交差するときには、
「 西入 」 ( にしいる )、「 東入 」 ( ひがしいる ) を加えて、住所表記が行われています。
京都の人にとって、町名で表されるよりもはるかに便利で、合理的な表現法ですが、通り名を熟知することが求められます。
たとえば、東西の通りは、わらべ歌で、次のように歌い、知らず知らずのうちに、名称を暗記してしまうのです。
これは、道路名の頭の文字をとって、歯切れよく連ねたものです。
♪ 丸竹夷二押御池
姉三六角蛸錦
四綾仏高松万五条
雪駄ちゃらちゃら魚の棚
六条三哲とおりすぎ
七条こえれば八九条
十条東寺でとどめさす
【京の通り名数え唄】1分でわかるシリーズ - YouTube
このように、縦横に道路を巡らし、区画整理された都市計画は、
「 条坊制 」 といわれますが、平安京造営に伴い、唐に範を求めて整備されたものですが、
1000年の時空を超えて、今日まで受け継がれてきています。
● 「 平安京 」 の、条坊制によって区画された 左京 ・ 右京の両京は、南北は 大内裏裏北辺にある 一条大路から、羅城門のある 九条大路まで 13の大路、
東西は、東京極大路から 西京極大路まで 11の大路が貫通していました。
更に、大路で区画された中を、「 小路 」 ( こうじ ) と呼ばれた道路が整然と貫き、それらによって、40丈 ( 120m ) 四方の区画を形作っていました。
平安時代 当時から、日常生活をしていく上で、
何十にもなる 大路 ・ 小路の名前を、暗記することが求められていたのでした。
平安後期に成立した百科事典ともいうべき 「 掌中歴 」 ( しょうちゅうれき ) に、『 口遊 』 ( くちずさみ ) として、多くの人々が 繰り返し
口にしたものが 記されています。
● ♪ 一正土北辺 鷹近勘中一
春炊冷二條 押坊姉三條
角坊錦四條 綾坊高五條
樋坊桃六條 牝坊北七條
塩坊梅八條 針坊信九條
一条大路 ・ 正親町 ( おおぎまち ) 小路 ・ 土御門大路
( 土御門大路以上は 北辺 )
鷹司小路 ・ 近衛大路 ・ 勘解由 ( かげゆ ) 小路 ・ 中御門大路
( 中御門大路以北を 一条 )
春日小路 ・ 大炊 ( おおい ) 御門大路 ・ 冷泉 ( れいぜい ) 小路 ・
二条大路
押小路 ・ 三条坊門小路 ・ 姉 ( あねや ) 小路 ・ 三条大路
六角小路 ・ 四条坊門小路 ・ 錦小路 ・ 四条大路
綾 ( あやの ) 小路 ・ 五条坊門小路 ・ 高辻小路 ・ 五条大路
樋口 ( ひのくち ) 小路 ・ 六条坊門小路 ・ 楊梅 ( やまもも ) 小路
・ 六条大路
左女牛 ( さめがい ) 小路 ・ 七条坊門小路 ・ 北小路 ・ 七条大路
塩小路 ・ 八条坊門小路 ・ 梅小路 ・ 八条大路
針 ( はりの ) 小路 ・ 九条坊門小路 ・ 信濃小路 ・ 九条大路
平安時代の人々も、通りの名前を、くり返し 口ずさんで、暗記して
いったのでした。
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