※ 「 波乱含みで開幕した “ 東京オリンピック2020 ” を ぼんやり
見ながら思う。
━━ スポーツ観戦が 人々を興奮させるのは、一つに、
それが 競い合いであり、戦いであるからだ。」
( 鴻巣友季子、7/28 朝日新聞 )
● 主なる神による、天地創造 ・ 人間創造の時には なかったもの ・
神の計画には なかったものを、
原罪が犯された後、
人間は いろいろと考え出し、愛するものとなっていきました。
・ スポーツしかり。
一人一人が大切な人間だったのが、
差をつけ、競い合って、上に立とうとしてきました。
上に立つ者に、人々は、神からの栄誉ではなく、人からの栄誉を与えました。
天地創造 ・ 人間創造の時には、
バトルは なかった。 競争 ・ 競走は なかった。
そのことによる栄誉など、なかったことでした。
競争がなければ ・ バトルがなければ ・ 勝ち負けがなければ ・・・・
おもしろくない! 盛り上がらない!
人は誰も、バトル好き ・ 競争好き ・ 勝負好き!
・ 王は なかった。
大統領 ・ 首相など、特別な地位の支配者は なかったのです。
その王座 ・ 地位をめざして、競い合い、その地位に立っていく という
ことも なかったことでした。
主なる神によるリードでは、罪を知った人間には、
義 ( ただ ) し過ぎ ・ 聖 ( きよ ) 過ぎ!
「 我々には、王が必要だ。 王がほしい!
その王が支配するとしても、王がほしい。王が必要だ! 」
・ 肉食は なかった。
果物や 菜食で、十分な栄養が取れるように 創造されていました。
しかし、原罪を犯した人間は、それでは 満足しませんでした。
「 肉がほしい。 肉が食べたい! 」
毎日、動物たちが 殺されていき、食料とされていきます。
酒も、美食 ・ 飽食 ということも、なかったことでした。
● 全知 ・ 全能 ・ 全愛の 主なる神のもとにあって、
一人一人が 高価で尊く、大切な ・ かけがえのない存在でした。
創造主であられる 主なる神と共に歩み、
主なる神の みこころを行い、
主なる神からの 愛と恵みと祝福を いっぱい いただき、
必要な 日ごとの糧を、感謝して いただき ・・・・・
それは、創造主であられる 主なる神から見ても、
「 すべては、よかった! 」
完璧の天地創造 ・ 人間創造だったのです。
原罪が犯されるまでは!
● 原罪が犯されてしまったために、
罪と共に、死を経験する者となってしまいました。
しかし、主イエス ・ キリストを “ 神であり 救い主である ” と信じている私たちには、希望があります。
ついには、地上での生涯をまっとうして、天国に招き入れられた時、
この世の ・ 人からの栄誉ではなく、
主なる神さまからの 「 栄光の冠 」 をいただくことを楽しみにして
歩んでいくのです。
天国で、主なる神さまからいただく 「 栄光の冠 ・ 神の栄冠 」
です。
この世の冠 ・ メダル ・ 盾 ・・・ は、天国では、何の意味もありません。
この世で栄冠を受けた者が、天国で栄冠を受けるわけでも、何でもありません。
逆に、もしかすると、
この世で栄冠を受け、傲慢になり、
神など信じない ・ 天国に入ることさえ出来ない者になってしまうことも、大いにありそうでは ありませんか?
せっかく メダルを手にしながら、
そういうことに なりませんように!
My Faith has Found A Resting Place | Fountainview Academy | The Great Controversy - YouTube
( 4年前の今日、アップしたブログ )
【 加西 の 十字架地蔵 】 | 高山右近研究室のブログ (ameblo.jp)
久保田流 ミニ生け花