【 期待していた 京の都 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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      わが家の前をはしる 京の都に続く 「 西国街道 」

 

 

 

 

 

 

       ※ 完訳 フロイス 「 日本史 」 再通読 ( 6 )

 

 

● ( 第1部 ・ 第4章 )  1550年のこと

  [ 松田 ・ 川崎 訳 ] では、第1巻第1章 になります。

 

 “ フランシスコ師が、山口より都に至り、さらに 同所から平戸に

  帰った次第、

  および、彼が トルレス師を伴い、再度 山口に赴いた次第 ”

 

・ ザビエル達が 公然と 肉や魚を食べるのを見て、仏僧たちは、

 “ 肉や魚を食べるのは 大罪である ” と説いていましたので、

ザビエル達を非難しました。

 ザビエルは、「 肉を食べるのは、デウスを冒瀆することにはならず、

罪悪ではない 」 ことを、明白な根拠を挙げて説明しましたが、彼らは容易に満足しませんでした。

 ザビエル達は、平素、それを食べないようにしました。

 

・ 都に向かう船の中で、若者が何度も、退屈のあまり ザビエルを罵倒し、理性のない動物に対するような、ひどい口のきき方をしました。

 「 なぜ あなたは私に、そのように言うのですか。

 私は あなたを非常に愛し、あなたに、救いの道を教えたいと願っていることを わかってもらいたいと思います。」

 

・ ある港で、一人の身分の高い男性が、

 ザビエルが異国人で、貧しい様子であるのを見て 同情し、

 堺に住んでいる友人 ( 日比屋了慶の父 ) に宛てた書状を与えて

くれました。

 一行は、堺で 日比屋家に泊まることが出来、都に出かける道中の

便宜を計ってもらいました。

 

・ 期待していた京の都でしたが、戦乱で、様相が変わってしまっていました。

 天皇を訪問すべく、御所にも出かけて行きましたが、

 天皇には、華麗さも 威儀もない状態で、

 贈り物も携えてきてはいませんでしたので、相手にもされず、

 天皇に拝謁することは出来ませんでした。

 

 都には、わずか 11日しか留まることなく、

 今後は、山口を拠点とすることに決めて、都を離れて行きました。

 

・ 「 本章に記載したことは、ずっと後年になって、ジョアン ・ フェルナンデス修道士の没後に見出された 幾つかの書類から、逐語的に採用したものであり、

 同様のことを、彼は、私 ( フロイス ) に、横瀬浦や 平戸の島 ( 度島 ) での談話の際に 伝えてくれたのであった。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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