今朝 ( 7/29 ) も、「 あさがお 」 ( 銘 若紫 ) が、
美しく咲いてくれました!
● ロレンソ了斎は、目が ほとんど見えませんでしたから、読み書きは出来ませんでした。
今のように、点字 があるわけでは ありません。
今の私たちは、大事なことは メモしておいて、あとから 見直したり、他の人が書いた書物を読んで、知識を増やしていっています。
ということは、メモや書物が無くなってしまえば、
私たちの内に定着しているものは 多くはなく、メモや資料なしに語れることと言えば、ほんの わずかです。
● ロレンソにとっては、
必要で ・ 大事なことは、 “ すべて、覚えるもの ・ 覚え切るもの ”
でした。
お寺で教わった 宗教に関する事柄 ・ 琵琶の奏法 ・ 琵琶のそれぞれの演目 ・ 「 平家物語 」 や 「 源平盛衰記 」 などの物語の語りの
言葉 ・ 新しく、キリスト教に関する教理や 聖書の言葉 ・・・・・
必要なこと ・ 大事だと思うことは、徹底して 覚え切っていき、内に
貯えていきました。
ロレンソの中で、それらのものは、メモも資料もなしで、生々と息づいていました。
ロレンソの中には、そうした 必要で大事なことが、生きた形で、満タン状態で 貯えられていました。
ですから、口を開けば、必要なこと ・ 大事なことが、口をついて、次々と 出てきました。
琵琶の弾き語りをする時も、キリスト教に関する話をする時も、
すべて、メモなし ・ 特別な 事前準備なし ・ どんな大曲でも暗譜、
どんな長い説教でも、対応出来ていったのです。
琵琶の演奏で、人に聞かせるために、吟詠していて 鍛えられた、
はっきりした声と 語り方で、聞く人たちの心を しっかりと捕らえていきました。
● 河内キリシタンの一人、飯盛城で ロレンソ修道士の説教を聞き、
キリシタンとなっていった、三箇城主 ・ 三箇サンチョ頼照が、後日、
その時の ロレンソのことを、思い出として語っています。
「 あの方 ( ロレンソ ) は、片目は見えず、ほかの目も ほとんど何も
見えませんし、まだ 異教徒であった頃には、生計を立てるために物乞いをして、手に杖を持ち、背中には琵琶を負い、家々で琵琶を弾き、面白いことを言って 歩き回っていました。
また、ミヤコ地方の人ではなく、日本の片田舎である 肥後国、しかも
賤しい家の生まれでした。
彼は、私たちの考えを変えるようなことを勧めるための勉強をしなかったし、今でも、そのような 学識の飾りを持っていません。
いろは の最初の文字を学ぶための目を持っておらず、その顔は醜い。衣服は みすぼらしく、ひどい外見でしたので、私の子ども達は 彼を見た途端に、怖くなって 逃げていました。
神は、教えを宣べ伝えるために、このような、弱い道具を選ばれました。
若い侍たちは、半分、遊びの気持ちで聞き始めましたが、
最初に 私たちが聞いたことは、私たちが今まで信じていたことは
作り話で、拝んでいる神々が 私たちを救うことは出来ない、という内容でした。
そして、厳しい言葉で、私たちが住んでいる社会の おもな罪をとがめた後、根本的な点を述べ始めました。
天と地には、全宇宙の創造主である、唯一の神しか おりません。
その神は、人間の贖い主 ( あがないぬし )、救い主であって、善人に栄光を与え、悪人を厳しく裁き、
この 全能全知で 無限的な あわれみをもつ神が、人間を救うために
人間となり、処女から お生まれになって、多くの働き ・ 苦行を行い、
ついには 十字架で処刑され、三日目に復活し、天にお昇りになった
ことを、私たちが信じなければならない、と強く言っていました。
つづいて、イエスの弟子たちの宣教について宣べ、教会の存在 ・
洗礼 ・ 罪の赦し、そして、一人一人が守らなければならない、正しい生活のことをまとめて、人間 誰もが持つべき 永遠のいのちの話で終わりました。」
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https://www.youtube.com/watch?v=eiCi97J_OEk
今晩 ( 7/29 ) の 久保田食堂 「 長崎皿うどん 」
お茶タイム “ 鼓月 ” の 「 あんみつ 」 ( みかん ・ チェリー )