【 ロレンソ了斎 の こと 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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   昨夜からの 大雨で、花が 開け切りませんでした。しょんぼり!

 

          雨に打たれ 開かぬままに 白芙蓉

 

 

 

 

 

 

 

  ※ 「 ロレンソ了斎と 諸田賢順 」 ( 髙田重孝 ・ 著 )

     見ていきましょう。

 

 

● 1563年、大坂 ・ 河内 ( かわち ) にあった 飯盛城 ( 城主 ・

 三好長慶 ) で、ロレンソ修道士 ( イルマン ) の話を聞き ・ 導かれて、73名の武士たちが キリスト教信仰に入り、洗礼を受けていきました。

 その中には、三箇伯耆守頼照 ( サンチョ ) ・ 池田丹後守教正 ( シメアン ) ・ 伊地智文太夫 ( パウロ ) ・ 三木半太夫 ( 三木パウロの父 ) といった、その後も 大切な働きをしていった人たちがいました。

 

 

 この時のことを記した 「 日本史 」 ( フロイス ・ 著 ) の記述が、

 ロレンソの外見や 人物を知る上で貴重ですので、紹介しておきましょう。  ( 「 フロイス日本史 1 」 織田信長篇Ⅰ 第14章 )

 

● 「 イルマン ・ ロレンソは、外見上は 甚だ醜い容貌で、片目は見えず、他方も ほとんど見えなかった。しかも、貧しく 粗末な装いで、杖を手にして、それに導かれていた。

 しかし、神は、彼が 外見的に欠け、学問も満足に受けないで 読み書きも十分には出来ない有様であったのを、幾多の恵みと天分を与えることによって、補い給うた。

 

 すなわち、彼は、人並み以上の 優れた知識と才能に恵まれた記憶力の持ち主で、大いなる霊感と熱意をもって説教し、非常に豊富な言葉を 自由に操り、それらの言葉は いとも愛嬌があり、明快、かつ思慮に富んでいたので、彼が語るのを聞く者はすべて、驚嘆した。

 

 イルマン ・ ロレンソが、飯盛城に到着し、武士たちが彼を見ると、

 ある者は その容貌を嘲笑し、また ある者は その貧しい外見を軽蔑し、さらに ある者は、自分たちの霊魂の救いを願うことよりは、好奇心から 彼の話を聞きたがった。

 

 しかし、我らの主は、彼と共に在し給い、また 彼は弁舌にかけては

大胆不敵であったので、

 彼が 一同に 説教し始めるやいなや、彼らは 違った考えや意見を抱き、彼に対して、大いなる 畏敬の念を表わし始めた。

 

 ロレンソは、一同に 非常に満足がゆくように答弁し、

 悪魔が 彼らを欺くのに用いている偶像崇拝と 虚偽の宗教が誤っていることについて、明白 かつ理性的な根拠を示し、

 さらに、世界の創造主の存在 ・ 霊魂の不滅 ・ 神の御子による人類の救いについて説いたので、

 三好殿幕下の七十三名の貴人たちは、まったく 納得して、すぐにも

キリシタンになることを決心するに至った。

 

 その中には、三人の首領 ならびに おもだった人たちがいた。

 おもだった人たちの一人は 三箇伯耆守殿、二人目は 池田丹後守

殿、三人目は 三木半太夫殿であった。」

 

 

● 翌年の 1564年には、奈良 大和 ・ 沢城で、

 ロレンソ修道士の話を聞き ・ 導かれて、

 12歳の少年 ・ 髙山彦五郎 ( 後の 右近 ) が、キリスト教信仰に入り、洗礼を受けていきました。

 

 

 

 

 

 

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