● お墓を大切にし、先祖を大切にする ━━ ということは、
世界中で、そのように されていることです。
先祖 ・ 両親が いなければ、私たちも 存在しなかったわけですから、
お墓や 先祖を大切にすることは、当たり前のことです。
流浪の民だった アブラハムも、妻のサラが、カナンの地 ヘブロンで
亡くなった時、墓所が ありませんでしたので、
畑地を買い取り、そこを墓地として、サラを葬り、
のちに、アブラハム ・ イサク ・ リベカ ・ レア ・ ヤコブ といった、一族の人たちも 葬られていったのでした。
● お墓や 先祖を大切にすることは 勿論のことですが、
それを、礼拝の対象として 拝むこととは、別の話です。
そこに、先祖の霊が宿っているかのように考えて、拝む というのは、
仏教などの考え方 ・ 信仰であって、
キリスト教徒 ・ クリスチャン達は、そのようには 考えていません。
墓石や 位牌などに、先祖の霊が宿っている とは思っていませんので、ただの 石や木を、礼拝の対象には しません。
● 仏壇 そのものは、礼拝の対象として 作られているものですので
話は別ですが、
お墓は、いつも 清潔に保ち、そこに出かけて行って、
先祖 ・ 両親のことを思い、今ある 自分達のことを思い、
そのように 導いてくださった 主なる神に、
感謝と 一家の祝福を祈るためには、お墓は 最良の場所です。
お墓は 大切に守っていかなければ なりませんが、
“ 仏教のやり方で 守っていくこと ” が、
お墓を守ることであったり ・ 先祖を大切にすること、ではありません。
仏教を信仰している人は、仏教のやり方でやればいいだけのことであって、
その方法を、何か、唯一 ・ 絶対的なことであるかのように 考えて、
その方法でやらなければ、お墓や先祖を大切にしていない
━━ と 考えるならば、トンデモないことです。
世界 76億の人口の内、
仏教徒は、全体から見れば、数億の、ごく わずかな人たちです。
● 私 ( 久保田 Ucon 典彦 ) は、次男で、 “ お墓を守る ” という責任を任されているわけでは ありませんが、
もし、私が その立場に立つことになれば、
① お墓を大切にし、先祖を大切にします。
② 仏教的な方法では、やりません。
もし、仏教的な方法が 唯一 ・ 絶対的だと思っている親族があれ
ば、喜んで、その人たちに すべての責任をゆだねます。
③ たとえ、そのような集まりに 同席したとしても、
墓石や 位牌を拝むことは しません。
私は、静かに、主なる神に、祈りをささげるように します。
④ 仏教的な方法で守る者が いなくなって、
仏壇などを どうすればよいのか について、相談を受けた時には、
一緒になって考え、対応していきます。
話もないのに、こちらから、どうするようにとは、言いません。
主なる神さまが、
私たち 家族 ・ きょうだい達 ・ 親族を、
守り、導き、祝福して くださいますように。 アーメン
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出かけて行って
何も 収穫がない
ということは
ない。 ( 自語録 )