※ 松田悦子牧師による 礼拝メッセージをもとにして
※ ルカの福音書 6章 1 ~ 5節
● ある 「 安息日 」 ( 土曜日 ) に、イエス ・ キリストと 弟子たちが
麦畑を通っておられた時、弟子たちは 空腹のため、穂を摘んで、手で
もみ、もみ殻を除いて 食べていました。
“ 他人の畑のものを 勝手に! 泥棒じゃない!! ” と 思ってしまいますが、
当時の 神の律法では、貧しい人や 外国からの寄留者たちのために
許されていることでした。
ただし、 「 手で 必要なだけ 摘んでもよいが、鎌を使って 刈り取っては ならない。」 ( 申命記 23章25節 )
イエス ・ キリストを、 「 神 」 とは認めず、 “ 神を冒瀆する者 ” として
訴える口実を見つけるために、ずっと つきまとっていた パリサイ人達が、弟子たちの行為を見て、すかさず 糾弾しました。
「 なぜ、あなた方は、 “ 安息日に してはならないこと ” をするのです
か! 」
● 主なる神が、神の人 モーセを通して与えられた 「 十戒 」 の 第4戒。
「 安息日を覚えて、これを 聖なるものとせよ。
六日間働いて、あなたの すべての仕事を せよ。
七日目は、あなたの神、主の安息である。
あなたは、いかなる仕事も してはならない。
それは、主が 六日間で、天と地と海、また それらの中の すべての
ものを造り、七日目に 休んだからである。
それゆえ、主は 安息日を祝福し、 これを 聖なるものとした。」
( 出エジプト記 20章 8 ~ 11節 )
● 当時の パリサイ人や 律法学者たちには、
しては ならない “ いかなる仕事 ” とは、何なのかについて、
事細かに、39項目にわたって 決められ、更に 細分化されたものがありました。 ( 「 タルムード 」 )
イエス ・ キリストが、
「 自分たちの言い伝え のために、神の言葉を 無にしてしまいました。」
自分たちの言い伝えのために、神の戒めを 破っている!
人間の命令を、教えとして 教えている!
━━ と 非難されたことでした。
( マタイの福音書 15章 1 ~ 9節 )
最近、イスラエルを旅行された方で、 「 安息日 」 を経験された方が
おられるかもしれません。
・ 宿泊先で、食事の配膳は いいが、調理は 「 仕事 」 になるから
出来ない。
・ エレベーターのボタンを押すことも、 「 仕事 」 になるから、押しては
いけない。
・・・・・・・・・
「 安息日に してはならないこと 」
仕事になるから、してはいけないこと
━━ が、事細かに決められ、それを きっちり守っていく。
➡ まわりの人たちが、ちゃんと守っているかを 見るようになる。
➡ “ 安息日の決まり ” に反している人がいたら、攻撃の対象に
なっていく。
● イエス ・ キリストは、 “ ダビデと 供 ( とも ) の者たち ” のことを
例に出しながら、
神の律法は、
“ どのようにして 律法を守るのか ・ どこまでだったら 許されるのか ”
━━ といったことのためにある のではなく、
神の律法は、
人を愛される神が、人を守るために定められたもので、
神の愛と 恵みが込められた 聖なるものであるはずなのに、
それを、 “ さばきの道具 ” に してしまっているのです。
● 主なる神によって、天地創造の時に、すべての創造のわざを終えて 休まれた日を、安息の日として、祝福し ・ 聖なるものとされたのが
【 安息日 】。
私たちも、仕事をやめて、体と心の 安息の日として、
主なる神を、救いをいただいた者として、喜びと 感謝をもって、礼拝していく日が 【 安息日 】。
人が いろいろ ルールを作って ・ それに縛られて ・ 他の人を見て
さばき合って ・ 心の平安も 安息もない状態の日が、 [ 安息日 ] では
ないのです。
主なる神は、そんなことのために、 [ 十戒 ] の 第4戒を、私たちに
与えておられるのではないのです。
イエス ・ キリストによって、救いの恵みをいただいた者として、
【 主の日 ・ 安息日 】 ( 新約では、日曜日 ) を迎えるごとに、
喜びと感謝をもって、 “ まことの安息 ” を味わいながら、主の日を
すごしたいと思います。
「 主は、安息日を祝福し、これを 聖なるものとした。」
( 出エジプト記 20章11節 )
※ こちらも < おすすめ > 【 十戒 】
https://www.youtube.com/watch?v=nzkGJk6QYjE
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