娘の家の 入口扉に飾られている 「 クリスマスリース 」
【 待降節 ・ アドベント 】 2018.12.2 ( 日 ) ~ 24 ( 月 )
● 京都キリシタン研究会誌 「 証灯 」 を プレゼントしていただきました。
創立40周年記念
京都キリシタン研究会誌 第14号 【 証灯 】
毎週、「 髙山右近研究会 」 で ご一緒させていただいています
嶋﨑賢児さんが、
鴨川の 六条河原 ・ 正面橋 近くに建てられている
[ 元和キリシタン殉教の地 ] の碑 が、どのような経緯で 建立されて
いったのか、について 語ってくださっています。
● 1619年、京都の ダイウス町の ヨハネ橋本太兵衛 一家 7名他、
キリシタン 52名が捕らえられ、3か月以上の 過酷な獄舎生活。
10月6日に、都中を引き回され、六条河原で 27本の十字架に 2人
あるいは 3人ずつ縛られ、火刑にされて 殉教していきました。
すべて 一般信徒で、男性 26人 ・ 女性 26人。
15歳以下の 子どもが 11人で、その内の 6人は、2 ~ 4歳の子どもでした。
● この 京都の殉教者たち 52名を顕彰するための 記念碑建立の
ために、1987年に、「 京都 元和の碑を建てる会 」 が設けられ、11名でスタートしました。
賛同者署名 ( 1800名以上 ) ・ 京都市当局への 関係書類提出。
京都市からは、“ 平安建都 1200年記念事業 ” の一環として位置付けられ、キリシタン史跡としての 用地を提供されることになりました。
記念碑のための 石材は、鞍馬石の 自然石を入手。
顕彰碑建立に当たっては、地元の 一部住民 ・ 一部の 教会関係者の個人的見解による 反対運動も起こりましたが、
誠意ある 話し合いがなされて、問題のすべてを クリアすることが
出来ました。
ただ、 “ 記念碑の建つ地では、一切の宗教色を廃し、自然な形での 史跡物件として 維持 ・ 管理するものとする ” ━ ということで、京都市当局 及び 地域住民の方々との 最終合意が 得られました。
● 建立資金は、教会関係 ・ 個人 ・ 各種団体 から、総額 二百数十万円 が寄せられました。
銘文 については、市は [ キリシタンゆかりの地 ] とすることを求めてきましたので 紛糾しましたが、何とか [ 元和キリシタン殉教の地 ] と
することで、了解が得られました。
石碑の 文字は、加藤正次郎 の 揮毫 ( きごう )。
碑の下に 埋めるために、“ 52人の殉教者名を記入した 薔薇のリボン ” などが、セラミック製の壺に 入れられました。
1994年7月26日。朝7時半から 建立作業が始められ、
作業のすべてが終わったのは 夕方でした。
朝から 晴天でしたが、碑を建て終わると同時に、短時間、にわか雨が降りました。
“ 52殉教者の 涙雨 かもしれないなあ ”
━━ と、その場にいた誰もが 思ったものでした。
※ [ Archives ] ( アーカイブ ・ 記録保管所 )
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※ こちらも < おすすめ > 【 Christmas Concert 】
https://www.youtube.com/watch?v=Zem4sSa1aH0
※ この人の こんな言葉 【 マクシェーンの言葉 】
http://ukon3.sblo.jp/article/75999301.html
※ 今日 ( 12/19 ) の昼食は、教会仲間と共に、娘の家で
ご馳走になりました!
おいしくって、話がはずんで 、時間を忘れて ・・・・・
ペンネ グラタン
[ パスタ ] には、スパゲッティー ・ ラザニア ・ マカロニ ・ ペンネ
などなどがあり、
ペン先のようなパスタを、 “ ペンネ ” と言うそうですョ!
Today was our bigday !
Everything tasted great !
We had a productive day !