「 祈る右近 」 ( 木俣清史 ・ 画 )
● 「 キリストに倣いて 」 イミタチオ ・ クリスチ。
キリストに倣いて、 “ 祈りの人 ” “ 愛の人 ” “ 宣教の人 ” として
歩んでいった 髙山ジュスト右近。
右近を通して、デウス ・ 主なる神が なさっていかれた偉大なわざ。
それは、キリストの福音に従う生き方でした。
右近は、揺らぐことのない 確固とした信仰を生き抜きました。
絶えることなく、右近を さまざまな患難が襲ってきました。
和田惟長事件 ・ 荒木村重事件 ・ 伴天連追放令 ・ 江戸幕府の
大禁教令 ・・・・・・・
ぐらぐら揺れ ・ 揺り動かされながら、最終的に 確固とした信仰に
立ち、生きていきました。
そして、それらの一つ一つの患難を 試練の時として乗り越えるごとに
右近の信仰は成熟していったのでした。
右近は、信仰者として、神 ・ デウスの目で物事を見、神の言葉に
よって判断し、祈りの内に決断していきました。
私たちには、常に 立ち返る所があります。
私たちには、「 聖書 」 が与えられています。
「 十字架 」 があります。
キリストに倣い、キリストに基準を置くことによって、
右近の 人生の座標軸は ぶれることがなかったのです。
家族の絆を、信仰という土台に置き、毎日の生活の中で祈る習慣、
親子で共に実践していく “ ご大切 ” 隣人愛。
こうした 右近たちの生き方 ・ 生活 そのものが、人々の共感を呼んで、キリスト教の宣教につながっていきました。
● こうした 髙山右近と同じような生き方 ・ 歩み方は、出来ないと
思います。今の私には、出来ません。
しかし、キリストに倣い、右近さんに倣う者となりたいとは思っています。一歩一歩、近づいていけますように、と 祈りながら ・・・・・・・。
「 私たちは皆、・・・・・ 主と同じ形に 姿を変えられて行きます。
これはまさに、御霊なる主 ( 聖霊 ) の働きによるのです。」
( コリント第二 3 : 18 ) ━━ と あります。
右近にとっても、12歳で洗礼を受け、63歳で天に召されるまでの
50年間は、そういう 一日一日だったはずです。
髙山右近は、聖職者ではありませんでした。
私たちと同じ、一信徒でした。
「 キリストに倣いて 」 そして、キリストに倣った 「 右近に倣いて 」
━━ 残された 地上での生涯を、一日一日 大切にしながら、忠実に
歩んでいきたいと思います。
「 患難さえも 喜んでいます。
それは、患難が 忍耐を生み出し、
忍耐が 練られた品性を生み出し、
練られた品性が 希望を生み出すと 知っているからです。
この希望は、失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が 私たちの心に注がれているからです。」
( 使徒パウロの言葉 ・ ローマ 5 : 3 ~ 5 )
※ 昨日 ( 10/27 ) の夕方、届けてくれた 【 たらこ白滝 】
あまりに おいしかったので、夕食の一番に、パクパクパクと
何と、老夫婦二人で全部、食べてしまいましたョ!
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