【 織田信長 と 干し柿 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
http://takayama-ukon.sakura.ne.jp/

 

 

● 昨日 ( 10/24 )、阿武山福音自由教会の教会員の方から、庭に

実った 渋柿を たくさんいただきました。 70個。

 

 

 

 

 さっそく、皮をむいて、吊るしましたョ!

 

 

“ 干し柿 ” と言えば、思い出すのが 織田信長。

 織田信長と 干し柿には、いろんな話が伝えられて」います。

 

http://blog.livedoor.jp/yoshidenki/archives/55234808.html

 

 

● ルイス ・ フロイスが記した 「 日本史 」 では、

 

※ フロイスに対して ( 「 日本史 2 」  P. 154 )

    “ 美濃の干した無花果 ( いちじく ) ”

 

 都での、キリスト教の宣教に対する 允許状 ( いんきょじょう ・ 

許可状 ) を与えた 織田信長に、御礼の訪問をした時、

 

 「 彼は司祭を自室に入らせ、自ら飲んでいた同じ茶碗から 二度

茶を飲ませ、日本できわめて珍重される 美濃の干したフイゴ ( 無花果 ) が入った四角い箱を与えた。」

 

※ 巡察師 ヴァリニャーノ に対して ( 「 日本史 3 」 P. 115 )

    “ まるで 干し無花果に似た果物 ”

 

 巡察師ヴァリニャーノが 安土城を訪れた時、

 

 「 巡察師が 安土山に到着すると、信長は、彼に城を見せたいと言って召喚するように命じ、修道院にいる すべての司祭 ・ 修道士 ・ 同宿

たちにも接したいから、一緒に来るように命じた。

 

 彼らが着くと、下にも置かぬように歓待し、城と宮殿を、初めは外から、次いで内部からも見せ、どこを通り 何を先に見せたらよいか 案内するための 多くの使者を寄こし、信長自らも三度にわたって姿を見せ、司祭と会談し、種々質問を行い、彼らが 城の見事な出来栄えを

賞賛するのを聞いて、極度に満足の意を示した。

 

 信長は、美濃の国から送られて来た、その種のものでは日本で最良の、まるで 干し無花果に似た果物が入った箱を彼らに差し出し、自ら

それを司祭に渡し、

 他日 もう一度 彼を招待したい、と言って別れを告げた。」

 

● 「 柿 」 は、東アジア固有種ですので、フロイスは それまで、

 「 柿 」 も 「 干し柿 」 も見たことがありませんでした。

 

 信長が もてなしてくれた時は、

 ポルトガルの 「 干し無花果 」 に似ていますので、てっきり そうだと

思ってしまいました。

 

 

          ポルトガルの  「 干し無花果 」 ( いちじく )

 

http://chimotoportugal.blog76.fc2.com/blog-entry-92.html

 

 

● 「 干し柿の里 」 は、各地にありますが、美濃の干し柿は有名です。

 信長のもとにも、多くの干し柿が届けられ、信長にとっても好物であり、こんなにおいしいもので もてなすことを、喜びとしていたようです。

 

 

https://blogs.yahoo.co.jp/nagacumatz04/52560806.html

 

http://tabitohana.sakura.ne.jp/kaki/mc_main.html

 

http://momosan.air-nifty.com/momo/2013/12/post-e53f.html

 

 

 ※ コメント をいただきました。 感謝!

 

          無花果と柿


 フロイスが柿を 「 無花果のようなもの 」 と表現したとのこと。
 日本で初めて無花果が植えられたのが天草。昔、天草では無花果のことを 「 南蛮柿 」 と言ったんですって! 
 
 天草に行ったら無花果を使ったお菓子がありました。
 その名も 「 四郎の初恋 」。
 俗っぽいネーミングのお菓子のわりには 美味しいものでしたよ。