【 どちりいな きりしたん 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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         【 どちりいな きりしたん 

 

・キリシタンとして必読の書。

 ①多くは写本の形で ②キリシタン版としても出版

 

・キリシタン版として、現存するものは 4種

 

  ① 「どちりいな きりしたん」国字 (出版年・場所?)

  ② 天草版 ローマ字本 1592

  ③ 長崎版 ローマ字本 1600

  ④ 「どちりな きりしたん」国字 1600年 長崎版

 

 ※ ローマ字本は、ヨーロッパ人の日本語学習のため

  国字本は、日本人生徒・信徒のため

 ※ 1590年に2度目に来日したヴァリニャーノによってもたら

  された 活字印刷機によって印刷

 ※ キリシタン版の出版 

  1591年 加津佐の コレジオで、 

   「 サントスの御作業の内抜書 」( ローマ字本 )他

  1592年から6年間 天草の河内浦の コレジオの印刷所で、

  その後は 長崎の 岬にあった サン ・ パウロ教会の近くの

  印刷所で。 

 ( 世界の各地に 32種74部が現存。その内 日本には 12種 )

 

[ 成立までの流れ ]

 

① フランシスコ・ザビエルも、「教義の小解説書」を常に携えていた。

・マラッカで出会った弥次郎も、ザビエルから教わったことを、一書に書き留めていっていた。

・来日後も、ザビエルと弥次郎によって、少しずつまとめていったが、仏教用語が多く採用され、誤解を生ずる場合もあった。

 ➡ ロレンソ・養方軒パウロ・ヴィセンテ洞院等が協力して、

   少しずつ誤りが訂正されていったと思われる。

 

1552年来日の ガゴによる改革。誤解を生ずるような、有害な50の言葉を改め、ロレンソの助けを得て、ザビエルの残した教義書をもとにして改訂。

 問答体で、「二十五個条」と題されていた。(現存せず)

 

 ➡ 1556年に来日した ヌーネスが、全面的に補訂。 

   この [ヌーネス版]が、~1570年位まで10年以上

  長く用いられた。

 

③ ヨーロッパで、子ども向けの対話式の教義書「 ドチリナ 」が作成され、1568年に日本にももたらされ、このドチリナが日本語に翻訳され、日本の実情に即した成人向けに編纂され、

それが写本され、日本各地で使用されていきました。

 

 キリシタン版の「どちりいな きりしたん」が印刷されたのは、1592年頃ですので、

 約20年間は、写本による時代が続いたことになります。

 

 ※ たとえ、キリシタン版として「どちりいな きりしたん」が出版されたといっても、部数は限られていますし、学習用が中心でしたから、写本は続いたと思われます。

 
● 茨木 ・ 中谷家に遺された 「 どちりいな きりしたん 」 の写本は、
年代の記録がありませんが、一緒に伝えられている
 「 ぎや ど ぺかどる 」 ( 罪人を善に導くの儀也 ) が、1590年 とあり
ますから ( キリシタン版としては、1599年 長崎刊 )、
 「 どちりいな きりしたん 」 の分も、写本時代のもの ━━ と思われ
ます。

 

 “ 初めに キリシタン版ありき ” ではなく、

 “ 初めに 元本 ・ 写本ありき ”

 そして それが、かなり後になって  ➡ キリシタン版として 印刷

 

 

 

 ※ 昨日の夜から 今日 ( 9/15 ~ 16 ) にかけての

            【 パソコン トラブル 】

 いきなり、インターネットが 未接続になってしまい、あれこれ、あらん

限りの知識を駆使して 修復を試みてみましたが、すべて ダメ!

 お手上げ !!!

 

         

 

  パソコンに詳しい、長女の連れ合いに連絡して、

 三連休の 貴重な時なのに、来てもらい、見事に 回復してもらい

 ました。 感謝!

 
 
 
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