【 福者 ・ 髙山右近と行く マニラの旅 】 ( 7 ) | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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● 総督官邸では、ファン ・ デ ・ シルバ総督が、諸侯たち ・ 市の

最高幹部たちとともに、右近さん達一行を 待ち受けていました。

 

 シルバ総督は、右近を認めると、すぐに歩み寄り、しっかりと、腕の中に抱き寄せました。

 総督も 右近も、二人とも 感激の涙を流しました。

 

 総督は、この、はるか遠方からやって来た、キリストの勇士に対して、彼が、多くの困難を耐え忍び、祖国からの追放をさえ、甘んじて受けた

その 英雄的な勇気に、祝意を表しました。

 そして、国王の名において、

 “ ここ フィリピンの地で、手厚く もてなしたい ” と 申し出ました。

 

 それに対して、右近は、その 暖かい申し出に、心からの感謝を表しましたが、

 「 自分たちは、そのような名誉に 値 ( あたい ) しません。」

と言って、丁寧な言葉で、申し出を辞退しました。

 

 それから、総督は、右近たち一行を、政府の専用馬車で、宿舎となる

イエズス会の学院へ 送り届けさせました。

 

 衛兵が先導し、多数の武将や 貴族たちが 馬で同行しました。

 沿道には、ひとめでも 「 キリストの勇士 」 を見ようと、群衆が押し寄せ、市民で いっぱいになりました。

 

 

 

 

● 私たちも、一行の中に加わって、一緒に進んで行きたいと思います。

 

 先に、コースを 見ておきたいと思いますが、

 

 今、右近さん達がいるのは、 の 総督官邸のある 「 王宮 」 です。

 そこから、馬車に乗られて、まっすぐ、「 レアル ・ デル ・ パラシオ通り 」 ( 王宮通り ) を進んで行かれて、

 最初に の 「 大司教座聖堂 」 ( マニラ大聖堂 ) へ行かれます。

 

 続いて、の 「 サン ・ オーガスチン教会 」。

 続いて、 の イエズス会の 「 サン ・ ホセ学院 / 聖アンナ教会 」 へ進んで行かれました。

 

 そして、最後に の 髙山右近一家の居住地である

 「 サン ・ ミゲルの家 」 に 落ち着かれます。

 

 ━━ という コースになります。

 

 さあ、皆さん、いいでしょうか? 出発しますよ!

 

 

 

 

 現在の 「 マニラ大聖堂  」 です。

 残念ながら、右近さん達が訪れた 当時のものではありません。

 

 一行の馬車が 「 大司教座聖堂 」 に近づきますと、全市の鐘が鳴り響きました。

 聖堂の前には、多くの聖職者たちが、美しい祭服を着て、一行を

歓迎しました。

 パイプオルガンの 荘重な調べと、その他の楽器が演奏される中を、一行は 聖堂の中に入り、祈りをささげました。

 

 私たちも、中に入っていきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 聖堂の外には、なつめやしの木 が 実をみのらせています。

 右近さんが 召された時に、

 「 義人 ( ジュスト ) は、なつめやしの木 のように栄える 」

と言われた、あの なつめやしの木 です。

 

 

 

 

 

 続いて、馬車は、「 王宮通り 」 を進んで行って、

 「 サン ・ オーガスチン教会 」 に やって来ました。

 

 ここでも、一行は、馬車を降り、歓迎を受けて 中に入り、祈りをささげました。

 右近さん達が、目にされた サン ・ オーガスチン教会 は、上の絵の

ような姿でした。左右の鐘楼が 左右対称に、そびえるように建っています。

 

 

 

 今の サン ・ オーガスチン教会 は、地震があって、左側の鐘楼が

壊れてしまいましたので、ありません。

 

 

 

 

 しかし、この サン ・ オーガスチン教会 は、400年前に 右近さん達が、馬車を降りて、中に入り、祈りをささげられた、そのままの状態で、今も尚 残されてきています。

 

 私たちも、中に入ってみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

      階上かい では、パイプオルガンが演奏されます。

 

 

 

 

 

 

          修道院は、今は 博物館になっています。

 

                 クリプト式 の墓所

 

               いわゆる 「 ルソンの壺 」

 

● 右近さん達は、サン ・ オーガスチン教会 を出て、再び馬車に乗りましたが、右近さん達一行の通り道となった 「 レアル ・ デル ・ パラシオ通り 」 ( 王宮通り ) には、

 信仰のための追放者の到来に感激した、多数の人たちで あふれていました。

 

 いよいよ、王宮通りの東の端になります、

 イエズス会の 「 サン ・ ホセ学院 そして 聖アンナ教会 」 に やって

まいりました

 

 

 

 

 この写真の場所が、かつて、学院や 教会があった場所ですが、今は、ありません。

 

 イエズス会の サン ・ ホセ学院の前では、

 学院の すべての聖職者たちが、学生たちと共に集まり、賛美が吹奏される中を、聖アンナ教会へと、一行は導かれていきました。

 

 教会に入りますと、一行が無事に着いたことを感謝して、

 「 テ ・ デウム 」 の聖歌が 歌われました。

 

  ♪   Te Deum laudamus

          ( 神である あなたを、私たちは 賛えます。)

  

 賛美の歌声が、会堂内に響き渡り、右近さん達も、

 この日までの、かずかずの苦難と 導き、

 そして、特に、今日の日の 夢のような一日を 感謝しながら、

 賛美に心を合わせ、又、祈りの時を持たれたのでした。

 

 その後、サン ・ ホセ学院の食堂で、祝宴が催されました。

 

 そして、学院のそばに、右近さん達のために準備された宿舎

 「 サン ・ ミゲルの家 」 に 落ちつかれました。

 

 

 

 

 この写真の場所が、右近さん一家の居住地となった

 「 サン ・ ミゲルの家 」 があった所です。

 写真にうつっている建物は、現在のもので、関係がありません。

 

 この 「 サン ・ ミゲルの家 」 に落ち着かれて、

 右近さん達の マニラでの第一日、1614年 12月11日 が、

 感謝のうちに 暮れていったのでした。

 

 

 この時にあったわけではありませんが、「 サン ・ ミゲルの家 」 の

すぐそばに、

 右近さん達と一緒に追放されてきた 内藤如安の妹の 内藤ジュリアが始めた 「 女子修道院 」 があった場所があります。

 

 

 

 

 ここですが、勿論、今の建物とは関係がありません。

 

 

     ※ 今日 ( 7/14 )、 わが家自慢の 【 白 大芙蓉 】

          一日花で、毎日、景色が変わります。