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「 福者 ・ 髙山右近と行く マニラの旅 」 をクリック してくださいネ!
● 総督官邸では、ファン ・ デ ・ シルバ総督が、諸侯たち ・ 市の
最高幹部たちとともに、右近さん達一行を 待ち受けていました。
シルバ総督は、右近を認めると、すぐに歩み寄り、しっかりと、腕の中に抱き寄せました。
総督も 右近も、二人とも 感激の涙を流しました。
総督は、この、はるか遠方からやって来た、キリストの勇士に対して、彼が、多くの困難を耐え忍び、祖国からの追放をさえ、甘んじて受けた
その 英雄的な勇気に、祝意を表しました。
そして、国王の名において、
“ ここ フィリピンの地で、手厚く もてなしたい ” と 申し出ました。
それに対して、右近は、その 暖かい申し出に、心からの感謝を表しましたが、
「 自分たちは、そのような名誉に 値 ( あたい ) しません。」
と言って、丁寧な言葉で、申し出を辞退しました。
それから、総督は、右近たち一行を、政府の専用馬車で、宿舎となる
イエズス会の学院へ 送り届けさせました。
衛兵が先導し、多数の武将や 貴族たちが 馬で同行しました。
沿道には、ひとめでも 「 キリストの勇士 」 を見ようと、群衆が押し寄せ、市民で いっぱいになりました。
● 私たちも、一行の中に加わって、一緒に進んで行きたいと思います。
先に、コースを 見ておきたいと思いますが、
今、右近さん達がいるのは、② の 総督官邸のある 「 王宮 」 です。
そこから、馬車に乗られて、まっすぐ、「 レアル ・ デル ・ パラシオ通り 」 ( 王宮通り ) を進んで行かれて、
最初に ③ の 「 大司教座聖堂 」 ( マニラ大聖堂 ) へ行かれます。
続いて、④ の 「 サン ・ オーガスチン教会 」。
続いて、⑤ の イエズス会の 「 サン ・ ホセ学院 / 聖アンナ教会 」 へ進んで行かれました。
そして、最後に ⑥ の 髙山右近一家の居住地である
「 サン ・ ミゲルの家 」 に 落ち着かれます。
━━ という コースになります。
さあ、皆さん、いいでしょうか? 出発しますよ!
現在の 「 マニラ大聖堂 」 です。
残念ながら、右近さん達が訪れた 当時のものではありません。
一行の馬車が 「 大司教座聖堂 」 に近づきますと、全市の鐘が鳴り響きました。
聖堂の前には、多くの聖職者たちが、美しい祭服を着て、一行を
歓迎しました。
パイプオルガンの 荘重な調べと、その他の楽器が演奏される中を、一行は 聖堂の中に入り、祈りをささげました。
私たちも、中に入っていきましょう。
聖堂の外には、なつめやしの木 が 実をみのらせています。
右近さんが 召された時に、
「 義人 ( ジュスト ) は、なつめやしの木 のように栄える 」
と言われた、あの なつめやしの木 です。
続いて、馬車は、「 王宮通り 」 を進んで行って、
「 サン ・ オーガスチン教会 」 に やって来ました。
ここでも、一行は、馬車を降り、歓迎を受けて 中に入り、祈りをささげました。
右近さん達が、目にされた サン ・ オーガスチン教会 は、上の絵の
ような姿でした。左右の鐘楼が 左右対称に、そびえるように建っています。
今の サン ・ オーガスチン教会 は、地震があって、左側の鐘楼が
壊れてしまいましたので、ありません。
しかし、この サン ・ オーガスチン教会 は、400年前に 右近さん達が、馬車を降りて、中に入り、祈りをささげられた、そのままの状態で、今も尚 残されてきています。
私たちも、中に入ってみましょう。
階上かい では、パイプオルガンが演奏されます。
修道院は、今は 博物館になっています。
クリプト式 の墓所
いわゆる 「 ルソンの壺 」
● 右近さん達は、サン ・ オーガスチン教会 を出て、再び馬車に乗りましたが、右近さん達一行の通り道となった 「 レアル ・ デル ・ パラシオ通り 」 ( 王宮通り ) には、
信仰のための追放者の到来に感激した、多数の人たちで あふれていました。
いよいよ、王宮通りの東の端になります、
イエズス会の 「 サン ・ ホセ学院 そして 聖アンナ教会 」 に やって
まいりました
この写真の場所が、かつて、学院や 教会があった場所ですが、今は、ありません。
イエズス会の サン ・ ホセ学院の前では、
学院の すべての聖職者たちが、学生たちと共に集まり、賛美が吹奏される中を、聖アンナ教会へと、一行は導かれていきました。
教会に入りますと、一行が無事に着いたことを感謝して、
「 テ ・ デウム 」 の聖歌が 歌われました。
♪ Te Deum laudamus
( 神である あなたを、私たちは 賛えます。)
賛美の歌声が、会堂内に響き渡り、右近さん達も、
この日までの、かずかずの苦難と 導き、
そして、特に、今日の日の 夢のような一日を 感謝しながら、
賛美に心を合わせ、又、祈りの時を持たれたのでした。
その後、サン ・ ホセ学院の食堂で、祝宴が催されました。
そして、学院のそばに、右近さん達のために準備された宿舎
「 サン ・ ミゲルの家 」 に 落ちつかれました。
この写真の場所が、右近さん一家の居住地となった
「 サン ・ ミゲルの家 」 があった所です。
写真にうつっている建物は、現在のもので、関係がありません。
この 「 サン ・ ミゲルの家 」 に落ち着かれて、
右近さん達の マニラでの第一日、1614年 12月11日 が、
感謝のうちに 暮れていったのでした。
この時にあったわけではありませんが、「 サン ・ ミゲルの家 」 の
すぐそばに、
右近さん達と一緒に追放されてきた 内藤如安の妹の 内藤ジュリアが始めた 「 女子修道院 」 があった場所があります。
ここですが、勿論、今の建物とは関係がありません。
※ 今日 ( 7/14 )、 わが家自慢の 【 白 大芙蓉 】
一日花で、毎日、景色が変わります。