※ 7/2 の 井草晋一牧師の 礼拝メッセージをもとにして
※ ペテロの手紙 第一 2章 19 ~ 25節
● イエス ・ キリストは、その足跡に従うようにと、私たちに模範を
残されました。
どのような 足跡 ・ どのような模範なのでしょうか。
イエス ・ キリストは、罪を犯したことがなく、その口に 何の偽りも
なかったのですが、
それなのに、ののしられたり、苦しめられたり、
果ては、十字架の上で、私たちの 身代わりとなって、私たちの罪を
その身に負われました。
その苦しみは、私たちのための苦しみだったのです。
どうして? 何のために?
それは、私たちが、罪を離れ、義 ( 神の義 ) のために生きるため
でした。
魂の牧者であり、監督者である 主なる神のもとに 立ち帰るためでした。
● 私たちは、どのように生きていけば いいのでしょうか。
どのように 歩んでいけば いいのでしょうか。
ひと言でいえば、 “ イエス ・ キリスト を模範として生きていく ”
━━ ということです。
模範として歩まれた イエス ・ キリストのように生きていく、ということです。
イエス ・ キリストのように考え、行動していく、のです。
● もう少し、具体的に、イエス ・ キリストの 足跡 ・ 模範について、
見ていきましょう。
旧約聖書の 「 イザヤ書 」 61節 1 ~ 3節 に、イエス ・ キリストの
ことが 預言されています。
神である主の霊が、わたし ( イエス ・ キリスト ) の上にある。
主は わたしに 油をそそぎ、
貧しい者に 良い知らせを伝え、
心の傷ついた者を いやすために、
わたしを 遣わされた。
捕らわれ人 ( びと ) には解放を、囚人には釈放を告げ、
主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、
すべての悲しむ者を慰め、
シオンの悲しむ者たちに、
灰の代わりに 頭の飾りを、
悲しみの代わりに 喜びの油を、
憂いの心の代わりに 賛美の外套を
着けさせるためである。
彼らは、義の樫の木、
栄光を現す 主の植木と呼ばれよう。
● 貧しい者 ・ 心の傷ついた者 ・ 捕らわれ人 ( びと ) ・ すべての
悲しむ者 ・・・・・ のために、イエス ・ キリストは 遣わされました。
そして、
悲しみの代わりに 喜びを、
憂いの心の代わりに 賛美の歌をうたう心に、
そして、栄光を現していく “ 主の植木 ” のようだ、と呼ばれるような者に変えられていくように、歩まれたのでした。
イエス ・ キリストは、そのような足跡に従うようにと、私たちに模範を残されました。
私たちも、日々の歩みの中で、
苦しみや 悲しみを経験するかもしれませんが、
主なる神 ・ キリストが、共にいてくださる!
「 見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなた方と共に
います。」 ( マタイ福音書 28 : 20 )
そして、神による 勝利が約束されています!
「 これら すべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となる
のです。」 ( ローマ人への手紙 8 : 37 )
このような、イエス ・ キリストから、目を離さないようにしていなさい。
( へブル人への手紙 12 : 2 )
このように、イエス ・ キリストの足跡に従い、模範として、
「 キリストに倣いて 」 歩む 私たちとの出会いの中で、
私たちのまわりにいる人々は、イエス ・ キリストと出会っていくのです。
そして、いつか、おとずれの日に、神をほめたたえるような者に
変えられていく ━━ というのですが、
私たちも、そのような者でありたい、と思います。
※ 今日 ( 7/7 ) の、 すてきな ブログ 【 하나일기 】
( ニャンコのハナ日記 )
http://ameblo.jp/87chandaisuki/
私が作った 「 紫蘇ジュース 」 を使って、妻が ゼリーを作ってくれました。 今晩の 「 識字教室 」 で、みんなで いただこうと思います。
※ [ Archives ] ( アーカイヴズ ・ 記録保管所 )
http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12174663880.html
http://ameblo.jp/ukon-takayama/entry-12177476444.html