【 高橋敏夫牧師 阿武山教会に 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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● 2016.11.13 (日)、 阿武山福音自由教会の礼拝に、高橋敏夫牧師が お越しくださり、

 「 心配事の対処法 」 ( マタイの福音書 6章31~34節 ) と題して、

メッセージを語ってくださいました。

 

 高橋敏夫牧師は、「 髙山右近研究 」 を、“ 茶の湯 ” ( 表千家 ) の面からも 追求されています。

 

 著書 「 武将 髙山右近の信仰と茶の湯 」 

     「 茶の湯の心で 聖書を読めば 」

     「 髙山右近を追え!」

 

 

髙山右近と 細川忠興の友情

 今から35年前の、1981年(昭和56年)9月に、髙山右近の「日本訣別の書状」が 永青文庫で発見され、大きく報道されました。これは衝撃的でした。

右近とその一族は、「大禁教令」が出され、26年間過ごした金沢から長崎へ送られましたが、この書状は、マニラに向けて船が出るひと月前の慶長19年9月10日に書かれたものです。細川ガラシャの夫である細川忠興に宛てたこの右近の書状には、「私は、これから南海に赴く。この命は天に託し、名もすべて置いていく。忠興殿、この(よわい)六十の人生を如何に思うであろうか」と、問いかけているところがあります。「太平記」の楠木正行(まさつら)の辞世の歌を引き、もはや生きて帰ることのない潮路を前に、動揺の一かけらもない、右近の晴々とした心のありようを示しています。右近は忠興に、「私のこのような生き様を、どう思われますか。如何 。」と、投げかけていると思うのです。 

 

     

 

 

   彼 ( 楠木正行 ) ハ 戦場に向ひ 命を 墜 ( おと ) し 

      名ヲ天下ニ挙げ、

   是 ( 私 ・ 髙山右近 ) ハ 南海ニ趣き、命を 天ニ懸け、

      名ヲ流す。 如何。