【 “ マラッカ ” と “ モルッカ ” 】 | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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Q. “ マラッカ ” と “ モルッカ ” は、同じ場所ですか。別の場所ですか?

 

A. 別々の場所ですが、最新の 「 世界地図帳 」 では、どこにある

のか、見つけるのが むずかしいですネ。

 

 「 マラッカ 」 は、マレーシアの国の都市ですので、マレーシア語の 「 ムラカ 」。

 

 「 モルッカ諸島 」 は、インドネシアの国に属しますので、インドネシア語で 「 マルク諸島 」 として 記載されています。

 

「 マラッカ 」 は、ポルトガルの インド総督 アルブケルケが 征服して、“ ポルトガル領 マラッカ ” としました。

 香辛料貿易における 重要な 東西中継港として、繁栄を極めました。

 

 要塞 ( サンチャゴ砦 ) や キリスト教会 ( セントポール チャーチ )

などが建設され、司令官が常駐していました。

 

 フランシスコ ・ ザビエル は、日本に来る前、1546年から 1547年に

かけて、ここ マラッカから、モルッカ諸島に出かけて行って、

アンボン人に対して 宣教していきました。

 

 フランシスコ ・ ザビエル と 弥次郎が出会ったのも、マラッカ。

 1549年 6月24日に、日本に向けて出発したのも、ここ、マラッカから

でした。

 

「 モルッカ諸島 」 は、カリマンタン ( ボルネオ ) 島 ・ スラウェシ島の東側にある バンダ海 ・ セラム海に 分布する群島で、

「 香辛料諸島 」 として有名です。

 

 しかし、香辛料が、 ヨーロッパにおいて 高い価値を持ち、大きな収入を上げることが出来るため、オランダ ・ イギリスも、この地域において 独占権を得ようと、熾烈な争いが繰り返され、

 諸島の 原住民の多くが 虐殺されたり、奴隷にされたり していきましたよ!

 

 

※ 10月 4日付で 掲載の、 【 これはビックリ! 感謝!! 】

 

 2017年 2月 7日 (火) の、

 「 髙山右近 列福式 」 と 「 感謝の宴 」 に、日本カトリック司教協議会から、招待状を お送りいただき、感謝していますが、

 

 “ 妻同伴は ゆるされるでしょうか? ”

 ━━ と おたずねしていたことについて、

 

 本日 ( 10月28日 )、事務局から、返事をいただきました。

 

  「 夫婦 ご一緒に、どうぞ お越しください。」

 

 感謝主! ハレルヤ!!