【 「 祈りの人 」 ・ 髙山右近 】 ( コメント ) | 高山右近研究室のブログ

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監修 右近研究家・久保田典彦
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   ora et labora
 
 「 祈りの人 」 と聞いて、ふと思い出した言葉が ラテン語の
「ora et labora 」。
 “ 祈り、そして働け ” という意味。
 
 ベネディクト会修道院の会則として掲げられていますが、その後に
作られた修道会も 「 ora et labora 」 という言葉を会則にしています。
 おそらく右近もイエズス会の宣教師から、この言葉を教わったことでしょう。

 祈りによって活力を得てから1日をスタートさせ仕事をすると、仕事の中にも神が働いてくださいます。
 きっと右近もお父さんのダリヨも、それを体験していたのでしょうね。

 私たちの日々の暮らしも祈りからスタートさせたいですね。
 
 

 「 ora et labora 」  ( 祈り、そして 働け )

 

 いつも適切なコメントを、感謝します。

「 絶えず祈りなさい。」 と勧められていますよネ。
         ( テサロニケ第一 5:17 )

「祈り」は、主なる神さまとの、つなぎのパイプ。
 パイプが きちんと つながっていなければ、
神さまからの 愛も 恵みも 祝福も ・・・ 届いてはきません。

 あの、ぶどうの木も、枝が木につながっていなければ、一つの実さえ 結ぶことが出来ないように。 ( ヨハネ福音書 15章 )
 

     

 

 

           【 絶えず 祈りなさい 】 

     ( テサロニケ人への手紙 第一 5章17節 )

 

● 「 絶えず 祈りなさい 」 ということについて、見ていきましょう。

 

 「 絶えず 祈りなさい 」 誰に対して、祈るのでしょうか?

 

 クリスチャンの場合は、木や石などの、人間の作った偶像に対して ではありません。

「 主なる神さま 」 に対してですよネ。

 

 「 祈り 」 を、何か 特別な形や内容が必要なものだ、と思っておられませんか。

 又、「 祈り 」 を、何か、深遠で、深い深いもので、瞑想的なもので、

神秘的なものだ、と思っておられませんか。

 

 もし、「 祈り 」 を、特別な形や内容が必要なもので、深遠 ・ 瞑想的 ・ 神秘的なものだ、と思っておられるとしたら、

 そのような祈りは、そう簡単には 祈れないわけですから、ましてや、

「 絶えず祈る 」 などということは、不可能なことです。

 

 そのような祈りでしたら、よく祈って、一日に何回か、あるいは

一週間に何回か、程度のものになってしまいます。

 

 「 聖書 」 を通して、主なる神さまが教えておられる祈りは、そのような祈りではありません。

 そのような 「 祈り 」 は、キリスト教の祈りではなく、どこか 他の宗教の 「 祈り 」 です。

 

 聖書を通して、主なる神さまが教えておられる祈りは、

「 絶えず祈る 」 という 祈りです。

 

 私たちが祈る対象の お方 ・ 主なる神さまは、どこか遠くにおられるのでは ありません。

 実に、私たちの心のうちに内住しておってくださるのです。

 

 私たちのからだは、「 神の神殿 ・ 聖霊の宮 」 だと、聖書で言われています。

 父 ・ 子 ・ 聖霊、三位一体の主であられる 聖霊なる神が、私たちの心に、内住しておってくださるのです。

 

 インマヌエル。“ 神、われらと共にいます お方 ” として、

“ インマヌエル のお方 ” として、

 遠くではなく、そばに でもなく、実に、私たちの心のうちに 住んでいてくださるのです。

 その、三位一体の主であられる神に 祈るのです。

 

 私たちが、内住の聖霊なる神に導かれて祈る祈りは、芳しい香りとなって、薫る香 ・ 薫香となって、

 天の御座におられる 子なる神、イエス ・ キリストの所にまで立ち昇り、

 その 子なる神 ・ キリストの とりなしによって、キリストの御名のゆえに、

 父なる神に 届けられていくのです。

 

 父 ・ 子 ・ 聖霊、三位一体の主なる神が、総がかりで、私たちの祈りを聞いてくださり、答えてくださるのです。

 

 私たちのうちに 内住してくださっている神、

 そして、二人 ・ 三人、わたしの名において集まる所には、私も その中にいる ・ 臨在していると おっしゃってくださっている神さまに対して祈るのに、

 更に更に、私たちを 「 神の子ども 」 と言ってくださっているお方に祈るのに、

 特別な準備や、特別な言葉や、特別な形式が必要でしょうか。

 

 特別な ・ 深遠で ・ 瞑想的で ・ 神秘的な フンイキ や 場の設定が

必要でしょうか。

 

 子どもが、すぐそばにいる お父さんやお母さんに話をするのに、

特別な何かが 必要でしょうか。

 

 そばに、お父さんやお母さんがいるのに、何にも話しかけないで、黙ったままだとしたら、これは、異常です。

 一日に何回か、あるいは 一週間に何回かしか 話しかけないで、あとは、黙ったままだとしたら、これ又、異常です。意思疎通のない状態です。互いに 信頼関係のない状態です。

 

 子ども達は、すぐそばにいる お父さんやお母さんに対して、

「 お父さん、何々何々 ・・・ 」 とか、 「 お母さん、何々何々 ・・・ 」

という風に、ごくごく普通に、自然に 話しかけていきます。

 

 聞いてもらいたいこと ・ 願いごと ・ たのみごと ・ 感謝の気持ち など ・・・・・

 いろいろと、話しかけていきます。

 

 一方、話しかけられた お父さん ・ お母さんの方も、

 子どもが話しかけているのに、聞こうともしないで ・ 返事もしないで ・ 黙ったままだとしたら、これまた 異常です。

 親子の 意思疎通がなされていない、ということになります。

 

 「 絶えず祈る 」 ということも、同じことです。

 

 私たちの内におられる、直接は、聖霊なる神に対してですが、

 三位一体の主なる神さまに祈るのです。

 内住しておってくださる 聖霊なる神さまに導いていただいて、

 ご臨在くださっている 父 ・ 子 ・ 聖霊、三位一体の主なる神さまに

祈るのです。

 

 話しかけるのです。

 絶えず、祈るのです。

 絶えず、話しかけるのです。

 賛美 ・ 感謝 ・ 願い ・ とりなし ・ 悔い改め ・・・・・・・

 何でも祈るのです。

 話しかけるのです。

 

 子どもが、お父さんやお母さんに話しかけるように、

 話しかけるのです。

 祈るのです。

 

 あなたのささげる 祈り、そして 献げ物は、神さまの前に立ち昇っていって、覚えられていますよ!

 

 絶えず祈るのです。絶えず話しかけるのです。

 そうすれば、父 ・ 子 ・ 聖霊、三位一体の主なる神が、総がかりで、

 私たちの祈りを聞いてくださり、答えてくださいますヨ!

 

 いつ、答えてくださるのですか?

 どんな形で、答えてくださるのですか?

 

 ━━ それはお楽しみ! です。

 いつとか、どんな形でとか ということは、

 すべてを最善に導いてくださる、主なる神さまに おまかせです。

 

 最善の時に、最善の形で 答えてくださいます。

 それを 楽しみにして、

 

 絶えず祈っていきましょう!