祈りによって活力を得てから1日をスタートさせ仕事をすると、仕事の中にも神が働いてくださいます。
私たちの日々の暮らしも祈りからスタートさせたいですね。
「 ora et labora 」 ( 祈り、そして 働け )
「 絶えず祈りなさい。」 と勧められていますよネ。
「祈り」は、主なる神さまとの、つなぎのパイプ。
パイプが きちんと つながっていなければ、
神さまからの 愛も 恵みも 祝福も ・・・ 届いてはきません。
あの、ぶどうの木も、枝が木につながっていなければ、一つの実さえ 結ぶことが出来ないように。 ( ヨハネ福音書 15章 )
【 絶えず 祈りなさい 】
( テサロニケ人への手紙 第一 5章17節 )
● 「 絶えず 祈りなさい 」 ということについて、見ていきましょう。
「 絶えず 祈りなさい 」 誰に対して、祈るのでしょうか?
クリスチャンの場合は、木や石などの、人間の作った偶像に対して ではありません。
「 主なる神さま 」 に対してですよネ。
「 祈り 」 を、何か 特別な形や内容が必要なものだ、と思っておられませんか。
又、「 祈り 」 を、何か、深遠で、深い深いもので、瞑想的なもので、
神秘的なものだ、と思っておられませんか。
もし、「 祈り 」 を、特別な形や内容が必要なもので、深遠 ・ 瞑想的 ・ 神秘的なものだ、と思っておられるとしたら、
そのような祈りは、そう簡単には 祈れないわけですから、ましてや、
「 絶えず祈る 」 などということは、不可能なことです。
そのような祈りでしたら、よく祈って、一日に何回か、あるいは
一週間に何回か、程度のものになってしまいます。
「 聖書 」 を通して、主なる神さまが教えておられる祈りは、そのような祈りではありません。
そのような 「 祈り 」 は、キリスト教の祈りではなく、どこか 他の宗教の 「 祈り 」 です。
聖書を通して、主なる神さまが教えておられる祈りは、
「 絶えず祈る 」 という 祈りです。
私たちが祈る対象の お方 ・ 主なる神さまは、どこか遠くにおられるのでは ありません。
実に、私たちの心のうちに内住しておってくださるのです。
私たちのからだは、「 神の神殿 ・ 聖霊の宮 」 だと、聖書で言われています。
父 ・ 子 ・ 聖霊、三位一体の主であられる 聖霊なる神が、私たちの心に、内住しておってくださるのです。
インマヌエル。“ 神、われらと共にいます お方 ” として、
“ インマヌエル のお方 ” として、
遠くではなく、そばに でもなく、実に、私たちの心のうちに 住んでいてくださるのです。
その、三位一体の主であられる神に 祈るのです。
私たちが、内住の聖霊なる神に導かれて祈る祈りは、芳しい香りとなって、薫る香 ・ 薫香となって、
天の御座におられる 子なる神、イエス ・ キリストの所にまで立ち昇り、
その 子なる神 ・ キリストの とりなしによって、キリストの御名のゆえに、
父なる神に 届けられていくのです。
父 ・ 子 ・ 聖霊、三位一体の主なる神が、総がかりで、私たちの祈りを聞いてくださり、答えてくださるのです。
私たちのうちに 内住してくださっている神、
そして、二人 ・ 三人、わたしの名において集まる所には、私も その中にいる ・ 臨在していると おっしゃってくださっている神さまに対して祈るのに、
更に更に、私たちを 「 神の子ども 」 と言ってくださっているお方に祈るのに、
特別な準備や、特別な言葉や、特別な形式が必要でしょうか。
特別な ・ 深遠で ・ 瞑想的で ・ 神秘的な フンイキ や 場の設定が
必要でしょうか。
子どもが、すぐそばにいる お父さんやお母さんに話をするのに、
特別な何かが 必要でしょうか。
そばに、お父さんやお母さんがいるのに、何にも話しかけないで、黙ったままだとしたら、これは、異常です。
一日に何回か、あるいは 一週間に何回かしか 話しかけないで、あとは、黙ったままだとしたら、これ又、異常です。意思疎通のない状態です。互いに 信頼関係のない状態です。
子ども達は、すぐそばにいる お父さんやお母さんに対して、
「 お父さん、何々何々 ・・・ 」 とか、 「 お母さん、何々何々 ・・・ 」
という風に、ごくごく普通に、自然に 話しかけていきます。
聞いてもらいたいこと ・ 願いごと ・ たのみごと ・ 感謝の気持ち など ・・・・・
いろいろと、話しかけていきます。
一方、話しかけられた お父さん ・ お母さんの方も、
子どもが話しかけているのに、聞こうともしないで ・ 返事もしないで ・ 黙ったままだとしたら、これまた 異常です。
親子の 意思疎通がなされていない、ということになります。
「 絶えず祈る 」 ということも、同じことです。
私たちの内におられる、直接は、聖霊なる神に対してですが、
三位一体の主なる神さまに祈るのです。
内住しておってくださる 聖霊なる神さまに導いていただいて、
ご臨在くださっている 父 ・ 子 ・ 聖霊、三位一体の主なる神さまに
祈るのです。
話しかけるのです。
絶えず、祈るのです。
絶えず、話しかけるのです。
賛美 ・ 感謝 ・ 願い ・ とりなし ・ 悔い改め ・・・・・・・
何でも祈るのです。
話しかけるのです。
子どもが、お父さんやお母さんに話しかけるように、
話しかけるのです。
祈るのです。
あなたのささげる 祈り、そして 献げ物は、神さまの前に立ち昇っていって、覚えられていますよ!
絶えず祈るのです。絶えず話しかけるのです。
そうすれば、父 ・ 子 ・ 聖霊、三位一体の主なる神が、総がかりで、
私たちの祈りを聞いてくださり、答えてくださいますヨ!
いつ、答えてくださるのですか?
どんな形で、答えてくださるのですか?
━━ それはお楽しみ! です。
いつとか、どんな形でとか ということは、
すべてを最善に導いてくださる、主なる神さまに おまかせです。
最善の時に、最善の形で 答えてくださいます。
それを 楽しみにして、
絶えず祈っていきましょう!